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京成電鉄株式会社(けいせいでんてつ、英称:Keisei Electric Railway Co., Ltd.)は、東京都と千葉県に路線を有する大手私鉄の一つである。
京成電鉄の社名は起終点の頭文字である東京の「京」と成田の「成」に由来する。
京成グループを構成する中核企業。みどり会の一員。東京証券取引所1部上場企業。本社所在地は千葉県市川市八幡三丁目3番1号。
目次
概要[編集]
鉄道業を本業とし、不動産事業も展開している。また、鉄道、バス、タクシーなどの交通機関を運営する京成バス、東京ベイシティ交通、北総鉄道、新京成電鉄、関東鉄道、千葉交通などの親会社でもあり、東京ディズニーランドなどを運営するオリエンタルランドの筆頭株主でもある(主要なグループ会社参照)。
コーポレートスローガンは「いろんな笑顔を結びたい」。
かつての社名は京成電気軌道で、当時の英語略称は「K.D.K」(Keisei Denki Kidō)であった。また、2000年代に発売していたパスネットでの符号はKSであった。
路線全体の駅数は成田スカイアクセス(成田空港線)が開業した2010年7月17日現在、69駅(京成高砂を除く京成の列車が停車する北総鉄道北総線との共同使用駅となる4駅[1]を含む)ある。
歴史[編集]
会社設立から成田延伸まで[編集]
日本の鉄道設立を遡ると有名な神社・仏閣の存在が設立動機となったケースが多い。成田山新勝寺も江戸時代から多くの参拝客を集めていたが、明治時代になると1897年に成田鉄道(初代)が開業し、多くの参拝者が利用した。その後、1900年代に入ると全国的に電気鉄道ブームが起きる中で、東京と成田を直結する電気鉄道が3者競願で計画されたが、後に3者は合同し1903年に東京府東京市本所区押上 - 千葉県印旛郡成田町間を軌道条例によって出願。1907年5月28日に押上 - 成田・佐倉町宮小路 - 佐倉停車場について特許を得て、日露戦争後の経済不況のなかで株式募集は難航したが、1909年6月30日に京成電気軌道株式会社を設立した。
1911年11月9日に第一期工事として押上 - 市川(仮・現江戸川駅西方)・曲金(現・京成高砂) - 柴又間を着工し、翌1912年11月3日に開業した(なお、この時市川へは渡船で連絡していた)。また、これに先立つ同年4月27日には帝釈人車軌道(柴又 - 金町間)を買収。実は京成最初の営業路線は人車軌道であった。
1913年10月21日に改築が完成した柴又 - 金町間を開業させ、以後1914年9月1日に江戸川 - 市川新田(現・市川真間)間、1915年11月3日に市川新田 - 中山間、1916年12月28日には中山 - 船橋間と延伸を繰り返した。
船橋から先はまず県都・千葉を目指すこととし、1921年7月17日船橋 - 千葉間が開業。当時の京成千葉駅(現・千葉中央駅)は現在の千葉中央公園の位置にあって、千葉市の中心部には省線の千葉駅よりも近く、1935年7月1日に省線が電化されるまでは利用客数で圧倒的優位に立っていた。
1925年10月には本来の目的地・成田への延伸に着手。翌1926年12月9日に津田沼 - 酒々井間、24日には酒々井 - 成田花咲町(仮駅)間を開業し、ここに東京と成田までが結ばれることとなった。なお、成田の駅の位置を巡っては新勝寺門前により近いところへの設置を画策して成田電気軌道(旧・成宗電気軌道)を買収(1925年)してその線路を接続する案もあったが、成田山門前の商店街の猛反発に折れ、1930年4月25日に現在の位置に京成成田駅を設置した。
都心延伸から終戦まで[編集]
東京側のターミナルとなっていた押上は、京成開業後発展していたものの、都心へは市電の乗り換えを必要とし、必ずしも便利とは言えなかったため都心部延伸を目指して1923年以降上野・浅草への特許申請を6回繰り返してきた。しかし、当時の東京府東京市に存在した市内交通市営主義の厚い壁や、同じ頃に業平橋から浅草への延伸を計画していた東武鉄道との競合が絡んで事態は複雑化する。そして、1928年9月に京成電車疑獄事件が発覚して、社長・専務ら会社幹部が逮捕される事態となり、結果的に浅草延伸は断念に追い込まれた。
その後、日暮里 - 筑波に鉄道敷設免許を有していた筑波高速度電気鉄道を東武鉄道との競合の末に1930年10月21日に吸収合併、その免許を利用する形で翌1931年12月19日に青砥 - 日暮里間、1933年12月10日に日暮里 - 上野(当時・上野公園)間を開業。念願であった都心延伸を果たした。また日暮里 - 上野間は上野公園下の地下線となったが、これは東京の郊外電車としては初のケースとなった[2]。
この頃、1928年4月7日には白鬚線(向島 - 白鬚間)を開業した。白鬚橋を渡って三ノ輪橋で王子電気軌道(現在の都電荒川線)と結ぶ計画もあったが、上野延伸と引き換えの形で1936年2月28日に廃止された。
また、1927年8月21日には谷津支線(京成花輪 - 谷津遊園地間)を開業したが、後に谷津海岸駅(現・谷津駅)からの道路が開通したために1931年10月27日に休止、1934年6月22日に廃止されている。
創業時から兼業として電灯電力供給事業、その後バス事業や土地分譲、谷津遊園の開設などが行われていたが、昭和恐慌での経営不振の打開策として、東京電燈から千葉県及び茨城県の一部の電灯電力供給事業を譲受すべく交渉。1934年11月9日に当事者同士での契約調印がなされたが、監督官庁の逓信省が認可しなかったため不成立に終わった。しかし、資金・人材の手当は済んでいたこともあり、ここから積極的な兼業展開を展開することとなる。1936年には幕張に畜産加工工場を設立して「京成ハム」「京成ソーセージ」などの商品名で精肉・加工肉製造販売や「京成シミトール」(湿布薬)などといった薬品を直営で販売(大手私鉄本体が食品業・薬品事業を行ったのはこの社だけであると思われる)。1938年には帝都タクシーを設立、梅鉢車輛(後の帝国車輛)を系列化。1943年にはセレベス開発鉄道を設立した。これ以外にも、百貨店経営や株式会社大日本東京野球倶楽部(東京読売巨人軍の前身)への出資(筆頭株主であった)などが行われていた。
その後、太平洋戦争が近付くに連れ、1942年には電灯電力供給事業を関東配電株式会社に譲渡。また陸上交通事業調整法の下で常磐線以南のエリアの統合中核企業とされたが、系列下にあった総武鉄道(2代)は東武鉄道に、城東電気軌道は東京市電に統合されたためバス会社の統合のみが行われた。この時総武鉄道(2代)を喪失したことが戦後新京成電鉄を設立する動機になったといわれている。併せて千葉県下の成田鉄道(2代)・小湊鐵道・九十九里鉄道が京成の資本系列下に入り、戦後千葉県下全域に事業を拡大する基盤を得ることとなった。
戦時中特筆することとしては、日暮里 - 上野公園間が当時の運輸省の接収を受けたことであろう。戦争末期空襲が激しくなってきたことに伴い、運輸省の疎開先として上野公園下の地下トンネルに目を付けられたのだった。しかしほとんど機能しないまま、まもなく終戦を迎えることとなる。
