「瀬川昌耆」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(新しいページ: ''''瀬川 昌耆'''(せがわ まさとし、安政3年4月17日1856年5月20日) - 大正9年(1920年12月21日)は、[[小児科学|...')
 
 
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
1行目: 1行目:
'''瀬川 昌耆'''(せがわ まさとし、[[安政]]3年[[4月17日]]([[1856年]][[5月20日]]) - [[大正]]9年([[1920年]])[[12月21日]])は、[[小児科学|小児科]][[学者]]、[[医学博士]]。瀬川小児病院初代院長。
+
'''瀬川 昌耆'''(せがわ まさとし、[[安政]]3年[[4月17日]]([[1856年]][[5月20日]]) - [[大正]]9年([[1920年]])[[12月21日]])は、[[小児科学|小児科]][[学者]]、[[博士 (医学)|医学博士]]。瀬川小児病院初代院長。
  
 
== 略歴 ==
 
== 略歴 ==
31行目: 31行目:
  
 
==家族親族==
 
==家族親族==
 +
* 5世祖:瀬川元浩(1758年没) - 医者
 +
* 高祖父:瀬川丈庵(1804年没) - 医者
 +
* 曾祖父:瀬川淘以(1830年没) - 医者
 +
* 祖父:瀬川淳庵(1867年没) - 医者
 +
* 父;瀬川昌蔵(1909年没) - 医者
 
* 子:[[瀬川昌世]] - 医学博士、瀬川小児科病院2代院長、[[古市公威]](男爵・工学博士)の娘婿
 
* 子:[[瀬川昌世]] - 医学博士、瀬川小児科病院2代院長、[[古市公威]](男爵・工学博士)の娘婿
 
* 子:[[瀬川昌春]]
 
* 子:[[瀬川昌春]]
40行目: 45行目:
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
[http://www.segawa-clinic.jp/index.htm 瀬川小児神経学クリニック]
 
[http://www.segawa-clinic.jp/index.htm 瀬川小児神経学クリニック]
 +
 +
== 出典 ==
 +
* [http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』]
  
 
{{DEFAULTSORT:せかわ まさとし}}
 
{{DEFAULTSORT:せかわ まさとし}}

2009年12月20日 (日) 03:32時点における最新版

瀬川 昌耆(せがわ まさとし、安政3年4月17日1856年5月20日) - 大正9年(1920年12月21日)は、小児科学者医学博士。瀬川小児病院初代院長。

略歴[編集]

著書[編集]

  • 1888年(和暦??年) - 『病家必携』 瀬川昌耆
  • 1893年(和暦??年) - 『学校衛生法綱要』 瀬川昌耆
  • 1904年(和暦??年) - 『学校衛生』 金港堂
  • 1906年(和暦??年) - 『実験上の育児』 新橋堂
  • 1912年(和暦??年) - 『胃癌と胃病』 広文堂書店
  • 1912年(和暦??年) - 『身体強壮法』 広文堂
  • 1913年(和暦??年) - 『最新育児のをしへ』 至誠堂書店
  • 1914年(和暦??年) - 『最新小児病手当法』 至誠堂書店
  • 1916年(和暦??年) - 『病児及虚弱児の養育法』 新橋堂書店
  • 1933年(和暦??年) - 『茶の湯釜』 瀬川昌世(編纂) 至誠堂書店

訳著[編集]

  • 1884年(和暦??年) - 『小児病各論』 瀬川昌春

監修[編集]

  • 1884年(和暦??年) - 『病名便覧』 黒沢惟則(編纂) 静水堂

家族親族[編集]

  • 5世祖:瀬川元浩(1758年没) - 医者
  • 高祖父:瀬川丈庵(1804年没) - 医者
  • 曾祖父:瀬川淘以(1830年没) - 医者
  • 祖父:瀬川淳庵(1867年没) - 医者
  • 父;瀬川昌蔵(1909年没) - 医者
  • 子:瀬川昌世 - 医学博士、瀬川小児科病院2代院長、古市公威(男爵・工学博士)の娘婿
  • 子:瀬川昌春
  • 次女:瀬川順子 - 小池正晁(男爵・医学博士)妻
  • 孫:瀬川功 - 瀬川小児科病院3代院長
  • 曾孫:瀬川昌輝 - (株)昌平不動産総合研究所 社長
  • 曾孫:瀬川昌也 - 医学博士、瀬川小児神経学クリニック院長

外部リンク[編集]

瀬川小児神経学クリニック

出典[編集]