「イトーヨーカ堂」の版間の差分
細 (→創業の歴史: テンプレ修正対応) |
細 (「イトーヨーカ堂」の保護を解除しました: 不当な長期保護) |
||
(5人の利用者による、間の8版が非表示) | |||
36行目: | 36行目: | ||
|19=Ito-Yokado_Okayama.jpg | |19=Ito-Yokado_Okayama.jpg | ||
|20=岡山店([[岡山県]][[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]) | |20=岡山店([[岡山県]][[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]) | ||
+ | |11d= | ||
}} | }} | ||
創業は[[1920年]](大正9年)。現名誉会長・伊藤雅俊の母親・伊藤ゆきの弟にあたる吉川敏雄が、[[東京市]][[浅草区]](現:東京都[[台東区]][[浅草]])に「'''羊華堂洋品店'''」を開業したのが始まり。吉川が未年生まれであることと、当時、銀座で繁盛していた日華堂の華の字から命名した。この羊華堂が非常に繁盛したため、吉川と14歳の差がある伊藤譲が手伝い始め、浅草、[[千住]]、[[荻窪 (杉並区)|荻窪]]に3店舗あるうちの浅草の一店をのれん分けされる。 | 創業は[[1920年]](大正9年)。現名誉会長・伊藤雅俊の母親・伊藤ゆきの弟にあたる吉川敏雄が、[[東京市]][[浅草区]](現:東京都[[台東区]][[浅草]])に「'''羊華堂洋品店'''」を開業したのが始まり。吉川が未年生まれであることと、当時、銀座で繁盛していた日華堂の華の字から命名した。この羊華堂が非常に繁盛したため、吉川と14歳の差がある伊藤譲が手伝い始め、浅草、[[千住]]、[[荻窪 (杉並区)|荻窪]]に3店舗あるうちの浅草の一店をのれん分けされる。 | ||
138行目: | 139行目: | ||
=== 他のセブン&アイグループ店舗に転換 === | === 他のセブン&アイグループ店舗に転換 === | ||
− | + | [[File:Ito-Yokado_Akita_branch_20070503.jpg|thumb|200px|閉鎖前の秋田店(2007年5月3日)]] | |
− | + | ||
− | + | ||
− | + | ||
− | + | ||
− | + | ||
− | + | ||
− | | | + | |
− | + | ||
==== 秋田県 ==== | ==== 秋田県 ==== | ||
* 秋田店(1980年(昭和55年)開店<ref name="yomiuri-np-2010-1-16-1">飯田真優子(2010年1月16日). “ヨーカドー秋田店 撤退へ”. [[読売新聞]](読売新聞社)</ref><ref name="akita-sakigake-np-2011-7-20">“10月中旬めどに閉店 イトーヨーカドー秋田店、21日からセール”.[[秋田魁新報]](秋田魁新報社). (2011年7月20日)</ref> - 2010年(平成22年)10月11日閉店<ref name="akita-sakigake-np-2011-10-11">“30年の歴史に幕 ヨーカドー秋田店が閉店”.[[秋田魁新報]](秋田魁新報社). (2011年10月11日)</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/tohoku/akita/101013/akt1010130303000-n1.htm イトーヨーカドー閉店 秋田]産経新聞 2010年10月15日閲覧</ref>)→[[フォンテAKITA]] | * 秋田店(1980年(昭和55年)開店<ref name="yomiuri-np-2010-1-16-1">飯田真優子(2010年1月16日). “ヨーカドー秋田店 撤退へ”. [[読売新聞]](読売新聞社)</ref><ref name="akita-sakigake-np-2011-7-20">“10月中旬めどに閉店 イトーヨーカドー秋田店、21日からセール”.[[秋田魁新報]](秋田魁新報社). (2011年7月20日)</ref> - 2010年(平成22年)10月11日閉店<ref name="akita-sakigake-np-2011-10-11">“30年の歴史に幕 ヨーカドー秋田店が閉店”.[[秋田魁新報]](秋田魁新報社). (2011年10月11日)</ref><ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/tohoku/akita/101013/akt1010130303000-n1.htm イトーヨーカドー閉店 秋田]産経新聞 2010年10月15日閲覧</ref>)→[[フォンテAKITA]] |
2020年1月13日 (月) 01:09時点における最新版
株式会社イトーヨーカ堂(イトーヨーカどう、英称:Ito-Yokado Co., Ltd.)は、関東地方を中心に24都道府県に店舗をもつゼネラルマーチャンダイズストア (GMS) 「イトーヨーカドー」を運営する会社。セブン&アイ・ホールディングスの子会社であり中核企業である。
目次
概要[編集]
社名は「イトーヨーカ堂」だが、店舗名では「イトーヨーカドー」あるいは「Ito Yokado」と表記しており、報道などの略称では「ヨーカドー」とも呼ばれることがある。上場されていた頃は証券市場では「イトヨーカ」と表記されることが多かった。英語表記の頭文字を取って、「IY(アイ・ワイ)」とも呼ばれる。
出店方針としては、セブン-イレブンと同様にドミナント戦略をとっており、全国展開を優先しているイオンや以前のダイエーと対照的である。このような効率的な経営が他社より高い利益率を生んでおり、特に南関東エリアには1都3県ではザ・プライスやアリオも含めると121店と多数の店舗を持つ。一方、その1都3県と北海道以外、10店舗以上出店している府県はない。
北陸3県(富山県、石川県、福井県)、山陰地方、四国地方、九州・沖縄地方には店舗が存在せず、出店予定も白紙である。また首都圏および北海道以外は各府県で数店舗しか出店していないため、関東地方とそれ以外の地域とで、知名度に大きな開きがある。特に近畿地方以西の23府県では2府4県に計14店舗、人口規模の大きい大阪府・兵庫県でもアリオを含めても9店舗しか出店しておらず、かつ近畿地方進出が1986年(昭和61年)で比較的遅かったことから、西日本での知名度は低い。だが、日本テレビの情報番組「ZIP!」にてサントリーと7時台中盤隔日スポンサーを務めていることから、当番組が放送されない佐賀県(ただし殆ど福岡放送で視聴可能)・宮崎県・沖縄県を除く全国でイトーヨーカドーのCMが放送されている。
2014年(平成26年)9月現在、新潟県内の株式会社丸大の店舗を含めて日本国内に183店舗を展開している。そのうち田無店では衣料品のみの取扱いで、小型店舗や食品館、一部のザ・プライスでは食料品と日用品のみの取り扱いとなる。また南松本店と新百合ヶ丘エルミロードのテナントである新百合ヶ丘店は、衣料品および住関連商品をイトーヨーカドーが取扱い、食料品については、南松本店ではアルピコグループの食品スーパー「アップルランド」[1]、新百合ヶ丘店では小田急グループの小田急商事が運営するスーパー「Odakyu OX」が取り扱う[2]。
独立系企業だが、かつての三井銀行(現・三井住友銀行)と縁が深い。三井物産とは物流などの面で提携関係にあり、共同でダイエーの再建に名乗りをあげた。また、2005年にはショッピングセンター (SC) 開発会社「株式会社モール・エスシー開発」を三井物産と共同出資で設立し、従来あまり注力していなかった大型ショッピングセンター事業を本格展開、「Ario(アリオ)」として各地で開業している。
創業の歴史[編集]
創業は1920年(大正9年)。現名誉会長・伊藤雅俊の母親・伊藤ゆきの弟にあたる吉川敏雄が、東京市浅草区(現:東京都台東区浅草)に「羊華堂洋品店」を開業したのが始まり。吉川が未年生まれであることと、当時、銀座で繁盛していた日華堂の華の字から命名した。この羊華堂が非常に繁盛したため、吉川と14歳の差がある伊藤譲が手伝い始め、浅草、千住、荻窪に3店舗あるうちの浅草の一店をのれん分けされる。 譲の弟・雅俊は、市立横浜商業専門学校(現:横浜市立大学)卒業後、当時の三菱鉱業(現:三菱マテリアル)に就職。入社後すぐに、陸軍特別甲種幹部学校に入校し陸軍士官を目指したが、敗戦を迎え三菱鉱業に復帰。空襲で焼け出されたゆきと譲は、足立区千住で羊華堂を再開。1946年(昭和21年)、雅俊も三菱鉱業を退社し、羊華堂を手伝うことになる。
