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従来車の代替を目的として、1983年から1996年にかけて制御電動車モハ1000形1001 - 1007・制御車クハ1500形1501 - 1507の計14両が新製された、遠鉄初の3扉構造を採用したロングシート車である。 | 従来車の代替を目的として、1983年から1996年にかけて制御電動車モハ1000形1001 - 1007・制御車クハ1500形1501 - 1507の計14両が新製された、遠鉄初の3扉構造を採用したロングシート車である。 | ||
2015年4月20日 (月) 22:12時点における版
遠州鉄道株式会社(えんしゅうてつどう、英称:Ensyu Railway Co., Ltd)は、静岡県浜松市で鉄道路線1路線と、静岡県遠州を中心としたバス事業を運営している会社である。関連事業として不動産・保険・介護事業も営む。略称は遠鉄(えんてつ)。本社は浜松市中区に所在し、鉄道営業所は浜松市東区西ヶ崎町686-1(遠州西ヶ崎駅構内)にある。
かつては鉄道路線として中ノ町線、笠井線、奥山線も有していたが、現在は鉄道線(旧称:西鹿島線/二俣線)が残るのみである。また浜松市街では幾度か路線変更が行われている。
乗合バス事業の詳細は「遠鉄バス」を、貸切バス・旅行事業の詳細は「遠鉄観光」を参照のこと。
目次
歴史
- 1907年(明治40年) - 浜松鉄道株式会社(初代)設立。
- 1908年(明治41年) - 浜松鉄道株式会社が大日本軌道株式会社に吸収され浜松支社となる。
- 1909年(明治42年) - 中ノ町線(遠州馬込駅 - 中ノ町駅)開業。
- 同年 - 鹿島線(後の二俣線、現:鉄道線)開業。
- 1911年(明治44年) - 浜松軽便鉄道株式会社設立。
- 1914年(大正3年) - 笠井線(遠州西ヶ崎駅 - 笠井駅)開業。
- 同年 - 浜松軽便鉄道が元城駅 - 金指駅間で開業。
- 1915年(大正4年) - 浜松軽便鉄道株式会社が浜松鉄道株式会社(2代目)に社名変更。
- 1919年(大正8年) - 遠州軌道株式会社設立。大日本軌道浜松支社の路線を継承。
- 1921年(大正10年) - 遠州軌道株式会社が遠州電気鉄道株式会社に社名変更。
- 1923年(大正12年) - 二俣線(現:鉄道線)を改軌・電化。
- 同年 - 浜松鉄道全線開業。
- 1925年(大正14年) - 中ノ町線・笠井線を浜松軌道株式会社として分離。
- 1927年(昭和2年) - 二俣線(現:鉄道線)全線開業。
- 同年 - 浜松軌道株式会社が浜松電気鉄道株式会社に社名変更。
- 1937年(昭和12年) - 浜松電気鉄道 中ノ町線廃止。
- 1943年(昭和18年)11月1日 - 遠州電気鉄道株式会社など6社が合併し遠州鉄道株式会社設立[1]。
- 1944年(昭和19年) - 浜松電気鉄道 笠井線廃止。
- 1947年(昭和22年)5月1日 - 浜松鉄道株式会社を合併し、同社の路線を奥山線(遠鉄浜松駅 - 奥山駅)とする[1]。
- 1963年(昭和38年)5月1日 - 奥山線(気賀口駅 - 奥山駅)廃止。
- 1964年(昭和39年)11月1日 - 奥山線全線廃止。
- 1985年(昭和60年)12月1日 - 鉄道線新浜松駅 - 助信駅間高架化(遠州馬込駅廃止)[1]。
- 1986年(昭和61年)12月1日 - 浜松市交通部の事業撤退に伴う市営バス路線の移管が完了[1]。
- 2015年(平成27年)1月1日 - 浜松観光バスを合併。
鉄道事業
現有路線
廃止路線
分社した路線も含む。
車両
ここでは鉄道線(西鹿島線)以外のものについては割愛する。奥山線の車両は「遠州鉄道奥山線#使用車両」を参照。
現有車両
旅客用車両として30形電車・1000形電車・2000形電車の3形式が在籍する。全車ともスパニッシュレッドの車体に白とグレーのラインが入った塗装で統一されている。この塗装は1983年から新製された1000形より採用されたものであるが、それ以前より赤系統の塗装が標準色であったことから、遠鉄の車両を指して「赤電」とも称される[2]。なお、現有車両に関しては形と表記するが読みはがたではなくけいである。
