「題名のない音楽会」の版間の差分
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* 美術協力:株式会社[[ヤマハミュージックジャパン]] | * 美術協力:株式会社[[ヤマハミュージックジャパン]] | ||
* 制作協力:[[スーパープロデュース]] | * 制作協力:[[スーパープロデュース]] | ||
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+ | == オープニング・エンディング == | ||
+ | === 黛担当時代 === | ||
+ | ==== エンディング ==== | ||
+ | * 楽譜とバイオリンのスチール写真に、1行ずつ「題名のない音楽会」「終」「提供:出光興産」と表示されていたもの。(1984年頃まで) | ||
+ | * 司会者黛敏郎のペーパーイラストに、1行ずつ「題名のない音楽会」「終」「提供:出光興産」と表示されていたもの。(1984年頃 - 1993年) | ||
+ | * 部屋の椅子に置かれたチェロのスチール写真に、1行ずつ「題名のない音楽会」「終」「提供:出光興産」と表示されていたもの。(1994年 - 1997年9月) | ||
+ | * 「アポロマークの出光興産がお送りしました」とアナウンス(ナレーション:[[銅谷志朗]])。BGMはなかった。(1983年頃までは「出光興産がお送りしました」と女性のアナウンスが行われた) | ||
+ | * オープニングでも同じものを表示されていた。 | ||
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+ | === 佐渡担当時代 === | ||
+ | ==== オープニング ==== | ||
+ | * グレー→ショッキングピンク→黄緑と場面転換し、無数の楽譜や音符が描かれたCGと合成した状態で、佐渡自身が指揮し譜面をめくると番組タイトル・放送回数(単位はop.○○○○<ref group="注">[[作品番号]]を意味する"opus number"の略。</ref><!--放送で確認-->)と今日の番組内容のハイライトが表示。再び右から左へページがめくられると提供クレジット。提供クレジットの下には英字タイトルである"''Untitled Concert''"が表示される。 | ||
+ | * 番組内容のナレーションと提供アナウンスは、担当時のアシスタントが担当。 | ||
+ | * 楽曲は「[[キャンディード]]序曲」(作曲:[[レナード・バーンスタイン|Leonard Bernstein]])<ref group="注">黛担当時の1992年(平成4年)10月4日放送(サブタイトル「バーンスタイン先生と私」)で、番組冒頭に佐渡が指揮した楽曲でもある。この回は、佐渡が『[[出光音楽賞|第2回出光音楽賞]]』(1991年)受賞者として紹介するため、出演した。</ref>。 | ||
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+ | ==== エンディング ==== | ||
+ | * 上記と同じ提供クレジットが表示された後、提供クレジットが右から左へめくられて再び佐渡が登場。指揮を終えた後には優しく手を振り、右側に「End」が表示。 | ||
+ | * 楽曲はオープニング同じく「キャンディード序曲」。ここでは楽曲の〆にあたる部分が使用。 | ||
+ | * 提供アナウンスは、担当時のアシスタントが担当。 | ||
+ | * テレビ朝日系列(ANNフルネット24局)では、続けて次番組の[[クロスプログラム]](2015年時点では、朝日放送制作の『[[ペットの王国 ワンだランド]]』)が放映。 | ||
+ | |||
+ | === 五嶋担当時代 === | ||
+ | ==== オープニング ==== | ||
+ | 今日の番組内容のハイライト→五嶋が演奏している画面に切り替わり、その後、五嶋が両手で鍵括弧を作り番組タイトルが表示。本日の演奏曲紹介→画面中央の鍵括弧<ref group="注">当初は動きが無かったが、2016年5月22日から鍵括弧が画面中央から外側へ動く動作が加えられた。</ref>の中に提供クレジットが表示。 | ||
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+ | ==== エンディング ==== | ||
+ | 上記と同じ提供クレジットの後、画面の左側に五嶋が現れ右へ指を差し、その右側に鍵括弧で括られた作曲家の名言がテロップとして出てくる。なお、紹介された名言は、バックナンバーとともに、公式サイトで閲覧できる。過去のエンディングと違い、「終」の表記はない。その後、次番組のクロスプログラムへと続く。 | ||
+ | |||
+ | === 石丸担当時代 === | ||
+ | ==== オープニング ==== | ||
+ | 東京オペラシティ(以下、劇場)の天井→ステージに石丸が現れ、『本日お送りするのは』のナレーションの後、今日の番組内容のハイライト→石丸の『まもなく開演です』のナレーションの後、劇場の全景をバックに番組タイトルが表示。その後、前回と同様、画面中央の鍵括弧の中に提供クレジットが表示。 | ||
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+ | ==== エンディング ==== | ||
+ | 劇場の天井をバックにした提供クレジット終了後、鍵括弧が画面中央へ移動したのち石丸が現れ、両手を広げると作曲家の名言がテロップとして出てくる。その後、次番組のクロスプログラムへと続く。 | ||
== ネット局 == | == ネット局 == |
2018年8月15日 (水) 13:23時点における版
題名のない音楽会 Untitled Concert | |
---|---|
放送局 | 日本 |
ジャンル | 音楽番組(クラシック音楽) |
放送期間 | |
放送時間 | |
制作局 | 東京12チャンネル → テレビ朝日 |
企画/PD | 出光興産 引地夏規、福田裕治 山下浩司(GP) |
監督/総指揮 | 関尚弘(舞台監督) |
演出 | 鬼久保美帆(P兼務) |
原作 | |
脚本 | |
出演者 | 石丸幹二 松尾由美子(テレビ朝日アナウンサー) ほか |
ナレーション | |
音声 | ステレオ放送 [注 1] |
字幕 | 文字多重放送 |
データ放送 | |
オープニング | 歌劇「劇場支配人」序曲 (作曲・モーツァルト) |
エンディング | 同上 |
公式サイト | 公式サイト |
特記事項: * 1964年8月から1966年3月までは、東京12チャンネル(現:テレビ東京)で放送。
| |
『題名のない音楽会』(だいめいのないおんがくかい、英字表記:Untitled Concert)は、1964年8月から放送されているクラシック系音楽番組。
1966年3月まで東京12チャンネル(現:テレビ東京)が制作し、同年4月より現在までNETテレビ→テレビ朝日が制作している。また1968年10月から1969年6月までは放送を休止した。
目次
概要
クラシック音楽を中心にさまざまな分野の音楽を取り上げ、そのテーマとなる音楽の楽しみ方を解説することが番組の中心となる。
東京交響楽団やシエナ・ウインド・オーケストラなどをはじめとするオーケストラや吹奏楽編成による演奏が行われるのが特徴。主に公開録画で収録され、応募により観覧が可能。ただし、単独楽器と、その演奏のみ取り上げたり、スタジオでの非公開録画のときもある。
スポンサーは前身の『ゴールデン・ポップス・コンサート』時代から一貫して、石油会社「出光興産」による一社提供[注 2]。
