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*** スタッフ表示については、個人名は表示されず、制作協力会社のみ画面下部にロールスーパー形式で表示された。なお、テレビ埼玉が制作協力として、番組に参与した。 | *** スタッフ表示については、個人名は表示されず、制作協力会社のみ画面下部にロールスーパー形式で表示された。なお、テレビ埼玉が制作協力として、番組に参与した。 | ||
+ | === オープニング・クロージング === | ||
=== オープニング・クロージング === | === オープニング・クロージング === | ||
なお、全シーズン共通して、「tvk」ないしは「TVKテレビ」と呼称し、'''局名・呼び出し呼称の「テレビかながわ」を使用しない'''伝統を踏襲し続けている。 | なお、全シーズン共通して、「tvk」ないしは「TVKテレビ」と呼称し、'''局名・呼び出し呼称の「テレビかながわ」を使用しない'''伝統を踏襲し続けている。 | ||
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==== 山下町時代 ==== | ==== 山下町時代 ==== | ||
*開局(1972年4月1日) - 1983年頃 | *開局(1972年4月1日) - 1983年頃 | ||
*: ナレーション:[[大田公子]](開局 - 1982年?)、青山頼子(1982年 - 1983年?) | *: ナレーション:[[大田公子]](開局 - 1982年?)、青山頼子(1982年 - 1983年?) | ||
− | *: OP:「TVK | + | *: OP:「TVK YOKOHAMA【42】」のマークの後、ブルーバックに映像・音声周波数、出力などのスーパーが出る形式。ナレーションは「おはようございます」のみ。 |
− | *: | + | *: ED:オープニングと同じだが、「おやすみなさい、いい夢を」のナレーションあり。 |
− | + | ||
* 1983年頃 - 1990年5月16日<ref name="tvk35anniversary1">テレビ神奈川編著 『テレビ神奈川35年史 tvk the 35th anniversary 1972-2007』 テレビ神奈川、2007年。</ref> | * 1983年頃 - 1990年5月16日<ref name="tvk35anniversary1">テレビ神奈川編著 『テレビ神奈川35年史 tvk the 35th anniversary 1972-2007』 テレビ神奈川、2007年。</ref> | ||
*: ナレーション:鎗田圭子<ref group="注">鎗田のナレーションを使用していた期間中、TVKは「ティーブイケイ」や「ティーヴィーケイ」ではなく、「ティービーケーテレビ」と発音していた。</ref> | *: ナレーション:鎗田圭子<ref group="注">鎗田のナレーションを使用していた期間中、TVKは「ティーブイケイ」や「ティーヴィーケイ」ではなく、「ティービーケーテレビ」と発音していた。</ref> | ||
*: OP:横浜港と三ツ池送信所 | *: OP:横浜港と三ツ池送信所 | ||
*: ED:氷川丸と夜の横浜市内 | *: ED:氷川丸と夜の横浜市内 | ||
− | *: | + | *: 横浜駅周辺の高速道路、関内、尾上町、伊勢佐木町などの夜景と本社演奏所屋上の塔屋看板のアップで、ラストカットに「TVK JOKM-TV」のテロップカードと共にナレーション |
− | *: | + | *: この間に大船局、仙石原局、湯ノ沢、藤野局などの開局があるが、テロップの変化以外なし。 |
− | * 1990年5月17日<ref name=" | + | * 1990年5月17日<ref name="tvk35anniversary1" /> - 1993年 |
*: ナレーション:鎗田圭子 | *: ナレーション:鎗田圭子 | ||
− | *: | + | *: OP:神奈川県内の映像。ラストカットに「TVKテレビ」のテロップが追加された。 |
− | *: | + | *: ED:氷川丸と夜の横浜市内、本社演奏所屋上の塔屋看板のアップ、ラストカットで「TVK JOKM-TV」のテロップカードと共にナレーション |
* 1993年 - 2003年3月 | * 1993年 - 2003年3月 | ||
*: ナレーション:鎗田圭子 | *: ナレーション:鎗田圭子 | ||
− | *: | + | *: OP:神奈川県内の風景。横浜みなとみらい開業に伴い、映像に[[ランドマークタワー]]が挿入されるマイナーチェンジが施された。また、横浜みなと局開局以降は中継局テロップが左から右へ表示がスクロールで切り替わるようになった。 |
*: ED:氷川丸とランドマークタワー。 | *: ED:氷川丸とランドマークタワー。 | ||
− | *: | + | *: 1世代前の一部映像を再編集し、横浜みなとみらいと横浜ベイブリッジの夜景が挿入された。ラストカットで「TVK JOKM-TV」のテロップカードと共にナレーション |
− | * | + | * 2003年4月 - 2004年5月9日 |
*: ナレーション:鎗田圭子 | *: ナレーション:鎗田圭子 | ||
− | *: | + | *: OP:横浜市内の風景。映像自体が新しく撮り直され、字も大幅に変更された<ref group="注">オープニング・エンディングともに、中継局テロップは、途中に[[地上デジタルテレビジョン放送#アナアナ変換|アナアナ変換]]によるチャンネル表示の変更が何度かあった。</ref>。 |
− | *: ED:[[横浜ランドマークタワー]]や[[横浜ベイブリッジ]]、[[コスモクロック]]、[[山下公園]]周辺などの[[夜景]] | + | *: ED:[[横浜ランドマークタワー]]や[[横浜ベイブリッジ]]、[[コスモクロック]]、[[山下公園]]周辺などの[[夜景]]。この時期のみ、中継局テロップが左から右へ表示がスクロールで切り替わるようになり、映像の最後に「TVKテレビ」と表記 |
*: 山下町本社最終日である[[2004年]][[5月9日]]深夜24時<ref>日付上は、[[2004年]][[5月10日]]午前0時</ref>、社屋移転に伴い頻繁に放送されていた青空をバックにした「Good-by TVKテレビ」のCMを放送。現行の「tvk」ロゴが少し表示されたあとに、「starting tomorrow」の文字が表示されたと同時に、「A,Fresh new style. starting tommorow!of tvk.」と男性の英語のナレーションが流れ、「TVKテレビ」のロゴが散らばり、クロージングがオンエアされ、停波。これをもって1972年の開局以来、32年1ヶ月9日間に渡る山下町本社からの放送送出に幕を下ろした。 | *: 山下町本社最終日である[[2004年]][[5月9日]]深夜24時<ref>日付上は、[[2004年]][[5月10日]]午前0時</ref>、社屋移転に伴い頻繁に放送されていた青空をバックにした「Good-by TVKテレビ」のCMを放送。現行の「tvk」ロゴが少し表示されたあとに、「starting tomorrow」の文字が表示されたと同時に、「A,Fresh new style. starting tommorow!of tvk.」と男性の英語のナレーションが流れ、「TVKテレビ」のロゴが散らばり、クロージングがオンエアされ、停波。これをもって1972年の開局以来、32年1ヶ月9日間に渡る山下町本社からの放送送出に幕を下ろした。 | ||
− | + | * 以上まで、エンディングのラストカットでテロップカードに彩色したブルーのバックに[[カモメ]]をイメージしたイラストで「'''TVK''' JOKM-TV」という1枚画を放送していた。TVKテレビではこれを'''ネットマーク'''と呼び、一時はこの名で公式ウェブサイトにも画を載せていたことがある。また、放送開始前のオープニング直前にこのネットマークが送出されていた事もあった(この場合は肌色バックでネットマーク (TVK YOKOHAMA) が乗る形式)。なお、この「ネットマーク」はNTT中継回線で番組の裏送りを行う際に、TVKが発局となる場合に限り回線上に表示された。 | |
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==== 関内MBC時代 ==== | ==== 関内MBC時代 ==== | ||
* 2004年5月10日 - 現在(アナログ放送は2011年7月24日まで) | * 2004年5月10日 - 現在(アナログ放送は2011年7月24日まで) |
2018年8月7日 (火) 22:45時点における最新版
株式会社テレビ神奈川(テレビかながわ、Television KANAGAWA, Inc.)は、神奈川県を放送対象地域としてテレビジョン放送をする特定地上基幹放送事業者である。 略称はtvk(ティーブイケー)。コールサインはJOKM-DTV。
目次
所在地[編集]
- 本社・スタジオ 神奈川県横浜市中区太田町2丁目23番地 横浜メディアビジネスセンター 〒231-8001
- 東京支社 東京都千代田区内幸町1丁目3番3号 内幸町ダイビル7F
- 大阪支社 大阪市北区堂島2丁目3番7号 シンコービル3F
株式[編集]
- 資本金:36億円
- 発行済株式:720万株
- 株主数:149名
- 売上高:73億円(2007年度)
- 主要株主
サービスエリア[編集]
視聴エリアは、神奈川県内と東京都の大部分、千葉県および静岡県[注 1]の一部、2006年7月からケーブルテレビを通じて山梨県中西部および静岡県東部[注 2]などの一部地域も加わる(放送のエリア図) 2004年4月、横浜市中区太田町に横浜メディア・ビジネスセンター(神奈川新聞社と同居)が完成。5月10日、開局以来32年使われてきた中区山下町の社屋から移転した。社屋移転を契機として、局の愛称が長年使われた「TVKテレビ」から「tvk」[注 3]に変更され、またコーポレート・スローガンとして「ヨコハマ開放区」が導入された。なお、旧社屋跡地には記念碑が建立されている。
2004年12月1日12:01に地上デジタル放送(18ch・リモコンキーID3)を開始した。開始時の放送エリア (10W) は横浜市、川崎市の大部分(両市の北部を除く)および横須賀市、東京都の一部となっていた。2005年12月1日には平塚送信所(100W)が開局し、鶴見送信所の出力もフルパワー(1kW)となったため神奈川県東部の全域と千葉県の一部と湘南地区の大部分(三浦半島の一部を除く)でも視聴できるようになった。なお、2007年3月には小田原デジタル中継局が本放送を開始(エリアは南西部と静岡県伊豆半島東部)した。また、データ放送は2005年4月より自治体情報を中心に開始、ワンセグも2006年6月1日に開始している。
なお、過去には一部のCATV局及び、CS放送のディレクTV向けに「TVKスーパーステーション」→「Ch-Yokohama」→「YOKOHAMAベイサイドTV」として全国に神奈川県向けと同じ内容を放送したことがあった[1]。
ネットワークの変遷[編集]
- 1972年4月1日 - 神奈川県をサービスエリアとする独立放送局として開局。以降、千葉テレビ・テレビ埼玉・近畿放送(現・京都放送)・サンテレビ等と相互関係を結び独立放送局ネットワークの構築に取り組んでいるが、開局時からNNSにオブザーバー加盟し全国高等学校サッカー選手権大会の制作にも参加している。また、1986年までは後楽園球場での読売ジャイアンツ主催試合のトップ&リレー中継も放送していた。
- 2003年4月1日 - 千葉テレビ・テレビ埼玉・東京メトロポリタンテレビ(TOKYO MX)と首都圏ネット4を結成する。
- 2006年4月1日 - 首都圏ネット4からTOKYO MXが事実上離脱し、首都圏トライアングルを結成する。
- 2007年4月1日 - テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ放送・京都放送(KBS京都)・サンテレビと東名阪ネット6を結成する。
- 2011年6月1日 - 群馬テレビ・とちぎテレビ・テレビ埼玉・千葉テレビ放送と5いっしょ3ちゃんねるを結成する。
番組編成[編集]
編成データ[編集]
- 2010年4月期改編率 40.5%
- 自社制作率 40.0%
- HD番組率 36.4%
※テレビ神奈川・2010年3月25日付公式発表による
音楽[編集]
音楽番組に力をいれており、現在では『saku saku』が人気。前身の『saku saku morning call』時代にはユースケ・サンタマリアやPUFFYが司会をしていたことでも知られる。現在はパペット人形であるポンモップ(声はかつてガヤとして出演経験のあるカンカンが担当)とタレントのトミタ栞(2012年3月までは三原勇希、2008年度末までは中村優、2005年度末までは木村カエラ、2002年度末まではあかぎあい)の2人をメインパーソナリティーとしている。このような番組スタイルは、増田ジゴロウとあかぎの時期に番組スタッフ一同との掛け合いトーク中心という独自スタイルを確立。この形が受け、各地でネット放送も開始。番組グッズも各地で販売されている。メジャーな歌手・声優もゲストとして登場し、tvkの看板番組に成長した。