地方の中小私鉄においては大手私鉄より譲り受けた車両によって車両近代化を実施する例が多く見受けられるが、鉄道線(西鹿島線)における旅客用車両は電化開業当時から最新の2000形に至るまで、自社発注のオリジナル車両で占められている点が特筆される。その他共通事項としては、貫通路形状が30形モハ51-クハ61をのぞく全車とも「キノコ型(T字型・営団6000系電車などの原形と類似した形状)」である点が挙げられる。
車両の向きは制御車(クハ)が西鹿島向き、制御電動車(モハ)が新浜松向きで各形式とも統一されており、30形(モハ25・モハ51)・1000形・2000形の制御電動車(モハ)は弱冷房車に設定されている。製造メーカーは各形式とも日本車輌製造である。
30形
車両近代化ならびに旧型車の代替を目的として、1958年から1980年にかけて制御電動車モハ30形18両(モハ25 - 39・51)・制御車クハ80形12両(クハ61・79・80 - 89)の計30両が新製された。
全車とも2扉ロングシート構造であり、大幅な前面形状改良が加えられた最終増備編成をのぞいて湘南型の前面形状で統一されている。客用扉は1,200mm幅の片開扉とされたが、モハ30-クハ80以降1,400mm幅の両開扉に改められ、それに伴って窓配置にも変化が生じた。その他、前面アンチクライマーならびに行先表示幕の有無や運転台構造(初期車は半室運転台構造であり、後期車より全室運転台に改められた)の差異など、製造年次別による形態の差異が存在する。初期車には前面の排障器が装備されていなかったが、後の増備車に合わせて取り付ける改造が施されている。第一編成は後の増備車と比べて車体長が若干短いという特徴が見られた。
車体塗装は当初グリーンとクリーム色のツートンカラーであったが、踏切事故対策として1961年12月よりスカーレット一色塗装に改められた。この塗装は以降の増備車ならびに従来車にも普及し、「赤電」の愛称の由来となった[2]。後年1000形に準じた塗装に変更され、現在に至る。
完全新製車と従来車の機器を流用して新製された車両(以下「機器流用車」)が存在し、モハ29・36 - 39ならびにクハ79・86 - 89が後者に該当する。最終的には全車とも2両編成(36 - 39はモハ同士の全電動車編成、その他はモハ-クハの組み合わせによるMT編成)を組成したが、増備の途上においてはモハのみ・クハのみを新製して編成替えを行うなどされたことから、落成当初とは異なる編成相手と組成された車両も多く、モハとクハで形態が大きく異なる編成も存在する。
また、増備の途上において車両番号(車番)が30番台・80番台には収まらなくなったことから、モハ30形についてはモハ39の次に増備された車両をモハ30と付番し、以降モハ29・28・27といった具合に逆順で車番が付されている。また、クハ80形についてはモハ30形同様の付番方式によってクハ89・80・79まで増備されたのち、ラストナンバーは空番となっていたクハ85が付番された。さらに最終増備編成についてはモハ51-クハ61と、従来車とは全く関連性のない車番が付されている。
主要機器については完全新製車と機器流用車で異なり、完全新製車についても製造年次による変化があるものの、モハ51-クハ61をのぞいて全車とも吊り掛け駆動方式で統一されている。モハ25-クハ85は1978年に新製されているが、同編成は遠鉄のみならず、完全新製の旅客用車両としては日本国内の普通鉄道においてノーズ・サスペンション方式の吊り掛け駆動方式を採用した最後の車両である[3]。なお、モハ51-クハ61は遠州鉄道初のカルダン駆動車として新製された。ただし、前述吊り掛け駆動車を含めて制動装置はWABCO系の自動空気ブレーキで統一されており、制御装置の動作シーケンスの一部に互換性はない[4]が指令線は共通化されているため、駆動方式や制御装置の差異に関係なく併結が可能である。また、モハ36 - 39をのぞいて全車とも停止用発電制動を常用し、減速時においても吊り掛け駆動独特の唸り音が生じる。