また、出光興産は当番組放送開始25周年となった1990年に若手音楽家の育成を主眼とした出光音楽賞(いでみつおんがくしょう)を制定している。
英語タイトルの"Untitled Concert"(アンタイトルド・コンサート)は、かつては番組のタイトルとして直接出てくることはなかったが、『題名のない音楽会21』では舞台の装飾などでその文字が認められることがあった。その後、2008年4月に変更されたタイトルロゴにはサブタイトルとして挿入されている(→歴史を参照)。
クラシック番組としては世界最長寿である(後述)。また、現在のテレビ朝日全体でも最長寿番組であるほか[注 3]、同社で最初にステレオ放送を実施した番組でもある(1978年12月24日 - )。
歴史
番組誕生の経緯〜黛担当時代
1964年8月1日、当時TBSとの専属契約を打ち切られて苦境に陥っていた東京交響楽団の活動の場を与える意味で、土曜 20:30 - 21:00に東京12チャンネル(現・テレビ東京)の製作で『ゴールデン・ポップス・コンサート・題名のない音楽会』として始まった。当初の司会は作曲家の黛敏郎で、日ごろ余り聞きなれないクラシック音楽を家族で楽しんでもらえるようにとの趣旨でスタートした。
なお『題名のない音楽会』というネーミングは、黛が考案した『題名のないコンサート』という題名を放送作家が改題したもので、これに東京12チャンネルの編成課長・ばばこういちが「どうしても題名に『ゴールデン』という文字を入れて欲しい」と要求し上記の題名に落ち着いた[1]。
番組開始に先立ち、スポンサードを行うかどうかの判断材料にするために出光興産の社内でパイロット版を放送し社員にアンケートを取ったが、賛成はわずか17%ほどに過ぎなかったという[2]。
その後、東京12チャンネルの経営難による放送時間短縮(1966年4月より。詳しくは日本科学技術振興財団#テレビ放送事業を参照)の影響で放送継続が困難になり、スタッフは「司会者・楽団・スタッフはそのままで番組を継続できること」を条件に他局への番組の移籍を検討する。元々、出光興産は「会社がつぶれるまで提供を継続する」方針であり[注 4]、「優良スポンサーつきの番組であり、ぜひ放送したい」と他の在京キー局が一斉に手を挙げたが、最終的にNETテレビ(現・テレビ朝日)が当時専属の交響楽団を持たなかった事が決め手となり[注 5]、1966年4月1日に放送がNETに移り『題名のない音楽会』として再スタートした。なおNETテレビで放送された最初の2本分の番組は、東京12チャンネルが制作したものである。
一放送番組が他の放送局に移籍する例は当時としては異例のことであった。民放テレビ創成期の「ナショナル日曜観劇会」が1958年3月、関東地区でのネット局を日本テレビからラジオ東京テレビ(現・TBSテレビ)に変更した例くらいである。
その後、当番組は1968年9月29日で一旦終了し、1968年10月6日から1969年6月29日までは同枠で『黛敏郎の間奏曲』が放送された。1969年7月6日から再び放送を開始し、以降は週末のNETテレビ⇒テレビ朝日で特番や緊急時を除き、間断なく放送を続けている。
黛の司会担当時は主に現代音楽を取り扱い、ポップスや軽音楽が披露されるのは稀だった[3][注 6]。また後述の様に様々な企画が実施された一方で、黛の政治思想が色濃く反映され、お蔵入りになるケースもあった。
新・題名のない音楽会〜題名のない音楽会21
1997年4月10日に、約33年に渡って司会を担当した黛が急逝(同月放送分までは生前に収録されたストック分を放送)。死後は永六輔が代理司会を務めた後、同年10月5日からタイトルを『新・題名のない音楽会』に変え武田鉄矢に交代。この時期から31年ぶりにアシスタントも復活し、テレビ朝日の女性アナウンサーが務めている。黛の司会担当時は現代音楽を精力的に紹介したが、彼の死去後はポップス中心に移行し軽音楽を扱う機会も増えている。
2000年4月2日からは『題名のない音楽会21』に変わり、羽田健太郎が7年余司会を務めオープニング・エンディングテーマも担当した。しかし2007年6月2日に羽田が死去し、2008年3月30日まではアシスタントの久保田直子(テレビ朝日アナウンサー)と週替わりのゲスト司会という体制を採った。
佐渡担当時代
2008年4月6日からは『題名のない音楽会』にタイトルを戻し、指揮者で出光音楽賞受賞者の佐渡裕が司会を務める[4]。このリニューアルに伴いロゴも変更され、1980年代から使われ続けてきた手書き調のものから、「題名のない音楽会 Untitled Concert」と書かれた紙が、新たな番組コンセプトである「ページを1枚めくる」を表現した、向かって右下の部分が折れてめくれている図案に変更されている。なお、「ページを1枚めくる」とは譜面をめくる動作に準え、番組を見た視聴者が音楽への好奇心を深めていくことを意味している。2008年10月からは司会の挨拶のあと、「みなさんと一緒に、新しいページをめくりましょう!」と掛け声をかけてから番組が開始されている。
佐渡が担当した当時は、指揮者になってみたい一般の人を募集しオーケストラの指揮をしてもらう「振ってみまSHOW!」、青島広志(アドバイザーとして番組制作にも携わっていた)が往年のクラシックの作曲家に仮装するシリーズ、高嶋ちさ子による「クレーマー・ちさ子教授シリーズ」、宮川彬良による「アキラさんの大発見シリーズ」などのコミカルな企画が定期的に行われた。元々コンサートホールでの収録が多い番組ではあるが、佐渡のスケジュールに合わせスタジオ収録や海外ロケも行われるようになった。佐渡時代の番組スタイルについては、佐渡自身が「レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックを指揮していた『ヤング・ピープルズ・コンサート』を下敷きとしている」と語っている[5]。
2009年に放送開始45周年を迎えるのを機に、2月に「世界一長寿のクラシック音楽番組」としてギネス世界記録に記録認定を申請、その結果前述の通り『黛敏郎の間奏曲』による中断期間があったことから、1969年7月以降の放送が対象となり、5月28日に「1969年7月以来継続放送されているクラシック音楽番組」として、世界記録の認定を受けた[6]。
2010年12月6日、第17回日本プロ音楽録音賞「放送メディア」放送作品部門にて、2010年5月16日に放送された「坂本龍一〜箏の魅力」(坂本龍一作曲の箏とオーケストラのための協奏曲を沢井一恵が演奏)が最優秀賞を受賞した。
2011年3月13日は東日本大震災のANN報道特別番組のため休止。また、4月24日・5月1日の放送では「東日本大震災復興応援〜今、音楽にできること〜」と題して復興支援の音楽コンサートの模様を放送した(BS朝日では4月30日・5月7日に放送)[注 7]。また、2013年9月8日・2015年2月1日も『報道ステーション SUNDAY』を9:00から1時間繰り上げ・拡大して放送したため休止していた[注 8]。
五嶋→石丸司会時代
2015年10月4日放送分(第2431回)から、ヴァイオリニストの五嶋龍が司会を務める[7]。佐渡が2015年9月からウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督を務めることとなり、「年間4か月近くウィーン(オーストリア)に滞在する生活になります。引き続きヨーロッパを中心に客演指揮者としてオーケストラの指揮活動をしていくことを考えると、どうしても毎週番組を作っていくことが物理的に不可能になってしまいました」と2015年6月28日放送分の番組内で番組降板の経緯について説明している[8]。五嶋で6代目の司会、最年少(27歳)での就任となる。初回収録は7月30日に行われた。リニューアルに伴いタイトルロゴも再変更された[9]。アシスタントも松尾由美子に交代した。