1948年(昭和23年)、譲が「合資会社羊華堂」を設立して法人化した。1956年(昭和31年)、気管支喘息の持病を患っていた譲社長が死去し、雅俊が経営を引き継いだ。1958年(昭和33年)、「株式会社ヨーカ堂」に移行(後の株式会社伊藤ヨーカ堂)。1971年(昭和46年)3月1日に、株式の額面変更のために「川越倉庫株式会社」(1913年(大正2年)設立)から改称した「株式会社イトーヨーカ堂」が「株式会社伊藤ヨーカ堂」を吸収合併した。ハトの図柄のコーポレートアイデンティティ (CI) も同時に採用した。
この法人(旧法人)による事業が長く続いた後、旧法人と持株会社の資本関係適正化のため(セブン&アイ・ホールディングスに詳しい)、旧法人が会社分割(新設分割)を行い2006年(平成18年)3月1日に当社が設立、旧法人のほぼすべての事業を承継した。
- 資本金 400億円(2010年(平成22年)2月現在)
- 店舗数 191店(2010年(平成22年)5月末現在)
持株会社への移行[編集]
GMSの中ではトップの利益率だったが、2003年(平成15年)度、2004年(平成16年)度ともにイトーヨーカ堂本体の売上高・営業利益がイオンに抜かれた。また、子会社だったセブン-イレブン・ジャパンに収益力・株式時価総額で逆転されていた。グループ全体では依然として流通業界トップの売上高・営業利益だったため非常に買収の標的にされやすい状況にあった。この時期、同様の状況にあったニッポン放送がライブドアによる買収の標的となっている。
これらの改革として、2005年(平成17年)9月1日にセブン-イレブン・ジャパンおよびデニーズジャパンと共同で「セブン&アイ・ホールディングス」を設立し、持株会社傘下でそれぞれ対等な子会社となった。これによってセブン-イレブンからの配当収益が受けられなくなり、単独での収益改善を迫られることとなる。最高経営責任者の鈴木敏文は、この経営統合はイトーヨーカ堂の改革のためだと、持株会社発足時の会見で述べている。
また店舗看板も「セブン&アイ・ホールディングス」の図柄に変更された。イトーヨーカ堂のCIとしての鳩マークも廃止されておらず、公式サイト内やチラシでは現在も引き続き併用されている。
日本国外への展開[編集]
2010年(平成22年)5月現在、中華人民共和国北京市に2社10店舗、四川省成都市に1社4店舗を展開している。2005年の中国における反日活動の際に店舗が被害を受けたものの、現地人などから「腐った商品が陳列されていない」という理由から人気が高い。1店舗当たりの年間売り上げは、約80億円と国内店舗に肩を並べ今後も急成長する可能性がある。
2008年(平成20年)4月には出店拡大の会見をした。2009年(平成21年) 内に新規出店分であっても日本国内の店舗のようにセブンアンドアイホールディングスのロゴではなく、鳩のロゴが吊り上げられている。
沿革[編集]
- 1920年(大正9年) - 「羊華堂洋品店」が東京府東京市浅草区(現:東京都台東区浅草)に開業。
- 1958年(昭和33年)4月 - 株式会社に改組、株式会社ヨーカ堂設立。
- 1965年(昭和40年)6月 - 社名を株式会社伊藤ヨーカ堂とする。
- 1970年(昭和45年)10月 - 株式額面変更の準備として川越倉庫株式会社の社名を株式会社イトーヨーカ堂に変更する。現社名と同じ社名だが、この法人は2006年(平成18年)3月1日に被合併会社として消滅している。
- 1971年(昭和46年)3月 - 株式会社イトーヨーカ堂が株式会社伊藤ヨーカ堂を吸収合併して、株式額面変更完了。
- 1972年(昭和47年)9月 - 東京証券取引所市場第2部に上場する。
- 1973年(昭和48年)7月 - 東京証券取引所市場第1部に指定替えを受ける。
- 1977年(昭和52年) - 新潟県の百貨店丸大と業務提携。後にイトーヨーカドー丸大となり現在に至る。
- 1986年(昭和61年) - 近畿地方初進出の店舗、堺店を出店する。
- 1997年(平成9年)11月21日 - 中国四川省に成都伊藤洋華堂有限公司の第1号店として「成都イトーヨーカドー店」を開業[3]。
- 2001年(平成13年)3月1日 - ネットスーパー「アイワイネット」を開設[4]。
- 2005年(平成17年)9月1日 - イトーヨーカ堂、セブン-イレブン・ジャパン、デニーズジャパンの3社で株式移転により持株会社・セブン&アイ・ホールディングス設立。これに伴いイトーヨーカ堂は8月26日に上場を廃止し、新持株会社の100%子会社となった。
- 2006年(平成18年)3月1日 - グループ再編手続きでイトーヨーカ堂に交付されたセブン&アイ株をセブン&アイに移転させるため、従来のイトーヨーカ堂をセブン&アイに吸収合併した。これに先立ち、同日に事業会社たる新会社の「株式会社イトーヨーカ堂」を会社分割により設立。
- 2006年(平成18年)6月1日 - これまで神奈川県厚木市内の生鮮センターで扱っていた神奈川県・静岡県全店舗と八王子市内店舗における生鮮・青果部門の輸送を分割し、横浜市中央卸売市場南部市場内に「横浜青果センター」を開設。
- 2007年6月 - 東京都・埼玉県内店舗における生鮮・青果部門の輸送を分割し、大田市場内に「大田青果センター」を開設。
- 2007年9月 - 総合スーパーが運営するネット通販では最大規模となる、約10万点の商品を取り扱うショッピングサイトを開始。注文した商品については、全国のセブン-イレブンで送料・手数料無料で受け取れる。同サイトは2010年(平成22年)12月8日にセブンネットショッピングに吸収合併された。
- 2008年(平成20年) - nanacoを各店舗に順次導入。
- 2010年(平成22年)8月18日 - 神奈川県警察本部が2005年に輸入した中国産冷凍ウナギ蒲焼の食品衛生法違反事件で社員数名を逮捕[5]。
- 2010年(平成22年)10月1日 - 東京都杉並区・阿佐ヶ谷駅前に小型スーパーマーケット1号店を開店。2010年(平成22年)度中に駅ビルや居抜き出店で東京23区内に約10店舗を開店させる予定と発表した[6]。
- 2011年(平成23年)12月16日 - 「エスパ松本」が「アリオ松本」に改装変更された[7]。
- 2012年(平成24年)3月1日 - エスパ昭島・我孫子・川崎の3店舗がイトーヨーカドーに転換[8][9]。これによりエスパは消滅し、旧我孫子店は我孫子南口店と改名。
店舗[編集]
現在の店舗[編集]
2012年(平成24年)3月現在、日本に179の店舗がある。
現行店舗については、イトーヨーカドー&ザ・プライス&アリオ共通店舗の案内を参照
過去に存在した店舗[編集]
この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。後は適当に頑張って下さい。 |
- ×は現在建物が解体された店舗。
「ザ・プライス」に転換し、営業中の店舗[編集]
「ザ・プライス」転換後の店名はイトーヨーカドー時代と同一である。(川口駅前店を除く)
東京都[編集]
- 西新井店(足立区[10]、2008年8月24日閉店、同年8月29日変更[10][11])
- 千住店(2009年7月20日閉店、同年7月25日変更) - イトーヨーカドー第一号店ということで、転換後もイトーヨーカドーの看板も残している。
埼玉県[編集]
- 川口駅前店(→ザ・プライス川口店)(川口市[10]、?開店 - 2008年(平成20年)11月閉店、同月14日変更[10]) - アリオ川口店と自社競合していたが、こちらは食品館と専門店中心だった。
- 売り場面積約1,590m²[10]。
- 西川口店(川口市[10]、2009年(平成21年)3月22日閉店、同年3月26日変更[10])
- 売り場面積約1,580m²[10]。
- 蕨店(蕨市[10]、?開店 - 2009年(平成21年)4月12日閉店、同年4月17日変更[10])
- 売り場面積約5,390m²[10]。
- 東松山店(東松山市[10]、?開店 - 2009年(平成21年)4月19日閉店、同年4月24日変更[10])
- 売り場面積約6,780m²[10]。
- せんげん台店(?開店 - 2006年(平成18年)1月15日閉店、2009年(平成21年)11月20日建替開業) - 旧敷地と周辺敷地に、セブンタウンせんげん台を開設。