当初は非冷房仕様で増備が進められたが、前述モハ25-クハ85ならびにモハ51-クハ61は落成当初より冷房装置を搭載し、非冷房車についても順次冷房改造が実施された。新製冷房車が分散型冷房装置を1両当たり3基搭載しているのに対し、冷房改造車は集中型冷房装置を1両当たり1基搭載している点が異なる。また、冷房改造施工時期と廃車時期が重複していたことから、冷房改造を受けることなく廃車となった車両も存在する。
1980年以降廃車が開始され、2015年2月現在モハ25-クハ85・モハ51-クハ61の2編成4両のみ在籍する。本形式は制動方式等の相違から後述1000形・2000形とは併結不可能であるため、ラッシュ時における4両編成運用に充当される際には本形式同士による4両編成を組成する。2015年1月にモハ27-クハ89編成が退役し、これにより片開きドアと半室構造の運転台、トーションバー台車を装備した車両がすべて姿を消し、同線に残る吊り掛け駆動車はモハ25-クハ85の一編成を残すのみとなった。
1000形
従来車の代替を目的として、1983年から1996年にかけて制御電動車モハ1000形1001 - 1007・制御車クハ1500形1501 - 1507の計14両が新製された、遠鉄初の3扉構造を採用したロングシート車である。
前述車体塗装とともに車体形状も一新され、30形とは異なり全体的に直線を基調としたデザインとされている。前面形状は中央部分を大きく取った3面折妻形状で、上下にそれぞれ後退角を設けている。大型化された前面窓内側には電動式の大型行先表示幕が設置されている。前照灯ならびに後部標識灯は1つのケースに収められて左右腰部に設置され、台枠部分にはアンチクライマーを有する。側面は3扉化に伴って窓配置がd1D3D3D1となったほか、客用扉幅が1,300mmに縮小された。また、30形においては腰部に設置されていた側面行先表示幕が幕板部に移設され、前面と同様電動幕となったことによって、30形における「新浜松⇔西鹿島」といった終起点表示方式から行先を単独表示する仕様に改められた。その他、側窓のユニット構造化ならびに客用扉のステンレス化といった改良が加えられている。
主要機器の仕様は30形モハ51-クハ61のそれを踏襲しているが、空気制動装置が遠鉄において初採用となる電気指令式ブレーキ(発電制動併用HRD-1D)に変更された関係で、モハ51-クハ61を含む従来車との併結は不可能となった。冷房装置は30形新製冷房車同様に分散型冷房装置を1両当たり3基搭載するが、冷房装置カバーが3基の冷房装置を覆う一体形状に改められた点が異なる。
本形式は末尾同番号のモハ・クハで2両編成7本を組成し、4両編成運用時においては本形式同士のほか、後述の2000形との併結運用も行なわれる。
2000形
遠州鉄道2000形電車 を参照
事業用車両
現有旅客用車両諸元
形式 | 30形 モハ30形・クハ80形 |
1000形 モハ1000形・クハ1500形 |
2000形 モハ2000形・クハ2100形 | |
---|---|---|---|---|
70px | 70px | |||
編成 | 2両(1M1T)[5] | |||
電気方式 | 直流750V | |||
軌間 | 1,067mm | |||
営業最高速度 | 70km/h | |||
全長 | 18,820mm[6] | 19,000mm | ||
全幅 | 2,740mm | 2,730mm | ||
主電動機 | 日本車輌製造 NE-90[7] | 東洋電機製造 TDK-8095-A | 三菱電機 MB-5081A | |
主電動機出力 | 112kW[7] | 120kW | ||
台車 | トーションバー台車 日本車輌製造 ND507 インダイレクトマウント式空気ばね台車 日本車輌製造 ND306[8] |
ダイレクトマウント式空気ばね台車 ND309・ND309T |