戦後から高度経済成長期まで[編集]
戦後、沿線の下総台地にあった陸軍施設が軍隊解散とともに民間施設に転用された。中でも千葉・津田沼には鉄道連隊が設置され、演習線が津田沼を起点に千葉・松戸に延びていた。この演習線跡地に目を付けた京成電鉄は仮称・下総電鉄を設立して、連合軍総司令部 (GHQ)・運輸省への払い下げ交渉を開始した。西武鉄道との激しい競合の末に1946年3月に転用許可を、8月には路線免許を獲得。10月には正式に新京成電鉄を創立して新線開業を押し進めることとなった。
また、交通統制が緩んだこの時期に東京の電鉄各社は都心延伸の免許申請を行った。しかし、電鉄各社や営団、東京都との利害が輻輳し、京成でも1950年8月に押上 - 有楽町間の免許申請を行ったものの、1957年6月に運輸省の行政指導で「地下鉄網の建設・運営は『営団』『東京都』が担当」「各電鉄は地下鉄に相互乗り入れ運転」の方針が決定される。京成電鉄は京浜急行電鉄とともに東京都が担任する1号線(現・浅草線)に相互乗り入れすることとなったが、京成 - 京急では軌間の違い(京成1372mm/京急1435mm)が最大の問題となった。
京成・京急・都の3者での協議の結果、軌間は1435mmに決定。そのため、京成電鉄では全線を11工程13工区に分けて改軌工事を実施、運転を継続したまま1959年10月9日夜から12月1日朝までの50日間にわたって工事を行った。また、同年2月には押上駅の地下移設工事に着工し、翌1960年11月30日に現在の新駅が営業開始、予定の12月1日より3日遅れの4日午後より1号線押上 - 浅草橋の開業によって初の郊外電車 - 地下鉄の相互乗り入れが行われることとなった。
戦災にあった千葉市は、戦後都市復興計画により抜本的な区画整理が行われたが、この時に国鉄・京成電鉄の路線変更および両者の千葉駅の移転も行われることとなった。京成千葉駅(現・千葉中央駅)が現在地に移転(仮)開業したのは1958年2月10日である。
1960年前後には千葉・茨城県下の交通各社を系列下に収めるべく、1959年5月に常総筑波鉄道、11月には鹿島参宮鉄道(以上2社は後の関東鉄道)、1960年11月には銚子電気鉄道(千葉交通の傘下に)の各鉄道や周辺バス会社を傘下に収めていった。同じ頃には兼業部門の拡充を再開。流通部門では京成百貨店の開業(1963年)や京成ストアの設立、不動産部門ではオリエンタルランド(1960年)や京成不動産(1971年・不動産部の独立)、谷津遊園の拡充や京成ホテルの設立などが行われた。
成田空港乗り入れと経営危機から再建まで[編集]
1970年代に入ると、1969年の営団(現:東京メトロ)東西線西船橋延伸や1972年の総武本線東京 - 津田沼間複々線(総武快速線)開業といった競合路線の新設や輸送力の増強によって旅客を奪われるようになり、交通事業での収益を上げることが難しくなっていった。このため、収益源を兼業部門に求める傾向がますます強くなり、特に沿線を離れた東北・北海道での土地買収・開発を押し進めていった。具体的には、常磐急行交通(1962年)での長距離バス進出(新橋 - 日立)、いわき貨物自動車(1962年系列化)・日本陸運(後の「みちのく急送」)に改称、1964年系列化)での陸送部門での関与、さらには南部縦貫鉄道へも資本参加している。
また、ニュータウンの交通機関として新線建設を目的とした会社を相次いで設立した。北総開発鉄道(1972年。現:北総鉄道)、千葉急行電鉄(1973年。1998年解散、現京成千原線を経営)、遅れて東葉高速鉄道(1981年)がそれである。そして、成田空港へのアクセスを目指して1968年12月に新線免許を申請した。しかし、運輸省と新東京国際空港公団(ともに当時)が空港ターミナルビル地下への乗り入れを拒否した(当時予定されていた成田新幹線との兼ね合いもあった)。結局、第1・第2ターミナルビルの中間に駅を設置(空港通勤者の交通機関という位置付けとされた)することとなり、1970年11月に着工、突貫工事により1972年11月には建設工事を終了し、1973年2月には習熟運転も始まった。しかし、反対運動による開港の延期(さらには初代AE車への放火)で6年あまり営業できない期間が続いた。都心側でも、京成上野駅の改良工事が1973年6月から1976年7月まで行われた[3]。
こういった大型投資を繰り広げている最中にオイルショックに見舞われた。1977年度決算ではついに無配に転落。空港新線が開業できなかったことも一因としてあるが、とりわけ積極的な土地投資が裏目に出て、土地評価額の下落と金利負担が経営を圧迫、ついには累積赤字が1980年度上半期で133億円、1983年度下半期で281億円に達した。この時、京成線の廃止を検討していた。
1980年10月に経営再建計画を策定、25%に上る人員削減といった徹底した合理化と系列百貨店閉鎖などの兼業整理、谷津遊園跡地や津田沼の車両工場などの資産処分を次々と行った。また、同年3月には日本民営鉄道協会からも脱退(再建後の1990年4月に復帰)し、春闘の賃上げ交渉も独自に行うなど、なりふり構わぬ経営再建を図った。このため、1980年代前半までは労働組合による単独のストライキが頻発することもあったが、傘下のオリエンタルランドが東京ディズニーランドの招致に成功したことや、リストラ策が功を奏して経営が好転した。1988年度には単年度の経常利益を計上、1989年度上半期には累積赤字を解消。下半期には株式配当も復活し、ようやく経営危機からの復活を果たすこととなった。
再建から発展へ[編集]
1980年代後半以降、成田空港のアクセスを巡っては開港後も駅の立地の悪さから離れた場所で苦戦を強いられ、投資が回収できない状態が続いた。しかし、高速道路の渋滞によりリムジンバスの遅延が慢性化するようになったため、1988年になって空港アクセス鉄道建設に対して真剣に検討が行われた。この結果、東日本旅客鉄道(JR東日本)と共同でのより空港に近い成田空港駅(旧来の成田空港駅は東成田駅に名称変更)への乗り入れ(1991年3月19日)が実現し、利便性が向上した。
21世紀に入り、鉄道部門では新型車両の導入や駅員の大量募集といった積極経営を行っている。駅員募集は毎年のように行われており、数多くの人数を受け入れている。また、M&Aの動きが活発化する中で、高い資産価値を持つオリエンタルランドに対して簿価の小さい京成電鉄が親会社となっていることへの懸念が指摘されており、2006年4月に株式の敵対的買収に対する防衛策の導入を発表した。
そして、2010年7月17日には成田スカイアクセス(成田空港線)が開業した。日暮里 - 空港第2ビル間を北総線経由で最速36分で結ぶことになり、成田空港へのアクセスの利便性がさらに向上した(後述の路線の節も参照)。また、同日からは京成線各駅と北総鉄道・芝山鉄道で一斉に駅ナンバリングを導入した。京成電鉄では「京成」を示す「KS」と2桁の数字の組み合わせで駅を識別する。ただし、すでに北総鉄道北総線として開業済みの新柴又 - 印旛日本医大間は京成としての駅ナンバリングの対象からは除外され、押上線押上駅は都営地下鉄浅草線の駅ナンバリングとして付与されている「A20」と京成の駅ナンバリングとして付与される「KS45」を併記している[4]。また、乗り入れ先のうち新京成電鉄は導入されていなかったが4年後の2014年2月23日に導入された。京浜急行電鉄は、3か月遅れの10月21日(羽田空港国際線ターミナル駅開業日)に導入している。なお、東京メトロ以外の大手私鉄が全線全駅で駅ナンバリングを導入するのは京成電鉄が初めてであった。京成電鉄が導入する以前に大手私鉄他社では、東京メトロのほか、近畿日本鉄道が2006年にけいはんな線のみに導入している。