- 越谷店 2011年ごろ~2012年ごろにかけて、店舗の解体工事が行われ、その後Mr Max越谷店が建った。
千葉県[編集]
神奈川県[編集]
- 滝山店(2009年(平成21年)7月12日閉店、同年7月17日変更)
「ザ・プライス」に転換した後、閉店した店舗[編集]
北海道[編集]
千葉県[編集]
- (初代)鎌ヶ谷店×(鎌ヶ谷市、?開店 - 2009年(平成21年)3月16日閉店、同年3月20日変更[13])
- イトーヨーカドー→閉鎖→食品館→ザ・プライスと変遷していた。2012年(平成24年)4月20日をもって、「ザ・プライス」が入居していた「鎌ヶ谷ショッピングプラザ」自体が建物の老朽化を理由に閉鎖。
- 建物は解体し、同じ場所に「食品館イトーヨーカドー鎌ケ谷店」や100円ショップ「ダイソー」、衣料品店「ファッションセンターしまむら」などが入居する「ショッピングプラザ鎌ヶ谷」が2013年(平成25年)11月22日に開業した[17]。
神奈川県[編集]
他のセブン&アイグループ店舗に転換[編集]
秋田県[編集]
フォンテAKITA も参照
宮城県[編集]
栃木県[編集]
- 鹿沼店×(?開店 - 2006年(平成18年)11月末閉店[26])
長野県[編集]
過去に存在したイトーヨーカ堂の店舗[編集]
北海道[編集]
- 月寒店(札幌市、?開店 - 2001年(平成13年)6月[29]10日閉店)
- 北四十二条店(札幌市、1977年(昭和52年)10月27日開店[30] - 2007年(平成19年)1月[31]14日閉店)
- 新川店(札幌市北区新川2-7[32]、1990年(平成2年)2月15日開店[32] - 2013年(平成25年)9月16日閉店[33])
- (初代)帯広店(帯広市西三条南9丁目[37]、1975年(昭和50年)4月26日開店[38] - 1998年(平成10年)11月9日閉店[37][39])
イトーヨーカドー帯広店 も参照
- 帯広地方裁判所跡地に帯広市が建設した立体駐車場やバスターミナル[40]と一体的に設計された[41]鉄骨鉄筋コンクリート造り地下1階・地上6階建てのビルに出店していた[42]イトーヨーカドーの北海道1号店である[43]。
- 1970年代から1990年代にかけては当店は約100m離れた場所に立地している藤丸と共に中心市街地の商店街の核となり[44]、帯広市中心部の「歩行者通行調査」で当店北側入り口の通行量は毎年1位となる位の集客力を発揮し[37]、総合スーパーと百貨店という業態の違いから買い物客も使い分けて相乗効果を発揮しているといわれていた[45]。
- このため、帯広市中心市街地の2000年(平成12年)7月の歩行者通行量は当店の閉店前の1998年(平成10年)7月から平日で18%、休日でも15%も減少するなど、当店の移転に伴う閉店は中心市街地の集客力を落とす大きな要因の一つとなった[44]。
- 後継店舗としてラルズやニトリ、フクハラなどが候補に挙がったが何れも実際の出店には至らず、2014年現在も空き店舗のままである。
- 江別店(1978年(昭和53年)開店[46] - 2007年(平成19年)1月[31]21日閉鎖)→イオンタウン江別ショッピングセンター
- 店舗内にあるロッテリアと、前にある宝くじコーナーのみが営業を継続。同年11月30日にマックスバリュ→ザ・ビッグを核テナントにした「イオンタウン江別ショッピングセンター」として再開された。
- 大麻店(?開店 - ?閉店)
- 千歳店(千歳市勇舞[48](旧・北信濃841[49])、2000年(平成12年)11月1日開店[49] - 2009年(平成21年)2月28日閉店[50])
- 苫小牧店(苫小牧市木場町[52]、1978年(昭和53年)6月6日開店[53] - 2010年(平成22年)1月11日閉店[53])
- JR苫小牧駅北口の[54]苫小牧市木場町に出店し[52]、最盛期の2002年(平成14年)には売上高約100億円を上げていたが[55]、2005年(平成17年)4月下旬にイオン苫小牧ショッピングセンターや千歳市のアウトレットモール「レラ」が開業した影響を受けて集客と売り上げが減少し[56]、2005年(平成17年)から4年間で約15億円の赤字となって2008年(平成20年)には売上高約42億円へ落ち込んだため閉店となった[55]。
- 敷地面積約14,794m²[52]、鉄筋コンクリート造り地上7階・地下1階建て延べ床面積約約35,346m²[52]。売り場面積約17,200m²[53]。
- 店舗跡は閉店前年にはビル管理運営会社の東京に本拠を置くジョーンズラングラサールとや札幌市に本拠を置くランドブレインが後継店舗の招致を進め[57]、家具と雑貨販売のスイートデコレーションを運営する長谷川グループが2階部分の核店舗となる方向で調整が進んでいたが[57]、実現せず空き店舗の状態が続いた[52]。
- 結局後継店舗が入居しないまま土地・建物の2011年(平成23年)9月2日に4300万円で大東開発へ売却されることになった[52]。
- 建物は大東開発によって取り壊され[54]、ベガスベガスが出店することになった[54]。
東北地方[編集]
青森県[編集]
岩手県[編集]
- 北上店(?開店 - 2000年(平成12年)1月30日閉店)→テナントビル「おでんせプラザ ぐろーぶ」
福島県[編集]
- (初代)郡山店×(旧店舗、1969年(昭和44年)開店[64] - 1988年(昭和63年)[65]1月20日閉店)→うすい第1駐車場
- 白河店(1971年(昭和46年)10月開店[67] - 2002年(平成14年)5月[68]26日閉鎖)→地元スーパー「主婦の店サンユー」(2003年(平成15年)9月3日開店 - 2005年5月31日閉鎖)→地元スーパー「わしお」(2005年6月17日開店 - 2007年10月17日閉鎖)→白河市のコミュニティ施設「マイタウン白河」
- いわき植田店×(1975年(昭和50年)[69]10月開店 - 2006年(平成18年)[69]9月18日閉店)
関東地方[編集]
この記事の出典が知りたいと言っていた人がいたようです。 |
群馬県[編集]
- 前橋店(前橋市表町2丁目[72]、1987年(昭和62年)9月開店[73] - 2010年(平成22年)8月16日閉店[74][75])
- JR前橋駅北口にある[76]敷地面積は約6,900m²に建設された地下1階・地上7階建て延べ床面積約42,400m²(約770台収容の立体駐車場を含む)に出店していた[73]。店舗の建物は地元前橋市の曽我製粉が75.81%で残りの24.19%を東武鉄道が区分所有する共同のビルとなっている[73]。
- 2007年9月25日で賃貸借契約が切れた際には契約が更新されたが[73]、中心市街地の空洞化や競合する相次ぐ大型ショッピングセンターの進出で売り上げが伸び悩み[73]、2010年(平成22年)8月16日に閉店となった[75]。
- 閉店直前の2010年(平成22年)8月にスズラン百貨店(1階の約1,500m²)とフレッセイ(地下1階の約2,640m²)という地場資本の百貨店とスーパーが出店する新たな商業施設が後継店舗となる構想が発表されたが[75]、採算面の問題から同年10月に白紙撤回となった[77]。
- 商業施設の再生を手がける「やまき」が[78] 、2012年(平成24年)5月に15年の定期借家契約を締結し[79]、「富士通フロンテックシステムズ」も入居する事務所と店舗などからなる複合施設「エキータ」として[77]同年11月15日に新装開業した[72]。
エキータ も参照
栃木県[編集]
- 栃木店×(?開店 - 2000年(平成12年)2月13日閉店、跡地は駅前区画整理により解体)
- (初代)宇都宮店(?開店 - 2004年(平成16年)9月26日閉鎖(現在はカルナ、ダイソーなどが入居する複合商業ビルである)
- 足利店(足利市田中町[81]、?開店 - 2006年(平成18年)9月[81]18日閉店)
茨城県[編集]
- (初代)土浦店×(土浦市大和町[83]、1973年(昭和48年)6月開店[83] - 1997年(平成9年)閉店[84])
- (2代目)土浦店(土浦市大和町ウララ1内[83]、1997年(平成9年)10月2日開店[84] - 2013年(平成25年)2月17日午後8時閉店[86][87])
- 約68億円で土浦駅前再開発ビル「ウララ1」の保留床を取得し[83]、地下1階から4階に[88]初代店舗から移転する形で開店し[83][84]、開業当初は売上高約89億円を上げた[83]。