また、1983年10月4日(火)にスタートした長寿番組『billboard TOP40』も未だ健在である。2012年6月26日付で同一司会者及び同一形態による最も長寿な音楽番組(放送開始から28年8ヶ月9日)としてギネス世界記録に認定された。
tvkの“遺伝子”を引き継ぐ音楽番組としては、2004年5月の現社屋移転と同時に開始した『オンガクのDNA』(2011年3月28日終了)を経て、現在は『オンガク開放区』(2011年4月2日放送開始)へと受け継がれている。
一方、他の独立放送局で多く放送される演歌・歌謡曲関連の番組はtvkでは殆どといっていいほど放送されず、その点では千葉テレビ・テレビ埼玉とは正反対である。例として、『モトちゃんの歌は魂だ!』(千葉テレビ制作)は5いっしょ3ちゃんねる参加局で、tvkのみ放送実績がない[注 4]。また、鎌倉市を活動拠点とするよかにせどん(本田修一)の演歌番組も地元tvkではなく、千葉テレビ・テレビ埼玉で放送している[注 5]。
tvk以外の5いっしょ3ちゃんねる各局には、自社制作の視聴者参加型カラオケコンテスト番組が存在する。1999年に開局したとちぎテレビを除き、各局のカラオケコンテスト番組は一様に1980年代から続く長寿番組となっているが[注 6]、現在tvk自社制作では存在しない(tvk制作以外なら、横浜市商店街総連合会が制作する『ハマ歌show』が不定期に放送されている)。
スポーツ[編集]
- スポーツ中継にも特に力を入れており、プロ野球・横浜DeNAベイスターズの主催試合(巨人戦は除く)、関東大学ラグビーや社会人ラグビー(トップリーグ)、日本ハンドボールリーグ、さらにはプロレスを積極的に放送している。かつては、プロサッカー・横浜F・マリノス主催試合(Jリーグ発足時は横浜フリューゲルス[注 7]、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)、鹿島アントラーズ[注 8]主催試合も放送された)も多く放送されていた。以前(1980年代後半)はバレーボール日本リーグ(現在のVリーグ)ダイエーオレンジアタッカーズの昼の試合中継をサンテレビの番組購入により当日夜に放送していた。自前で東都大学野球の中継をしていたこともある。また地域に根付いたやまゆり杯小田急旗争奪神奈川県家庭婦人バレーボール(ママさんバレー)大会中継もある。
- 横浜DeNAベイスターズ戦の中継は大洋(後に横浜大洋)時代は「YOKOHAMAベイサイドナイター」、1993年に横浜ベイスターズとなってからは「ベイスターズナイター」として巨人戦を除く横浜スタジアムや平塚球場での試合を中継している(草薙球場といった地方でのホームゲームの中継は近年なくなった)。当初は18時のニュースの後18時15分からの中継開始であったが、一時、18時45分 - 19時からとなり、2010年4月以降は18時から21時30分の放送となっている。また以前は横浜のビジターゲーム(阪神、ヤクルト戦、まれに三重テレビナイター中継時に中日戦も)もU局ネットで(ヤクルト戦はtvk)中継していたが、近年はサンテレビや朝日放送で阪神vsDeNA戦を中継している場合にネットする程度で、それ以外はほぼなくなった。
- 全国高等学校野球選手権大会神奈川県予選大会は、横浜スタジアムにおける開会式、同閉会式と保土ヶ谷球場における全試合を基本的に試合開始から終了まで中継する(例外は、中止、再試合などによる日程変更や中断、延長などによる放送時間終了)。
- なお、プロ野球や高校野球神奈川県大会予選中継などを行う場合、右上に必ず「tvk sports」を表示される。
- 横浜F・マリノス中継は、前身である旧日本サッカーリーグ日産自動車サッカー部時代から続いているが、現在では中央競馬の中継やプロ野球(横浜DeNAベイスターズ)の中継に押され、現在では数年に1試合程度しか中継されていない。日産時代は、日曜昼間のゲームを当日夜に「日産サッカーダイジェスト」と銘打った番組でダイジェストでオンエア。ときには当時の監督だった加茂周自らが解説者として番組に出演し、当日の試合を事細かく解説することもあった。
- 2009年にスカパー!のJリーグ中継で川崎フロンターレホームゲーム中継の制作に携わった(ただし実況は自社のアナウンサーではなくフリーのアナウンサーが担当している)。
- 降雪により2013年1月19日 (土) に順延された「第91回全国高等学校サッカー選手権大会」決勝戦を、関東地方ではtvkが唯一生中継した(tvk以外では宮崎放送で生中継)。このとき、日本テレビなどは『メレンゲの気持ち』を放送する関係で13:45 - 15:25の時差放送であった(一部地域を除く)。
- プロレスは日本テレビの「全日本プロレス中継」をネットしていた時期もあり、番組終了後は「プロレスリング・ノア中継」に移行。2005年7月から半年間、「大日大戦」を地上波初放送。その他、旗揚げ間もなかったジャパン女子プロレスを放送していたこともある。現在は千葉テレビの「全日本プロレス マザー」をネットしている他、WWEのダイジェスト番組「This Week in WWE」を日本で最初に放送開始。この縁で近年、WWEの選手が日本公演等のプロモーションで来日した際は、昼番組「ありがとッ!」に出演することが恒例になっている。
情報[編集]
現在まで続く平日昼の帯ワイドは『TVグラフィックおしゃべりトマト』が端緒である。『おしゃトマ』と略されたこの番組は、開始当初から予算をかけない手作り感覚のワイド番組となり、司会者を幾度も変更しながら長きにわたり続いた。この番組には、(当時)現役大学生もMC陣の一人として参加することもあり、現在フジテレビアナウンサーの福原直英も一時金曜などの曜日担当MCをしていた時期がある。『おしゃトマ』終了後は『たてながHAMA大国』→『HAMA大国』と続き、社屋移転後は『とっておき自遊食感ハマランチョ』→『1230アッと!!ハマランチョ』→『ありがとッ!』と、タイトルや内容は変わりつつも、この「枠」自体は現在まで維持されている。
他には長年、土曜22時から日本広報センター協力の政府広報番組枠を制作していた。過去には「明日への選択」→「コンパスU」、「アクセスNOW」やクイズを織り交ぜた「クイズハッピーチャンス」「クイズバトンタッチ」などがこの枠で流れた。この枠は全ての独立放送局にネットされているほか、CS放送の朝日ニュースターでも放送されていた(「Just Japan」ではBS日テレおよび静岡朝日テレビにもネットされていた)。
報道[編集]
- 過去には「報道半放棄路線」と外部から揶揄されるほどに報道部門を軽く扱っていた時期が存在したが、神奈川新聞社が資本参加して以降、報道部門の強化を少しずつではあるが図っている。2010年4月期より、報道取材映像のハイビジョン化が図られた(後述)。
- 2002年には「ニュース930」を開始。2003年頃から平日の日中に数回「tvkスポットニュース」を編成し、神奈川県内の地域ニュースを取り上げる枠を増やしている。
- 2006年には、およそ10年ぶりに夕方の大型生番組として「tvk NEWSハーバー」がスタートしており、「ニュース930」とともにtvk報道のフラッグシップと位置づけられている(2011年春改編をもって、金曜のみの放送へ縮小された。なお月曜〜木曜は17:45から15分枠の「tvk NEWS 545」へと変更されたが、2013年春改編で終了、「ニュース930」は「NEWS930α」にリニューアル)。
アニメ[編集]
- 2000年代においては関東圏におけるUHFアニメの雄として西のサンテレビと並び称される程であった。だが2000年代後半からライバル局のTOKYO MXがUHFアニメの放送本数を増やした影響を受け、2010年以降はTOKYO MXに本数で抜かれており、UHFアニメの雄としての立場は過去のものになっている。
- 若干数ながら自社制作(共同制作作品も含む)アニメを放送している。
- かつて土曜日は4、5本集中して放送していた(通称『tvkアニメマラソン』)。2008年1月期は24:30 - 28:00までテレビショッピング1本を除いた6本放送し、2011年1月期は23:30 - 26:30までのアニメ情報番組を含めた6本を放送した。tvkの放送本数そのものが激減したため2013年10月期には情報番組を含めて2本だけになっていたが、2014年7月期は日曜日に集中放送される編成になり、事実上『アニメマラソン』が復活した。
- 毎日放送やWOWOW、さらにCS放送のアニメ専門チャンネルで放映された作品の再放送をすることがあるほか、2013年まではアニメ・声優情報番組も放送していた。
- 2008年より『tvkアニメまつり』と称したイベントを不定期的に開催している。
過去の番組編成[編集]
テレビ神奈川(これ以降、山下町時代は「TVK」、現社屋移転後は「tvk」と表記)は開局時から「音楽に強い局」という評価がある。これは、後に音楽番組を強化したテレビ東京に先駆け「シングル・ジャンルの番組なら小さな局でも営業面で有利」と読んでいたこと、プロモーションビデオを放送するための経費が当時安かった(あくまでプロモーション目的であったことから、レコード会社などから無償提供もしくは極めて安価で提供されるケースがほとんどであった)こと、それに「横浜らしいカッコよさ」の反映などが挙げられる。
黎明期はCMや番組がなかなか埋まらず、プロモーションフィルムが格好の時間潰し[注 9]となり、昼間から夕方の時間帯を中心に歌謡曲なども含む邦楽や洋楽など(ジャンルは様々)のプロモーションフィルムが大量に放映された(当時はビデオではなくフィルム撮影で(レコード会社などが持っているプロモーションフィルムや芸能ニュースフィルムなど(映画館等での上映系のもの)そのフィルムを元にビデオテープに変換されているもの))、主に洋楽系のプロモーションフィルムなどでは、ライブでの収録映像に曲を合わせている作品や、レコーディング風景やツアー中などのドキュメント的映像等がメインで楽曲を合わせている作品も多く、現在のPV等とは多少異なる)。その後、プロモーションフィルム(ビデオ)をメインに放送する番組も放送された。それがTVKを「音楽局」へ傾倒させる要因となった(日本で音楽専門チャンネルが登場するのは1989年)。
この流れから生まれた番組としては、まず1970年代に制作・放送された「ヤング・インパルス」、そしてその流れをくんで1980年代に制作・放送された「ファイティング80's」(金曜日21時台)があげられる[注 10]。
これらの番組については、キー局には出演しないようなアーティストが多数出演し、公開収録によって演奏を行った。一例としては、基本的にテレビ出演をしない浜田省吾[注 11]、松任谷由実(当時は、荒井由実)[注 12]、またミュージシャンの山下達郎が、音楽グループシュガー・ベイブの一員として「ヤング・インパルス」にゲスト出演[注 13]したこともある。
「ファイティング80's」の番組開始当初は、司会を宇崎竜童が担当した。他に、佐野元春、子供ばんどのうじきつよしや、ザ・モッズ等もレギュラー出演した(番組の終盤に、司会の宇崎竜童のダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドや、レギュラー出演者のバンドのライブ演奏が1曲放送されたり、数ヶ月に1回位、それぞれのバンド自体が番組出演していた時期もある)。ちなみに公開収録であったこの番組は、番組スポンサーでもあった日本工学院専門学校の3号館ホールで毎回収録を行っていた。
公開収録時のエピソードとしては、サザンオールスターズが番組収録の日に、「ザ・ベストテン」(TBS)にランクインしており、収録場所である日本工学院専門学校のホールから生中継を行ったことがある。
さらに、80年代から90年代初頭にかけて放送された洋楽電話リクエスト番組「ファンキートマト」(当初金曜日放送→のちに月曜日のほぼ同時間帯へ移動)[注 14](電話リクエストにより、主に、当時流行の洋楽のプロモーションフィルム(ビデオ)を放送する音楽番組。他にも、「流行もの」や、「サーフィン」の情報の紹介等)は、植田芳暁や南佳孝、シャーリー富岡のVJで知られ、中村真理(出演初期には、最新の映画情報コーナー担当など、後に、アメリカの「ビルボード」誌の最新ヒットチャートの紹介なども行った)らも出演。時折、ゲストとしてプロモーションで来日した海外の映画や音楽関連のアーティスト等の出演もあり(映画の場合は、予告編などを放送。音楽系等などの場合は、PVなどを放送)インタビューの他にも、音楽系のゲストの場合は演奏や、歌を唄う事もあった(ほとんどの場合、口パクではあったが)。他にもプロモーションでの邦楽系のゲスト出演者もあり(主にデビューしたての歌謡曲系以外での歌手やグループ)、デビュー当時の米米CLUB等も出演。レギュラー出演者としては、元東京JAPのドラマーでFMのDJとして人気が出た赤坂泰彦も番組末期には登場した。姉妹番組でもある邦楽情報番組「ミュージックトマトJAPAN」はシャーリーの弟のマイケル富岡の出世番組となった。全国区になり得るタレント、アーティストの青田買いを行い、いち早く世に送り出す役割を果たし、音楽業界や芸能プロダクションから高い評価を得た。
現在においては、洋楽のビデオクリップ(PV)は、CS放送などのMTV等では容易に視聴できるが、1970年代後半から1980年代初め頃には、国内のテレビ放送では洋楽を扱う番組が少なく、なかなか洋楽のビデオクリップ全編は観る事ができなかった。