東京都墨田区押上にある本社の老朽化に伴い、2013年9月17日に本社を千葉県市川市八幡に移転した[5][6]。新社屋は本線京成八幡駅・都営地下鉄新宿線本八幡駅の両駅前の再開発地区(八幡三丁目2番1号の旧・京成百貨店跡地)に建設された。
年表[編集]
- 1909年(明治42年)6月30日 京成電気軌道創立。
- 1912年(大正元年)
- 1913年(大正2年)10月21日 金町線全通。旧帝釈人車軌道を改築。
- 1914年(大正3年)9月1日 江戸川 - 市川新田(現・市川真間)間開業。
- 1915年(大正4年)11月3日 市川新田 - 中山間開業。
- 1916年(大正5年)12月28日 中山 - 船橋間開業。
- 1921年(大正10年)7月17日 船橋 - 千葉間開業。千葉線全通。
- 1925年(大正14年)9月 成宗電気軌道を買収。
- 1926年(大正15年)
- 1927年(昭和2年)8月21日 谷津支線開業。
- 1928年(昭和3年)
- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)
- 1933年(昭和8年)12月10日 日暮里 - 上野公園(現・京成上野)間開業。
- 1936年(昭和11年)2月28日 白鬚線廃止。
- 1945年(昭和20年)
- 1951年(昭和26年)12月17日 津田沼以西の全線を1500Vに昇圧(1952年7月10日全線昇圧)。
- 1958年(昭和33年)2月10日 新千葉 - 千葉間路線変更。千葉駅、現在地に移転仮開業(正式開業は6月14日)。
- 1959年(昭和34年)10月9日 - 12月1日 全線を11区間に分けて軌間を1372mmから1435mm(標準軌)に順次変更。
- 1960年(昭和35年)12月4日 押上 - 東中山間で都営1号線(現:浅草線)との相互直通運転開始。日本初の公営地下鉄との相互直通運転。
- 1967年(昭和42年)
- 本社を押上に集約移転する。
- 12月31日 6両編成運転を開始する。大手私鉄では最も遅い5両編成以上での運転となった。
- 1973年(昭和48年)
- 1978年(昭和53年)5月21日 成田 - 成田空港(初代、現・東成田)間開業。スカイライナー運行開始。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)4月1日 千葉急行電鉄千葉中央 - 大森台間開業。直通運転開始。
- 1998年(平成10年)10月1日 千葉急行電鉄の路線を引き継ぎ千原線とする。これにより旧上総国(市原市)にも京成の路線が存在することになる。
- 2000年(平成12年)10月14日 共通乗車カードパスネット導入。
- 2002年(平成14年)10月27日 芝山鉄道東成田 - 芝山千代田間開業。東成田線との直通運転開始。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)3月18日 PASMOを導入開始。同時にSuicaとの相互利用と京成カード(PASMO連帯クレジットカード)の発行を開始。
- 2008年(平成20年)1月10日 PASMOの普及に伴い、この日の終電をもって共通乗車カードパスネットの発行・発売を終了。3月14日には自動改札機での使用も終了。
- 2009年(平成21年)6月30日 創立100周年。記念として3300形の一部編成を懐かしの塗装に復刻する企画が行われ、青電塗装が同日に、赤電塗装が8月25日に、ファイヤーオレンジ塗装が9月20日に復活した。
- 2010年(平成22年)
- 7月17日
- 成田空港線(成田スカイアクセス)開業。同時に新型スカイライナーAE形(2代)による160km/h運転を開始。同じくモーニングライナー・イブニングライナーをスカイライナーと同じくAE形(2代)での運行を開始。これまでのスカイライナー車両AE100形を用いたシティライナー運行開始。
- 京成電鉄・北総鉄道のグループ2社と芝山鉄道で駅ナンバリングを一斉導入(新京成電鉄は当初導入していなかったが2014年2月23日から導入された)。車内LED・LCDでの案内表示は、羽田空港国際線ターミナル駅開業に伴う京浜急行電鉄の駅ナンバリング導入に合わせて10月21日より開始。
- 制服を山本寛斎デザインのものにリニューアルする。
- 7月17日
- 2013年(平成25年)
歴代社長[編集]
- 初代 本多貞次郎
- 第2代 後藤圀彦
- 第3代 吉田秀弥
- 第4代 大山秀雄
- 第5代 川﨑千春 - 歴代社長中最長在任期間(1958年 - 1979年までの21年)であった。
- 第6代 佐藤光夫 - 元運輸次官。初の外部招聘者。経営再建を成功させた。
- 第7代 村田倉夫 - 佐藤とともに経営再建にあたった。
- 第8代 妹尾弘人
- 第9代 大塚弘 - 現相談役
- 第10代 花田力 - 現会長。成田スカイアクセス線開業準備などにあたった。
- 第11代 三枝紀生
鉄道事業[編集]
路線[編集]
現有路線[編集]
2010年7月17日時点で次の7線区 (152.8km) を有する。
- 本線:京成上野駅 - 成田空港駅間 (69.3km)
- 東成田線:京成成田駅(駒井野信号場) - 東成田駅間(7.1km、うち6.0kmは本線と重複。京成の時刻表上では本線扱い)
- 押上線:押上駅 - 青砥駅間 (5.7km)
- 金町線:京成高砂駅 - 京成金町駅間 (2.5km)
- 千葉線:京成津田沼駅 - 千葉中央駅間 (12.9km)
- 千原線:千葉中央駅 - ちはら台駅 (10.9km) - 解散した千葉急行電鉄の路線を譲り受けたもので、この関係で他線区とは通しの運賃とはなっておらず、別運賃である。
- 成田空港線(成田スカイアクセス):京成高砂駅 - 成田空港駅間(51.4km、うち京成高砂駅 - 印旛日本医大駅間は北総鉄道北総線と共用、空港第2ビル駅 - 成田空港駅間1.0kmは京成本線と重複)
本線のうち、駒井野信号場(本線分岐部) - 成田空港間 (2.1km) は、成田空港高速鉄道(第3種鉄道事業者)が線路・施設などを保有しており、京成電鉄は第2種鉄道事業を行っている。