ダイレクトマウント式空気ばね台車 ND309・ND309T[9] ボルスタレス台車 ND711・ND711T[10] |
ボルスタレス台車 ND728・ND728T(円錐積層ゴムバネ) ND746・ND746T(軸梁式) |
駆動方式 | 吊り掛け駆動 | 中空軸平行カルダン駆動 | WN駆動 | |
歯車比 | 4.38[7] | 5.31 | 7.07 | |
力行制御 | 2S2P永久直並列抵抗制御 弱め界磁制御 |
抵抗制御 直並列組合せ制御 弱め界磁制御 |
VVVFインバータ制御 | |
制御装置 | - | 東洋電機製造 ACDF-M4120-777B |
三菱電機 MAP-124-75V187[11] | |
制動方式 | 発電制動併用 中継弁付自動空気制動 AMAR-D[12] |
発電制動併用 電気指令式空気制動 HRD-1D T車遅れ込め制御 |
回生制動・発電制動併用 電気指令式空気制動 HRDA-1 T車優先遅れ込め制御 | |
備考 | データはモハ51・クハ61 |
過去の車両
- モハ1形 - 1923年 日本車輌製造本店製。当時の遠州電気鉄道が改軌・電化の際に導入。
- サハ101形
- モハ6形
- モハ11形
- モハ13形
- モハ15形 - 1953年7月 ナニワ工機(のちアルナ工機→現:アルナ車両)製。
- モハ21形 - 1956年6月 ナニワ工機製。
- モハ22形 - 1957年7月 ナニワ工機製。
- クハ51形
- クハ53形
- クハ61形
- クハ71形
- モワ200形
- レカ1形
- キハ800形
- ED21形
車両数の変遷
年 | モハ21 | モハ30 | クハ80 | モハ1000 | クハ1500 | モハ2000 | クハ2000 | 計(冷房車) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982-1983 | 1 | 15 | 11 | 27(4) | ||||
1984-1985 | 13 | 11 | 1 | 1 | 26(6) | |||
1986 | 11 | 11 | 2 | 2 | 26(8) | |||
1987 | 11 | 11 | 2 | 2 | 26(10) | |||
1988 | 11 | 11 | 2 | 2 | 26(20) | |||
1989 | 10 | 10 | 3 | 3 | 26(22) | |||
1990-1993 | 9 | 9 | 4 | 4 | 26(24) | |||
1994 | 9 | 9 | 5 | 5 | 28(26) | |||
1995-1996 | 8 | 8 | 6 | 6 | 28(28) | |||
1997-1998 | 7 | 7 | 7 | 7 | 28(28) | |||
1999 | 7 | 7 | 7 | 7 | 1 | 1 | 30(30) | |
2000-2001 | 6 | 6 | 7 | 7 | 1 | 1 | 28(28) | |
2002-2004 | 6 | 6 | 7 | 7 | 2 | 2 | 30(30) | |
2005-2006 | 5 | 5 | 7 | 7 | 3 | 3 | 30(30) |
- 事業用車除く
- 1982・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
- 『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール
駅・改札設備
鉄道線では磁気式の乗車券を導入していないため、磁気券を読み取る方式の自動改札機は存在しない。ICカード「ナイスパス」のカードリーダー、および駅係員・車掌の改集札で対応している。
無人駅や、有人駅で係員が不在の時間帯では車掌や運転士が改集札に当たり、全降車客のナイスパスの読み取り及び乗車券の回収を行なう。しかし4両編成での運転時は無人駅にも職員が派遣され、降車客の集札にあたる。