そんな中、MTVのテイストを取り入れ200分間(ベータ方式のビデオテープ L-830 1本分)、途中に入るCMを除きノンストップで洋楽の新着ビデオクリップや視聴者からのリクエストによるビデオクリップをただひたすら放送するという、しがらみのない独立放送局ならではの番組として存在していたのが「SONY MUSIC TV」(金曜23:30 - 26:50)であった。
ソニーの1社提供で、番組中途中に入るCMも少なめにまとめてあり、さらには放送するビデオクリップのすべてにおいて、頭と終わりにアーチスト・曲名・アルバム名・レーベル名を入れる親切さが、洋楽ファンを中心に長く支持され、TVKローカルではなく、東阪の独立放送局を中心に、途中からはテレビ東京系であるテレビ愛知でもネットされるなどした。しかし、放送時間が段階的に短縮されていった。120分時代が長く続いた後、末期には90分まで短縮された。
MUSIC TV終了後、この番組のテイストを受け継ぐ番組はTVKローカルで火曜夕方に「シャッフル55」(ミュートマworld→16ers TV枠)として移り、MUSIC TVが放送されていた時間帯には引き続きソニー提供で、演出や選曲コンセプトを明確にした「SONY MUSIC DISC」「SONY MUSIC ACCESS」と続いた(番組枠は60分と更に縮小し、TVKローカルとなる)。しかしその後、ソニーがTOKYO MXに出資した影響もあり、これらも既に終了している。
1989年の昭和天皇崩御の際、崩御当日および翌日に限り、テレビ神奈川を含む関東地区の独立放送局は、オブザーバー加盟しているNNS(日本テレビ系列)の放送を同時ネットした[注 15]。なおその後も日本テレビとの関係は続いており、2008年度北京オリンピックの一部中継においてはtvk、千葉テレビ、テレビ埼玉の3社は日本テレビ制作の番組をネット受けした。
1980年代の後半から90年代前半にかけて、国際都市横浜や米軍関連が多い神奈川を象徴するかの様な全編英語放送の30分間の国内ニュース「the world today」がウィークデーの23時台に放映された。この番組はJCTVとの共同制作で、JCTVでは19時からの38分間の番組であった(ちなみに提供の五洋建設のCMも英語放送。スポンサーや商品によっては日本語や日本語バージョン)。
横浜そごうとのタイアップが行われていた1980年代中期 - 1990年代中期にかけては、横浜そごうが入居する「新都市センタービル」内に「キャプテンロコスタジオ」「みなとみらい21スタジオ」という2つのサテライトスタジオを持ち、ここから正午の帯枠「カフェシティ・ヨコハマ」や夕方の音楽情報番組「ミュージックトマト」が生放送されていたほか、現在ベイブリッジ横にある情報カメラも、最初は横浜そごう屋上に設置されていた。
現在は再放送番組や購入番組が幅を効かせる夜8時台だが、1980年代後半 - 1990年代中期にかけては生放送の情報番組が編成されていた。ナイター中継終了後にOAされていた「YOKOHAMAベイサイドスタジオ」(後に木曜夜にOAになった「ヒューマンTV・ベイサイドスタジオ」)、金曜夜に放送の「TVグラフィック42番街」(後の「たてながHAMA大国ナイト」「HAMA大国ナイト」「北原照久のTin Toy Box」)の2番組がそれである。
1980年頃 - 1990年まで毎週金曜22時から山谷親平と細川隆一郎、飯島清らによる政治討論番組「直言苦言」が放送されていた(京都放送、群馬テレビ、びわ湖放送にもネット)。
2002年にはTVK開局30周年記念番組として、「ライブ帝国」を放送し、過去のtvkでの音楽番組からのライブ映像の放送もあり、同時期に、「ライブ帝国」のビデオ化をし販売もされた。
2010年から2013年にかけて、戦国時代にスポットを当てた「戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜」や「戦国★男士」「TV・局中法度!」といった“戦国バラエティ三部作”と称する教養バラエティ番組をtvkが幹事となってテレビ埼玉・千葉テレビ放送・サンテレビジョンの4局共同で制作して同局の深夜番組では記録的大ヒットとなり、日本各地の地方局にも番組販売を行うなどのシリーズに発展した。
エピソードおよび現況[編集]
- 1972年(昭和47年)3月5日(日)午前11時からテストパターンを放送開始し、鶴見親局から初めて電波が発射された。その後3月31日まで本社演奏所(旧・山下町)設備の試験と鶴見親局の試験、中継局の試験を兼ねた「サービス放送」を開始。サービス放送初日の主な放送番組は、12時から『忍者ハットリ君+忍者怪獣ジッポウ』の第1話、12時30分から「ドキュメンタリー 日本の美〜日光東照宮」、13時から映画『辺境の追跡』、14時15分から19時までテストパターン、19時から『河童の三平 妖怪大作戦』の第1話、19時30分から「ドキュメンタリー あすをひらく〜ロボットただ今開発中」、20時から映画『夜霧よ今夜も有難う』を放送し、21時30分に終了した。以降、上記の番組に加えて3月15日と16日には「神奈川県 ア・テスト解答速報」、3月31日には「大洋VS南海オープン戦中継」を放送した。
- 1972年(昭和47年)4月1日(土)午前9時00分からテストパターンを放送、同日午前9時30分開局・本放送開始。同日午前9時30分から午前10時55分まで開局記念・放送第1号番組「はばたけTVK」を本社演奏所第1スタジオから生放送(出演者:津田文吾(第7代神奈川県知事)、飛鳥田一雄(第18代横浜市長)、河野謙三、尾崎一雄、高木東六、桐島洋子、柳原良平。他に、ミスTVKや横浜市電の運転士、横浜港に寄港する外国船の船長も出演した)。開局当日のキャッチコピーは「本日・放送スタート!TVKをキャッチしよう!! パパはやく,ママが出ているTVK」である。開局当日に整備された親局は鶴見局42ch、中継局は小田原局46ch・平塚局31ch・久里浜局47ch。1972年5月1日に開局した中継局は南足柄局45ch。
- 近年の最長寿番組は「JAグループ神奈川」提供の「緑への歩み」だった(2008年3月、35年の歴史に幕を下ろし終了)。開局翌日の1972年4月2日スタートである。
- 1972年(昭和47年)5月3日「第20回 横浜みなと祭り国際仮装行列〜マーチ・イン・ヨコハマ」からTVK独占カラー生中継放送を開始(放送時間は生放送が午前11時10分 - 午後0時30分で中継録画放送が午後6時から午後7時25分だった。放送当日のキャッチコピーは「ことしは、みなと祭りの仮装行列が茶の間で見られます」「すぐそこのニュースが茶の間にTVK」「TVK!やっぱりいいねおかあさん」の3つのキャッチコピーだった。番組のゲストは小山明子、橘家円蔵、立川談志、下重明子、花村えいじ、三遊亭栄橋、解説は六川英一[注 16]、司会は石倉輝夫)。
- 当初はテレビ局経験のある社員が少なかったため、新人社員は日本テレビやテレビ朝日からの出向者より指導を受けた。
- 関東圏の独立放送局として初になるマスター設備(主調整室)の更新と三ツ池送信所(親局)の送信機更新を1983年から1984年に掛けて行い、音声多重放送(ステレオ放送)への対応をいち早く実現した。ステレオ放送番組第1号は「SPOPS」(1984年10月 - 提供:丸井 制作:TVK)であり、第2号番組は「かながわの景勝50選」(制作協力:プロダクションモスラ・制作著作:TVK)である。※これらの番組は、音声多重試験番組も兼ねて放送されていた。
- 1985年からはステレオ放送番組が増え、テレビ番組初の試みである「環境ビデオ」(BGV) の放送番組「サラダ・ボウル」(制作:TVK、制作協力:日本電子工学院(現・日本工学院専門学校)、PLAY BILL、日商岩井(現・双日))や「ブレイン・パッケージ」(制作:TVK、制作協力:日本電子専門学校 他)がスタートした。同番組は、海外の風光明媚な空撮ビデオ映像に当時最新のアーティスト(例:PSY・Sなど)の音楽を流したり、完全オリジナルによるインストゥルメンタル曲を流す28分間の番組だった。これらの映像は、後にTOKYO MXで放送されている『文字ニュース』『ヘッドライン文字ニュース』のバック映像に転用されたこともあった。またサラダボウルは、1986年年頭の朝日新聞のテレビを考える連載のトップバッターとして全国に紹介された。
- 1987年、横浜が舞台だったテレビドラマ『あぶない刑事』(セントラル・アーツ制作、日本テレビ系)の第22話「動揺」において、スタジオ調整室のシーンで撮影協力をしている(撮影協力のクレジットは「テレビ神奈川」ではなく「TVKテレビ」)。
- 内田康夫の小説「横浜殺人事件」の主人公である横浜テレビの藤本紅子のモデルは、映画通で知られ「おしゃべりトマト」「TVグラフィック42番街」などの映画コーナー、「HAMA大国」の司会等を経て、2011年まで放送されていた「1230アッと!!ハマランチョ」のプロデューサーを担当していた坂本紅子(現・コンテンツ局制作部専任部長)である。フジテレビの浅見光彦でも放送された
- 『ファンキートマト』『おしゃべりトマト』『ミュージックトマト』などのいわゆる「トマトもの」では、MCのことをDJ(ディスクジョッキー)ならぬVJ(ビデオジョッキー)と称していた。これは、プロモーションビデオを大量に流す構成を踏まえ、DJをテレビらしい呼び名に置き換えた結果である。この名残で、現在でもtvkの放送中の番組での最長寿番組である「ビルボードTOP40」での中村真理はVJと呼ばれている。
- 1995年2月11日からは全国のCATV向けに通信衛星スーパーバードB号機CS放送(ディレクTV)経由で、「Ch-Yokohama」(後に「Ch-Y」→「横浜ベイサイドテレビ」)として地上波の番組が同時放送されていた[注 17]が、2000年9月30日のディレクTVのサービス終了と同時にこれらは全て終了している。これはスカイパーフェクTV!でなくディレクTVを選択した経営判断の失敗[注 18]であり、のちのTVKの経営に尾を引くことになる。ちなみに「Ch-Yokohama」(チャンネルヨコハマ)の前身は「TVKスーパーステーション」と云う名称であり、Ch-Yの名称が決定するまでの試験放送中は、「TVKスーパーステーション 試験放送中」のテロップが全番組に常時スーパーインポーズされていた。
- 「Ch-Yokohama」の元々の構想は、米国内で発達した通信衛星を利用したCATV局向け番組配信「スペースケーブルネット」の日本版を実現したかったという側面があった。「Ch-Y」は、後にTOKYO MX(当時の愛称は東京MXテレビ。これ以降、当該時期に応じ「東京MXテレビ」「TOKYO MX」を使い分ける)がディレクTVで始めた「東京情報MXテレビ」の先駆けであり、独立放送局が「日本版スペースケーブルネット」を実現した試みだった。
- 「Ch-Yokohama」のCATV向け本配信開始後、ネットしたCATV局は日本全国に12局存在した。それらのCATV局ではTVK(地上アナログ波UHF放送)の放送開始(但し、カラーバーはCh-Y独自の物に差し替えられ、TVKのオープニングもカットされていた)から放送終了までの全番組とCMを視聴する事が出来た。但し、一部の番組(競馬中継や野球中継など)は著作権の関係上、衛星のアップリンクセンター側で「お天気カメラ」の映像などに差し替えていた。
- 「Ch-Yokohama」のCATV向け配信は、TVK(地上アナログ波UHF)三ツ池親局の電波を大手町又は青山で受信(エア受信)し、再送信用設備にアナログ波で送り、再送信マスター設備から衛星にアップリンクする方法が執られていた。このため、エア受信用アンテナが台風などの強風時や不良時にはゴーストが乗った状態やビートノイズが乗った状態で全国のCATV局に配信された事もあった。
- かつて横浜そごう(現・そごう横浜店)とTVKの関係は緊密で、「キャプテンロコスタジオ」(4F)「みなとみらい21スタジオ」(地下1階)という2つのサテライトスタジオを設け、「カフェシティヨコハマ」や、かねてからあった夕方のミューコム制作の生番組に威力を発揮した。しかし、バブル崩壊後にそごうが経営不振に陥ると、それらの番組は打ち切りとなり、ついにはスタジオ閉鎖、横浜そごうのTVK持株売却と、TVKとそごうとの関係は急速に悪化していった。
- tvkの新ロゴは新しいイメージカラーの空とハイビジョンの画面比16:9、tvkの文字を模してデザイン化したものである。
- 携帯サイトは「saku saku」の出演者やキャラ、アナウンサーの着うた、着ボイス、着ムービーなど非常に充実しており、有料サイトではキー局・準キー局を除く地方局でトップ3の加入者数を誇る。また、tvkがレコメンドするアーティストのCDのオンライン販売(tvk music store)も開始している。
- tvkの新社屋移転とVI導入・新編成告知広告(コピーは「TVK、変わる。」)は、神奈川新聞、神奈川県内の鉄道各線などをはじめとして、神奈川県外にある東京メトロ全路線に掲示された。要出典
- 2012年7月8 - 25日にかけて無職の男がテレビ神奈川へ向けて100回以上「時限爆弾をしかけた」とメールを送り、7月31日に威力業務妨害で逮捕された。テレビ神奈川はコメントしていない。
経営状況と自社制作率[編集]