本線京成高砂 - 京成津田沼間と押上線では地上を走る部分で恒常的に踏切が開かずの踏切と化しており、各所で連続立体交差化事業が進められている。本線の海神 - 船橋競馬場間付近で行われている連続立体交差化事業では、2004年11月27日より海神 - 船橋競馬場間の上り線、2006年11月25日より同下り線の高架が供用開始された。また、押上線でも押上 - 八広間と四ツ木 - 青砥間(2012年度完成予定)の2区間で連続立体交差化事業が行われている。これらが完了すると優等列車のスピードアップが実施され、所要時間が短縮される予定である。さらに、お花茶屋駅、京成小岩駅、京成八幡駅付近でも立体化工事の計画が浮上している。
本線の青砥 - 京成上野間は筑波高速度電気鉄道の免許を買収してその免許を利用して敷設したものだが、元々上野には押上から浅草を経て行く計画だった。しかし、先に東武鉄道に対し浅草延伸が認められたため、焦った京成は東京市議会有力者を巻き込んだ京成電車疑獄事件を引き起こしてしまい、この計画は頓挫してしまった。仕方なく王子電気軌道との接続を目指して白鬚線を建設するなどしたが、会社合併を持ち掛けた筑波高速度電気鉄道からの話に乗る形で、やや遠回りではあるが現行の日暮里経由の経路で上野乗り入れを果たした。その他の筑波高速の免許線については「もし、戦争がなかったら筑波にも延伸する予定」と社史などに書かれているが、実際には戦前に免許が放棄されている(現在の茨城県石岡市における気象庁地磁気観測所の存在も問題ではある)。京成上野駅付近のトンネルは当時御料地であった上野公園の下を通過することから、御前会議にまでかけられた。
「成田スカイアクセス」の愛称がある成田空港線は、北総鉄道北総線を延長する形で印旛日本医大駅から空港第2ビル駅までの新線が成田高速鉄道アクセスの手によって建設され、2010年7月17日から京成電鉄が京成高砂駅を除いて北総鉄道・千葉ニュータウン鉄道・成田高速鉄道アクセス・成田高速鉄道の各社から線路と施設を借受け、第2種鉄道事業者として列車の運行を行っている。同線を使用した場合の空港第2ビル - 日暮里間の所要時間は、スカイライナーで36分、特別料金不要のアクセス特急で59分としている。これにより駅数は69駅(北総線内の京成線列車の停車しない駅を除く[1])となり、路線総延長も140kmを超え、関東大手私鉄(東京メトロを含む)での総延長順位は小田急電鉄を抜いて第4位となった。
廃止路線[編集]
- 白鬚線:向島駅 - 白鬚駅間 (1.4km) - 1928年4月7日開業、1936年1月27日廃止。駅は向島・長浦・京成玉の井・白鬚の4駅。
- 谷津支線:京成花輪駅(現・船橋競馬場駅) - 谷津遊園地駅間 (1.1km) - 1927年8月21日開業、1931年休止、1934年廃止。途中駅は未設置。
未成線[編集]
- 谷津遊園 - 船橋ヘルスセンター - 九十九里鉄道の車両・施設を使用する予定だった。
- 千葉寺 - 東陽町 - 京成電鉄55年史に記載[7]。
直通運転[編集]
相互直通運転[編集]
以下の路線と相互直通運転が行われている。異業者間直通運転としては、4社1局と直通運転を行っている。
ただし京成車両は現在京急蒲田駅からすべて空港線に入るため、同駅より南側の多摩川を渡って神奈川県に入る定期運用はない(かつては平日夜に三崎口駅まで乗り入れたことがあった。また、京急蒲田駅が完全高架化される2012年までは箱根駅伝による毎年1月3日の臨時ダイヤで運行される時のみ、京急川崎まで運転される運用が存在した)。
片乗り入れによる直通運転[編集]
以下の路線で片乗り入れによる直通運転が行われている。
かつて新京成線が全線開通した1950年代中頃にも直通運転が行われていた(当時は相互乗り入れ)が、その後廃止されていた(ただし1960年代後半に臨時での設定があった)。しばらく直通運転は行われていなかったが、2006年12月10日のダイヤ改正から千葉線への乗り入れが新京成車両の片乗り入れにより再開された。ほとんどの駅(京成幕張 - 新千葉)のホームの有効長が6両分しかないので8両編成は乗り入れない。現時点では千原線への乗り入れや京成車両の新京成線への乗り入れ運転は行っていない。
改軌工事[編集]
1956年8月、運輸省(現・国土交通省)が「東京およびその周辺における都市交通に関する第1次答申」を策定する。この答申は東京のターミナル駅における混雑の緩和を狙ったもので、11の地下鉄を整備し、一部での相互直通運転を行うというものだった。この「相互直通運転」の対象となったのは都営地下鉄1号線(現・都営地下鉄浅草線)および京成電鉄・京浜急行電鉄である。これにより3者による規格統一に向けての議論が行われるが、規格統一の際に浮かび上がった大きな難題が軌間の違いである。
当時、京成電鉄は軌間1372mmの「馬車軌(偏軌)」、それに対して京浜急行電鉄は軌間1435mmの標準軌を採用していたが、相互直通運転に際して当然ながら統一する必要があった。ともに運転頻度の高い路線だが、車両数の少ない京成電鉄が対策をとることとなった。この時1372mmと1435mmの三線軌条や四線軌条とする案も挙がったが、車輪やレール同士の干渉など物理的な問題により、結局全線改軌の方針となった。
まず、改軌のテストも合わせて1959年(昭和34年)8月18日 - 11月30日に同じ1372mmの軌間であった新京成電鉄新京成線の改軌を実施し、この成果を見て改軌工事計画を立案した。
まず、同年春に犬釘をレールの外側に仮打ちする工事を行い、改軌工事のスムーズ化を図った。そして同年10月9日 - 12月1日に改軌工事を行うこととした。
改軌工事の工程は、
- 1959年10月9日・10日:千葉線 京成幕張 - 京成千葉(現・千葉中央)間 8.8km
- 1959年10月13日・14日:本線 宗吾参道 - 京成成田間 4.2km、千葉線 京成津田沼 - 京成幕張間 4.0km
- 1959年10月17日・18日:本線 鹿島川専用乗継場(一般には京成臼井 - 京成佐倉間仮駅と案内されていた) - 宗吾参道間 8.0km
- 1959年10月20日・21日:本線 京成大和田 - 鹿島川専用乗継場間 10.5km
- 1959年10月24日・25日:本線 京成津田沼 - 京成大和田間 9.0km
- 1959年10月28日・29日:本線 東中山 - 京成津田沼間 8.1km
- 1959年11月4日・5日:本線 京成高砂 - 東中山間 8.9km
- 1959年11月10日・11日:押上線 押上 - 青砥間(全線) 5.7km
- 1959年11月16日・17日:本線 お花茶屋 - 京成高砂間 2.8km、金町線 京成高砂 - 京成金町間(全線) 2.5km
- 1959年11月22日・23日:本線 日暮里 - お花茶屋間 7.8km
- 1959年11月30日・12月1日:本線 京成上野 - 日暮里間 2.1km
となっており、1工程終了後2日以上の準備期間を設けて行うというものであった。
そして準備が整った10月9日に改軌の第1工程となる千葉線京成幕張 - 京成千葉間の改軌を開始、翌10日に予定通りに終了し、同区間で最新鋭の3050形による始発列車が運転された。その後工事は順調に進み、11月30日に最終13工区の京成上野 - 日暮里間の改軌を予定より2日前倒しして終了、これをもって京成線全線の改軌が終了した。