ほとんどの回でサブタイトルが「○○の音楽会」の形式に統一され、エンディングには音楽に関する「今日の格言」も紹介されている。
なお五嶋は東京に仕事の場を移すことなく、番組収録の度に自宅のあるニューヨークから来日するというスケジュールで司会を続けていたが、2017年3月26日の放送回をもって五嶋は番組を卒業、4月2日放送分から、当番組にゲストとして出演した経験を持つミュージカル俳優の石丸幹二に司会が引き継がれた[10]。
2017年10月1日から『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日・朝日放送→朝日放送テレビ・メ〜テレ共同制作)開始に伴い[注 9]、テレビ朝日・福島放送・琉球朝日放送では放送時間を土曜10:00 - 10:30に変更した(左記3局以外のテレビ朝日系列フルネット21局および系列外ネット局では時差ネット)[11][12]。
歴代出演者
太字はテレビ朝日アナウンサー(元職を含む)。
期間 | 司会 | アシスタント | |
---|---|---|---|
1964.8.1 | 1966.3 | 黛敏郎 | 九重佑三子 |
1966.4.1 | 1997.4 | (不在) | |
1997.5 | 1997.9 | 永六輔 | 岡田洋子 |
1997.10 | 1999.3 | 武田鉄矢 | 野村華苗 |
1999.4 | 2000.3 | 加羽沢美濃 | |
2000.4 | 2002.3 | 羽田健太郎 | 高橋真紀子 |
2002.4 | 2004.3 | 村上祐子 | |
2004.4 | 2007.3 | 大木優紀 | |
2007.4 | 2007.6.3 | 久保田直子 | |
2007.6.10 | 2008.3 | (週代わり) | |
2008.4 | 2010.3 | 佐渡裕 | |
2010.4 | 2015.9 | 本間智恵 | |
2015.10 | 2017.3 | 五嶋龍 | 松尾由美子 |
2017.4 | 現在 | 石丸幹二 |
- 備考
- 永は黛の死去により代役として司会を務めていた。上記以外では1996年7月14日も担当したが、この時、黛は体調不良により収録を欠席した。黛は1997年4月10日没。
- 羽田の死去により、2008年3月30日放送分まで久保田と週変わりによるゲスト司会が代行した(羽田は2007年6月2日没)。
- このほか、黛時代初期には石丸寛、小泉文夫が代理司会(企画によっては黛が出演を控える回も初期の頃はまれにあった)を担当した。特に製作放送局が移行する直前の1966年3月放送分については石丸が、また、通常の外部会場からの演奏会方式ではなく、民族音楽のルーツを探るロケーション映像をスタジオで検証する形式が採られた1972年10月28日 - 11月18日放送(この間に同番組史上に残る『これがケチャだ』が放送されている)については小泉がそれぞれ代理司会を務めた。
- 佐渡時代はスケジュールの都合などにより、アシスタントのアナウンサーが別番組の収録等で出演できない場合は代理アシスタントを立てることもあった。パリでの収録の際は現地在住の雨宮塔子(フリーアナウンサー)がアシスタントを担当した。
司会者死去に伴う措置
- 黛が死去した直後の放送(1997年4月13日放送分)では、CMを全てカットし、最後に出光興産の社名で「ご冥福をお祈り申し上げます」と表示した。
- 羽田が死去した際には、2007年6月10日と翌週の6月17日の2週にわたって過去7年の名演奏と思い出を綴る追悼番組を放映した。6月10日分は過去の総集編、17日分はゆかりのゲストと共に『-21』時代の歴代アシスタントが総出演して追悼コンサートが行われた。
黛敏郎時代の特徴
- 保守派の文化人として政治活動もしていた黛は、時に軍歌や憲法など政治的なテーマを度々取り上げたが、一部はNET⇒テレビ朝日側[注 10]が却下し、放送される事は無かった。
- 黛は、フェルッチョ・ブゾーニの大曲「ピアノ協奏曲」の終楽章(合唱付き)も取り上げている。
- 1974年から1995年までのその年の最終放送には外国のオペラ歌手や、歌唱力がある財界人などを集めて、『NHK紅白歌合戦』を模倣する企画が恒例化していた(1977年・1979年は放送していない)。
- 1974年12月28日:『大紅白ものまね歌合戦』
- 1975年12月28日:『紅白碧眼歌合戦』
- 1976年12月26日:『真正小紅白歌合戦』
- 1978年12月31日:『豪華カラオケ歌合戦』
- 1980年12月28日:『花の政党対抗紅白歌合戦』
- 1981年12月27日:『花の社長対抗紅白歌合戦』
- 1982年12月26日:『評論家対抗紅白歌合戦』
- 1983年12月25日:『クラシック版紅白歌合戦』
- 1984年12月30日:『世界名料理店対抗紅白歌合戦』
- 1985年12月29日:『花の名演奏家紅白歌合戦』
- 1986年12月28日:『題名版 紅白歌合戦 悪夢編』
- 1987年12月27日:『エアライン対抗紅白歌合戦』
- 1988年12月25日:『これが紅白歌合戦だ!』
- 1989年12月31日:『紅白歌合戦よさようなら』
- 1990年12月30日:『えっ、今年も紅白歌合戦』
- 1991年12月29日:『これが紅白だった』
- 1992年12月27日:『国会議員紅白歌合戦』
- 1993年12月26日:『先生たちの紅白歌合戦?』
- 1994年12月18日:『オーケストラ紅白歌合戦』
- 1995年12月24日:『東西文士対抗紅白歌合戦』
※このほか、俳優・作家・歌手・政治家など著名人1人を招いての『わが青春の歌』シリーズ(藤山一郎・浜田幸一・金田一春彦ほか)などのシリーズものや当時の流行を取り入れた娯楽性の高い企画も多く放送されていた(例えば、1970年代後半には日本テレビの『ウィークエンダー』やNHK総合テレビの『ホントにホント?』のパロディ版を放送したこともある)。
黛時代にゲスト出演した著名人(声楽家・作曲家は除く)
「ベートーベンから浪花節まで」を基本コンセプトとした内容であったため、黛の人脈の広さからおよそクラシック音楽とは関連性が薄いと思われる芸能人や大物著名人なども数多くゲスト出演していた。(したがって、必ずしもポップスや軽音楽を軽視していたわけではない。)またクラシックの演奏家であっても専門とは違う分野に挑戦させられることも少なくなかった。(指揮者の小林研一郎がテノール歌手として出演するなど。)以上の理由から、出演者や取り上げる音楽は黛敏郎本人の政治的主張とは必ずしも一致しない場合が少なくなく、かつ作曲者の政治的立場と音楽作品の価値とは常に峻別していた。(黛敏郎が自身の政治的主張を露骨に出したのは憲法記念日特集の番組くらいである。)
- 美空ひばり - オペラ「アリア」に同番組内で挑戦した。
- 永六輔 - 常連ゲストの一人。卒業式の歌を特集した際に黛に向かって「学園長式辞」と言った。
- 植木等 - 黛が「追悼特番をお送りします」と称した内容で放送。番組冒頭に僧服を纏って登場しお経を詠んだ。当時(1995年)の時点では健在であった植木のひょうきんな人柄が出ている放送回であった。
- ハナ肇とクレイジーキャッツ
- 勝新太郎
- 坂東玉三郎 - 玉三郎の好きな曲「アランフェス協奏曲」にあわせて詩を朗読後、舞踊を踊った。衣装代えに時間がかかることから、一旦収録を中断し、次の番組を収録後、踊った。一発収録が主だったが、特異な収録形態だった。
- 遠藤周作 - オペラに挑戦。
- 岡本太郎 - 楽譜なしの作曲に挑戦し、岡本太郎自身の叫び声とオーケストラによる一種の協奏曲が初演された。
- 三波春夫 - 一般には典型的「演歌」として扱われる歌の世界を「ブルース」という全く異なる角度から分析。また浪曲の成立までの歴史を実演したこともある。
- 石津謙介
- 大屋政子