もともとは神奈川県を筆頭に、横浜市、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、中日新聞(5紙が同じ持株数を堅持)、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)などが主要株主で、TVK自体が報道というものを半ば放棄していた時期もあり(1983年 - 2002年)、神奈川新聞の陰は薄かった。神奈川県が経営権を握っていた頃は、平日9:35 - 11:00、金曜夕方に神奈川県教育委員会制作の教育放送(学校放送)が組まれていた(「のびる子きょうしつ」はその生き残りで長寿番組だったが、2008年3月で終了)。津田文吾元県知事が同局の社長・会長を務めた事がある。
経営は80年代前半まで実に苦しいものだったが、まだBSアナログ放送がなく番組表がキー局の横に大きく載るなどしていたので、倒産寸前までいった千葉テレビやテレビ埼玉よりまだ恵まれていた。
経営不振で80年初頭にリストラなどで壊滅状態になっていた制作体制だが、90年代初頭の自社制作率は約70%にまでなり、東のTVK、西のKBS京都(当時は近畿放送、現・京都放送)であった。むろんキー局を除けばダントツの数字である(キー局系列局では朝日放送[ABC]の約45%が最高であった)。
TVKは1980年代から1990年代初頭にかけ、好景気と横浜そごうなど大スポンサーの存在が後ろ盾となり、経営状態は好調を持続していたが、バブル景気の崩壊とともに、大スポンサー中の大スポンサーであったそごうの経営不振が経営の屋台骨を大きく揺さぶった。さらに神奈川県の財政危機(広報番組予算が7億円から数千万単位まで縮小された)により売り上げが30億円近くも減少(売上最高期の1/4近く、90億円→60億円)した。この煽りを受け自社制作率は急速(70%→40%)に減り、2002年には売り上げで東京MXテレビに、2003年には自社制作率でもテレビ埼玉に抜かれる「非常事態」となった。
TVKの非常事態を見て「県が県域メディアを経営する時代は終わった」という岡崎洋県知事(当時)の意向により、2001年に株式売却が行われ、筆頭株主が神奈川県から神奈川新聞社に移ることとなった。当初は新聞社とテレビ局の違いもあって両社の連携はしっくりいかなかったが、その後、第三者割当増資(県内市町村などが応じる)、新社屋(横浜メディア・ビジネスセンター)[注 19]建設・移転、「ヨコハマ開放区」のVI導入(電通との本格タッグ開始)、独立放送局初の地上デジタル放送開始(2004年12月1日)、独立放送局には珍しいインデックス社との提携による携帯公式サイトオープン(全キャリア対応)など、積極的な戦略に出ることになる。これにより、2005年度は3期連続増収、新社屋移転後初の黒字決算を達成、売り上げでは東京MXテレビを再び抜いた[注 20]。2013年度はTOKYO MXが売り上げを120億円として大きく引き離されている。また大幅に減少した自社制作率も40%台に回復した[2]。
放送機材[編集]
1972年の開局以来、字幕(テロップ)は長らく写真植字による「紙テロップ」送出(モリサワ製のテレビテロップ専用写植機)であったが、1990年代初頭にはソニー製のデジタルテロッパーといえる「SMC-3000C」がまず導入された(「おしゃトマ」末期ではスーパーがこの機材で作成・送出されていた)。しかし当時の電子テロッパーには、写真植字機ほどの汎用度がなかったうえ、「SMC-3000C」は文字よりは画像デザインの汎用度が高かったことから、あくまで番組で使われるテロップの補助的役割として使用されてきた。
1995年にラムダシステムズ製のデジタルテロッパー(テレビ神奈川においては初代機)が導入され、テロップ電子化の先駆けとなったが、当初は生放送情報番組中心の運用となった。その後、スタジオサブのスイッチャーがリニアキー対応となり、透過ベースや透過文字など、綺麗なテロップが出せるように進化した。2002年にはテロッパー自体から多種多様な特殊効果を出せる「後継機」へ更新され、新社屋移転後やほぼ社屋内全てのスタジオがHD対応化した後もSDベースのまま推移したのち、2011年4月の改編を契機としてテロッパー内部の制御ソフトの改修を行い、SDからのアップコンバートによる擬似的なものの、16:9サイズ全面にテロップやCGを作成・画面配置できるように改良が加えられている。
地上デジタル放送[編集]
地上、ワンセグ共にデータ放送に力を入れており、地上データ放送では大日本印刷と共同開発したQRコードでの携帯端末への地図取り込み機能も備えている。ワンセグ放送では音楽番組、高校野球等で番組連動型データ放送も行っている。データ放送開始は地デジ開始より4か月、ワンセグでは千葉テレビやテレビ埼玉より2か月遅れとなったが、その分内容の充実を図った(参考)。2007年9月1日からは川崎市と共同で緊急防災情報の提供を開始した。避難情報が流れた際は緊急度に応じ画面がポップアップ。ワンセグでも同様の情報提供。また、2007年4月には本格的なネットショップ「tvkショップ」をオープン、saku sakuのオリジナルグッズやライブ帝国のDVDなどはもちろんのこと、地産地消をキーワードに神奈川に根ざした名産品を大々的に扱い、地元に貢献している。
独立放送局で唯一、双方向対応番組連動データ放送を実施している。
2010年7月5日から総務省の方針により(放送大学は2010年7月24日から)、2011年7月の地上デジタル放送完全移行推進のため、すべての地上アナログ放送は原則として全番組をレターボックスをつけた状態で放送することになったが、2010年9月4日までは、tvkは4:3制作番組のすべて、ハイビジョン制作番組の一部において引き続き4:3全画面表示(ハイビジョン制作番組は4:3へサイドカット)を継続していた。
2010年9月5日からは、総務省の方針により、2011年7月の地上デジタル放送完全移行推進のため、アナログ放送終了告知テロップを[注 21]常時スクロールする形に変更し、右上にはアナログロゴのルミナンススーパーを常時表示していた[注 22]。
地上アナログ放送[編集]
2011年(平成23年)7月24日正午をもって通常放送を終了。コールサインはJOKM-TV
終了当日は11:00から『第93回全国高等学校野球選手権大会・神奈川県大会』の中継を放送していたが、中継会場のアナウンサーがアナログ放送が終了するお知らせと、12:00(正午)以降はtvkのデジタル放送を視聴するように促して、アナログでの放送を終了した。23:59からは通常のクロージングを放送したが、音声周波数と出力を読み上げたところでブラックアウトし、ブルーバックによるコールサインとアナログ放送完全終了の画面を表示。そのまま停波し、デジタルに完全移行した。
トラブル・問題点及び今後への課題[編集]
番組関連[編集]
- 人気番組「saku saku」においてキャラクター「増田ジゴロウ」を巡る肖像権や著作権など金銭や権利が絡んだ問題が発生し、2005年7月に番組から増田ジゴロウ他のキャラクターが引き上げられる事態が発生した。詳しくは増田ジゴロウ・ペパーsakusaku降板問題を参照のこと。
- 出演者とのトラブルとしては、かつての看板番組「新車情報」のキャスターであった三本和彦が、新社屋のある横浜メディアビジネスセンター1F(当時はオープンカフェが同所にあり、カフェの営業中に番組収録を行った)での収録に変更されたことに立腹し、2005年3月に『30年は続けても良かった』という新車情報を降板、番組も終了することとなる(新車情報終了にあたっての三本コラム)。
- テレビ神奈川制作の子供向け番組「みぶりてれび」において、レギュラー出演者である振付師が放送禁止用語を意味する英文が書かれた衣装を着用し、番組に出演したことが問題となり番組HP等で謝罪した。
社屋・機材など[編集]
地上デジタル放送開始当初は機器の減価償却の関係でHD率は高くなかった。周辺の独立放送局と比べて大幅に後れをとっていたが、2007年4月に小型HD中継車およびワイヤレスENGカメラを導入、5月にデジタルFPUの運用開始、その後2007年7月30日より2サブがHD化されたことで、飛躍的にHD率が向上した。買取番組や過去番組の再放送・再編集版を除けば、SD制作番組は少なくなっている。
2008年のHD率は約33%としているが、ニュース素材などは一切HD化されていなかった。その後2010年4月から一斉にニュース素材のHD化が行われ、本社や各支局の取材映像はHDへと移行した。これによりパッケージのHD化が既に完了していたテレ玉やTOKYO MXに遅れをとっていたHD化率も若干の向上がみられる[注 23]。
2008年度末からは順次スポーツ中継のHD化が進行しているものの、YOKOHAMAベイスターズナイターのHD化は会場の設備の都合などから当初予定の2009年度開始が見送られ、ようやく2010年度からHD化された[注 24]。
恒常的にHDによるスポーツ番組制作を自前で行うために不可欠なのは、自社所有大型中継車のHD化である[注 25]。2014年現在は大型中継車を保有していない。代替としてハイエースを用いた簡易的なHD中継車を保有している。
テレビ神奈川も鋭意放送機材のHD化を進められ一部のテロップやCGなど[注 26]視聴者の目に触れる部分では未だSDベースの機材が幅を効かせている部分もある。
テレビ神奈川番組・技術情報[編集]
主な番組・過去に放送した番組[編集]
テレビ神奈川番組放送一覧 も参照アニメ関連の番組参照
tvk開局40周年記念 40時間特別番組「あすの地球と子どもたち〜PRAY FOR HAPPINESS」[編集]
2012年(平成24年)開局40周年を記念して、 tvk開局40周年記念 40時間特別番組「あすの地球と子どもたち〜PRAY FOR HAPPINESS」と題した延べ40時間にも及ぶ生放送長時間特別番組の放送を正式に発表した。同局としては1976年(昭和51年)6月4日 (金) - 6月5日 (土) 放送のチャリティー番組「ダークダックスの25時間テレソン〜生きる〜花子の車いす募金」以来36年ぶりとなり[3]、1992年(平成4年)12月30日 (水) 18:30 - 1993年(平成5年)1月1日 (金) 9:30まで、TBS・JNN系列で放送された『元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ「ずっとあなたに見てほしい 年末年始は眠らない」』を抜き、日本の全地上波テレビ放送における歴代史上最大規模の生放送最長時間特別番組として放送された。2007年(平成19年)開局35周年を機に策定した放送ビジョン「あすの地球と子どもたち」を番組テーマに、環境・エネルギー問題・食に纏わる取り組み・新しい町作りの仕組みなど、次世代に豊かな社会をどの様にして残していくのかを考えていく。さらに開局40年の節目の年に新たにスタートさせる『どんぐりドリーム大作戦』〜地元のどんぐりから緑を育てる活動〜を番組を通じて広くアピールしていく。また、番組内で自ら実践している身近な取り組み・活動などもメール・ツイッターなどで募集し、小さいことから社会を変えていく輪を広げていく。番組は全3部構成となりメインパーソナリティーは、第1部・中西哲生(8日7:00 - 23:00)、第2部・山本シュウ(8日23:00 - 9日7:00)、第3部・別所哲也(9日7:00 - 23:00)、番組テーマ曲:光芽吹くとき、番組イメージソング:暁への祈り(歌:saigenji)、スペシャル・ライブゲスト:押尾コータロー、スターダストレビュー。本社1階『ヨコハマNEWSハーバー』をメインスタジオとして、9月8日 (土) 7:00 - 9月9日 (日) 23:00に放送された[4][5][6][7]。
- 総合MC・アシスタント
- アシスタント(第2部を除く)は、tvkの女子アナウンサーが持回りで担当した。
- 第1部:中西哲生
- アシスタント:三浦綾子>>佐藤亜樹>>三浦綾子>>小林咲夏>>トーマスサリー
- 第2部:山本シュウ
- 第3部:別所哲也
- アシスタント:佐藤亜樹>>小林咲夏>>佐藤亜樹>>細木美知代>>翁長舞
- 主な番組内容
- (1):『ACTION! 「グリーンエネルギーの時代」』:未来に残す豊かな社会のための提言。
- 〔1〕 環境先進国ドイツに学ぶ
- 環境先進国と呼ばれるドイツの「環境首都」フライブルク、「扇都市」カールスルーエなどを取材&日本の行方は?:9月8日(土)14:03頃
- ゲスト:佐藤しのぶ(ソプラノ歌手)、田坂広志(多摩大学大学院教授 前内閣官房参与)、早瀬勇(横浜日独協会 会長)[8]、大石久和(国土アナリスト 元国土交通省技監)
- ヨーロッパの中で、自然エネルギーの開発に積極的に取り組んでいるドイツに当番組が長期取材を行い、これからの日本のエネルギー政策について、専門家を交えて討論を行った。
- 〔2〕 エネルギー革命と参加型民主主義:9月9日(日)15:39頃
- ”自然エネルギーに関する総理・有識者オープン座談会”から1年3ヶ月 出席者からの今伝えたいメッセージ&エネルギー地産地消の取り組み。
- ゲスト:田坂広志
- 2011年6月に行われた有識者オープン座談会に出席した人たちからのメッセージがVTRで紹介された。また震災以降これから日本が直面するエネルギー問題、それに伴う日本の民主主義のあり方について、田坂が詳しく解説を行った。
- VTR出演:枝廣淳子、岡田武史、小林武史、坂本龍一、孫正義、田坂広志
- 〔3〕 映画『第4の革命-エネルギー・デモクラシー』:9月9日(日)夕方頃[9]
- カール・A・フェヒナー監督単独インタビューとあわせて地上波初放送された。
- (2):『MESSAGE OF THE SOUL』
- 各界のトップランナーによる、魂のメッセージ!