これと並行して、京成電鉄は軌間1372mmの旧型車両の改軌と東武鉄道の協力を得て押上駅の地下化も行い、1960年11月29日の地下化をもってすべて終了した。12月4日に都営浅草線浅草橋 - 押上間が開業し、浅草橋 - 東中山間で日本初の民鉄・地下鉄の相互直通運転が開始された。
線路施設[編集]
2004年10月時点で、京成では手動式踏切が3か所設置されていた。このうち、船橋1号踏切は高架化工事に伴う同年11月の上り線切り替え時に自動化された。残る高砂1号・2号踏切も東武鉄道伊勢崎線竹ノ塚駅の踏切事故を受けた安全対策の一環として自動化が行われることとなり、2号踏切が2006年3月30日に、1号踏切が9月28日に自動化された。
列車種別[編集]
京成電鉄では、一般列車として普通、快速、通勤特急、特急、アクセス特急、快速特急、そして有料特急列車としてスカイライナー・モーニングライナー・イブニングライナー・シティライナーが運転され、種別数は大手私鉄としては最多である10種別が設定されている[8]。
有料特急列車[編集]
有料の空港アクセス列車として、一般列車の特急より上格の列車である「スカイライナー」を1973年12月30日から運行している(成田空港乗り入れは同空港が開港した翌日の1978年5月21日から)。その後同列車は1985年10月19日から朝夕はそれぞれ「モーニングライナー」「イブニングライナー」と名称と料金体系を変え、JRでのホームライナーに相当する通勤輸送も行っている。
2010年7月17日から「スカイライナー」は成田空港線(成田スカイアクセス)経由に変更となり、従来のスカイライナーは「シティライナー」に改称されたが、成田空港駅に乗り入れをやめ、1日1往復のみとなっている。
一般列車[編集]
普通列車は、路線図や発車案内装置においては普通と案内されるが、駅の案内放送などによっては各駅停車と案内される。
2002年10月12日のダイヤ改正より、高砂以東の「急行」を廃止し、「快速」を新設するなど、種別の再編を実施した。
2006年12月10日のダイヤ改正より特急停車駅が大幅に見直され、佐倉 - 成田空港(一部芝山千代田)間が各駅停車となり、早朝・夕夜間に従来の特急停車駅と同じである「快特」が新設された。しかし、快特の登場により「快速(カイソク)」と「快特(カイトク)」の発音が似ており、誤乗を招くという問題が発生したため、2007年8月16日より一部案内において快特を「快速特急」と案内するよう変更され、その後案内表記も「快速特急」に統一された。空港アクセス列車であるが、快特も特急も英略は「Limited Express」である(京浜急行電鉄においても同一)。
2010年7月17日のダイヤ改正より、急行が廃止され、新たに「アクセス特急」が設定された。
行先表示[編集]
- 「京成」が頭につく駅名を表示する際、「京成」を省略して表示する(例として、京成成田は「成田」と表示)。
- 京成車・北総車の行先表示や駅での行先表示では、「京急」が頭につく駅名の表示も「京急」を省略して表示する(例として、京急蒲田は「蒲田」と表示)。
- 京成臼井行は「うすい」、芝山千代田行は「(東成田)芝山」と表示する。
- フルカラーLED式種別・行先表示器装備車は本線経由列車と成田スカイアクセス線経由列車とを区別するため、行先と交互に経由路線を表示する。
- 過去、都営浅草線内をエアポート快特として運行するアクセス特急や快速については、種別文字の前に飛行機のマーク()を表示(「アクセス特急」「快速」)していたが、2013年10月の改正で中止された。
- 羽田空港国内線ターミナル行は「羽田空港」と表示する。
- 車内のLEDなどの表示は、羽田空港(国際線駅(KK16)・国内線駅(KK17))・成田空港(第2ビル駅(KS41)・第1ビル駅(KS42))共に2駅分の駅番号を同時に表示する。
種別色[編集]
- スカイライナー:紺色
- モーニング・イブニングライナー:藤色
- シティライナー:紫
- 快速特急:緑
- アクセス特急:橙
- 特急:赤
- 通勤特急:水色
- 快速:桃色
- 普通:黒
- 急行:青(京成線内では廃止されているが、北総線・都営浅草線南行・京急線のエアポート急行で使用)
時刻表等の印刷物では上記の通りだが、旧型のLED表示機での表現ができない色などは一部上記と違う色で表示されることがある。
車両[編集]
都営浅草線乗り入れ列車は、初代3000形以降の一般車全形式が地下鉄乗り入れ規格である「都営1号線直通車両規格」準拠となっている。助士席(車掌台)側には遮光幕を設けないのが特徴である。途中駅での分割・併合は行われないので、固定編成が大多数を占める。
形式呼称は小田急電鉄、京浜急行電鉄などと同様に「…系(けい)」ではなく「…形(がた)」を使用する(初代3000形から3300形までの1号線直通規格普通鋼製通勤車、いわゆる「赤電」を総称して3000系と呼ぶことがあるが、あくまでも通称である)。
京成における車両システム上の特徴は初期新性能車の750形から駆動装置を2種併用で採用していることで、保守・管理上からは統一する方が望ましいが、これは新3000形においても継続されている。
また3000系列および3500形は全電動車編成であるが、このうち3221以降の3200形と3300形・3500形以降についてはコスト削減を目的に、主電動機を75kWから100kWに出力アップして2両あたり8台から6台に減らしており(1.5M-0.5Tユニット、6M車と呼ばれる。2両あたりの合計出力は従来の8M車と同じ)、京成の抵抗制御車の特徴となっている。
乗り入れ先の京浜急行電鉄の信号システムが先頭台車を動力車とする前提で設計されている[9]ため、京成車が京急に通常ダイヤで乗り入れるようになった1990年以降製造された3700形以降の各形式では、京急の車両規定により先頭車が電動車とされ、製造時は先頭台車が付随台車だった“6M車”も車体更新時に先頭が電動車となるように改造された。また、京急線には急曲線が多く、走行安定性に問題があるとして、一般列車用車両ではボルスタレス台車の採用を見送り、すべての台車がボルスタアンカー付きとなる。要出典さらに成田スカイアクセス開業に際し、最高速度120km/h運転に対応した専用車両3050形の新製もしくは3700形の改造を行った。このため、一般列車用車両の運用は、編成両数だけでなく、「京急に入線できるか否か」・「成田スカイアクセスに速度面で入線できるか」も要素の一つである。一方、京成線内のみの運用となる有料特急用の2代目AE形は京成初のボルスタレス台車装備車となった。台車の色は3700形以前の車両でサックスブルーで塗装されていたが、2003年2月デビューの3000形以降はグレー塗装とし、3700形以前の在籍車両も2003年7月 - 2007年4月の全般検査・重要部検査時にグレーの塗装に変更した。
車両番号は前面、側面のみでなく妻面にも表記されている。妻面への番号表記は阪神電気鉄道とともに数少ない事例である。
宗吾車両基地では北総鉄道や舞浜リゾートラインの車両も検査することがある。
2008年7月12日現在、営業用車両522両を保有する(事業用車・休止車両・保留車等をのぞく)。各系列の詳細、使用線区、運用などについては、それぞれの記事を参照のこと。