- 寺山修司 - 番組冒頭に寺山修司自身の歌集『田園に死す』から数首を寺山自身の朗読によって紹介し、そこから童謡に対する寺山の思い出や考えが述べられた回だった。
- 竹村健一
- 高英男 - 黛敏郎の晩年に出演した時には、黛敏郎作曲、加藤道夫台本のバレエ『思い出を売る男』の歌唱を披露した。
- 野坂昭如 - 常連ゲストの一人。歌手として出演し持ち歌を歌ったこともある。
- 小沢昭一 - 常連ゲストの一人。ベートーベンの生涯を浪曲にしたものを披露したこともある。
- 西村晃
- 高島忠夫
- 倉本聰
- 玉置宏
- 阿久悠
- 小沢栄太郎
- 芦田伸介 - 憲法記念日特集の『なぜ憲法は改正されねばならないか』ではナレーションを務めたが、番組が放送中止になった。
- 坂上二郎
- 黒柳徹子
- 芳村真理
- 江守徹
- 桂三枝(現・六代 桂文枝)
- 梶原茂(現・梶原しげる) - 1979年に出演。当時は現役の文化放送アナウンサーで、「イングリッシュ演歌」を披露。
- 大沢悠里 - 1986年9月14日に出演。当時は現役のTBSアナウンサーだった。オーケストラの演奏に合わせて即興的に何種類ものラジオ原稿を読み分けた。
- 中山千夏 - 「運命」のタクトを振る。
- 桜田淳子 - フルオーケストラの演奏をバックに「気まぐれヴィーナス」を披露。
- キャロル
- 大山のぶ代
- 木の実ナナ
- 森進一
- 八代亜紀 - 彼女に関する企画は1980年代 - 1990年代にかけて多数行われた。
- タモリ - 1977年に番組内で密室芸を披露。番組の最後には紅衛兵に扮し、ベートーベンの「歓喜に寄す」に合わせてハナモゲラ語で毛沢東を称えた。
- おすぎ
- 舛添要一
- 山田邦子
- 本田美奈子
- 清水ミチコ - 「清水ミチコオンステージ」と題して、オーケストラをバックに物まね芸を披露。番組冒頭で『カルメン』の「ハバネラ」をでたらめな外国語で歌いきり、黛敏郎に「わたしもいろいろな外国語を知ってるがこんなのは今まで聞いたことがない」と言わせた。黛との対談中、言い間違いをした黛に対し、「わたしもいろいろな日本語を知ってるがこんなのは今まで聞いたことがない」と清水が応酬したので黛および会場を大いに沸かせた。
- オユンナ
- 和田アキ子 - 男性のキーのままでカルメンの「闘牛士の歌」を熱唱し絶賛された。
- 江本孟紀 - 現役引退後、TV&ラジオの仕事では発音や発声が重要と痛感した江本は、発声を良くしようと声楽レッスンに通い始める。その成果として番組内でオペラに挑戦した「江本孟紀・オペラに挑戦」が1985年6月に放送された。
- 聖飢魔II - 1993年に「悪魔の音楽考」で出演。黛時代では異例のハードロックが取り扱われた。「悪魔組曲作品666番ニ短調」やオーケストラ融合である「BAD AGAIN〜美しき反逆〜」を披露し、間のトークで悪魔音楽はどういうものであるべきか黛・デーモン小暮閣下が議論した後、単調な曲である聖飢魔IIの新曲「鬼」とクラシックの悪魔音楽メドレーを融合した「鬼+α」を披露し終了した。
- PUFFY - 『第47回NHK紅白歌合戦』からの出演オファーを蹴ったことを讃えられ番組内で『アジアの純真』を歌った。
- 土井たか子 - 『花の政党対抗紅白歌合戦』に出演し、『マイ・ウェイ』を熱唱してトリを務めた。
- 古舘伊知郎 - オーケストラ演奏の実況中継を即興で行う。当時はテレビ朝日のアナウンサーでプロレス番組の実況中継で人気を博していた。
- 岩崎宏美 - 新人時代に出演し、デビュー曲『ロマンス』を様々に編曲した歌唱に一人で挑戦し絶賛された。
- 丹波哲郎 - 演奏中のオーケストラの楽団員全員および指揮者に催眠術をかけて演奏不能にした。
- ジュディ・オング - 『魅せられて』の企画からレコーディングまでの経緯を番組にした時に出演し最後に歌を披露、後にこの曲が大ヒットして再び出演し、もう一度歌った。 二度目の出演の時、最初の予定ではケチャに編曲されたものも本人が歌うことになっていたが、憑依現象が発生したため大事を取って代役が立てられたと黛は説明していた。
- 武智鉄二 - 『豪華歌合戦』に出演して『お化けのロック』を歌い、黛敏郎をして「悪夢の世界」と言わしめた。
- 高峰秀子 - 常連ゲストの一人。笠置シズ子追悼の回には、すでに歌手活動から引退していたにもかかわらず『東京ブギウギ』を歌って、黛敏郎ら出演者と笠置シズ子を偲んだ。
- 沢竜二 - 松井翠声の活弁に合わせて剣戟を披露、バックの音楽に合わせて、尾上松之助風、三船敏郎風、必殺シリーズ風などと細部が微妙に異なる立ち回りを何通りにも演じ分けてみせた。
- 丸山浩路 - 歌のない管弦楽曲を手話通訳し、会場に来ていたろう者の観客から「生まれて初めてオーケストラを聞くことができた」と感謝された。
- 細川俊之 - 声楽家として出演。『あまいささやき』の語りで登場し最後に『さっちゃん』の独唱を披露した。
- 井上ひさし - 1981年の憲法記念日特集に出演。黛の『なぜ憲法は改正されねばならないか』の演奏前に護憲派の立場から日本国憲法の価値を論じたが、番組が放送中止になった。
- 小池朝雄 - 常連ゲストの一人だが、常に演技者としての出演だった。『太平洋序曲』の日本初演時(ただし演奏会形式によるダイジェスト版)にはナレーションおよび明治天皇の役を演じ、またチェホフの『タバコの害について』の一人舞台を演じた。
- 小泉文夫 - 常連ゲストの一人。黛敏郎が外遊したときには司会を務めたこともある。「小泉文夫の大予言」の回では、小泉の著作『歌謡曲の構造』の実践として小泉自身が作曲した歌謡曲を雪村いずみやあのねのねが歌った。なお番組の最後に「小泉さんは国立大学の教授だが、もしこれらの曲が大ヒットしたら副業を禁止する公務員の規定に違反するので大学を辞めなきゃならなくなるが、そのことについてお考えをお聞かせ願いたい」という黛の質問に対して、「これらの曲はあくまでも自分の研究の一環として作曲したものです。だから公務員の規定に違反するものではありません。これからも大学教授を続けて行くし曲の印税も全部貰うつもりです」と小泉が答えたので、黛は「せっかくの決意だが無駄になるでしょう」と言って、会場と小泉自身を失笑させた。
- 高田好胤 - 常連ゲストの一人。
- 笠智衆 - 小学校の校長先生に扮し教育勅語を朗読した。
- 越路吹雪
- 丸山明宏(現・三輪明宏)
- 由美かおる
- 内田裕也
- 沢田研二
- ザ・タイガース
- かまやつひろし - フォーク・ソングの歴史を二回に渡って語り、かつ内外の多くの名曲を自身の歌と演奏によって紹介した。最後に番組放送当時(1976年)の最新のフォーク・ソングとしてかまやつは矢野顕子編曲による『丘を越えて』を高く評価し矢野に代わって歌った。
- 菅原文太
- 山本リンダ
- その他
番組テーマ曲
- 題名のない音楽会21オープニングテーマ(2000.4 - 2008.3使用)
- 作曲・編曲:羽田健太郎
- 「キャンディード」序曲(2008.4 - 2015.09使用)
- 作曲:レナード・バーンスタイン、指揮:佐渡裕、演奏:シエナ・ウインド・オーケストラ
- Untitled Music(2015.10 - 2017.03)
- 作曲・指揮:久石譲
- 歌劇「劇場支配人」序曲(2017.4 - )
スタッフ
- 構成:中野俊成、塚田ゆみ、河合秀仁
- 音楽アドバイザー:飯尾洋一
- TD/SW:吉田千明(吉田→以前はカメラ)
- カメラ:穴沢康至
- VE:時見正和、松田祐児、齋藤弘幸
- 音声:爲田あかね、柳原健司、青木伸愛、猪俣晃
- 照明:小松武久、廣瀬蓉子、湊健太郎、江頭儀浩、山本美奈子
- PA:池戸和幸、小暮倫見(TAMCO)
- 美術:前田香織
- 美術進行:加藤靖也、渡辺(邊)眞太郎
- CGディレクション:横井勝(横井→以前はCGデザイン)
- CGデザイン:村澤ちひろ、菅澤英子、松尾裕介