- 出演:新井満、五木寛之、渡辺貞夫
- 〔1〕 渡辺貞夫 シェア・ザ・ワールド 音楽は国境を超え、子どもたちの未来に幸せを!:9月8日(土)12:20頃
- 渡辺のライフワークとなった、子どもたちのための音楽ワークショップ"Share The World"を紹介した。
- 〔2〕 新井満 朗読「希望の木」:9月8日(土)16:41頃
- 岩手県・陸前高田市の「奇跡の一本松」に寄せた詩「希望の木」を朗読パフォーマンスした。
- 〔3〕 五木寛之 語り下し30分! 新・幸福論 下山の時代を生きるとは:9月9日(日)14:40頃
- ポスト3.11の時代に、これからの日本人としての”生きるヒント”をテーマに、五木の「新・幸福論」・「下山の思想」両著書をもとに、当番組の為に特別に書き下ろしたトークドキュメントを30分間に渡ってノーカットで放送した。
- (3):『「あっぱれ!KANAGAWA大行進」生放送&撮って出しスペシャル』
- (4):『スタジオ・プレミアム・ライブ』
- 出演:押尾コータロー:9月8日(土)22:21頃、saigenji:9月9日(日)20:02頃、スターダストレビュー:9月9日(日)21:23頃
- (5):『山本シュウのミッドナイト・トークライブ!「ヨリドコロ」』「若者の明日がここにある!?」:9月9日(日)1:00-5:55
- (6):『キン・シオタニのかながわ40景!』
- キン・シオタニが、神奈川の名所40景を独自の目線で選定し放送した。
- (7):『「岡崎五朗のクルマでいこう!」SP』「EVステラから見えるクルマの未来とは」:9月9日(日)19:11頃
- 「これからのクルマ」と題し、EV車の開発状況や、自動車会社が行っている環境への取り組みについて、詳しく紹介した。
- (8):『アグネス・チャンの女子の命を守る! 子宮頚がんの予防』「独占インタビュー 原千晶 ガンとの闘い」:9月8日(土)11:06頃
- (9):『カナフルTV2時間拡大生放送SP』「カナフルTVなりに考える! 子どもたちの未来」:9月9日(日)9:30頃
- コーナーMC:田崎日加理
- アシスタント:宇井愛美、和田奈美佳、ランチランチ
- ゲスト:黒岩祐治(神奈川県知事)
- 神奈川県の黒岩知事がゲスト出演し、葉山でスキューバダイビングを行い、相模湾に潜む生き物などを紹介した[16]。 またスタジオでは、相洋高校和太鼓部によるパフォーマンス、スカイラブハリケーンが横浜橋通商店街からの中継、ランチランチが横須賀市にある神奈川県立保健福祉大学を訪れ、同大学が行っている「食」への取り組みについて詳しく紹介された。
- (10):『森と水』:9月8日(土)9:36頃 ゲスト:涌井雅之(東京都市大学 環境情報学科 教授)
- あらゆる生命の源となる「水」について、これまで神奈川県、各市町村・企業・団体が行ってきた水資源の保全活動について、涌井が詳しく紹介した。
- (11): 『いのちの森 どんぐりドリーム大作戦』:9月8日(土)19:19頃 ゲスト:宮脇昭(横浜国立大学名誉教授、(財)国際生態学センター長)
- 宮脇が提唱する「潜在自然植生理論」のもと、これまで国内・海外で行ってきた植樹活動と、その後の成果・結果及び今後の活動状況などについてVTRなどを交えて詳しく紹介された。
- (12):『ラグビーSP トップリーグ中継「NECグリーンロケッツ×トヨタ自動車ヴェルブリッツ」(録画)&特集タグラグビー』:9月8日(土)23:00頃
- トップリーグ中継の他、ラグビーの国内普及を目的として、子供達にラグビーを教える「ラグビ・パーク・ジャパン」の活動などを紹介した。
- (13):『ディズニー・スピリッツを子どもたちへ』:9月9日(日)7:49頃 ゲスト:石井裕美株式会社オリエンタルランド教育営業担当
- 東京ディズニーリゾートで働く現役キャストが、「ホスピタリティ」(おもてなし)を目的として「魔法の教室」題し、幼稚園などに出張しあいさつなどの教育プログラムを行う活動を紹介した。
- (14):『仕事と社会貢献&これからの都市型農業と食育』:9月9日(日)13:40頃 ゲスト:柿沢安那(かながわ食の大使 野菜スイーツパティシエ)、志村善一(JA神奈川県中央会 会長)
- アシスタント:山崎彩(フリーアナウンサー)
- 神奈川の農業について、都市型農業・後継者問題・食の安全について、活動状況や取り組みについて詳しく紹介した。
- (15):映画『思い出を運ぶ手紙』(2004年 ブータン):9月9日(日)5:55頃
- (1):『ACTION! 「グリーンエネルギーの時代」』:未来に残す豊かな社会のための提言。
- レギュラー番組
- (1):『LOVEかわさき45分拡大生放送SP』:9月8日(土)8:38頃 ゲスト:阿部孝夫(川崎市長)
- 川崎市や、同市内に拠点を置く各種企業・団体が行っている「自然環境」に関する各種活動が紹介された。
- (2):『ずばり!横濱60分拡大生放送SP 未来へつなぐハマの絆』:9月8日(土)18:06頃 ゲスト:林文子(横浜市長)
- 横浜市の水道水の源のひとつ道志川の水質保全のため、市・企業団体が共同で森林保全を行うプロジェクト「W-eco・p(ウィコップ)」が紹介された。
- (3):『オンガク開放区 松本素生アコースティックライブSP』:9月8日(土)21:35頃 ゲスト:Aqua Timez
- ゲストの「Aqua Times」は、通常パート(収録)の形で、また松本が「My Treasure」をアコースティック・バージョンでそれぞれ放送された。
- (4):『かながわ旬菜ナビSP 40th記念旬ナビ流びっくりスイーツ』:9月9日(日)9:00頃 ナビゲータ:山崎彩
- (5):『キッズ劇場SP』:9月8日(土)7:51頃
- 通常パートの他、横浜・八景島シーパラダイスでロケを行い、各種動物達、アトラクションなどが紹介された。
- (1):『LOVEかわさき45分拡大生放送SP』:9月8日(土)8:38頃 ゲスト:阿部孝夫(川崎市長)
- ぶっ通し企画
- (1):『根岸佑輔の40時間丹沢登山生中継』
- (2): 『40周年フォトモザイク企画 7,000人の笑顔で作る カナガワニ』[19]
- 視聴者からお気に入りの笑顔が写った写真とメッセージを番組に送り、それをもとに1枚のフォト・モザイクアート(「どんぐりドリーム大作戦」のオリジナル・シンボルマーク)を制作した。なお制作方法は、送られてきた写真を、スタジオ等で手作業で一枚ずつ貼り合わせて制作するのではなく、「ピットメディア・マーケティングス社」製の最新のデジタル加工技術を使用して行う。また制作状況は、特設サイトにてリアルタイムで進捗状況を確認することができた(募集期間:8月27日 (月) - 9月9日 (日) モチーフは番組放送当日に発表された)。
- ナビゲーター:新垣里沙(モーニング娘。OG)
- また、新垣が神奈川県内の美味しいものなども合わせて紹介した。
- 連動企画
- (1):『「どんぐりドリーム大作戦」〜地元のどんぐりから緑を育てる活動〜』
- (2):『「I LOVE mama」presents HAPPY MEETS in トレッサ横浜』
- その他
- tvkハウジングプラザ横浜で行われた、「ECOイベント」には松本梨香が、桜木町駅前で行われた「横浜アラメヤ音頭」のイベントと同時に行われていた某飲料メーカの新製品PRのイベントを、松本とウッズ一郎が飛び入りでそれぞれ中継リポートを担当した。またtvk本社玄関前では第1部MCの中西が、地元の小学生を集めて、紙で作った柄杓を使用して「打ち水」を行った。さらに、番組エンディングで、キン・シオタニが、「人から くだらないと言われようとも 自分の好奇心を追求せよ」という未来を担う子供達へのメッセージが読み上げられた。
- 『カナフルTV』SP終了後、『フォトモザイクアート』担当の新垣が、黒岩知事に「かながわ観光親善大使になりたい!」と生放送中に直談判。局マスコットの「カナガワニ」とのコンビでの就任を快諾。その後、2012年(平成24年)11月20日(火)神奈川県庁にて任命式が行われ、正式に就任した[23]。
- 提供表示は、一部のレギュラー番組を除き画面右下への表示、及び画面下部にロールスーパー形式で表示された。またCM開け直前に15秒のオリジナルスポットCMが流され、企業名が告知された。さらに、番組エンディングでは、「FNSの日」と同様に、ハイライト映像をバックに提供各社のロールスーパーが流され、三崎幸恵アナウンサーによる提供全社の読み上げが行われた。
- スタッフ表示については、個人名は表示されず、制作協力会社のみ画面下部にロールスーパー形式で表示された。なお、テレビ埼玉が制作協力として、番組に参与した。
オープニング・クロージング[編集]
オープニング・クロージング[編集]
なお、全シーズン共通して、「tvk」ないしは「TVKテレビ」と呼称し、局名・呼び出し呼称の「テレビかながわ」を使用しない伝統を踏襲し続けている。
山下町時代[編集]
- 開局(1972年4月1日) - 1983年頃
- ナレーション:大田公子(開局 - 1982年?)、青山頼子(1982年 - 1983年?)
- OP:「TVK YOKOHAMA【42】」のマークの後、ブルーバックに映像・音声周波数、出力などのスーパーが出る形式。ナレーションは「おはようございます」のみ。
- ED:オープニングと同じだが、「おやすみなさい、いい夢を」のナレーションあり。
- 1983年頃 - 1990年5月16日[24]
- ナレーション:鎗田圭子[注 27]
- OP:横浜港と三ツ池送信所
- ED:氷川丸と夜の横浜市内
- 横浜駅周辺の高速道路、関内、尾上町、伊勢佐木町などの夜景と本社演奏所屋上の塔屋看板のアップで、ラストカットに「TVK JOKM-TV」のテロップカードと共にナレーション
- この間に大船局、仙石原局、湯ノ沢、藤野局などの開局があるが、テロップの変化以外なし。
- 1990年5月17日[24] - 1993年
- ナレーション:鎗田圭子
- OP:神奈川県内の映像。ラストカットに「TVKテレビ」のテロップが追加された。
- ED:氷川丸と夜の横浜市内、本社演奏所屋上の塔屋看板のアップ、ラストカットで「TVK JOKM-TV」のテロップカードと共にナレーション
- 1993年 - 2003年3月
- ナレーション:鎗田圭子
- OP:神奈川県内の風景。横浜みなとみらい開業に伴い、映像にランドマークタワーが挿入されるマイナーチェンジが施された。また、横浜みなと局開局以降は中継局テロップが左から右へ表示がスクロールで切り替わるようになった。
- ED:氷川丸とランドマークタワー。
- 1世代前の一部映像を再編集し、横浜みなとみらいと横浜ベイブリッジの夜景が挿入された。ラストカットで「TVK JOKM-TV」のテロップカードと共にナレーション
- 2003年4月 - 2004年5月9日
- ナレーション:鎗田圭子
- OP:横浜市内の風景。映像自体が新しく撮り直され、字も大幅に変更された[注 28]。
- ED:横浜ランドマークタワーや横浜ベイブリッジ、コスモクロック、山下公園周辺などの夜景。この時期のみ、中継局テロップが左から右へ表示がスクロールで切り替わるようになり、映像の最後に「TVKテレビ」と表記
- 山下町本社最終日である2004年5月9日深夜24時[25]、社屋移転に伴い頻繁に放送されていた青空をバックにした「Good-by TVKテレビ」のCMを放送。現行の「tvk」ロゴが少し表示されたあとに、「starting tomorrow」の文字が表示されたと同時に、「A,Fresh new style. starting tommorow!of tvk.」と男性の英語のナレーションが流れ、「TVKテレビ」のロゴが散らばり、クロージングがオンエアされ、停波。これをもって1972年の開局以来、32年1ヶ月9日間に渡る山下町本社からの放送送出に幕を下ろした。
- 以上まで、エンディングのラストカットでテロップカードに彩色したブルーのバックにカモメをイメージしたイラストで「TVK JOKM-TV」という1枚画を放送していた。TVKテレビではこれをネットマークと呼び、一時はこの名で公式ウェブサイトにも画を載せていたことがある。また、放送開始前のオープニング直前にこのネットマークが送出されていた事もあった(この場合は肌色バックでネットマーク (TVK YOKOHAMA) が乗る形式)。なお、この「ネットマーク」はNTT中継回線で番組の裏送りを行う際に、TVKが発局となる場合に限り回線上に表示された。
関内MBC時代[編集]
- 2004年5月10日 - 現在(アナログ放送は2011年7月24日まで)
- OP:みなとみらいなどの横浜の朝・日中の風景をデザイン化し、「tvk」のロゴを飛んで行く電波としてイメージングしたもの。
- ED:横浜ランドマークタワーと横浜ベイブリッジなど、横浜の代表的な夜景をデザイン化した映像 また、デジタル放送は横浜市の観光スポットの朝、夜の静止画に「tvk」のロゴを飛んで行く電波としてイメージングしたものをかけわせたもの。
- なお、アナログ放送とデジタル放送では、映像やBGMなど差異があるものを使用していた。
- OP/EDともに、英語と日本語のアナウンスを織り交ぜて使用。アナログでは「こちらはtvk、ヨコハマ開放区です」、デジタルでは「こちらはtvk、JOKM-DTVです」。
- なお、デジタル放送では局名・コールサインはアナウンスされるが、テロップは局ロゴ以外表示されない。
使用楽曲[編集]
- 年代不明
- 1983年頃 - 2004年5月9日
制作映画[編集]
- イヌゴエ 幸せの肉球(2006年)(tvk《幹事》・テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ)
- 棚の隅(2006年)(tvk《幹事》・テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ)
- WHITE MEXICO 大江千里主演(2007年)(tvk《幹事》・テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ)
- サンシャイン デイズ (2008年)(tvk単独、制作プロダクションとの共同制作)
- 音符と昆布(2008年)(tvk《幹事》・テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ)
- ネコナデ(2008年)(tvk《幹事》・テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ)
- コラソン de メロン 西川貴教主演(2008年)(tvk《幹事》・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ)