- しかし、自動車社会の進展やそれに合わせた郊外型ショッピングセンターの進出などの影響を受けて1998年(平成10年)に西友土浦店[86]、1999年(平成11年)に小網屋[86]、2004年(平成16年)に丸井土浦店と当店と共に駅周辺の商業の中核を担っていた大型店が相次いで閉店し[86]、当店が直営売り場を持つ最後の大型店となるなど商環境が大きく変化したため[87]、売上が低迷して閉店となった[86]。
- 当店の閉店と同時に同居していた「ウララ1」の専門店26店のうち18店も閉店している[86]。
- 店舗跡は土浦市が購入して[88]2013年(平成25年)2月28日に引き渡しをされ[83]、2015年(平成27年)5月にも市役所の本庁舎移転をする計画が進められている[88]。(取得額14億8000万円)
- 2013年(平成25年)7月15日から2014年(平成26年)2月末までの期間で1階部分にスーパーマルモ(店舗面積260m²)など38店舗が営業する『ウララマルシエ』(店舗面積2,240m²)が営業を行っているが[88]、市役所移転後にも食品売り場の設置を求めることが多いことから、商業施設も同居させる方向で調整が進められている[89]。
- 取手店× (?開店 - 2001年(平成13年)1月31日閉店[90])
- 2001年(平成13年)4月27日にマルエツが地下1階に入り、他に衣料品や飲食店、100円ショップなどの専門店で構成する複合商業ビルが開業した[91]。2005年3月にマルエツ閉店後、2007年(平成19年)4月26日完全閉鎖となった。店舗跡にはマンションが建てられている。
- 結城店(?開店 - 2004年(平成16年)7月25日閉店)→現在はコモディイイダが入居。専門店街「しるくろーど」は引き続き営業。
- 高萩店×(1975年(昭和50年)開店[92] - 2005年(平成17年)6月[92]5日閉店)
- JR高萩駅前に出店していた敷地面積約5,600m²に建設された3階建て延べ床延べ床面積約19,000m²の店舗で最盛期の1980年代には売上高約75億円を上げていたが、郊外への相次ぐ大型店出店や地元の日本加工製紙の破たんの影響などで約半分まで減少したとして閉店となった[92]。
千葉県[編集]
- 稲毛店(千葉市小仲台[93]、?開店 - 1998年(平成10年)3月1日閉店)
- 長沼店(千葉市長沼町93-1[96]、1992年(平成4年)2月27日開店[96] - 2003年(平成15年)2月2日閉店[93])→スマートコミュニティ稲毛
- 国道16号線と県道浜野・四街道店・長沼線の交差点に開設された地元主導型ショッピングセンターの核店舗として出店していた[96]。
- 志津店(?開店 - 1997年(平成9年)5月5日閉店)→OKストア志津店等
- 臼井店×(千葉県佐倉市染井野4-7-1[97]、1999年(平成11年)2月期下期に開店[61] - 2009年(平成21年)1月12日閉店)
- 野田店× (野田市野田721-1[98]、1970年(昭和45年)7月4日開店 - 2003年(平成15年)6月15日閉店)→更地→ザ・プライス野田店
- 閉店後建物は取り壊され、10年近く更地となっていた。後に同じ場所に新規建設され、2013年(平成25年)12月4日にザ・プライス野田店(売り場面積約2,082m²)が開業した[98]。
- (初代)四街道店(2005年(平成17年)3月21日閉店)→M2プラザ四街道
- (初代)市原店 (市原市五井中央西2丁目24-8[100]、1976年(昭和51年)6月開店[100][101] - 2010年(平成22年)5月9日閉店[101])
- JR・小湊鐵道五井駅西口から[102]北西約500mにあった[100]市原市役所跡地の市有地に開設された[102]市原ショッピングスクエアの核店舗として出店していた[100]。
- 最盛期には当社の店舗の中で全国1位の売り上げを記録するなど市原市を代表する商業施設となっていたが[102]、郊外への出店が相次いで売り上げが最盛期の約3分の1へ大きく落ち込んで10年間連続赤字となったため閉店となった[101]。
- 当店の閉店の翌年 2011年(平成23年)2月までに全テナントが撤退して完全に閉鎖となり[100]、同年建物を所有・管理している住友不動産など住友グループ3社が後継店舗の招致を断念した[102]。
- 店舗跡の建物は2012年3月に譲渡されて市原市の所有となり、同年市原市が利活用案の公募を行った[100]。
- 2013年(平成25年)11月28日に五井駅東口から約1㎞の場所に開業した[103]アリオ市原内の(2代目)市原店[104]とは別店舗。
- 八幡宿店×(1983年(昭和58年)開店[105] - 2005年(平成17年)[105]4月17日閉店)→マンション
- 君津店×(?開店 - 2006年(平成18年)1月22日閉店)→尾張屋君津店(2007年12月13日開店)
埼玉県[編集]
- 杉戸店(北葛飾郡杉戸町杉戸2-9-20[109]、?開店 - 2003年(平成15年)[110]1月26日閉店)
- 上福岡西店(?開店 - 2004年(平成16年)11月7日閉店)→ディスカウントスーパーギガマート上福岡店(2013年(平成25年)8月閉店、空き店舗になる)
- 1999年(平成11年)10月1日に上福岡東店(上福岡市大原2-1-30)が開業している[111]。
- 北浦和店(1962年(昭和37年)開店[112] - ?閉店)
- 売場面積5,137m²[113]。
- 越谷店×(越谷市[114]、1969年(昭和44年)6月開店[114] - 2009年(平成21年)5月10日閉店)→MrMax越谷ショッピングセンター(2010年(平成22年)12月16日オープン)
- 売場面積4,155m²のヨークショッビングスクエア越谷店として開業した[114]。
東京都[編集]
- (初代)小岩店(1963年(昭和38年)開店[112] - ?閉店)
- 現在の小岩店(旧小岩駅前店)は1980年(昭和55年)4月1日開店であり、別店舗。
- (初代)曳舟店(東京都墨田区、1967年開店[115] - 2010年(平成22年)11月7日閉店[115])
- (初代)亀有店×(?開店 - 1996年(平成8年)1月7日閉店)→跡地はジャパンホームバリュー→建物解体)
- 南砂町店
- (初代)大井店(品川区大井町 />[114]、1969年(昭和44年)5月開店[114] - 1997年(平成9年)4月6日閉店)
- (初代)大森店
- 蒲田店(東京蒲田文化会館内、1964年(昭和39年)開店[112] - ?閉店)
- 店舗跡はつるかめなどが入店
- 大山店(1964年(昭和39年)開店[112] - 1979年(昭和54年)11月9日に火災を起こして閉店[122])
- (初代)東久留米店×都市計画道路建設の関係で建替えを行い同時に大型化(移転はしていない)。
- 三鷹店
- 恋ケ窪店(東京都国分寺市、1996年(平成8年)開店 - 2010年(平成22年)10月31日閉店)
- 田無店×(旧店舗、田無駅北口再開発計画に伴い閉店し、建物を解体した。現在は西東京市道。
- 現在の田無店は再開発ビルの中のテナントとして規模を縮小して営業(アスタビル2階の一部区画。同ビルのメインテナントは西友のLIVIN)。取扱商品は旧店舗同様に衣料品のみ。
- 昭島店×(?開店 - 2003年(平成15年)10月17日閉店)→マンション。また同時期、近所に拝島店が開店した。
モリタウン内にある現在の昭島店(旧エスパ、2012年(平成24年)にイトーヨーカドーに転換)とは別店舗。 - 府中店(?開店 - 2010年(平成22年)8月22日閉店[125])→ROUND1。1階の一部にセブン&アイグループのセブン-イレブンが出店。
- JR府中本町駅前の「武蔵国府跡」に隣接地に出店していた[125]。
神奈川県[編集]
- 相武台店×→店舗兼マンション
- 大和店(?開店 - 2002年(平成14年)7月閉店)→オリンピック→フィットネス&天然温泉施設
- 中央林間店(?開店 - 2004年(平成16年)1月25日閉店)
- 希望ヶ丘店(?開店 - 2005年(平成17年)5月15日閉店)→希望が丘K−1ショッピングセンター(ライフ、ノジマ、ハックドラッグ、パシオス、ダイソーなどが入居)
- (初代)橋本店(?開店 - 2008年(平成20年)5月18日閉店)×→店舗兼マンション
中部地方[編集]
山梨県[編集]