2009年現在、新京成電鉄を除く他社へ譲渡された車両はほとんどなく[10]、民間に売却されて保存されている車両はない。
現有車両[編集]
- 有料特急専用車両
- 一般列車用
- 3000形(2代) - 京成グループ標準車両。京急線乗り入れ可能・また8両編成は成田スカイアクセス対応。
- 1次車3001編成、8・9次車3026 - 3028編成 - 8両編成
- 1次車3002編成 - 6次車3025編成 - 6両編成(京急線乗り入れ可能であるが同線への定期運用はない)。
- 7次車 (3050形〈2代〉) - 2010年より順次導入された成田スカイアクセス用車両[11]。
- 3700形 - 主力車両。1編成を北総鉄道にリース。京急線乗り入れ可能・成田スカイアクセス対応。6次車のみ6両編成、他は8両編成。
- 3600形 - 京急線乗り入れ不可・成田スカイアクセス非対応。1編成はVVVFインバータ制御化改造車(京急線乗り入れ可能であるが定期運用はない)。
- 3500形 - 更新車・未更新車が混在する。
- 更新車 - 京急線乗り入れ可能・成田スカイアクセス非対応。1編成を芝山鉄道にリース。
- 未更新車 - 京急線乗り入れ不可・成田スカイアクセス非対応。廃車進行中。
- 3400形 - AE形(初代)の機器流用車。京急線乗り入れ可能・成田スカイアクセス非対応。
- 3300形 - 京急線乗り入れ可能(ただし定期運用はない)・成田スカイアクセス非対応。2編成を北総鉄道にリース。会社創立100周年記念事業として、往年の塗装色である赤電・青電・ファィアーオレンジ塗装(新赤電)となったが、2013年2月18日に青電塗装の3356編成が営業運転を終了した[12]。残る記念塗装の編成も営業運転終了が発表されており[13]、同年3月20日限りで赤電塗装の3324編成が営業運転を終了した[14]。
- 3000形(2代) - 京成グループ標準車両。京急線乗り入れ可能・また8両編成は成田スカイアクセス対応。
廃車・転出[編集]
特急専用車[編集]
- 1500形 - 初代開運号。
- 1600形 - 2代目開運号。末期には2両が試作アルミカーに更新され、残り1両は青電タイプの車体に載せ替えられた。
- AE形(初代) - 正式形式名は「AE車」。初代スカイライナー。
1989年以降の消滅形式[編集]
- 1000形 - 京急旧1000形。
- 3000形(初代) - 最初の都営浅草線乗り入れ用車両。
- 3050形(初代) - 改軌と同時に登場した車両。
- 3100形 - 末期には6両が千葉急行電鉄で運用された後2両が京成に復帰。
- 3150形 - 一部に3代目開運号用のボックスシート車両があった。
- 3200形 - 同上。開運号用車両のみ3150形に合わせて片開き扉。3221号からは6M車。
- モニ10形事業用車(電動ホッパ車)
- リキ100形事業用車(土運車)
- モニ20形事業用車(電動貨車)
- チ5形事業用車(長物車)
- トキ20形事業用車(無蓋車)
1988年以前消滅形式[編集]
1931年新造の200形から1946年新造の220形まではドア配置が左右対称ではなく点対称という特徴のあるデザインであった。ドアを左右非対称に配置することで混雑の均等化を狙ったといわれている。また、1970年代後半頃までは新京成電鉄に移った車両が多かった。
なお、旧型車は形式が多種多岐にわたるが車体サイズや性能から便宜的に以下のように分類される。
(※:多段式制御装置を持つ形式)
- 開業当時の車両
- 1形 - 1912年の開業時から1927年の1200V昇圧時まで使用された。
- 20形関連
- (15メートル級の木造車で、車体長は100形と同じ)
- 20形 - 一部は200形と同様の非対称の半鋼製車体を新造し、また、一部は新京成に譲渡された。宗吾車両基地に本形式の台車が保存されている。
- 33形関連
- (製造当初13メートル級の木造車)
- 100形関連
- 200形(210/220形関連)
- (※:更新時に多段式制御装置を装備)
- 200形 - 左右非対称ボディや関東では当時屈指の高速性能で有名な戦前の代表車両。京成での運行終了後は新京成電鉄に移籍し、1990年まで使用された。
- 500形・510形 - 製造当初は制御車であった。京成では1980年まで使用され、最後の吊掛駆動の営業車であった。
- 1100形 - 京成での新製車と新京成で他形式から編入された車両の2グループからなる。
- 1500形 - 2ドアクロスシートで、製造当初は制御車であった。
- 2000形 - 17m戦災国電の復旧車。210形の制御車としても使用された。
- 220形 - 戦後初の新車。
- 600形 - いわゆる運輸省規格型車両で、末尾2両のみ新京成電鉄に譲渡された。
- 1600形※ - 開運号。後に2両は試作アルミカーに改造、700形と同性能になった。
- 2100形・210形・2000形※ - 更新と同時に新性能化、1980年代に塗装変更され、1988年まで使用。
- このほか、新京成独自の形式として2300形(200・500形の電装解除)、250形(新京成初の自社発注車、旧性能)があった。
- 700/750形※
- (当初から多段式制御装置を持つ形式)
- 700形・2200形 - 704-2203は京成初の新性能車で、末期は行商専用車として使用された。
- 750形・2250形 - 京成初の量産新性能車。更新されずに短命に終わった。
- 事業用車
このほかにもある。
新造予定[編集]
- 形式未定 - 160km/hの高速走行での検測が可能な総合検測車両[15]。
製造メーカー[編集]
車両は2013年3月現在、日本車輌製造(愛知県豊川市)および総合車両製作所(旧・東急車輛製造。神奈川県横浜市金沢区。社名変更後は3000形3027編成から製造)の2社で製造されている。以前は帝国車輌工業(東急車輛製造と合併)、汽車製造(川崎重工業と合併)、川崎重工業および大栄車輌(改造名義)でも製造されていた。
日本車輌製造で製造された新製車両はJR線上を仮台車を装着した上で甲種輸送され、総合車両製作所にて標準軌の台車に取り換え、京急線金沢八景駅から都営浅草線経由で回送される。ただしAE形(2代目)は一部陸送の上搬入されている。
また、電装関連では一貫して東洋電機製造製の制御機器を採用している[16](一般車のモーターは三菱電機と混用、3500型以降の社内型番は“KMM-”で統一)。
車両基地[編集]
京成電鉄の車両検修施設 を参照
運賃[編集]
大人普通旅客運賃(千原線・成田空港線除く・小児半額、端数は1円単位で切り捨て)。2014年4月1日改定。
キロ程 | 運賃(円) | キロ程 | 運賃(円) |
---|---|---|---|
初乗り3km | 133 | 36 - 40km | 535 |
4 - 5km | 154 | 41 - 45km | 597 |
6 - 10km | 185 | 46 - 50km | 658 |