- 編集:丸山祐介(IMAGICA)
- MA:内野陽介、柳原健司、大日方万梨亜
- 効果:谷内田久貴(TSP)
- TK:小島美和子
- スタイリスト:米山裕也、平紀和、井元文子
- 舞台監督:関尚弘
- 技術協力:VIVIA
- 楽器提供:日本音楽財団
- アシスタントディレクター:清田楓樹、太智花美咲、高橋竜也、岡本渉、深川伶菜
- アシスタントプロデューサー:山崎陽子
- フロアディレクター:菅野智(菅野→以前はディレクター)、二見香帆(二見→以前はアシスタントディレクター)、都丸泰彦、稲村隆、大塚崇彦
- ディレクター:山田洋平、貞松秀樹、福田雅之、佐々木繁雄、池上健介(池上→以前はフロアディレクター)
- プロデューサー:引地夏規、福田裕治(福田→2015年10月4日 - )
- プロデューサー・ディレクター:鬼久保美帆
- ゼネラルプロデューサー:山下浩司(2013年11月24日 - )
- 制作協力:COLLABORATlON(2015年10月4日 - )
- 制作著作:テレビ朝日
過去
- ゼネラルプロデューサー:清水克也、伊東寛晃
- チーフプロデューサー:三倉文宏、佐藤信也
- プロデューサー:磯村健二、大村正二、大石泰、上村達也、荒井祥之
- アシスタントプロデューサー:佐々木南、細谷ナナ
- 総合演出:長束利博
- ディレクター:安藤仁、中嶋豪、梅沢勝、石和富志男、倉掛康彰、隈元秀彦、佐藤正樹、篠田裕基、千葉昭、大谷卓、菊地芙美代、菊地泰子、三戸宏之、澤地康弘、川島雅行、友利栄太郎
- フロアディレクター:新田彩子
- アシスタントディレクター:風間崇志、長島勇太、松森歩夢
- 舞台監督:平井智喜、林和孝
- 構成:藤田敏雄(のち監修)、小泉文夫(出演、代理司会も行う)、井上知幸、渡辺健一、新井鴎子、亀津雄介
- アドバイザー:前田憲男、青島広志
- 指揮:石丸寛(代理司会も行う)
- 技術:江原淳一
- TD:早川憲一
- TD/SW:渡邊良平(渡邊→以前はSW)、今川愛(今川→以前はカメラ)
- カメラ:近江靖、浅川英俊、松田祥宏
- 音声:清水豊
- VE:近藤佑輔
- 照明:鈴木秀、高野安隆
- 効果:中村充、岩谷知朗、石井佳那子、安夕貴(TSP)
- 美術:坂本廉三、中塚宏、高見和彦、福田亜矢子、金澤弘道
- 美術進行:渡辺絢、三木晴加
- CGデザイン:松島祐樹
- 編集:鼻岡規夫
- MA:大形省一
- スタイリスト:川岸みさこ、加藤涼子
- 美術協力:株式会社ヤマハミュージックジャパン
- 制作協力:スーパープロデュース
オープニング・エンディング
黛担当時代
エンディング
- 楽譜とバイオリンのスチール写真に、1行ずつ「題名のない音楽会」「終」「提供:出光興産」と表示されていたもの。(1984年頃まで)
- 司会者黛敏郎のペーパーイラストに、1行ずつ「題名のない音楽会」「終」「提供:出光興産」と表示されていたもの。(1984年頃 - 1993年)
- 部屋の椅子に置かれたチェロのスチール写真に、1行ずつ「題名のない音楽会」「終」「提供:出光興産」と表示されていたもの。(1994年 - 1997年9月)
- 「アポロマークの出光興産がお送りしました」とアナウンス(ナレーション:銅谷志朗)。BGMはなかった。(1983年頃までは「出光興産がお送りしました」と女性のアナウンスが行われた)
- オープニングでも同じものを表示されていた。
佐渡担当時代
オープニング
- グレー→ショッキングピンク→黄緑と場面転換し、無数の楽譜や音符が描かれたCGと合成した状態で、佐渡自身が指揮し譜面をめくると番組タイトル・放送回数(単位はop.○○○○[注 11])と今日の番組内容のハイライトが表示。再び右から左へページがめくられると提供クレジット。提供クレジットの下には英字タイトルである"Untitled Concert"が表示される。
- 番組内容のナレーションと提供アナウンスは、担当時のアシスタントが担当。
- 楽曲は「キャンディード序曲」(作曲:Leonard Bernstein)[注 12]。
エンディング
- 上記と同じ提供クレジットが表示された後、提供クレジットが右から左へめくられて再び佐渡が登場。指揮を終えた後には優しく手を振り、右側に「End」が表示。
- 楽曲はオープニング同じく「キャンディード序曲」。ここでは楽曲の〆にあたる部分が使用。
- 提供アナウンスは、担当時のアシスタントが担当。
- テレビ朝日系列(ANNフルネット24局)では、続けて次番組のクロスプログラム(2015年時点では、朝日放送制作の『ペットの王国 ワンだランド』)が放映。
五嶋担当時代
オープニング
今日の番組内容のハイライト→五嶋が演奏している画面に切り替わり、その後、五嶋が両手で鍵括弧を作り番組タイトルが表示。本日の演奏曲紹介→画面中央の鍵括弧[注 13]の中に提供クレジットが表示。
エンディング
上記と同じ提供クレジットの後、画面の左側に五嶋が現れ右へ指を差し、その右側に鍵括弧で括られた作曲家の名言がテロップとして出てくる。なお、紹介された名言は、バックナンバーとともに、公式サイトで閲覧できる。過去のエンディングと違い、「終」の表記はない。その後、次番組のクロスプログラムへと続く。
石丸担当時代
オープニング
東京オペラシティ(以下、劇場)の天井→ステージに石丸が現れ、『本日お送りするのは』のナレーションの後、今日の番組内容のハイライト→石丸の『まもなく開演です』のナレーションの後、劇場の全景をバックに番組タイトルが表示。その後、前回と同様、画面中央の鍵括弧の中に提供クレジットが表示。
エンディング
劇場の天井をバックにした提供クレジット終了後、鍵括弧が画面中央へ移動したのち石丸が現れ、両手を広げると作曲家の名言がテロップとして出てくる。その後、次番組のクロスプログラムへと続く。
ネット局
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送曜日・放送時間 | ネット状況 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
関東広域圏 | テレビ朝日 | テレビ朝日系列 | 土曜 10:00 - 10:30 | 制作局 | |
福島県 | 福島放送 | 同時ネット | |||
沖縄県 | 琉球朝日放送 | ||||
宮城県 | 東日本放送 | ||||
北海道 | 北海道テレビ | 土曜 6:00 - 6:30 | 4時間先行 | ||
中京広域圏 | メ〜テレ | [注 14][注 15] | |||
近畿広域圏 | 朝日放送テレビ[注 16] | ||||
大分県 | 大分朝日放送 | 土曜 6:45 - 7:15 | 3時間15分先行 | ||
青森県 | 青森朝日放送 | 土曜 7:00 - 7:30 | 3時間先行 | [注 17] | |
山形県 | 山形テレビ | ||||
鹿児島県 | 鹿児島放送 | [注 18] | |||
長崎県 | 長崎文化放送 | [注 19][注 20] | |||
愛媛県 | 愛媛朝日テレビ | 土曜 7:30 - 8:00 | 2時間30分先行 | ||
山口県 | 山口朝日放送 | 土曜 10:20 - 10:50 | 20分遅れ | [注 21] | |
石川県 | 北陸朝日放送 | 土曜 11:00 - 11:30 | 1時間遅れ | [注 14][注 22] | |
岩手県 | 岩手朝日テレビ | 土曜 11:15 - 11:45 | 1時間15分遅れ | [注 23] | |
秋田県 | 秋田朝日放送 | [注 24] | |||
新潟県 | 新潟テレビ21 | [注 25] | |||
広島県 | 広島ホームテレビ | [注 26][注 27][注 28] | |||
福岡県 | 九州朝日放送 | [注 29][注 14] | |||