- 韮崎店(1984年(昭和59年)10月開店[128] - 2004年(平成16年)8月[128]29日閉店)
- JR韮崎駅前のショッピングセンター「ルネス」の核店舗として出店し、開店当初から1992年度(平成6年)までは売上高約55億円から56億円を上げていたが、郊外型大型店の進出などで競争が激化して売上が低迷して閉店となった[128]。
- 店舗の跡には2004年(平成16年)9月にオギノルネス店が核店舗として出店したが、売り上げが伸び悩んだため2007年(平成19年)8月26日に閉店となった[129]。
- 2009年(平成21年)3月末でショッピングセンタールネスも閉店となった[130]。
- ルネスの土地・建物は韮崎市が買収し[131]、2010年(平成22年)10月から改修工事を行って[132]2011年(平成23年)9月に韮崎市民交流センター「ニコリ」が開館した[133]。
- 富士吉田店(1975年(昭和50年)開店 - 2005年(平成17年)12月[134]31日閉鎖)→Q-STA
新潟県[編集]
イトーヨーカドー丸大については当該記事を参照
長野県[編集]
- 岡谷店(1984年(昭和59年)開店[137] - 2001年(平成13年)7月8日閉店[138])
- 塩尻店(塩尻市大門一番町7-1[139]、1993年(平成5年)4月21日開店[139] - 2010年(平成22年)2月21日閉店[140])
- (初代)上田店(1977年(昭和52年)3月[143]3日開店 - 2011年(平成23年)4月10日閉店[144])
静岡県[編集]
- 浜松駅前店(1987年(昭和62年)7月開店[146] - 2007年(平成19年)1月14日閉店)
- 富士店×(富士市富士町[147]、1976年(昭和51年)4月[147]24日開店 - 2010年(平成22年)1月11日閉店[148])
愛知県[編集]
- 小牧店(小牧市小牧3丁目555番地[150]、1995年9月21日開店[150] - 2007年(平成19年)9月2日閉店)→アル・プラザ小牧(平和堂)
- 名鉄小牧線小牧駅の西側に市街地再開発事業で建てられた地下2階・地上5階建て延べ床面積約49,000m²の「ラピオ」のうち約15,940m²を約55億円で取得し、その核店舗として1階から4階の約8,243m²の店舗を出店していた[151]。
- 近隣にあるアピタ小牧店やジャスコ(現・イオン)小牧店との競合もあり、食品以外が苦戦して売り上げが伸び悩み、最盛期の1996年(平成8年)度に約76億円だった売上がその約60%に落ち込んだことなどから閉店となった[151]。
- 店舗跡には2007年(平成19年)11月8日に平和堂東海が愛知県内初出店となる「アル・プラザ小牧」を新たな核店舗として出店した[152]。
- 鳴海店 (愛知県名古屋市緑区、1997年(平成9年)9月13日開店[153] - 2010年(平成22年)10月17日閉鎖)
岐阜県[編集]
近畿地方[編集]
大阪府[編集]
- 堺店×(大阪府堺市堺区戎島町2丁目[157]、1986年(昭和61年)9月開店[157] - 2011年2月13日閉店[157])
- 南海堺駅前に出店していた[157]。1986年に関西一号店として開店、当初は大阪、奈良、京都などからの集客もあった。
- 生活形態の変化や同市内への2004年(平成16年)4月22日にJR阪和線津久野駅西約500mのところにイトーヨーカ堂津久野店が開業し、同年10月28日にダイヤモンドシティ・プラウ(現:イオンモール堺北花田)が開業[158] 、さらに2008年(平成20年)3月31日にイトーヨーカ堂を核店舗とするアリオ鳳店が開業したほか[159]と自社を含む競合する大型店が相次いで出店したことから閉店となった。
関連会社[編集]
セブン&アイ・ホールディングス も参照 グループ企業
- スーパーストア事業
- その他の事業
- 連結子会社(セブン&アイ出版、IYリアルエステート、ヨーク警備、テルベ)
- セブン&アイ出版は雑誌「Saita」の発行元である。
- 持分法を適用する関連会社(モール・エスシー開発、ススキノ十字街ビル)
- 連結子会社(セブン&アイ出版、IYリアルエステート、ヨーク警備、テルベ)
その他[編集]
- 商品券についてはセブン&アイ共通商品券[160]に加え、2012年(平成24年)4月1日から、西武百貨店およびそごうが発行する1000円券も使用可能となった[161]。
- 毎月8のつく日(8・18・28日)は「ハッピーデー」の名称で各種サービスがあり、イトーヨーカドー店舗にてセブンカード・アイワイカードを提示して現金支払いまたはカード支払いをするか、nanacoで支払うと商品価格が5%引き(一部商品除く)などのサービスを実施している[162]。
CMキャラクター[編集]
脚注[編集]
- ↑ 店舗のご案内 南松本店 - 株式会社アップルランド
- ↑ Odakyu OX 新百合ヶ丘店 - 小田急商事株式会社
- ↑ “イトーヨーカ堂、中国1号店を四川省成都に開店 初年度80億円目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年12月1日)
- ↑ “イトーヨーカ堂がネットスーパー参入、最短3時間で配達”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年2月28日)
- ↑ 中国産冷凍ウナギ蒲焼に関するお知らせPDF
- ↑ 「〜10/1(金)JR阿佐ヶ谷駅前に第1号店をオープン〜 都市部で小型スーパー事業の展開を開始」PDF イトーヨーカ堂ニュースリリース、2010年10月1日
- ↑ 7.0 7.1 “売る技術光る戦略 ヨーカ堂「アリオ松本」に"百貨店"、品ぞろえ差異化で平日集客”. 日経MJ (日本経済新聞社).(2012年1月25日)
- ↑ “人事、イトーヨーカ堂”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社).(2012年1月11日)
- ↑ 組織変更および人事異動のお知らせ 2012年1月11日
- ↑ 10.00 10.01 10.02 10.03 10.04 10.05 10.06 10.07 10.08 10.09 10.10 10.11 10.12 10.13 10.14 10.15 10.16 10.17 10.18 10.19 10.20 『衣食住の 生活応援型 ディスカウントストア、神奈川県に初出店 6/19(金)『ザ・プライス鶴ヶ峰店』開店』 イトーヨーカ堂、2009年5月28日。
- ↑ “セブン&アイの新業態 ディスカウントストア1号店 『ザ・プライス西新井店』 8月29日(金)開店 東京都足立区” タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年9月4日)
- ↑ 12.0 12.1 “ヨーカ堂「ザ・プライス」初の新店、運営コスト低減加速、セルフレジ導入”. 日経MJ (日本経済新聞社).(2009年11月23日)
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 “ザ・プライス五香店が開店”. 千葉日報(千葉日報社). (2009年3月12日)
- ↑ “セブン&アイ「ザ・プライス」、5号店開業、500人が列―総合スーパーを転換”. 千葉日報(千葉日報社). (2009年4月1日)
- ↑ “琴似の安売り店 ザ・プライス 4月にも閉店”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2002年2月19日)
- ↑ “ジョイフルプラザ きょうオープン JR琴似駅南口地区”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1993年10月1日)
- ↑ “セブン&アイ、千葉・鎌ケ谷に商業施設、22日開業、21店舗”. 日経MJ(日本経済新聞社). (2013年2月6日)
- ↑ “ザ・プライス 閉店へ 時期は「未定」”. タウンニュース 旭区 (タウンニュース社). (2014年1月16日)
- ↑ [ザ・プライス鶴ヶ峰店のページ http://blog.itoyokado.co.jp/shop/119/](2014年3月25日閲覧)
- ↑ 20.0 20.1 20.2 飯田真優子(2010年1月16日). “ヨーカドー秋田店 撤退へ”. 読売新聞(読売新聞社)
