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日本における海水浴の習慣は、[[鎌倉時代]]初期に現在の[[愛知県]]大野海岸で医療の一環として「塩浴」が行われていたのが記録上の起源といわれる。その根拠は、[[鴨長明]]が訪れ、「生魚の御あへもきよし酒もよし大野のゆあみ日数かさねむ」と詠んでいるからだという。 | 日本における海水浴の習慣は、[[鎌倉時代]]初期に現在の[[愛知県]]大野海岸で医療の一環として「塩浴」が行われていたのが記録上の起源といわれる。その根拠は、[[鴨長明]]が訪れ、「生魚の御あへもきよし酒もよし大野のゆあみ日数かさねむ」と詠んでいるからだという。 | ||
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[[横浜市]][[金沢区]]の富岡八幡宮の前の浜は明治維新のころ横浜の山手・本牧に居留した外国人の娯楽の場所となった。[[ローマ字]]で著名な眼科医[[ヘボン]]博士 (Dr. James Curtis Hepburn) が、富岡海岸の水質がよいことから海水浴を奨励した。[[1881年]]ころに「海水浴場神奈川縣廰」という標識が建てられたという。しかしこれは外国人専用だったらしい。 | [[横浜市]][[金沢区]]の富岡八幡宮の前の浜は明治維新のころ横浜の山手・本牧に居留した外国人の娯楽の場所となった。[[ローマ字]]で著名な眼科医[[ヘボン]]博士 (Dr. James Curtis Hepburn) が、富岡海岸の水質がよいことから海水浴を奨励した。[[1881年]]ころに「海水浴場神奈川縣廰」という標識が建てられたという。しかしこれは外国人専用だったらしい。 |
2012年9月2日 (日) 14:29時点における版
海水浴場(かいすいよくじょう)とは、海水浴をしたり、砂浜で砂遊び等を行うための海岸である。遠浅の砂浜で、比較的波が少ない浜辺が適している。
歴史
近代医学に基づき、それなりの療養施設を設けた「海水浴場」が設置されるのは、産業革命により中産階級(ブルジョワ)が社会をリードする18世紀中頃のイギリスからだった。
記録によるヨーロッパ最古の海水浴場は、1740年、イングランド東部、北海沿岸のスカーバラだったといわれる。
次いで1754年、イギリスの医師リチャード・ラッセルが、イングランド南部ドーバー海峡に面するブライトンに海水療法療養所を開設し、大変有名になった。1982年、明治政府の使節団がこのブライトン海浜保養地を視察している。
ドーバー海峡の対岸、ディエップにフランス最古の海水浴場が開設されたのは1767年で、ベルギー、オランダがこれに続く。
1793年にはフリードリッヒ・フランツⅠ世がバルト海沿岸のハイリゲンダムにドイツ最古の海水浴場を設立した。19世紀には地中海に展開する。
日本における海水浴の習慣は、鎌倉時代初期に現在の愛知県大野海岸で医療の一環として「塩浴」が行われていたのが記録上の起源といわれる。その根拠は、鴨長明が訪れ、「生魚の御あへもきよし酒もよし大野のゆあみ日数かさねむ」と詠んでいるからだという。
1858年、江戸幕府は諸外国と修好通商条約締結した。この条約の中で外国人の行動範囲を横浜の場合は六郷川以西、開港場から10里以内に制限していた。この横浜居留の外国人の行動を制限する居留地制度が撤廃されるのは、1899年7月17日のことである。江戸時代から観光地だった鎌倉・江の島はこの範囲に含まれていたため、明治維新以来、来遊する外国人も多く見られた。彼らの中には美しい海を見て海水浴を試みる者もあった。
最古の記録は、フランスの法律家ジョルジュ・ブスケの著した『日本見聞記Ⅰ』である。それによると、1872年8月に「カタシエ(片瀬)で夕食前に海水浴をする。翌日我々は馬に乗って6時に藤沢に着く」とある。
続いて1876年夏、フランスの東洋学者エミール・ギメが片瀬の海で海水浴をしたが、電気クラゲに刺されて岸に戻ったという。