これは4両編成の場合、編成長が約70mと長く、車掌と運転士による集札だけでは時間がかかり発車が遅れてしまうためである。単線で12分間隔の運転という高密度なダイヤで運行しているため、発車が遅れてしまうとダイヤ全体への影響が出てしまう。
自動券売機は各駅に2台以上が全駅に設置されている。
新浜松・遠州西ヶ崎・西鹿島を除く各駅には、ホームに番号がついていない。相対式ホームでは行先の案内で目的のホームを判断し、片面ホームや島式ホームでは列車の方向幕によって乗車する列車を判断することになる。
新浜松には発車メロディが、遠州病院(ラッシュ時のみ使用)、西鹿島には発車ベルが導入されているほか、接近放送が導入されている駅では接近メロディが流れる。なお中間駅では基本的には乗務員の手笛により発車する。
バス事業
一般路線バス・高速バス事業
本節の詳細は「遠鉄バス」を参照のこと。
なお、1997年12月25日に浜松市は全国初の「オムニバスタウン」に指定されている。
貸切バス・ツアーバス・旅行事業
本節の詳細は「遠鉄観光」を参照のこと。
特徴的な施策
基本的にはバスの施策は「遠鉄バス」にて、鉄道線の施策は「遠州鉄道鉄道線」にて述べるが、ここでは、両者に共通する事項を述べる。なお、ETカードやナイスパス、えんてつカードなど、各種カードに関連する事項は当該記事を参照のこと。
- 1998年7月1日に、浜松市のオムニバスタウン施策を受け、浜松市内外を問わず、バス・電車全線では同日より初乗り運賃を150円(バス)・120円(電車)から一斉に100円に引き下げた[13]。この際、バスでは100円区間の次が160円などと飛ぶことの無いよう、120円 - 150円の間にも10円単位で運賃を設定した[14]。これは、全国的に利用者が減少基調にある公共交通における、利用者増の実験を兼ねたものだが、バスでは9%の利用者増、鉄道線では3%(?)の利用者増と、実験は成功した。ただし双方共利用者は増えたものの値下げにより運賃収入は減っている。なお、初乗り運賃引き下げ自体は飽くまでも試験運用ではなく当初から本格運用として実施された。これは日本初の事例である。現在でも初乗り100円が継続実施されているほか、高速バスや空港リムジンバスを除く路線バスでは運賃区界の増設や上限運賃630円(2014年4月1日に650円に改定)制定が実施されたため、100円 - 630円の範囲内において、110円[15]を除くすべての運賃が10円単位で制定されていた[16]が、2014年4月1日からの消費増税に伴い鉄道線では150円 - 460円の区間において10円、路線バスでは170円 - 490円の区間において10円、500円 - 630円の区間において20円値上げされたため、現在では110円のほかに170円、510円とも設定されていない。
- 車内LED案内表示器の設置されていない30系電車を除く、すべての鉄道線車両・一般路線バス車両・e-wing車両・コミュニティバス車両において、見えるラジオを受信しておりニュースや天気予報などを流している。このほか、広告等も流れる。詳細は、「遠鉄バス#LED表示器」を参照。
関連事業
遠鉄ではメインの鉄道・バス事業を補完するため、本体で国内企画旅行(運輸事業部)・不動産[1]・保険代理業[2]・介護サービス事業[3]といった関連事業を直営しているほか、浜松市を中心に運輸・流通・観光事業など15の関連会社を擁し、企業集団「遠鉄グループ」を形成している。キャッチコピーは「地域とともに歩む、遠鉄グループ」。
遠鉄ストア(2011年(平成23年)3月期売上高409.44億円[1])と遠鉄百貨店(2011年(平成23年)2月期売上高324.73億円[1])は本体を上回る売上を上げているほか、ネッツトヨタ浜松も2011年(平成23年)3月期売上高169.55億円[1]を上げるなど連結の営業成績の多くを関連事業で稼ぎ出している。
2008年9月1日よりグループ共通のポイントカード「えんてつカード」が運用開始となった。また、テレビCMも放映され、三重県出身の歌手西野カナの『stamp』という曲が使われている。