- ↑ “10月中旬めどに閉店 イトーヨーカドー秋田店、21日からセール”.秋田魁新報(秋田魁新報社). (2011年7月20日)
- ↑ “30年の歴史に幕 ヨーカドー秋田店が閉店”.秋田魁新報(秋田魁新報社). (2011年10月11日)
- ↑ イトーヨーカドー閉店 秋田産経新聞 2010年10月15日閲覧
- ↑ 24.0 24.1 24.2 24.3 河井健 (2011年10月6日). “駅前、スピード再生に注目”. 朝日新聞(朝日新聞社)
- ↑ 25.0 25.1 25.2 “ヨーカドー石巻中里店跡地 ヨークベニマル出店へ”. 河北新報(河北新報社). (2010年12月15日)
- ↑ 26.0 26.1 26.2 『帝国繊維 第82期事業報告書』 帝国繊維、2008年3月。
- ↑ 『松本市史 第2巻 歴史編4 現代』 松本市、1997年。
- ↑ 12/16(金)午前9時 ショッピングセンター『アリオ松本』オープン!PDF - イトーヨーカ堂ニュースリリース 2011年11月16日
- ↑ “イトーヨーカ堂月寒店今年六月で閉店へ 北海道札幌市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年4月2日)
- ↑ “「北42条店」きょうオープン イトーヨーカドー”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1977年10月27日)
- ↑ 31.0 31.1 “ヨーカドー千歳店 来年3月にも閉店”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年6月13日)
- ↑ 32.0 32.1 “好評、スーパー子ども図書館”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年2月21日)
- ↑ “閉店ニュース 9月16日(月)イトーヨーカドー新川店”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2013年8月26日)
- ↑ 34.0 34.1 “低価格スーパー出店へ ヨーカドー旧新川店 ドン・キホーテ取得”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2013年10月10日)
- ↑ “札幌のイトーヨーカドー新川店9月閉店 売り上げピークの半分”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2013年6月21日)
- ↑ 久保田昌子 (2013年12月6日). “札幌・新川にMEGAドンキ 石狩管内初、開店前に2千人が列”. 北海道新聞 (北海道新聞社)
- ↑ 37.0 37.1 37.2 “都市空洞化「即効薬なし」苦悩の商業者”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (1998年10月5日)
- ↑ 藤丸創業百周年記念誌編集委員会 『藤丸創業百年史』 藤丸、2000年。
- ↑ “動くか旧ヨーカドービル 閉店15年”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2013年11月8日)
- ↑ 『帯広商工会議所創立90周年記念誌 90年のあゆみ』 帯広商工会議所、2011年12月19日。
- ↑ 小野寺裕 (1997年3月28日). “バスターミナル訴訟決着 都心部活性化へ“とげ”取れる 問われる空洞化対策”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 植木康則(2006年9月27日). “旧イトーヨーカドービル 全館活用も視野に”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 末次一郎(1998年9月19日). “ヨーカドー現店舗11月上旬閉店 現店舗、当面は空きビルに 新店舗下旬オープン”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 44.0 44.1 安田義教(2008年11月21日). “シャッターは開くのか・・・旧イトーヨーカドービル 利活用問題10年 上 その後 中心部直撃 人が消え店が減不透明感つきまとう再生構想”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 末次一郎(1998年10月6日). “孤立する藤丸 中心商店街との連携で活路”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)
- ↑ 大沼盛男 『北海道産業史』 北海道大学図書刊行会、2002年11月。ISBN 978-4832963313
- ↑ “ラルズ、5日江別市に大麻駅前店を開店。広域圏から20億狙う”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年3月10日)
- ↑ 48.0 48.1 48.2 48.3 “スーパーアークス長都店がオープン”. 千歳民報 (苫小牧民報社). (2009年4月24日)
- ↑ 49.0 49.1 49.2 49.3 “イトーヨーカ堂、「千歳店」11月1日開店へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年10月13日)
- ↑ “イトーヨーカドー千歳が閉店”. 千歳民報 (苫小牧民報社). (2009年3月2日)
- ↑ 51.0 51.1 “ヨーカドー千歳店、撤退を検討へ”. 千歳民報 (苫小牧民報社). (2008年6月12日)
- ↑ 52.0 52.1 52.2 52.3 52.4 52.5 “苫小牧の大東開発 旧ヨーカドー跡地を購入 更地にして売却の方針”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2011年9月22日)
- ↑ 53.0 53.1 53.2 “イトーヨーカドー苫小牧店閉店 最後の営業に列”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2010年1月11日)
- ↑ 54.0 54.1 54.2 “イトーヨーカドー苫小牧店跡地にベガスベガス進出”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2013年7月16日)
- ↑ 55.0 55.1 “2009 この1年(8)イトーヨーカドー撤退”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2009年12月22日)
- ↑ “イオンの独り勝ちか大型に明暗 GW決算”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2005年5月9日)
- ↑ 57.0 57.1 “閉店ヨーカドー2階に長谷川グループ”. 苫小牧民報 (苫小牧民報社). (2009年11月30日)
- ↑ 58.0 58.1 58.2 “どっと四万人の買い物客 八戸スカイビルが開店 早朝からお祭り騒ぎ”. デーリー東北 (デーリー東北新聞社).. (1980年4月20日)
- ↑ “ヨーカドー「八戸店」来年2月閉店へ 青森県八戸市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年12月9日)
- ↑ “イトーヨーカ堂八戸店は来年2月末で撤退 青森県八戸市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年8月22日)
- ↑ 61.0 61.1 61.2 “イトーヨーカ堂、今期10店舗を出店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1998年5月18日)
- ↑ 62.0 62.1 “イトーヨーカ堂、下期4店出店予定 今年度の新店は8店に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年10月17日)
- ↑ “中三・五所川原店/基盤強化へ苦渋の選択”. 東奥日報 (東奥日報社). (2005年6月12日)
- ↑ 松村公明. “郡山市中心商店街における店舗の業種構成とその変容”. 地域調査報告 第11号 (筑波大学地球科学系人文地理学研究グループ) (1989年3月).