- GSワンダーランド(2008年)(tvk《幹事》・テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ)
- 幼獣マメシバ (2009年)(tvk《幹事》・テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ)
- 悲しいボーイフレンド(2009年)(tvk《幹事》・テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ)
- PLASTIC CITY (2009年)(tvk《幹事》・テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ)
- つむじ風食堂の夜 (2009年)(tvk《幹事》・テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ)
- ねこタクシー(2010年)(tvk《幹事》・テレビ埼玉・千葉テレビ・三重テレビ・KBS京都・サンテレビ・札幌テレビ・TVQ九州放送)
- このように近年は東名阪ネット6加盟局とともに幹事社として映画制作に意欲的に取り組み、「棚の隅」「ネコナデ」「GSワンダーランド」など、在京メディアもにぎわす作品を多く生んでいる。
提携局[編集]
テレビ朝日系列の名古屋テレビ放送(NBN,メ〜テレ)、静岡朝日テレビ(SATV)と社業全般にわたり交流を図り協力をする「相互協力に関する友好協力関係協定」を結んだ。これは親会社の神奈川新聞社が朝日新聞社の関連企業であり、またテレビ朝日自体、tvkの大株主に名を連ねていることによるもの。
2004年5月10日の新社屋移転時、メ〜テレの「大須ぱっぱ屋」へ向け尾辻舞アナが新社屋を生で紹介をした。tvkの応接室にはメ〜テレのキャラ「ウルフィ」のぬいぐるみが飾られている。2009年、メ〜テレが制作した映画「ハイキック・ガール!」や、イベント「ガンダム生誕30年祭」のCM・PRを首都圏トライアングル枠を含めて精力的に流した。また新社屋移転に伴う営業体制再構築時に設けられたtvk名古屋支局は、当初メ〜テレの旧本社社屋(現・メ〜テレアネックス)に入居していたが、2010年4月に老朽化で解体された為、別の地点に移転したと思われる。
また、テレビ東京系列に次ぐネットワークを作るべく2007年に結成された東名阪ネット6の旗振り役を務めている。
tvkで放送されるCM[編集]
- ハウス食品や興和はキー局より新作が早く流れる事が多い。
- 地元神奈川県の他、東京都・静岡県・山梨県関連のCMが多いが、池の平ホテル(長野県)や湯の川プリンスホテル 渚亭(北海道)など距離がある県関連の類が流れる事もある。
- tvkや神奈川新聞関連のCMも流れる(時々FMヨコハマの番宣CMが流れる時もある)
- 稀にヨドバシカメラのCMも流れることもある。特に月曜22時から放送している水曜どうでしょう内で流れることもある。
- 他の独立放送局に比べると、ナショナルスポンサーのCM が多い。
歴代社長[編集]
- 内山岩太郎(1969-1971)元神奈川県知事。
- 菅井栄一郎(1971-1982)就任前は神奈川県の教育次長、教育長、農政部長などを歴任。この時期の当初の会長は津田文吾(神奈川県知事兼務)。
- 遠藤保成(1982-1994)新潟高等学校 (旧制)出身。就任前は神奈川県下水道公社理事長。
- 吉田次郎(1994-1998.6.24)就任前は神奈川県理事総務部長、湘南国際村協会代表取締役専務など。
- 石井明(1998.6.25-2001)
- 牧内良平(2001-2008.5.26)現:相談役。
- 小宮邦安(2008.5.27-2010.5)初のプロバー社長、後に会長。
- 山﨑行雄(2010.6-2014.6.22)現:取締役顧問。
- 中村行宏(2014.6.23-)
アナウンサー[編集]
丸かっこ内の数字はtvkアナウンサーとしての在籍期間。●はアナウンス部長経験者。
現職アナウンサー[編集]
入社順。森田・吉井・三崎はtvk正社員、他はすべて契約社員もしくは事務所派遣の専属契約。
- 森田浩康●(RKB毎日放送出身、1979.7 - )
- 吉井祥博(IBC岩手放送出身、アナウンス部長、1996.4 - )
- 三崎幸恵(プロパー、1996.4 - )
- 小林咲夏(テレビ愛媛出身、2007.7 - )
- 細木美知代(テレビ金沢出身、2011.4 - )
- 根岸佑輔(テレビ山梨出身、2011.4 - )
- トーマスサリー(静岡第一テレビ出身、2012.4 - )
- 長澤彩子(福島テレビ出身、2015.4 - )
- 久本真菜(瀬戸内海放送出身、2015.4 - )
元アナウンサー[編集]
〇は退社or異動後に「tvkスポットニュース」の担当経験がある元アナウンサー。
異動[編集]
退社[編集]
※印は現在フリーアナウンサーもしくは他社に移籍して活躍中。
男性[編集]
- 阿部実※(福島テレビ出身、1990以降、現在はナレーター)
- 大野義和(ラジオ関東出身、初代アナウンサー、1972.4 - 1980年後、後にFMヨコハマ)
- 岡村光芳●(石川テレビ放送・広島ホームテレビ出身、1972.7 - 1997.6)
- 久保弘毅(プロパー、1995 - 2005.9、現:薬剤師兼スポーツライター)
- 田中大士※(プロパー、現:WOWOW、有田真子は夫人)
- 辻豊人※(朝日放送出身、1970年代 - 1980年代前半)
- 豊川浩(テレビ岩手出身、後に営業部→重役、1983前後 - 不明)
- 藤村義美(北日本放送出身、1978頃 - 1981年頃)
女性[編集]
- 中川公子(福島中央テレビ出身、初代アナウンサー、1972.4 - 不明、フリーアナウンサー→川崎市議会議員を歴任)
- 青山頼子(1981前後 - 1984前後)
- 有田真子(1980年代後半、田中大士は夫)
- 上田陽子※(プロパー、1989 - 1994 結婚退社、現・阪田陽子)
- 原良枝※(プロパー、1982 - 1994、後年に嘱託で一度復帰)
- 鎗田圭子※(プロパー、1980年代)
- 秋山雅子※(1992.11 - 1994.3)
- 長瀬佳美〇(テレビユー福島出身、1997前後)
- 鈴木美佳(新潟総合テレビ出身、1995頃)
- 平松由美(山陽放送出身、1994年以降)
- 武田川彩子(静岡朝日テレビ出身、1996頃)
- 松本麻美(静岡エフエム放送出身、1996頃)
- 内田朱美〇※(テレビ山梨出身、1998 - 2000)
- 清水美穂(長野朝日放送出身、2000 - 2002)
- 森麻緒(中部日本放送出身、2000 - 2002)
- 野澤はづき(プロパー、1997年頃 - 1999.12、結婚退社)
- 松本尚子※(南日本放送出身、2002.4 - 2003.3)
- 野中美里〇※(新潟テレビ21出身、1999.4 - 2005.3)【2006年以降、高校野球神奈川県予選期間中は応援スタッフとしてtvkの番組に出演】
- 相賀真理子(北海道放送出身、2003.12 - 2005.9、出産退社)
- 東美咲(山梨放送出身、2005.11 - 2007.6、転職退社)
- 大原裕美〇※(静岡放送出身、2004.3 - 2006.3、2009.11 - 2011.3、2度目は他局出演兼務の契約)
- 中村理恵〇(富山テレビ放送出身、2005.4 - 2011.3、プロダクション経由の専属アナ。出産による契約解除)
- 仲山今日子※(テレビ山梨出身、2002.4 - 2003.10、2005.5 - 2012.3.30)
- 尾辻舞※(高知さんさんテレビ出身、2003.4 - 2012.5.31、2度目の出産を機に退社)
- 佐藤亜樹(仙台放送出身、2004.2 - 2015.1.31 )
- 翁長舞(琉球放送出身、2012.4 - 2015.3.31、プロダクション経由の専属アナ)
- 三浦綾子(新潟テレビ21出身、2006.3 - 2015.3.31 )
輩出したアナウンサー[編集]
歴代の昼ワイド(「おしゃべりトマト」〜「HAMA大国」)のアシスタント・「みんなが出るテレビ」女子大生特派員はアナウンサーの登竜門だった。
太字は現在所属の放送局。
TVグラフィックおしゃべりトマト[編集]
HAMA大国[編集]
みんなが出るテレビ[編集]
- 松尾翠(フジテレビ)
- 宮前景(TBS R&Cリポーター→タレント)
- 水木香(東京ケーブル・プロダクションリポーター)
- 原渕由布奈(福井テレビ)
- 佐藤友香(圭三プロダクション→湘南ケーブルネットワーク)
- 市野瀬瞳(新潟総合テレビ→中京テレビ)
- 多田紗耶子(福島テレビ)
- 坂本洋子(福島放送→静岡第一テレビ)
- 阪中香織(日本BS放送)
- 成嶋早穂(東海テレビ→セント・フォース→アワーソングスクリエイティブ)
- 井手麻実(四国放送→青森テレビ)
- 木村佳那子(静岡放送リポーター→テレビ熊本→チバテレ)
- 荒木麻里子(静岡放送→セント・フォース)
- 保田瞳(佐渡テレビ→NHK新潟契約キャスター)
- 林藍菜(ラジオ福島→富山テレビ)
- 楪望(広島ホームテレビ→テレビ大阪→サンズエンタテイメント)
- 副島優子(福井テレビ→NHK千葉契約キャスター)
- 大平真理子(テレビ新潟)
- 中村衣里(山口放送)
社長・アナウンサー以外の関連人物[編集]
- 髙橋隆男(tvkコミュニケーションズ代表取締役社長)
- 関佳史(取締役営業・事業・ecom事業担当、営業本部長)
- 坂本紅子(コンテンツ局エグゼクティブプロデューサー)
- 大谷英典(tvkコミュニケーションズ執行役員)
- 壺阪敏秀(報道局報道部長)
キャッチフレーズ[編集]
- TVKをキャッチしよう!! パパはやく,ママが出ているTVK(1972年 開局時)
- ヤングで勝負、TVK(1972年 開局時)
- ポートサイドから広がる電波TVK(1972年 開局時)
- タレントはボク、キミ、あなたTVK(1972年4月)
- パパはやく、ママが出ているTVK(1972年4月)
- TVK!やっぱりいいねおかあさん(1972年5月)
- すぐそこのニュースが茶の間にTVK(1972年5月)
- TVKism (ismはInformation Sports Musicの意味がかかっている)
- サクッと見せるTVK
- おかずテレビ(1993年 - 1996年頃)
- ジャンプ2乗 TVKテレビ(1997年頃)
- あれ?これ!TVK
- ホネつきテレビ(1998年頃)
- テレビ〜ニョ[26](1999年 - 2004年3月)
- Good-bye TVKテレビ(2004年4月 - 2004年5月9日)
- ヨコハマ開放区 (2004年5月10日 - )
- かながわワールド〜あすの地球と子どもたち(2007年 - 2008年、開局35周年記念)
- 地デジは3ch tvk(2009年4月 - )
イメージキャラクター[編集]
- テレビ〜ニョ(1999年4月 - 2004年3月)
- tvkids(アース、ピース、キース)(開局35周年記念、伊藤有壱がデザイン)
- カナガワニ(2012年)(開局40周年記念として実施されたWEB・携帯サイトによるキャラクター総選挙により初選出。カナガワニはしゃべらない)
- トーンバード(2012年)(カナガワニの傍にいる仲良しの黒い鳥。頭にト音記号がついている。「カナガワニエン」ではMCの山崎樹範の傍でナレーションを兼ねて進行をする。普段のCMではカナガワニの近くで「テレビは3ch,tvk♪」と歌っているが、たまにカナガワニが口を開いて上に飛ばされる)
- キャラクター総選挙の結果は以下の通り。
- 1位:「カナガワニ」
- 2位:「かなべ〜」
- 3位:「かなみぃ」
- 4位:「トンガリくん」
- 5位:「カナリア嬢」
- 6位:「かなブン」
- 7位:「中華GUY」
- 8位:「テレ神」
- 9位:「カピタン・カナガワ」
- 10位:「カナケン」
- キャラクター総選挙の結果は以下の通り。
時報[編集]
- 開局から長らく独特の音色の3点時報(音が低い)も鳴っていたが、1986年のマスター改修で姿を消した。
お天気カメラ[編集]
- 横浜そごう屋上(1985.9 - 1998.3)
- 稼動当時、横浜そごうの定休日にはカメラが使えず、放送開始前のテストパターン時間帯には「花畑の花を映した静止画像」や「主調整室(マスター)・副調整室(サブ)を撮影した静止映像」などをお天気カメラ映像の「代用」としていた。
- 横浜スカイウォークスカイタワー(1989.9 - 2013.3.28)[HD対応]
- スカイタワーカメラがメンテナンスや故障などで使用できない場合は、本社屋上カメラや河川事務所の監視カメラを利用することもある。2007年7月にHD対応へと機材更新されている。
- テレビ神奈川本社屋上(2007.12.10 -)[HD対応]
- 2007年夏にスカイタワーのお天気カメラが故障を起こし、スカイタワーカメラの故障時対策として急遽設置された。中心部の横浜の光景や晴れ渡ると見事な富士山が撮影できるカメラだが、あくまでメインはスカイタワーカメラとされ、使用される頻度は高くない。2008年の元日にはフィラーで初日の出の模様がスカイウォークカメラと交互に放映された。2011年4月改編で新たに始まった昼ワイド「ありがとッ!」においては、比較的多用されているカメラでもある。
- 秦野市役所屋上(2012 -)[HD対応]
- 横浜港大さん橋ふ頭ビル屋上(2013.3.29-)[HD対応]
- 横浜スカイウォークに設置されたカメラの運用終了に伴う設置。
社屋・放送施設[編集]
- 本社・演奏所
- 〒231-8001 横浜市中区太田町2-23 横浜メディア・ビジネスセンター内
- 旧本社・演奏所(放送センター)
- 〒231-8542 横浜市中区山下町69-1(現在は高層マンションになっている)
- 旧業務センター
- 〒231-0023 横浜市中区山下町123-1 クリードビル内
デジタル放送[編集]
リモコンキーIDは3。TOKYO MXを除く関東全独立局も3が使われる。
送信所・中継局名 | 物理チャンネル 中心周波数 |
空中線電力 | ERP | 中継局置局箇所 | 偏波面 |
---|---|---|---|---|---|
横浜鶴見送信所 | 18ch 503.142857MHz |
1kW | 12.5kW | 三ツ池公園 | 水平 |
平塚中継局 | 100W | 370W | 湘南平 | 垂直 | |
小田原中継局 | 31ch 581.142857MHz |
10W | 120W | 真鶴岬 | 水平 |
南足柄テレビ中継局 | 35ch 605.142857MHz |
1W | 3.5W | 21世紀の森 | |
湯河原中継局 | 37ch 617.142857MHz |
100mW | 185mW | 一本松 | 垂直 |
愛川中継局 | 17ch 497.142857MHz |
