孝康皇后 (明朝)
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孝康皇后(こうこうこうごう、1354年?‐1378年)は、明の懿文太子朱標 (太祖洪武帝朱元璋の長子)の正妃。姓は常氏。開平王常遇春の長女で、母は藍氏(藍玉の姉)。
父常遇春は洪武帝朱元璋の旧くからの仲間で、明王朝建国の元勲の一人。洪武4年(1371年)4月に皇太子朱標と結婚して皇太子妃に冊立された。朱標との間に朱雄英(早世)・呉王朱允熥を産むが、洪武11年(1378年)11月に朱標に先立って没し敬懿皇太子妃と諡された。死因は朱允熥出産時の産褥死であろう。建文元年(1399年)、朱標の子建文帝(母は側室の呂氏)が即位すると嫡母(父の正室)として孝康皇后と追尊された。永楽元年(1403年)、永楽帝が即位すると敬懿皇太子妃に戻された。その後、明朝末期の安宗弘光帝によって孝康皇后と改めて諡された。