- ↑ 65.0 65.1 65.2 立松潔 『郡山市中心商店街に関する実態調査』 地方都市における中心市街地の活性化に関する研究 (山形大学人文学部街づくり研究会) (2001年3月)
- ↑ 66.0 66.1 五十嵐正昭・新津重幸 『ヨークベニマルの経営最強のスーパーマーケット企業』 商業界、2009年3月。ISBN 978-4785503406
- ↑ 67.0 67.1 67.2 白河市中心市街地活性化基本計画 平成21年3月 白河市 平成21年3月27日認定 平成22年3月23日変更 平成22年7月8日変更 平成23年3月31日変更 平成23年7月7日変更 平成24年12月19日変更 平成25年3月29日変更. 白河市. (2013年3月29日)
- ↑ “イトーヨーカ堂が白河店を来春5月で閉店へ 福島県白河市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年12月13日)
- ↑ 69.0 69.1 69.2 69.3 “ベニマルが植田SC土地購入 いわき、売却し民事再生計画推進” 福島民報 (福島民報社). (2009年10月10日)
- ↑ “イトーヨーカ堂いわき植田店8月末で撤去と決定 福島県いわき市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年3月28日)
- ↑ “植田SCが民事再生法の適用申請 負債14億” 福島民友新聞 (福島民友新聞社). (2008年10月1日)
- ↑ 72.0 72.1 “中心部空きビルに商業施設来た!” 朝日新聞 (朝日新聞社). (2012年11月16日)
- ↑ 73.0 73.1 73.2 73.3 73.4 “イトーヨーカドー前橋店、店舗賃料契約更新で営業継続へ”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2007年9月21日)
- ↑ “2010年 重大ニュース(5)前橋の大型2店撤退 郊外型出店で打撃”. 上毛新聞(上毛新聞社). (2010年12月18日)
- ↑ 75.0 75.1 75.2 “ヨーカドー前橋店跡、フレッセイとスズランが出店発表”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2010年8月12日)
- ↑ 菅原洋(2012年8月25日). “名前は「EKITA」に決定 前橋「駅北」ビル11月15日開業”. 東京新聞 (中日新聞社)
- ↑ 77.0 77.1 佐野泰彦 (2012年11月14日). “前橋駅前「エキータ」15日オープン”. 読売新聞 (読売新聞社)
- ↑ “イトーヨーカドー跡複合商業ビルに 前橋市”. 読売新聞 (読売新聞社). (2011年12月20日)
- ↑ “ヨーカドー跡 11月15日開業”. 読売新聞 (読売新聞社). (2012年5月31日)
- ↑ “イトーヨーカ堂、「宇都宮店」オープン、郊外モール型で広域から集客”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2004年11月3日)
- ↑ 81.0 81.1 81.2 梅村武史(2009年6月27日). “ヨーカドー足利店跡地 複合商業施設に 来年2月、8店舗入居”. 東京新聞 (中日新聞社)
- ↑ “たいらや、両毛地域に進出 ヨーカドー足利店跡地に13日開業”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2009年11月12日)
- ↑ 83.0 83.1 83.2 83.3 83.4 83.5 83.6 83.7 “イトーヨーカドー土浦店17日閉店 39年の歴史に幕”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2013年2月16日)
- ↑ 84.0 84.1 84.2 84.3 84.4 84.5 84.6 “イトーヨーカ堂新「土浦店」が開店、駅前ビルの核店に”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年10月20日)
- ↑ “イトーヨーカ堂旧土浦店5月から解体工事に着手 茨城県土浦市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年5月7日)
- ↑ 86.0 86.1 86.2 86.3 86.4 86.5 “市民ら名残惜しむ ヨーカドー土浦店閉店 39年超、歴史に幕”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2013年2月18日)
- ↑ 87.0 87.1 長田寿夫 (2013年2月18日). “ヨーカドー土浦店が閉店 39年の歴史に幕 茨城”. 朝日新聞 (朝日新聞社)
- ↑ 88.0 88.1 88.2 88.3 “商業スペース開店 土浦駅前再開発ビル、来年2月末まで”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2013年7月16日)
- ↑ “土浦市役所移転で市民意見 中心街活性化に期待 平面駐車場求める声も”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2013年1月23日)
- ↑ “イトーヨーカドー取手店1月末で閉店 茨城県取手市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年1月22日)
- ↑ “マルエツ、イトーヨーカ堂撤退後に「取手店」開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年5月21日)
- ↑ 92.0 92.1 92.2 “イトーヨーカドー高萩店 来年6月末に撤退の意向”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2004年12月15日)
- ↑ 93.0 93.1 “イトーヨーカ堂長沼店撤退. 店舗のテナントも決まらず”. 稲毛新聞(稲毛新聞社). (2003年2月10日)
- ↑ “西友稲毛店が撤退!! 業績不振で今月31日まで”. 稲毛新聞(稲毛新聞社). (1997年8月10日)
- ↑ 95.0 95.1 95.2 “マルエツとミドリ電化 イトーヨーカ堂稲毛店あとの出店テナント”. 稲毛新聞(稲毛新聞社). (1998年5月1日)
- ↑ 96.0 96.1 96.2 “イトーヨーカ堂、2月27日「イトーヨーカドー長沼店」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年3月2日)
- ↑ 97.0 97.1 “ヤオコー佐倉染井野店オープン、新NSCの核に ペットフードを充実”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2010年10月20日)}
- ↑ 98.0 98.1 “オープン情報=イトーヨーカ堂「ザ・プライス野田店」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年11月20日)
- ↑ “オープン情報=イトーヨーカ堂「イトーヨーカドー四街道店」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年4月8日)
- ↑ 100.0 100.1 100.2 100.3 100.4 100.5 “公募型プロポで利活用計画策定/旧市原ショッピングスクエアビル2.6万㎡”. 静岡新聞 (静岡新聞社). (2012年7月23日)
- ↑ 101.0 101.1 101.2 “33年の歴史に幕 イトーヨーカドー市原店閉店”. 千葉日報(千葉日報社). (2010年5月10日)
- ↑ 102.0 102.1 102.2 102.3 “旧「ヨーカドー市原店」譲渡で大筋合意 住友G3社から市原市に 公共施設など利活用検討”. 千葉日報(千葉日報社). (2012年2月14日)
- ↑ “アリオ市原:開業 きょう、68店舗複合施設” 毎日新聞 (毎日新聞社). (2013年11月28日)
- ↑ ““市の顔”の核、3年遅れで ヨーカドーと68テナント 「アリオ市原」来月28日開業”. 千葉日報(千葉日報社). (2013年10月31日)
- ↑ 105.0 105.1 “経営不振で来春閉店”. 千葉日報(千葉日報社). (2009年11月7日)
- ↑ “イトーヨーカ堂君津店が来春にも閉店へ 千葉県君津市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年12月27日)
- ↑ “イトーヨーカ堂君津店営業継続に方針転換”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年3月18日)
- ↑ “イトーヨーカ堂君津店5月29日新装開店 千葉県君津市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年6月17日)
- ↑ 109.0 109.1 109.2 “サンベルクス、青果で差別化、イトーヨーカ堂跡に「杉戸店」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年5月12日)
- ↑ “イトーヨーカ堂杉戸店が来年2月末で撤退! 埼玉県北葛飾郡杉戸町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年9月30日)
- ↑ “イトーヨーカ堂「上福岡東店」開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年10月8日)
- ↑ 112.0 112.1 112.2 112.3 112.4 森田克徳 『争覇の流通イノベーション ダイエー・イトーヨーカ堂・セブン-イレブン・ジャパンの比較経営行動分析』 日本実業出版社、2004年11月。
- ↑ 杉村暢二 『中心商業地の構造と変容』 大明堂、2000年7月16日。ISBN 978-4470540235