1W | 3.1W | 内山 | 水平 |
箱根湯本中継局 | 47ch 677.142857MHz |
4.2W | 箱根湯本 | 垂直 | |
横須賀武中継局 | 17ch 497.142857MHz |
990mW | 3.4W | 武山中腹 | |
仙石原中継局 |
35ch 605.142857MHz |
300mW | 1.2W | 丸岳中腹 | |
相模湖中継局 | 18ch 503.142857MHz |
1.15W | 嵐山山頂 | 水平 | |
津久井中継局 | 17ch 497.142857MHz |
610mW | 三ヶ木馬場 | 垂直 | |
久里浜中継局 | 1.85W | 東京電力横須賀火力発電所西側 | 北方向(水平):西方向(垂直) | ||
逗子中継局 | 1W | 7.6W | 披露山公園 | 東方向(垂直):西方向(水平) | |
横須賀鴨居中継局 | 18ch 503.142857MHz |
100mW | 250mW | 横須賀市立上の台中学校東側の山 | 水平 |
秦野中継局 | 17ch 497.142857MHz |
1W | 2.3W | 権現山山頂 | 垂直 |
湯ノ沢中継局 | 10mW | 72mW | 湯ノ沢団地 | 水平 | |
笹下中継局 | 100mW | 660mW | 笹下中央公園 | ||
釜利谷中継局 | 350mW | 金沢動物園 | 垂直 | ||
秦野菩提中継局 | 35ch 605.142857MHz |
50mW | 69mW | 子の神社 | 水平 |
大船中継局 | 17ch 497.142857MHz |
1W | 5.8W | 大船観音付近 | 垂直 |
衣笠中継局 | 4.1W | 衣笠山 | 水平 | ||
中井中継局 | 100mW | 380mW | 大字久所富士見台 | ||
鎌倉中継局 | 300mW | 430mW | 鎌倉市役所本庁舎屋上 | ||
戸塚中継局 | 1W | 3.1W | 秋葉台公園近隣 | ||
青野原中継局 | 33ch 593.142857MHz |
15mW | 135mW | 三角山 | |
箱根強羅中継局 | 35ch 605.142857MHz |
1W | 2W | 宮城野 | |
相模原中継局 | 33ch 593.142857MHz |
3W | 53W | 東京都八王子市裏高尾町 域外中継局 | |
小田原東中継局 | 31ch 581.142857MHz |
曽我山 | |||
みなとみらい中継局 |
49ch 689.142857MHz |
27W | 横浜ランドマークタワー屋上 | 北西方向(水平):南西方向(垂直) | |
藤野中継局 |
33ch 593.142857MHz |
300mW | 950mW | 鉢岡山 | 水平 |
- 平塚デジタル(SFN=同一周波数送信)もアナログ同様、垂直偏波である。これを知らない視聴者が、垂直偏波非対応の簡易アンテナを購入し、受信できないと訴えるクレームが多発したため、都内を含む家電量販店に「平塚局は垂直偏波です」という注意書きが張り出される騒動があった。
- 基本的にデジタル中継局は、廃局となったアナログ中継局に併設の形で設置している。
- なお、これ以外のアナログ中継局は、デジタル中継局の併設は無く、アナログ放送終了(2011年(平成23年)7月24日(日)24時の停波)をもって、そのまま廃局となった。また、藤野中継局の開局を以って神奈川県内のデジタル中継局の整備が完了した[28]。
アナログ放送[編集]
2011年7月24日の停波時点
送信所[編集]
中継局[編集]
- ◆山下町(山下町SSKビル) 63ch(SHF)
- ◆横浜みなと(横浜ランドマークタワー) 48ch
- 鶴ヶ峰 34ch
- 根岸岡村 47ch
- ●大船 38ch
- ●逗子 47ch
- 横須賀逸見 47ch
- 衣笠 44ch
- 大矢部 38ch
- 横須賀鴨居 53ch
- ●横須賀武 47ch
- ◆(南方向は●)久里浜 47ch
- ◆●平塚(湘南平) 31ch - 基幹中継局
- ◆●秦野 61ch
- ◆湯ノ沢 32ch
- ◆南足柄 45ch
- ◆山北 46ch
- ◆小田原 46ch
- ◆●湯河原 51ch
- ●仙石原 48ch
- 愛川 33ch
- 串川 44ch
- 青野原 45ch
- ●津久井 48ch
- 相模湖 47ch
- 藤野 59ch
- ◆…キー局共建 ●…垂直偏波
- 横浜みなと局開局の際は「キー局もTVKもこれ1本」というUHFアンテナ設置キャンペーンが行われた。
区域外再放送[編集]
区域外再放送の方針として、遠隔地に受信点を設置して光ファイバーなどで伝送するケースも認めている。
太字の局はパススルー再放送をしている。
- 東京都
- J:COM江戸川
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- 静岡県
スタジオ[編集]
山下町旧社屋[編集]
- 山下町旧社屋の建設は1971年2月から開始され、約11ヶ月後の1972年1月に竣工完成。主な建設会社は清水建設で、社屋のアルミサッシや防音ガラスなどは飯島硝子興業、社屋鉄筋構造体の建造は梶川産業、市川圧接、亀井組などの共同、防音シャッターは三和シャッター設備、本社屋屋上照明は昭和ネオン工業所、エレベータ設備は東芝(当時は東京芝浦電気)、放送機器電子機器設備、放送送信制御設備、スタジオマスター設備はNEC、東芝(当時は東京芝浦電気)、TOAMCO社の共同などで、社屋は全25社の協力で完成した。本社屋演奏所竣工記念式典には当時の横浜市長、神奈川県知事、神奈川新聞社社主などが出席し、「火入れ式」と呼んだマスター(主調整室)設備と第1スタジオ、第1スタジオ副調整室などへの電源投入式典も行われた。※TOAMCO社は「東芝アンペックス社」の略称。
- 第1スタジオ(1F)
- メインスタジオ。広さ198平方メートル。開局記念特番「はばたけTVK」(オープニングと一部の映像が16ミリフィルム、その他はスタジオからの放送)が最初の番組。その後、さまざまな番組(暮らしのワイド・リビングポート、新車情報、テレビグラフィック42番街、YWTVなど)に使用された。旧社屋末期には3台のカメラ(3台共に日立製)が常設されていた。なお一部特番ではスタジオ内にカメラクレーンを搬入して運用したこともある。
- 第1スタジオ・副調整室 (1サブ、2F)
- ステレオ音声多重放送対応の副調整室である。アナウンスブースを併設。
- このアナウンスブースからはかつて、朝の情報生番組「モーニング・ブレイク」(VJ:有田真子)が放送されていた。有田は、ブース内に設置されたテクニクス製のCDプレーヤーを自ら操作しながら曲出しを行ったり、映像に合わせてビデオジョッキーを担当した。ちなみに第1回の放送ではアナブースの模様がハンディカメラによって撮影され、生放送された。
- 第2スタジオ(1F)
- 広さ66平方メートル。ニュースやミニ番組の収録などを想定して作られた学校の放送室並みの超狭小スタジオ。しかし、1スタからのOAでコストがかかっていた昼ワイドの省力化を目的とし「スタジオ・きょう」(60分→のち45分)開始(1980年)時に改装された。特筆すべきはサブからの遠隔操作で運用する無人リモコンカメラ(池上通信機製)が2台設置されたことで、これによりスタジオにはフロアディレクター以外のスタッフがいなくても放送運行が可能となった。
このような事情から、「日本大通り情報」「TVグラフィックおしゃべりトマト」「情報ステーション」「KICK OFF F・Marinos」、そしてユースケ・サンタマリア、IZAM、井手功二&佐々木ゆう子&久保弘毅、あかぎあい、木村カエラ時代の「saku saku(saku saku morning call)」はこのスタジオで収録されるなど、小回りが利くことから生放送・収録を問わずフル稼働となった。 - 第2スタジオ・副調整室(2サブ、2F)
- 第2スタジオだけではなく、のちに稼働したSEAスタジオのサブとしても使用された。1サブ同様、2サブ内にもアナウンスブースを併設(開局時から2スタの機材更新までの間、ニュース用の簡易スタジオとしても使用し、その期間はブース内にニュース用の簡易セットおよび無人のリモコンカメラを常設)。
- SEAスタジオ(3F)
- 1995年、社長室の一部を取り払いオフィス内に開設されたガラス張りのスタジオ(先述の通り、サブは2サブを使用)。「たてながHAMA大国」→「HAMA大国」、PUFFY、Say a Little Prayerの生放送時の「saku saku morning call」、ニュース、スポーツ番組(1998年の横浜ベイスターズ優勝特番も含む)はここから放送。SEAスタジオの名称は一般公募で決まった。「SEA」はオフィスが見える「see」の意味と横浜の海、そして「S」にSports、「E」にEntertainment、「A」にAreaをかけた。その後「SEA戦略」と局のステーションポリシーにも使用。第2スタジオ同様、小回りが利くため重宝された。「HAMA大国」放送中に小学生の社会見学でガラス越しに子供が手を振るのは、恒例だった。
- 主調整室(マスタールーム、2F)
- TVKテレビのマスターコントロール室で、マスター設備はNEC製。ここから鶴見親局(三ツ池送信所)のコントロールや番組の送出を行っていた。マスタールームに隣接した「CMバンク」は1992年頃にD2-VTRのカートラック方式に更新され、続いて、「番組VTR室」の1インチVTRもD2-VTRに更新された。CMバンクには、提供コメント(提クレ)を送出する為の音声パック装置も備えられていたり、CMバンク室に隣接した場所に「天気」画面描画用マッキントッシュPCやグラフィック装置があった。また、マスタールームの入口ドア左側の棚には「お待ち」と呼ばれた「しばらくお待ち下さい」(ガチャ目電波のTVKカラス)のテロップカードも常時備えられ、放送事故時はテロップ装置にそれを差し替えて放送していた。また、このマスタールーム内には「お天気カメラ」のコントロール卓も設置されており、旧横浜そごうの屋上カメラや横浜ベイブリッジ設置カメラのコントロールもここから行っていた。ちなみに、マスタールームと上記「番組VTR室」隣との間には「テロップ送出架」があり、1972年の開局時から使用していた紙カード写植による「テロップ送出装置」も備えられていた。番組の運行中にリアルタイムで送出する「制作著作 TVK」「STEREO」「BILINGUAL」等のテロップもここで送出していた(同装置は1990年頃に新装置に更新され、その後は電子テロップ装置のサブ機として現用されていた)。
- なお、旧社屋竣工当時(1972年)に上記「番組VTR室」に導入されたVTRは、東芝アンペックス製(TOAMCO製)2インチVTR(2インチスーパーハイバンドカラーVTR)が2台であり、1台は中継回線や外部からの中継収録に使用され、もう1台はビデオテープ番組の運行などに使用されていた。※1インチカラーVTRへの更新年度は1980年代であるが現在のところ詳細は不明。
- 報道顔出しブース(報道部内)
- SEAスタジオが稼働するまで、報道部の一角に簡便な顔出しブースが作られており、ここから午後ワイド内のミニニュースが放送されていた。また一時期は夕方と夜のニュースもここから放送されていた。
その後、同じフロアの報道部至近にSEAスタジオが完成したことに伴い、すべてのニュース番組もここから放送されることとなり、顔出しブースは廃止された。
横浜メディア・ビジネスセンター (Yokohama MBC)[編集]
- ヨコハマNEWSハーバー(1F、HD、180坪)
- ありがとッ![HD]。1台の小型固定カメラとハンディカメラ(1〜2台、状況に応じて脚をつけて固定カメラとして使用する)、計2〜3台のカメラで運用。以前は「1230アッと!!ハマランチョ」「tvk NEWSハーバー」「新車情報」などでも使用されていた。サブは番組に応じて1サブもしくは2サブを使用する。同所専用のサブは存在しない。
- 同所はあくまでスタジオではなく、正面玄関及びロビーを兼ねたフリースペース(自由通路)である。これは本社ビルが容積率緩和措置を受けるために設けられたものでもあり、スペースの半分はオープンレストラン(ブッフェレストラン・アプローズ)として営業されていることから、スタジオとしての使い勝手は非常に悪いといわれている。スタジオが2階以上に設置されているのも、これらと関係がある[29]。新車情報の収録ではレストランの営業時間帯に行うこともあった。それによる雑音が原因で三本和彦は番組の降板を決めたという。
- 第1スタジオ(2F - 中3F、HD、69坪)
- saku saku[HD]、カルチャーSHOwQ〜21世紀テレビ検定〜[HD]、オンガクのDNA[HD]、Hi!横濱編集局[HD]、コンシェルジュ神奈川[HD]、Just Japan[HD]、岡崎五朗のクルマでいこう![HD]、KICK OFF F・Marinos[HD]などさまざまな番組を収録するメインスタジオ。サブ、カメラなどはすべて新規購入(マルチフォーマット対応)。カメラは3台(「カルチャーSHOwQ」はハンディカメラを含めて4カメから5カメで収録)。
- このようにメインスタジオが2階にあるが、他局の新社屋のように大規模エレベータ[注 29]や搬入路[注 30]が存在しない。そのため、例えば「新車情報」のように自動車をスタジオに搬入したり、大規模大道具が搬入できないなどの問題[注 31]がある。しかし、そのような番組の収録については1階のヨコハマNEWSハーバーで行えば良いと判断し、あえて設置しなかった経緯があるものの、その1階も(あくまでスタジオではないことから)大規模搬入口はないが、国産の中型自動車まではギリギリ何とか搬入可能な間口は取られており、観音開きの二重ロック式防音扉が装備されている。
- 第1スタジオ副調整室(サブ、3F)
- 第2スタジオ(2F、HD)
- tvk NEWSハーバー[HD]、ニュース930[HD]。2スタは当初減価償却の問題もあり、山下町の2サブおよび2スタ・SEAスタジオの設備を移設(カメラに設置されていたプロンプターも山下町社屋で使用されていたものを移設)して運用していたが、2007年5月末からHD対応機器への更新工事のため一旦閉鎖し、同作業完了後の2007年7月30日よりHD対応スタジオ・サブとして使用を再開した。
スタジオ内には3台のカメラがあり、すべてプロンプター(HD画角)装着の無人カメラ(2サブからリモートコントロールにて駆動)である。 - 第2スタジオ副調整室(サブ、2F。第2スタジオに隣接)
- 第3スタジオ(2F、SD)※仮設のため現存せず
- 2スタ及び2サブ工事のため、2007年7月にスタジオロビーに仮設されていた。セットは2スタに設置してあったものを移設して対応。tvk NEWSハーバー、高校野球ニュース2007で使用された。サブはマスターサブ(一部番組では1サブ)を使用。