11 - 15km | 258 | 51 - 55km | 720 |
16 - 20km | 319 | 56 - 60km | 772 |
21 - 25km | 370 | 61 - 65km | 833 |
26 - 30km | 432 | 66 - 70km | 885 |
31 - 35km | 483 |
- 加算運賃
- 公津の杜以西各駅(京成成田は後述の特定運賃) - 空港第2ビル・成田空港間:140円を加算
- 京成成田以西各駅・空港第2ビル・成田空港 - 東成田間:70円を加算
- 空港第2ビル・成田空港 - 東成田間の運賃は京成成田 - 駒井野信号場間のキロ数(片道6km)を含めないで算出する。
- 特定運賃
- 以下の区間は上表・成田空港線の運賃表に関係なく特定運賃が定められている。
- 京成成田 - 空港第2ビル・成田空港間:258円(切符は260円)
- 空港第2ビル - 成田空港間:並行するJRと同額の144円(切符は150円)。ただし、成田空港の2ターミナル間は連絡バスで無料で移動できる。
- 八広 - 菅野間:185円(切符は190円)
- 八広 - 谷津間:319円(切符は320円)
- 八広 - ユーカリが丘間:483円(切符は490円)
- 幕張本郷 - 千葉中央間で10kmを超える場合:226円(切符は230円)
千原線[編集]
上側は大人普通旅客運賃(千原線)、下側は小児普通旅客運賃(千原線)(単位:円)。2014年4月1日改定。
千葉中央 | 185 | 247 | 308 | 319 | 360 |
---|---|---|---|---|---|
92 | 千葉寺 | 185 | 247 | 288 | 319 |
123 | 92 | 大森台 | 247 | 247 | 288 |
154 | 123 | 123 | 学園前 | 185 | 247 |
159 | 144 | 123 | 92 | おゆみ野 | 185 |
180 | 159 | 144 | 123 | 92 | ちはら台 |
千原線の運賃は別途定められている。千原線と他線の駅との間の運賃は千原線の運賃額と他線の千葉中央駅までの運賃を合算する。ただし、谷津 - 京成千葉の各駅(千葉中央駅から15km以内260円までの駅)と千原線の駅との間には合算額から以下の額の割引がある。
- 京成千葉 - 千葉寺・大森台:50円
- 京成千葉 - 学園前・おゆみ野・ちはら台:70円
- それ以外の区間:40円
成田空港線[編集]
大人普通旅客運賃(成田空港線・小児半額、端数は1円単位で切り捨て)。2014年4月1日改定。( )内は京成高砂 - 印旛日本医大の各駅間相互発着時。
キロ程 | 運賃(円) | キロ程 | 運賃(円) |
---|---|---|---|
初乗り3km | 206 (195) | 24 - 26km | 781 (740) |
4 - 5km | 308 (299) | 27 - 29km | 813 (772) |
6 - 7km | 381 (360) | 30 - 33km | 843 (802) |
8 - 9km | 453 (432) | 34 - 37km | 874 |
10 - 11km | 515 (494) | 38 - 41km | 906 |
12 - 14km | 586 (556) | 42 - 45km | 936 |
15 - 17km | 648 (617) | 46 - 49km | 956 |
18 - 20km | 699 (669) | 50 - 52km | 977 |
21 - 23km | 751 (710) |
成田空港線(成田スカイアクセス)にも別途運賃が定められており[17]、成田空港線と他線の駅との間の運賃は乗車経路に応じて成田空港線の運賃額と他線の運賃を合算して算出する。京成高砂経由の場合は同駅で区切って、成田湯川以西各駅 - 空港第2ビル - 京成成田以西各駅・東成田間の運賃については、京成本線と成田空港線との接続点 - 空港第2ビル間のキロ数(片道0.5km)を含めず、接続点で区切って算出する[18]。
京成高砂 - 空港第2ビル間では、経由路線と運賃が2種類(成田スカイアクセス経由と、京成本線経由)存在することになる。そのため、空港第2ビル駅と成田空港駅のホームを京成本線専用ホームと成田スカイアクセス専用ホームに分け、両駅の京成本線コンコースに中間改札を設置してルートの特定と運賃の算定を行っている。
なお、成田空港線において、京成電鉄は京成高砂 - 印旛日本医大の各駅相互間の乗車券を発売しない。詳細は「京成成田空港線」を参照。
北総鉄道#運賃 も参照
乗継割引[編集]
- 京成本線(お花茶屋駅 - 江戸川駅)・押上線(京成立石駅)・金町線(全線)と京成高砂駅経由で北総線(新柴又駅)との間を乗車する場合は、各社大人運賃で10円(合計20円)の割引。
- 京成本線(船橋競馬場駅 - 実籾駅)・千葉線(京成幕張本郷駅 - 検見川駅)と京成津田沼駅経由で新京成線(習志野駅 - 新津田沼駅)との間を乗車する場合は、各社大人運賃で10円(合計20円)の割引。
研修所[編集]
宗吾参道駅の近くに京成電鉄研修所があり、乗務員の養成などの研修を行っている。自社の電車運転士の教習を行うほか、有料で他社の電車運転士の養成も受託しており、新京成電鉄や北総鉄道など京成グループの運転士も養成している。従って京成グループの運転士は一度他社(京成)の施設および電車と線路を使って教習を受けるということになる。自社で研修所を持たない鉄道会社も多いため、他社で教習を受けることは珍しくない。車掌や駅員も同様に現地で研修を実施している。
所内には3500形と3700形のシミュレータが存在する。
なお、以前は東葉高速鉄道の運転士養成も受託していたが、同社が委託先を変更したので現在は受託していない。
乗降人員上位15位[編集]
- 乗降人員は京成電鉄の駅のもの。は前年度に比較した増()減()増減なし()を表す。
順位 | 駅名 | 人数 (人) |
前年比 (%) |
前年 順位 |
前年人数 (人) |
所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 押上駅 | 192,877 | 2.8 | 1 | 187,712 | 東京都墨田区 | 都営浅草線の直通人員含む。 |
2 | 京成高砂駅 | 96,950 | 1.6 | 2 | 95,452 | 東京都葛飾区 | 北総線の直通人員含む。 |
3 | 日暮里駅 | 96,428 | 1.7 | 3 | 94,853 | 東京都荒川区 | |
4 | 京成船橋駅 | 93,256 | 1.2 | 4 | 92,145 | 千葉県船橋市 | |
5 | 京成津田沼駅 | 56,037 | 3.5 | 5 | 54,144 | 千葉県習志野市 | 新京成線の直通人員含む。 |
6 | 勝田台駅 | 54,103 | 2.4 | 6 | 52,839 | 千葉県八千代市 | |
7 | 八千代台駅 | 47,124 | 0.1 | 7 | 47,176 | 千葉県八千代市 | |