株主は特記なければ遠州鉄道(株)。
- 遠鉄アシスト株式会社(人材派遣)[1]
- 遠鉄観光開発株式会社(観光事業)[1] - 浜名湖パルパル(遊園地)、ホテル九重・ホテルウェルシーズン浜名湖(旅館)、かんざんじロープウェイ(索道)、浜名湖オルゴールミュージアム、華咲の湯(日帰り温泉)
- 遠鉄建設株式会社(総合建設)[1]
- 遠鉄システムサービス株式会社[1](システムインテグレーター)
- 株式会社遠鉄自動車学校(自動車教習所)[1]
- 株式会社浜松自動車学校(自動車教習所)[1]
- 株式会社遠鉄ストア(スーパーマーケット)[1]
- 遠鉄石油株式会社(ガソリンスタンドなど)[1]
- 遠鉄タクシー株式会社(タクシー)[1]
- 株式会社遠鉄トラベル(旅行代理店)[1]
- 株式会社遠鉄百貨店(百貨店)[1] - 高島屋との提携
- 株式会社遠鉄百貨店友の会 - (株)遠鉄百貨店100%出資子会社[1]。
- 株式会社トヨタレンタリース浜松(レンタカー・カーリース) - 遠州鉄道(株)とネッツトヨタ浜松(株)がそれぞれ50%ずつ出資[1]。
- ネッツトヨタ浜松株式会社(自動車ディーラー)[1]
- 株式会社ホテルコンコルド浜松(旅館業)[1]
参考文献
- 『世界の鉄道'76』、朝日新聞社、1975年
- 『鉄道ピクトリアル No.431 1984年4月臨時増刊号』、電気車研究会、1984年
- 『鉄道ピクトリアル No.652 1998年4月臨時増刊号』、電気車研究会、1998年
- 『鉄道ファン No.274 1984年2月号』、交友社、1984年
脚注
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 1.20 1.21 1.22 遠州鉄道株式会社 第99期有価証券報告書 (Report). 遠州鉄道. (2011-6-29).
- ↑ 2.0 2.1 浜松市立中央図書館『西鹿島線の歴史展』資料、1996年。
- ↑ 日本国内の普通鉄道におけるバー・サスペンション方式の吊り掛け駆動方式の採用例としては、1983年製造の江ノ電1200形が最後となる。なお、日本国内における最後の完全新製の吊り掛け駆動旅客用車両は1990年製造の近鉄モ277形である。
- ↑ モハ51形は1 - 3ノッチで抵抗制御と組み合わせ制御を、他のモハ30形は抵抗制御のみ行う。4ノッチはどちらも弱め界磁制御を行う。
- ↑ 30形のうち、モハ29をのぞく機器流用車は全電動車編成(2M編成)を組成した。
- ↑ モハ31・クハ81は17,820mm、モハ35は18,830mm
- ↑ 7.0 7.1 7.2 過去においては日本車輌製造NE-55(出力68kW、歯車比5.85)・東洋電機製造TDK-528-9H(出力112kW、歯車比3.71)・TDK-528-16J(出力135kW、歯車比4.33)の各主電動機を搭載した車両も存在したが、現存する車両は全車NE-90で統一されている。
- ↑ 過去においては、日本車輌製造ND501・ND506トーションバー台車、ならびに日本車輌製造D-16・木南車輌製造K-16・住友製鋼所KS-33E・国鉄TR11(いずれも釣り合い梁式台車)を装着した車両も存在した。後年の台車交換ならびに廃車進捗に伴って、これらの台車はすべて淘汰された。
- ↑ 1001・1002編成が装着。
- ↑ 1003編成以降が装着。
- ↑ モハ2004以降に搭載。
- ↑ 発電制動を持たない機器流用車(モハ36 - 39)の制動装置はM三動弁を採用したAMM自動空気制動であった。
- ↑ 遠州鉄道株式会社 有価証券報告書 第96期(平成19年4月1日 ‐ 平成20年3月31日)9頁より
- ↑ 鉄道線では初乗り120円/4kmのうちの2kmを100円に値下げした形である。
- ↑ なお、消費税が3%から5%に上がった1997年4月1日までは鉄道線の初乗りは110円だった。
- ↑ もちろんバス停間距離により10円単位では上がらないことも多い。