- 主調整室(マスタールーム、3階)
- 第4スタジオ(4F、HD)
- 報道制作・編成フロア内にあるオープンスタジオ。実質的に報道専用の顔出しブースである。名称の由来は4階にあるので4スタと呼ばれているに過ぎない。サブはマスターサブ(HD対応)を使用するが、4スタを実質的に駆動しているサブは4スタのデスク横に設置されている簡易送出設備(SD、2011年9月まで。後述)である[注 32]。
- 稼働以来、山下町旧社屋の機材を移設して対応していたため、SD画質・画角4:3での放送となり、報道のHD取材映像も強制的にSD4:3にダウンコンバートされていたが、2011年9月24日から設備の更新工事に入り、同年10月3日よりHD機材に更新した上で運用を再開した[30]。
tvkニュース、tvkスポットニュースなどで使用。
これら通常のスタジオ及びスタジオに準じる設備で制作・放送されていた番組がある一方で、「LOVE CHR」(終了)、「YOKOHAMA MUSIC EXPLORER」(終了)など、第1会議室で収録している番組もあった。
余談だが、現本社(横浜メディア・ビジネスセンター)に移転する前までは放送関連部署以外(営業部など)は旧本社(山下町旧社屋)とは別の場所での業務だった。1995年9月まではシルクセンターなど数ヶ所に分散、1995年10月以降は旧本社から近くの横浜クリードビル。これらは旧本社が手狭だったため。そのため、TVK本社演奏所は「放送センター」と呼び、シルクセンター内の業務室やクリードビルは「業務センター」の呼称だった。
社史・記念誌[編集]
- テレビ神奈川35年史 tvk the 35th anniversary 1972-2007(テレビ神奈川・編)2007年12月発行、215ページ。
関連施設[編集]
- ヨコハマNEWSハーバー(横浜メディア・ビジネスセンター1F)
- 関内ホール(横浜市からの管理業務委託)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ エリア図によると、伊豆半島東部沿岸及び駿東郡小山町、御殿場市などで視聴可能とされている。
- ↑ 直接受信可能地域以外の沼津市、富士市、富士宮市のほか、中部である静岡市清水区の旧庵原郡蒲原・由比町域
- ↑ 新聞のテレビ欄表記も「TVKテレビ」から「tvk」に変更されたが、毎日新聞のテレビ欄では「tvk」に改称後もしばらくの間は「tvkテレビ」として表記されていた。また、放送では余り紹介されないが、本社移転後、ウェブサイト、あるいは横浜スタジアム、日産スタジアムや等々力陸上競技場でのJリーグの試合での広告看板には「tvkテレビ神奈川」という正式局名が表示されることもある
- ↑ 制作局の千葉テレビのほか、テレビ埼玉、とちぎテレビ、群馬テレビ、KBS京都に2011年から2012年までネットしていた。番組終了した2013年は千葉テレビのみで放送していた。
- ↑ 千葉テレビでは『シュウチャンのお気楽道中』のタイトルで毎週土曜日に(2012年8月まで放送)、テレビ埼玉では『よかにせどん de DON』のタイトルで月1回放送している。
- ↑ 千葉テレビは『チバテレビカラオケ大賞21』(1982年放送開始)・『カラオケトライアルIII』(放送開始当時のタイトルは『スーパーカラオケ』として1983年放送開始)、テレビ埼玉は『カラオケ1ばん』(1984年放送開始)、とちぎテレビは『うたの王様』、群馬テレビは『カラオケチャンネル』(2009年放送開始だが、カラオケ番組は『群馬テレビカラオケ大賞』が1981年放送開始して以降タイトルなどを変えつつ継続)が自社制作のカラオケ番組として存在する。
- ↑ 1992年-1995年は長崎県、熊本県、鹿児島県を特別活動地域(ホームタウンに準じる地域で、この3県では天皇杯を除くJリーグ主催の公式戦では優先的にフリューゲルスが主管できた)としており、年半数は九州遠征に充てていたため、TVKが中継する試合は、当該地区のANN系列(長崎文化放送、熊本朝日放送、鹿児島放送)と共同製作(キー局はTVKで、上掲3局は技術協力扱い。ただし実況は上掲3局のアナウンサーが担当)という形を取った。
- ↑ 茨城県には独立放送局が存在せず、アントラーズ戦主催試合の中継は1995年ごろまであったが、茨城県では南西部などの一部を除いて直接受信は困難でケーブルテレビでの再配信(地上波・または当時実施されたCS利用)を利用する以外に視聴できなかった。ディレクTVの廃止によるサービス終了(2000年9月)以後、茨城県でのケーブルテレビでの配信はリバーシティ・ケーブルテレビの1局のみとなるも、2004年を持って配信を廃止。事実上茨城県の南西部のごく一部を除いて視聴不可能となったが、その後土浦ケーブルテレビ(J:COM茨城)、結城ケーブルテレビで一部のみであるが配信を再開している。またこのころ、ひたちなか市民球場で横浜ベイスターズの主管試合が行われてそれが中継されたこともあった。現在、茨城県の多くのケーブルテレビ局では、隣県の千葉テレビの配信が多い
- ↑ 独立放送局では、放送する番組がない早朝や午後の時間帯を「放送休止時間帯」として、カラーバーのみ(無音状態のままであったり、レコードなどをBGMとしてかける)や完全に停波して所謂「砂嵐」状態とするところが多かったが、TVKはそれをせず、「放送休止時間帯」をプロモーションフィルムやプロモーションビデオなどを放送する時間帯とした。
- ↑ この番組は、キー局系列に属している全国の地方局からも注目を浴び、一部の地域では番組購入によってネットされていた。
- ↑ 1981年(昭和56年)3月20日(収録は3月5日東京・蒲田日本工学院専門学校3号館ホール)「曲目:(1)終わりなき疾走・(2)反抗期・(3)陽のあたる場所・(4)明日なき世代」として、ファイティング80'sに出演。
- ↑ 1975年(昭和50年)6月22日(日)荒井由実with松任谷正隆&ハイ・セッション・バンド「曲目:(1)コバルトアワー・(2)ルージュの伝言・(3)恋のスーパーパラシューター・(4)ベルベットイースター・(5)雨のステーション・(6)12月の雨。」(メンバー:荒井由実(VO)、松任谷正隆(Key)、松原正樹(G)、重田某(DS)、吉田某(B)、吉田美奈子&吉原真紀子(Cho))として、ヤングインパルスに出演。
- ↑ 1975年(昭和50年)7月13日(日)出演。曲目:(1)雨は手のひらにいっぱい・(2)いつも通り・(3)今日はなんだか。「メンバー:山下達郎(VO,G,Key)、大貫妙子(VO,Key)、村松邦男(VO,G)、上原裕(DS)。
- ↑ 開始当初の番組名は「電リクワイド・ファンキートマト」。後に番組が月曜に移動になり、スタジオがTVK第1スタジオから、東京・数寄屋橋(銀座)のソニービル(内のイベントスペース「ソミド」)へ移動した頃には、番組名も「ファンキートマト'8X(放送されていた年の西暦下2桁)」へと変化していった。
- ↑ 当時は、日本テレビ系列で全国展開していた各種のイベント(日本民謡大賞など。高校サッカーも含まれるが、これは現在も継続)に対して、各県大会の主催・協力局として名を連ねていた。
- ↑ 株式会社アート宝飾前社長、なお現社長の六川勝仁は大会企画宣伝委員長、また同局の「放送番組審議会」副委員長を務める。
- ↑ 1995年2月11日試験放送を開始、同年5月1日から本配信開始
- ↑ CATV向けにアナログで配信していたプラットフォームがスーパーバードB号(スカイポート)であった流れによるもの。スカイポートTVの局は全てディレクTVに移行している。
- ↑ 現本社であるこのビルをもってtvkはテナントビルに入居したと評されることもあるが、土地は神奈川新聞社所有、建設は神奈川新聞社とtvk、横浜産業振興公社との共同事業体なので、テナントビル入居というのは誤りである。
- ↑ しかし、2007年度にTOKYO MXに再び抜かれている。
- ↑ tvkではUHFアンテナが2本必要になる場合があるとの文言を表示していた。
- ↑ これを機に大部分の4:3制作番組もレターボックスを付けた状態での放送に移行した。また、従来通り4:3全画面表示を行う番組も、右上にアナログロゴのルミナンススーパーは常時表示を行う形になった。
- ↑ テレビ神奈川本社スタジオのうち、スポットニュースを放送する第4スタジオ(報道部内の顔出しブース兼ミニスタジオ)に限っては機材のHD化更新が遅れ、HD取材映像も4スタ出しの場合は強制的にサイドカットされSD4:3画像となるなどしていたが、2011年9月24日より改修工事が行われ、同年10月3日から機材がHD対応のものへと更新された。これにより、テレビ神奈川本社すべてのスタジオがHD化されたこととなり、同時に報道番組の送出においても完全HD化となった。
- ↑ 横浜スタジアムでのベイスターズ戦中継については、ベイスターズの関連会社経由でTBSテレビが制作した映像を購入した上で、テレビ神奈川が独自でアナウンサー及び解説者を用意する他、ユニ(独自)カメラを球場内に入れることで放送している。
- ↑ 現状、テレビ神奈川ではHDによるスポーツなど中〜大規模中継番組の制作時には外部技術会社からHD中継車や機材をレンタルしている
- ↑ テロッパーは山下町社屋末期に更新したものを移設して長らく使用していたが、2011年4月からHD対応の機材に更新。なお、気象情報を表示するための端末も山下町末期に更新したものが移設され長らく使用されてきたが、2010年6月からHD対応の最新機種へと更新されている。
- ↑ 鎗田のナレーションを使用していた期間中、TVKは「ティーブイケイ」や「ティーヴィーケイ」ではなく、「ティービーケーテレビ」と発音していた。
- ↑ オープニング・エンディングともに、中継局テロップは、途中にアナアナ変換によるチャンネル表示の変更が何度かあった。
- ↑ ここで言う「大規模エレベータ」とは、4トントラック程度が収容・積載できる程度のもの。在京・在阪局で1階など外の道路に面さないスタジオを持つ局には設置されているようであるが、テレビ神奈川の現社屋には設置されていないという。
- ↑ 具体例をあげると、フジテレビの本社がそれにあたる。フジテレビはスタジオが本社3階に設置されているため、併設の美術倉庫も3階にあることから、そこへトラックなどの運搬車両が直接乗り入れられるような搬入路が設置されている。なお、フジテレビの場合はそれらの運搬車両の退出をスムーズに行えるよう、美術倉庫内に転回用のターンテーブルも設置されている。
- ↑ ただし、スタジオで大規模美術セットを使用する場合には、外部の美術会社作業場などで、予め搬入しやすい大きさで製作し、美術倉庫もしくはスタジオ内でつなぎ合わせてセッティングを行うことで、搬入は可能である。
- ↑ これにより、SD機材での送出時には、スポットニュースの冒頭とエンディングに映し出されるベイブリッジカメラの映像のみがHD送出されるという異質な送出形態となっていた。
出典[編集]
- ↑ 「TVKスーパーステーション」は、試験配信時の名称。「Ch-Yokohama」は一時期だけ「Ch-Y」と省略名を用いた事もあった。
- ↑ 週刊ダイヤモンド 2007年6月2日号、tvkについては2009年改編に伴う最新の数字。また2008年度よりTOKYO MXは本格的にマルチ編成を開始した事に伴い、自社制作率は大幅にアップしている。
- ↑ 1976年(社)日本民間放送連盟(JBA)「連盟賞(JBA Award 1976)放送活動部門 テレビ放送活動」 入選作品。なお、ダークダックスはこの番組でギャラクシー賞を受賞した。
- ↑ NPO法人 放送批評懇談会 第14回ギャラクシー賞 受賞作品
- ↑ 2012年6月19日(火)「ありがとッ!」内で正式に発表。
- ↑ ニュースリリース 40時間特別番組概要(PDF)
- ↑ ヨコハマ経済新聞2012年9月7日(火)記事
- ↑ 横浜日独協会 ホームページ
- ↑ 映画『第4の革命-エネルギー・デモクラシー』オフィシャル・サイト
- ↑ 安田菜津紀 オフィシャル・ホームページ
- ↑ 株式会社シェアするココロ ホームページ
- ↑ アカデミック・リソース・ガイド株式会社 ホームページ
- ↑ NPO法人 原千晶 よつばの会 オフィシャル・ホームページ
- ↑ アナウンサーズ・マガジン 三浦綾子ブログより 2012年8月24日(金)記事
- ↑ 女子大生リボンムーブメント オフィシャル・ホームページ
- ↑ 黒岩祐治 オフィシャル・ブログ 今日のひとこと2012年7月22日(水)記事
- ↑ ユアーズガーデン ホームページ
- ↑ アナウンサーズ・マガジン 根岸佑輔ブログより 2012年8月28日(火)記事
- ↑ ピットメディア・マーケティングス社 オフィシャル・ホームページ
- ↑ (財)国際生態学センター ホームページ
- ↑ どんぐりドリーム大作戦 オフィシャル・ホームページ
- ↑ ママモ・エンターテインメント オフィシャル・ホームページ
- ↑ tvkの局キャラクター「カナガワニ」と新垣里沙 かながわ観光親善大使に任命!! 2012年11月21日 tvkニュースリリース(PDF)
- ↑ 24.0 24.1 テレビ神奈川編著 『テレビ神奈川35年史 tvk the 35th anniversary 1972-2007』 テレビ神奈川、2007年。
- ↑ 日付上は、2004年5月10日午前0時
- ↑ このキャッチフレーズは、一時、朝6時台に放送された天気予報のタイトル(お天気テレビ〜ニョ)に使用された事があった。
- ↑ 秦野市ホームページ「平成23年度秦野市長施政方針」より一部引用。
- ↑ 総務省関東総合通信局 デジタル中継局開局情報(神奈川)藤野中継局 開局予定事案記載
- ↑ 2012年4月13日(金)放送の情報番組「ありがとッ!」内で、小田原北条五代祭りの告知のため出演した阿藤快がその後、同レストラン内で食事を取るシーンがそのままOAされた。
- ↑ 更新工事の開始日及び更新後の運用開始日については、テレビ神奈川報道部の公式ツイッターによる。
関連項目[編集]
- テレビ神奈川番組放送一覧
- テレビ神奈川アニメ番組放送一覧
- UHFアニメ一覧
- tvkコミュニケーションズ
- tvkハウジング
- 首都圏トライアングル
- 東名阪ネット6
- 5いっしょ3ちゃんねる
- 神奈川新聞
- 読売新聞
- 東京新聞(中日新聞)
- 横浜DeNAベイスターズ
- 横浜エフエム放送
外部リンク[編集]
- tvk
- tvkコミュニケーションズ
- tvk-bb.tv
- tvkショップ
- tvkチケットカウンター
- ヨコハマNEWSハーバー
- tvkハウジングプラザ横浜
- ブッフェレストラン アプローズ
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