長野県 | 長野朝日放送 | 日曜 0:35 - 1:05 (土曜深夜) |
12時間35分遅れ | [注 30][注 31] | |
静岡県 | 静岡朝日テレビ | 日曜 0:40 - 1:10 (土曜深夜) |
12時間40分遅れ | [注 32][注 33] | |
日本全域 | BS朝日 | BSデジタルテレビ局 | 日曜 8:00 - 8:30 | 22時間遅れ | [注 34] |
福井県 | 福井テレビ | フジテレビ系列 | 日曜 9:00 - 9:30 | 23時間遅れ | [注 35] |
香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送 | テレビ朝日系列 | 月曜 0:55 - 1:25 (日曜深夜) |
遅れネット | [注 36] |
熊本県 | 熊本朝日放送 | [注 37][注 36] | |||
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | 土曜 5:29 - 5:59 | [注 38] | |
宮崎県 | 宮崎放送 | TBS系列 | 土曜 5:45 - 6:15 | [注 39] | |
高知県 | テレビ高知 | 土曜 9:25 - 9:55 | [注 40] | ||
鳥取県・島根県 | 山陰放送 | 土曜 10:45 - 11:15 | [注 41] |
- 基本的に年末年始のみ休止となる他、オリンピックや、世界水泳などで休止になる場合もある。かつては「全日本大学駅伝」(テレビ朝日・メ〜テレ共同制作。1988年から2016年までの11月第1日曜日)のとき、「全国高等学校野球選手権大会」(朝日放送〈当時〉制作)の開会式が日曜日と重なったとき(放送時間が重なるため)、全米オープンゴルフがアメリカ西海岸で行われた場合は休止していた[注 42]。この場合、時差放送となる系列外の局(同時放送の福井テレビも含む)とBS朝日では当該時間帯は過去の再放送ならびに別の番組に差し替えていた。逆に、福井テレビでは放送日が「FNS27時間テレビ」(7月下旬)、東海テレビ制作の名古屋ウィメンズマラソン中継日(3月上旬)に当たる場合はFNS系列の放送を優先する。また、宮崎放送・山陰放送・テレビ高知では「世界陸上」と放送時間が重なったときは休止となる場合もある。
- 高校野球期間中は地域によって同一時間帯に第1試合の中継を行う場合があり、当該日の放送回はネット返上(代替なし・欠番)又は時差放送(2017年度まで朝日放送は前者[注 43]。この場合でもBS朝日で視聴可能であった)となる。
- 遅れネット局でもスポンサードネットで放送されているが、BS朝日を除き出光美術館のCMは放送されなかった(出光美術館のCMが放送されていた放送局はテレビ朝日・BS朝日〈東京〉、九州朝日放送・山口朝日放送〈門司〉のみで、1985年頃から2017年3月まで放送されていた)。
- 放送時間が各局別となってからは、字幕放送を行っていない局もある(広島ホームテレビなど)。
放送日時の推移
開始当初は日曜9:30 - 10:00だった(1967年10月6日から1968年3月29日の間は金曜日23:00 - 23:30に放送されていた)。1969年10月4日からは土曜23:00 - 23:30で、1971年4月3日からは土曜23:30 - 翌0:00で、1972年4月1日から土曜22:30 - 23:00で放送されていた。しかし、腸捻転の解消に伴い、朝日放送制作枠が入ってくるため、1975年4月6日に日曜10:00 - 10:30へ移動した。
その後、日曜10時台の朝日放送制作枠へ変更の影響で1980年以降、日曜9:00 - 9:30に移動したが、前述のとおり、2017年10月より『サンデーLIVE!!』(5:50 - 8:30、テレビ朝日・メ〜テレ・朝日放送共同制作)開始のため、土曜10:00 - 10:30[注 9]に枠移動した(テレビ朝日・福島放送・琉球朝日放送の場合。左記3局以外の同系列フルネット21局では時差ネットに移行し、系列外局5局〈このうち福井テレビのみ同時ネットから遅れネットに移動〉では従来の時間に据え置きとなる)[15]。
番組名 | 期間 | 放送時間 | |
---|---|---|---|
ゴールデン・ポップス・コンサート 題名のない音楽会 |
1964.08.01 | 1964.10.03 | 土曜20:30 - 21:00 |
1964.10.31 | 1966.03.26 | 土曜21:00 - 21:30 | |
題名のない音楽会 | 1966.04 | 1967.09 | 日曜09:30 - 10:00 |
1967.10.06 | 1968.03.29 | 金曜23:00 - 23:30 | |
1968.04 | 1968.09.29 | 日曜09:30 - 10:00 | |
黛敏郎の間奏曲 | 1968.10.06 | 1969.06.29 | 日曜10:30 - 11:00 |
題名のない音楽会 | 1969.07.06 | 1969.09 | |
1969.10.04 | 1971.03 | 土曜23:00 - 23:30 | |
1971.04.03 | 1972.03.25 | 土曜23:30 - 24:00 | |
1972.04.01 | 1975.03.29 | 土曜22:30 - 23:00 | |
1975.04.06 | 1980.03 | 日曜10:00 - 10:30 | |
1980.04 | 1997.09.28 | 日曜09:00 - 09:30 | |
新・題名のない音楽会 | 1997.10.05 | 2000.03.26 | |
題名のない音楽会21 | 2000.04.02 | 2008.03.30 | |
題名のない音楽会 | 2008.04.06 | 2017.09.24 | |
2017.10.07 | 現在 | 土曜10:00 - 10:30 |
過去のネット局
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京12チャンネル | 独立局 | 放送開始当時の制作局 NETテレビへ移行 |
北海道 | 北海道放送 | TBS系列 | 東京12チャンネル時代から放送 北海道テレビへ移行 |
宮城県 | ミヤギテレビ | 日本テレビ系列 | 東日本放送へ移行 |
新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 | 新潟テレビ21へ移行 |
長野県 | 信越放送 | TBS系列 | |
中京広域圏 | 中京テレビ | 日本テレビ系列 | 名古屋テレビへ移行 |
近畿広域圏 | 毎日放送 | TBS系列 | 朝日放送へ移行 |
広島県 | 中国放送 | 東京12チャンネル時代から放送 広島ホームテレビへ移行 | |
香川県 | 西日本放送 | 日本テレビ系列 | 瀬戸内海放送へ移行 |
山口県 | 山口放送 | 東京12チャンネル時代から放送 山口朝日放送へ移行 |
放送日時にまつわるエピソード
- 福井テレビは1982年1月10日から放送している[注 44]。長年10:30 - 11:00に放送されたが『ザ・タイムリーふくい』(当時は10:30 - 11:25。その後土曜日に移り現在も放送中)の放送開始に伴い、1993年10月3日から同時ネットに移行しているが[注 45][注 46]、前述したとおり、2017年10月から遅れネットで従来の時間に据え置きとなる。
- 番組中にコマーシャルは一切はさまない。これは協賛社・出光興産創業者の出光佐三が「芸術には中断はない」と考えていることからである。このため冒頭とエンディングのCMは流しているが、本編はCMなしで行われている。
提供読み
- 1966年から1999年まで
- オープニング