- ↑ 114.0 114.1 114.2 114.3 114.4 114.5 『日本商業年鑑 1970年版』 商業界、1970年。
- ↑ 115.0 115.1 115.2 115.3 “曳舟駅前再開発事業・最大地区の工事完了”. 東都よみうり新聞(東都よみうり新聞社). (2010年12月10日)
- ↑ 緒方知行 西村哲 『イトーヨーカドーの経営 "伊藤語録"と高収益体質の秘密を探る』 日本実業出版社、1978年2月。
- ↑ “イトーヨーカ堂、江東区に「木場店」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年11月29日)
- ↑ “イトーヨーカ堂、モール型SCの集大成「アリオ北砂」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2010年6月9日)
- ↑ “イトーヨーカ堂、「大井町店」開店 個食強化と初の介護コーナー開設”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年4月23日)
- ↑ 120.0 120.1 “イトーヨーカ堂、首都圏再編へ動く 閉鎖店舗に注目”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年3月12日)
- ↑ 三家英治 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985年5月。ISBN 978-4771002906
- ↑ 毎日新聞社メディア編成本部 『毎日新聞戦後の重大事件早見表』 毎日新聞社、1991年6月10日。ISBN 978-4620307947
- ↑ “ドイト恋ヶ窪店 復興応援フラッグショップ 東京都国分寺市 「ドイト仙台若林店」より従業員・商品を移送”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2011年7月4日)
- ↑ “ドイト恋ヶ窪店を改装 ドン・キホーテホームセンター恋ヶ窪店 東京都国分寺市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2012年4月16日)
- ↑ 125.0 125.1 “国史跡へ追加申請 府中市 武蔵国府跡の隣接地”. 読売新聞(読売新聞社). (2010年8月20日)
- ↑ “オープン情報=サミット「サミットストアラプラ中央林間店」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年10月7日)
- ↑ “オープン情報=イトーヨーカ堂「イトーヨーカドー橋本店」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2010年9月1日)}
- ↑ 128.0 128.1 128.2 “ヨーカドー「ハトマーク」取り外し 駅前のシンボル消える−−韮崎”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2004年9月4日)
- ↑ “オギノ、韮崎ルネスから撤退 営業3年、売り上げ伸びず”. 山梨日日新聞 (山梨日日新聞社). (2007年8月4日)
- ↑ “ショッピングセンター:韮崎駅前「ルネス」、来月末で閉店”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2009年2月11日)
- ↑ “韮崎・旧ルネス 市が取得、再利用 委員会が意見集約 図書館核に検討”. 山梨日日新聞 (山梨日日新聞社). (2009年8月13日)
- ↑ “図書館や子育て施設整備 韮崎・市民交流センター、18日着工”. 山梨日日新聞 (山梨日日新聞社). (2010年10月15日)
- ↑ “「ニコリ」来館者100万人突破 韮崎”. 朝日新聞(朝日新聞社). (2014年3月28日)
- ↑ 134.0 134.1 “富士急百貨店 ターミナルビル一新「Q-STA」31日オープン ジャンル別に48店入居”. 山梨日日新聞 (山梨日日新聞社). (2006年3月16日)
- ↑ 135.0 135.1 135.2 “ヨーカドー跡地新潟市購入へ” 新潟日報 (新潟日報社). (2009年6月20日)
- ↑ 136.0 136.1 “イトーヨーカ堂、新潟木戸店を来年2月にも閉店”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2006年8月24日)
- ↑ 137.0 137.1 137.2 137.3 137.4 137.5 丸山美沙子・小林達也・ギギ=モセス・仁平尊明・手塚章. “岡谷市における工業の地域的特色”. 地域研究年報 第27号 (筑波大学人文地理学・地誌学研究会). (2005年3月25日).41-74ページ
- ↑ “イトーヨーカ堂岡谷店が七月八日で閉店! 長野県岡谷市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年5月21日)
- ↑ 139.0 139.1 “寿がきや、平成5年4月に塩尻店など3店を出店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年4月23日)
- ↑ 140.0 140.1 安藤孝憲 (2010年2月25日). “塩尻市とアップルランド、営業継続で合意 ヨーカドー閉店問題”. 中日新聞 (中日新聞社)
- ↑ 石井千絵(2010年4月9日). “商店街ルネサンス<3>夜も明るく 若手の挑戦”. 読売新聞 (読売新聞社)
- ↑ “旧ヨーカドー、想定売上達成率88%” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2011年3月2日)
- ↑ 『上田商工会議所百年史』 上田商工会議所、1998年。
- ↑ 144.0 144.1 “セブン&アイ系、上田版の電子マネー、「アリオ」開業機に発行”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2011年4月8日)
- ↑ 145.0 145.1 145.2 “イトーヨーカドー上田店閉店へ 新商業施設開店で” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2010年11月21日)
- ↑ 146.0 146.1 146.2 “イトーヨーカ堂浜松駅前店が撤退”. 中日新聞 (中日新聞社). (2005年11月13日)
- ↑ 147.0 147.1 147.2 147.3 “旧イトーヨーカドー富士店跡地にスポーツクラブが進出”. 静岡新聞 (静岡新聞社). (2013年6月15日)
- ↑ 148.0 148.1 “JA富士市 イトーヨーカドー跡地利用の検討重ねる”. 建通新聞 (建通新聞社). (2010年10月29日)
- ↑ “富士駅前、新たなにぎわい…スポーツクラブ開業”. 読売新聞 (読売新聞社). (2014年8月2日)
- ↑ 150.0 150.1 “イトーヨーカ堂・鈴木社長、愛知の足下固める CVSは関西重点に展開など語る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年9月27日)
- ↑ 151.0 151.1 “ヨーカドー小牧店閉店 業績不振で来年秋”. 中日新聞 (中日新聞社). (2006年9月21日)
- ↑ “平和堂東海、「アル・プラザ小牧」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年11月19日)
- ↑ 153.0 153.1 “イトーヨーカ堂、13日名古屋に「鳴海店」開店 生鮮1番店目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年9月3日)
- ↑ 154.0 154.1 “平和堂、「なるぱーく店」オープン 名古屋市内2店舗目、テナント出店は初”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2011年3月25日)
- ↑ 155.0 155.1 155.2 155.3 “イトーヨーカドー各務原店、きょう閉店 29年の歴史に幕”. 岐阜新聞 (岐阜新聞社). (2011年1月16日)
- ↑ “バロー、「各務原中央店」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2011年12月5日)
- ↑ 157.0 157.1 157.2 157.3 山田英之 (2011年1月12日). “イトーヨーカドー:堺店、来月13日閉店 24年の歴史に幕、セール開催中”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ↑ “「ダイヤモンドシティ・プラウ」内覧会開催 13・28日にグランドオープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年10月22日)
- ↑ “オイシス、「チェザート鳳店」オープン スイーツ店展開の基盤に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年4月4日)
- ↑ セブン&アイ共通商品券販売中
- ↑ 商品券・ギフトカードのご案内 - 西武・そごう
- ↑ 8の日ハッピーデー - イトーヨーカ堂
関連項目[編集]
- アイワイネット - ネットスーパー
- セブンスポット - 公衆無線LANサービス
- 読売ジャイアンツ - マイカル破綻後、GMSではイトーヨーカドーがジャイアンツの優勝セールを行っている
- 埼玉西武ライオンズ - そごう・西武がセブン&アイ・ホールディングス傘下であるため、西武と協賛してライオンズの優勝セールを行っている。なお、他のチームが優勝しても優勝セールを行っている
- イトーヨーカドープリオール - かつて存在した女子バレーボールチーム
- ポッポ (飲食店) - 殆どのヨーカドー内に出店しているファーストフード店
外部リンク[編集]