米国の生物学者エドワード・モース博士はシャミセンガイ研究のために江の島に臨海実験場を開設したが、1877年8月11日の日記に「同行の帝国大学の外山教授や松村助手らと江の島の海で海水に浴す」とある。
しかし、この地の海水浴場開設に大きな影響を与えたのは医師エルヴィン・フォン・ベルツである。1879年7月6日の『ベルツの日記』によれば、「海水浴場適地を探索するため横浜から馬車で江の島に来訪」し、翌年7月13日の日記には「鍋島侯爵の子ども2人を片瀬へ海水浴に送る」と出てくる。
また、1883年、暁星学校の教職員(アルフォンス・ヘンリック神父らフランス人、米国人、日本人)が片瀬で海水浴したという。
横浜市金沢区の富岡八幡宮の前の浜は明治維新のころ横浜の山手・本牧に居留した外国人の娯楽の場所となった。ローマ字で著名な眼科医ヘボン博士 (Dr. James Curtis Hepburn) が、富岡海岸の水質がよいことから海水浴を奨励した。1881年ころに「海水浴場神奈川縣廰」という標識が建てられたという。しかしこれは外国人専用だったらしい。
以後、海水浴場が各地に開設されるようになる。「日本最古の海水浴場」を標榜するところを編年順に列記する。
- 1880年 - 沙美海岸(岡山県倉敷市玉島)に医師=坂田侍園の薦めで、海水浴による療養施設の為の仮小屋が建設される。
- 1881年 - 兵庫県須磨海岸にオランダ人医師W・ハイデンによって医療目的の海水浴場が設置される。
- 1881年 - 医師だった後藤新平が愛知県千鳥ヶ浜に海水浴場を開く。
- 1982年 - 沙美海岸に本格的な海浜病院を建て、村営海水浴場開設。
- 1982年10月9日 - 三重県伊勢市二見町の立石浜、オランダ人の医師ポンペからオランダ医学を学んだ初代軍医総監の松本順によって日本最古の海水浴場として国に指定。
- 1884年 - 三重県二見の旧二見館前に海水浴場が移設され、二見館に海水温浴設備が設けられる。
- 1885年 - 内務省初代衛生局長=長与専齋のすすめにより鎌倉由比ヶ浜の三橋旅館が海水浴場を開設したことを東京横浜毎日新聞で広告。
- 1885年 - 軍医総監の松本順が、健康法の一つとして神奈川県の大磯海岸照ヶ崎海岸を海水浴場に認定。当時は「湯治」のように、ただ海水につかったりあがったりを繰り返すだけだったようだ。しかし、まもなくレジャーとして発展し、1898年に発表された『鐵道唱歌』には、「海水浴に名を得たる、大磯見えて波涼し」の歌詞が見られる。
海水浴場の維持
「遠浅の砂浜」が無い所でも、大量の砂を運び入れ、強引に白砂の砂浜を演出しているところもある。代表的な例はハワイのワイキキビーチで、本来、火山性の黒い砂やレキが広がる海岸線を日本風にいうところの白砂青松に造り替えている。
1980年代以降の日本では、砂浜が後退傾向になり、離岸堤の設置や養浜などを行う海水浴場は増えている。
日本の海水浴場
夏ともなると、家族連れやグループがやってきて、海の家と呼ばれる、軽食等の提供、海水浴用品のレンタル、一時休憩所を兼ねる店が開かれることが多い。 現在では単に海水浴だけではなく、大きな海水浴場では各種のイベント等が行われることがある。
安全な海水浴を行なうために、地元自治体や商店街等が、砂浜の整備(ゴミ拾いなど)を行なったり、安全に遊泳を行なうための区域を整理したり、監視員を配置したりしている。近年はライフセーバーが常駐するところも増えている。 また、海水浴シーズンの前には必ず保健所による水質検査が行われ、大腸菌が検出された場合には閉鎖される。これは、大腸菌自体に害があることを必ずしも意味せず、大腸菌が存在するから他の有害な菌も存在する可能性が高いので危険と判断されるのである。
アメリカの海水浴場
アメリカでも海水浴は、夏場の身近なレジャーの一つだが、近年、汚水などで汚染された海水浴場が増加。2009年7月29日にアメリカ環境保護団体NRDCが行った発表によれば、遊泳禁止や閉鎖に追い込まれた海水浴場は2万件を超えるとされている。