- 1999年から2004年まで
- 2004年から2010年まで
- 2010年から現在
提供画面表示はかつてはタイトル入りの静止画像に組み込まれ、後にVTR編集時に挿入されていたが、現在はテレビ朝日・BS朝日の個別による送出マスターのテロップ出しとなっている(書体自体はどちらも同じだが、ホワイトバック画面での表示のため「提供」が黒文字となっている)。
公開収録が行われる主なコンサートホール
- 文京シビックホール(文京シビックセンター内)
- 東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル
- 昭和女子大学人見記念講堂
- ティアラこうとう
- 横浜みなとみらいホール
脚注
注釈
- ↑ 1978年より。なお、デジタル放送では2004年から2016年3月まで5.1サラウンド(ただし、不定期でステレオ放送となる場合もある)を実施していたが、同年4月以降はステレオ放送となる。
- ↑ スポンサー紹介ナレーションは2010年4月以降「ほっと、もっと、きっとの出光興産の提供でお送りいたします(お送りいたしました)」である。また提供クレジット表示も「ほっと安心、もっと活力、きっと満足。」のキャッチコピーが追加され、2011年4月からは「出光」のロゴ(髭文字)が表示されるようになった。以前は「出光興産がお送りします(お送りしました)」だったが、1984年頃から2004年3月までは「アポロマークの出光興産がお送りします(お送りしました)」となっていた)。なお、2011年(平成23年)4月からの1年間は当社の創業100周年に合わせて「創業100周年の出光の提供でお送りします(お送りしました)」に変更されていた
- ↑ 2009年2月1日、開局50周年の放送回で久保田直子(テレビ朝日アナウンサー)が紹介した。
- ↑ 黛敏郎著『題名のない音楽会』によれば放送困難になった際、出光興産が「せっかく始まった番組を終わらせるのは嫌だ」と言ったから、と書いてある。
- ↑ 『東京12チャンネルの挑戦』p.161によれば、フジテレビは日本フィルハーモニー交響楽団、日本テレビは読売日本交響楽団との関係が強いことから共に敬遠され、またTBSは元々東京交響楽団との専属契約を切った局であり移籍は論外とされたため、NET以外に選択肢が残らなかったという。
- ↑ そのためか、羽田時代は「軽音楽を扱いすぎだ」という苦情も寄せられたという。
- ↑ 本来ならば出光創業100周年記念の特別企画を行う予定であったが、震災発生後に出光からの要請により復興応援企画に変更となった。
- ↑ 前者は2020年夏季オリンピックの開催地が東京開催に決定したため(もし東京が落選した場合は通常通り放送されることになっていた)、後者はISILによる日本人拘束事件でジャーナリスト・後藤健二が殺害された報道を受けたことに伴う特別編成のため。
- ↑ 9.0 9.1 平成仮面ライダーシリーズ(2017年度は『仮面ライダービルド』)が当番組の時間に移動してくるため。
- ↑ 黛と対極の左派リベラル系メディア。
- ↑ 作品番号を意味する"opus number"の略。
- ↑ 黛担当時の1992年(平成4年)10月4日放送(サブタイトル「バーンスタイン先生と私」)で、番組冒頭に佐渡が指揮した楽曲でもある。この回は、佐渡が『第2回出光音楽賞』(1991年)受賞者として紹介するため、出演した。
- ↑ 当初は動きが無かったが、2016年5月22日から鍵括弧が画面中央から外側へ動く動作が加えられた。
- ↑ 14.0 14.1 14.2 9:30 - 11:00には朝日放送→朝日放送テレビ制作番組『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』を放送(九州朝日放送のみ2018年4月7日から新規にネット開始)。
- ↑ 当番組の移動により両局それぞれ、それまで放送していた各局別の自社制作ワイド番組(朝日放送では『おはよう朝日土曜日です』、メ〜テレでは『デルサタ』)の開始時刻が6:30に繰り下げ・縮小となった。
- ↑ 2018年3月31日までは、同年4月1日の認定放送持株会社移行に伴う商号変更並びに分社化前のため、朝日放送。
- ↑ 9:35 - 10:35に自社制作番組『夢はここから生放送 ハッピィ』を放送。
- ↑ 9:45 - 10:30に自社制作番組『ぷらナビ+』を放送。
- ↑ 9:30 - 11:00に自社制作番組『トコトンHappyサタデー』を放送。
- ↑ 2018年4月7日より。3月31日までは6:30 - 7:00の放送だった。
- ↑ 2018年3月までは、4時間先行の6:00 - 6:30だった。
- ↑ 枠移動後初回の本来の放送日時が『世界体操2017』録画中継(10:30 - 11:50)時間帯にあたったため、枠移動後初回のみ臨時同時ネットで放送(この日10:30までの短縮版となった、朝日放送制作番組『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』は臨時非ネット)。
- ↑ 9:30 - 10:50に自社制作番組『いいコト!』を放送。また、枠移動後の2週のみ臨時に7:30 - 8:00に先行ネット。
- ↑ 9:30 - 11:00に自社制作番組『サタナビっ!』を放送。日曜 9:00 - 9:30 → 土曜 5:20 - 5:50を経て2018年4月7日より現在の時間で放送。
- ↑ 9:30 - 10:25に自社制作番組『まるどりっ!』を放送。また、枠移動後初回のみ臨時に月曜 0:40 - 1:10 (日曜深夜)に遅れネット。
- ↑ 字幕放送非実施。
- ↑ 2017年12月まで9:30 - 10:25に自社制作番組『あっぱれ!熟年ファイターズ』を放送していた。
- ↑ 2018年3月までは土曜 7:30 - 8:00。
- ↑ 2018年3月24日までは9:30 - 11:25に自社制作番組『土曜もアサデス。』を放送していた。このため、2018年4月2日までは月曜 0:40 - 1:10(日曜深夜)。
- ↑ 9:30 - 11:00に自社制作番組『駅前テレビ』を放送。
- ↑ 2018年3月までは日曜 0:30 - 1:00(土曜深夜)。
- ↑ 9:30 - 10:25に自社制作番組『サタハピ しずおか』、10:25 - 10:55に自社制作番組『サタハピ ぷらす』を放送。
- ↑ 2018年3月までは日曜 0:35 - 1:05(土曜深夜)。
- ↑ 2005年4月6日放送開始。2007年3月28日までは水曜 21:00 - 21:30、2007年4月7日からは土曜 18:30 - 19:00、2013年10月からは土曜 17:30 - 18:00に、2015年4月からは日曜23:00 - 23:30に、それぞれ放送されていた。スポーツ中継等により時間が変更される場合がある。
- ↑ 1982年1月10日放送開始。2017年9月24日までは系列外ネット局で唯一同時ネットとしていた。
- ↑ 36.0 36.1 2018年3月までは月曜 0:40 - 1:10(日曜深夜)。
- ↑ 9:30 - 10:40に自社制作番組『駅前TVサタブラ』を放送。
- ↑ 1967年頃に日曜9:00 - 9:30の枠で放送されていた時期がある[13]。その後一旦打ち切られ、長らく放送されていなかったが、2004年10月2日放送再開[14]。以降放送時間の変動は無い。
- ↑ 2017年4月15日放送開始(マスターズゴルフの場合は休止または時間変更となる場合もある)。宮崎県では過去にテレビ宮崎(フジテレビ系、NNN・ANNにも加盟)が不定期で単発放送したことがある。
- ↑ 2016年10月1日放送開始。
- ↑ 2005年4月2日放送開始。
- ↑ この他に、1989年1月8日は昭和天皇崩御のため、2014年8月3日はスポーツ中継および年末年始以外の特番として、『ナニコレ珍百景特別編 みんな集まれ!!夏祭りSP』(「1日丸ごと夏祭りデー」内)でそれぞれ休止したこともある。
- ↑ ただし当番組の直前枠と直後枠(いずれも朝日放送制作)においても、朝日放送ではこれら自社制作の2番組を後日に臨時枠移動とする措置がとられていた。通常編成の系列フルネット局へは本来の放送日時に先行裏送りネットとなり、朝日放送以外に中継を行う系列局がある場合には、当該局でこれら2番組を朝日放送より先行もしくは遅れネットとするが、大半の系列フルネットでの次回放送日時より前までに必ず放送されていた(当時8時からの「スーパーヒーロータイム」第2部<当時は平成仮面ライダーシリーズ>もストーリーの性質上、遅れネットを行っていた)。詳細は当該番組記事を参照。
- ↑ その後1989年に、福井放送がテレビ朝日系列とのクロスネット局となったものの、福井放送が日本テレビ系列(NNS)番組優先の番組編成やスポンサーの事情等もあり、引き続き放送。
- ↑ ただし、2008年7月まで番組開始時に画面右上に表示されていた「字幕」「ハイビジョン制作」のテロップはテレビ朝日・ANN仕様ではなく、フジテレビ・FNS仕様のものを使っているため、ネット回線からの受信でなく、事前に番組素材を受け取り自社で送出をしているものと思われる。
- ↑ なお、福井テレビで放送しているテレビ朝日系列の番組は、レギュラー編成では当番組とスーパー戦隊シリーズの2番組のみ(不定期では『水曜どうでしょうシリーズ』・『芸能人格付けチェックスペシャル』)ではあるが、当番組以外は遅れネットである(当番組は出光興産のスポンサードネット、その他は番販扱い)。
出典
- ↑ 「東京12チャンネルの挑戦」(金子明雄著、三一書房)p.158
- ↑ 「東京12チャンネルの挑戦」p.156
- ↑ [1] 『題名のない音楽会』メイキングインタビューより。
- ↑ 同年1月27日の放送で発表。
- ↑ 「題名のない」まま50年の音楽会 黛敏郎から佐渡裕まで - 日本経済新聞・2014年12月24日
- ↑ (2009年6月13日) 『題名のない音楽会』が世界一長寿のクラシック音楽番組に…ギネス認定 レスポンス 2009年6月13日 [ arch. ] 2009年6月23日
- ↑ 『題名のない音楽会』7年半ぶり司会交代 佐渡裕から五嶋龍へバトンタッチ
- ↑ () 題名のない音楽会|2015/06/28(日)放送 TVでた蔵 ワイヤーアクション [ arch. ] 2015-09-29
- ↑ daimeiofficialのツイート (648343568491241472)
- ↑ (2017-02-09) 『題名のない音楽会』司会交代で一新へ 五嶋龍からミュージカル俳優・石丸幹二にバトン ORICON NEWS oricon ME [ arch. ] 2017-0-09
- ↑ 少年隊・東山 日曜朝を変える 初挑戦ニュース情報番組 - デイリースポーツ 2017年7月2日
- ↑ 東山紀之が“朝の顔”「元気な世の中に」10月テレ朝系ニュース番組で初キャスター - スポーツ報知 2017年7月2日
- ↑ 北日本新聞 1967年4月12日付朝刊14面(テレビ欄)より
- ↑ 北日本新聞 2004年10月2日付朝刊テレビ欄より
- ↑ 東山紀之、10月からキャスター初挑戦 テレ朝・日曜朝に生番組新設 ORICON NEWS 2017年7月3日発行、同日閲覧。
関連項目
この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。後は適当に頑張って下さい。 |
外部リンク
- 題名のない音楽会(@daimeiofficial)- Twitter
- テレビ朝日・題名のない音楽会 公式ホームページ
- 出光興産による「題名のない音楽会」の紹介ページ
- 題名のない音楽会の題名 - 1964年から1997年までの放送リスト
- テレビ朝日・題名のない音楽会 メイキングインタビュー
テレビ朝日系列 出光興産一社提供枠 | ||
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前番組 | 題名のない音楽会 ↓ 新・題名のない音楽会 ↓ 題名のない音楽会21 ↓ 題名のない音楽会 | 次番組 |
不明 | ----- | |
東京12チャンネル 土曜20:00 - 20:30 | ||
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前番組 | 題名のない音楽会 (1964年8月1日 - 1964年10月3日) | 次番組 |
アメリカ取材シリーズ | 東京オリンピック中継 ↓ ゆがんだ愛 | |
東京12チャンネル 土曜21:00 - 21:30 | ||
キルデア先生 ※21:00 - 22:00 ↓ 東京オリンピック中継 | 題名のない音楽会 (1964年10月31日 - 1966年3月26日) | 燃えよ剣 ↓ (放送休止) |
NET系列 日曜9:30 - 10:00 | ||
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前番組 | 題名のない音楽会 (1966年4月1日 - 1967年12月) | 次番組 |
まんが海戦クイズ (再) | 世界の王様 | |
NET系列 日曜9:00 - 9:30 | ||
ドキュメンタリ報告 | 題名のない音楽会 (1968年1月 - 1968年3月29日) | 世界の秘境 (再) |
NET系列 日曜9:30 - 10:00 | ||
世界の王様 | 題名のない音楽会 (1968年4月 - 1968年9月) | にっぽん民宿 (再) |
NET系列 金曜23:00 - 23:30 | ||
(初代のためなし) | 題名のない音楽会 (1968年10月 - 1971年3月) | 23時ショー ※23:00 - 23:50 |
NET系列 土曜23:00 - 23:30 | ||
(初代のためなし) | 題名のない音楽会 (1971年4月3日 - 1972年3月25日) | 新ペリー・メイスン ※23:00 - 23:26 ※枠交換で30分繰り下げ ミニ番組 ※23:26 - 終了時刻不明 |
NET系列 土曜22:30 - 23:00 | ||
新ペリー・メイスン ※22:30 - 23:26 | 題名のない音楽会 (1972年4月1日 - 1975年3月29日) | ミヤコ蝶々の夫婦善哉 ※TBS日曜22:30 - 23:00から移動、 同番組より朝日放送制作 |
- NET→テレビ朝日系列 関西地区が朝日放送の時代
NET→テレビ朝日系列 日曜10:00 - 10:30 | ||
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前番組 | 題名のない音楽会 (1975年4月6日 - 1980年3月) | 次番組 |
ジャンボ尾崎のチャレンジゴルフ (一部系列局は別番組) | ラブアタック! ※同番組より朝日放送制作 | |
テレビ朝日系列 日曜9:00 - 9:30 | ||
ワールド・ナウ ※30分繰り上げて継続、 同番組まで朝日放送制作 | 題名のない音楽会 ↓ 新・題名のない音楽会 ↓ 題名のない音楽会21 ↓ 題名のない音楽会 (1980年4月 - 2017年9月) ※当番組よりテレビ朝日制作 | 仮面ライダービルド ※60分繰り下げて継続 |
テレビ朝日 土曜10:00 - 10:30 | ||
スペシャルサタデー・第1部 ※10:00 - 11:40 ※30分縮小して継続 | 題名のない音楽会 (2017年10月7日 - ) | ----- |
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