8 | 青砥駅 | 46,275 | 2.5 | 8 | 45,152 | 東京都葛飾区 | |
9 | 京成上野駅 | 43,576 | 1.0 | 9 | 44,002 | 東京都台東区 | |
10 | 京成立石駅 | 36,411 | 0.7 | 10 | 36,174 | 東京都葛飾区 | |
11 | 京成成田駅 | 35,685 | 0.7 | 11 | 35,426 | 千葉県成田市 | |
12 | 京成大久保駅 | 32,503 | 1.9 | 12 | 31,888 | 千葉県習志野市 | |
13 | 京成八幡駅 | 32,192 | 2.7 | 13 | 31,336 | 千葉県市川市 | |
14 | お花茶屋駅 | 31,250 | 2.7 | 14 | 30,429 | 東京都葛飾区 | |
15 | 京成千葉駅 | 26,619 | 4.4 | 15 | 25,506 | 千葉市中央区 |
不動産事業[編集]
主要なグループ会社[編集]
主に千葉県を中心にバスやタクシーなどの交通、観光関係の事業を展開しているグループ会社が多い。2003年10月1日にはバス事業が分社化されて京成バスとして再出発した。このほか、流通業を営むコミュニティー京成ではスーパー銭湯「笑がおの湯」を千葉県内で2店舗展開している。
京成電鉄が筆頭株主であるオリエンタルランド (OLC) の株式時価総額が京成電鉄を上回っているため、京成電鉄を買収することでオリエンタルランドの経営権を手にすることができることから、敵対的買収のリスクを抱えることを回避するため、買収防衛策を取り入れた。
なお、2005年7月になって東証2部上場の投資会社(バイアウト・ファンド)「プリヴェチューリッヒ企業再生グループ」(現・プリヴェ企業再生グループ)が筆頭株主となった。
2006年3月10日、OLCと京成電鉄は業務提携及び資本提携の強化を発表。また同関係を強固なものにするため、OLCは6日までに京成電鉄の普通株式を約1千万株(発行済み普通株式の約3.4%)取得したと発表した。これは、株式を持ち合うことにより上記のプリヴェなどによる企業から京成を経由してのOLCへの経営支配力を弱めることが目的とされている。
特記事項[編集]
「京成」を冠する駅名の扱い[編集]
- 京成電鉄は、正式名称に自社名を冠する駅(京成○○)の数が日本の鉄道会社の中でも多い。
- 京成電鉄では、自社線内向けの案内(車内放送や駅名標、行先表示など)においては原則として「京成○○」(例:京成高砂、京成千葉)という正式駅名から「京成」を省略し「○○」(例:高砂、千葉)と案内している[21]。ただし一部例外があり、京成津田沼駅については「京成津田沼」と駅名標や路線図に書かれている(方向幕や駅・車両の案内表示器は新京成電鉄保有の車両を除き「津田沼」とだけ表示)。これは、同駅の隣駅でかつJR東日本の総武線「津田沼駅」との乗り換えのための徒歩連絡駅である新京成線「新津田沼駅」が存在し、それらと区別するためである。また、幕張本郷駅においても「京成幕張本郷」と駅名標に書かれているが、ほぼ並行するJR総武線の幕張本郷駅と駅舎が事実上一体化している。ただし改札は別々で、中間改札も設けられていない。他にも、京成上野駅では所々で「京成上野」と表記されているものがあるが、車内放送などでは「京成」が省略されている。また、京成曳舟駅については、高架化された上りホームの駅名標では「京成曳舟」と表記されている(下りホームは従来通り「曳舟」)。
- 乗り入れ先の他社路線でも、基本的に「京成」を省いて案内するが、扱いが異なる。
- 京浜急行電鉄や都営浅草線では、多くが「京成」を省いて案内しているが、駅の時刻表や路線図の一部では「京成」が冠されている場合がある。逆に、京成線内では「京急○○」から「京急」を省いて案内することもある(例:京急久里浜→久里浜)。
- 北総鉄道では、駅名標や路線図では「京成」を省いているが、駅の案内放送や発車標では「京成」を冠して案内している(例:上野行きの場合「京成上野」と表示・案内される)。
- 駅入口の駅名表示は、近くに同名駅がある場合(例:上野・船橋)は「京成」が冠されているが、無い場合(例:高砂・八幡)は「京成」が冠されていない。
- 関屋・高砂・大久保・大和田・立石の各駅は、同名駅が同都県ではないので混同される恐れはない。
- 上野・八幡(本八幡)・船橋・成田・金町・幕張本郷・幕張・千葉の各駅は、同名(または括弧内)のJR、地下鉄、モノレールの駅と近接していて徒歩で乗り換えが可能である。
- 小岩・中山(下総中山)・西船(西船橋)・津田沼・佐倉・酒々井・曳舟・稲毛の各駅は、同名(または括弧内)の他社線への乗り換えに時間がかかる。徒歩5分から10分程度の距離にある小岩・西船・中山・曳舟・稲毛が振替輸送で使われる程度で、その他の駅については徒歩では20分以上要し連絡はバスに頼らざるを得ないため乗り換えには使われない。
- 中山は、横浜市に同名の中山駅が存在する(JR東日本 横浜線 と 横浜市営地下鉄 グリーンラインの乗換駅)。ほかに、高知県の土佐電気鉄道伊野線「中山停留場」がある。
- 八幡はかつて「新八幡駅」という駅名で、隣駅に「八幡駅」があったが、1942年8月に八幡駅が新八幡駅に統合され、同年11月に新八幡駅が現在の京成八幡駅に改称している。なお、北九州市にJR九州 鹿児島本線の駅である同名の八幡駅が存在するが、読みは「やはた」である。また、他社私鉄では名鉄豊川線に同音の「八幡駅」が、遠州鉄道に同字異音の「八幡(はちまん)駅」が存在する。
- 臼井は、福岡県嘉穂郡碓井町(現・嘉麻市)にJR九州上山田線の駅として同名の臼井駅が存在していたが、1988年に同線が廃止されたため、現在は存在していない。なお、京成電鉄が相互直通運転を行なっている北総鉄道の白井駅と混同されないように「うすい」と平仮名で表記している。
- 他社線との乗換駅(相互乗入に限らず)の場合も、非公式ながら駅名に京成○○と呼称する場合もある。主に地元の人が混乱を避けるために呼ぶ場合が目立つ(例:京成町屋など)。
- 乗り入れ先の他社路線でも、基本的に「京成」を省いて案内するが、扱いが異なる。
旅客向け案内[編集]
- 成田空港に関する詳細な案内がなされている。
- 2006年4月29日より一部の特急列車で英語の自動放送が行われている。内容は成田空港行では成田空港駅・空港第2ビル駅での降車駅案内と荷物検査案内、上野行では青砥・日暮里・上野の各駅での乗り換え案内である。放送の声はクリステル・チアリである。なお自動放送は市販のICレコーダーによるもので、車両の放送装置にはICレコーダーが接続できるよう工事が行われている。また2010年7月に成田スカイアクセスの開業に伴い、アクセス特急のみではあるが日本語での自動放送が導入された(ただし乗り入れ先の都営浅草線、京急線では肉声での案内のみ)。
- 案内放送の特徴として、「XXにはX時X分到着の予定です」と、「予定」の言葉を使用して放送している。
- 京成電鉄が所有する車両の中にある路線図は、京成線全線の路線図のほかに、京成グループの新京成線・北総線の路線図や、相互乗り入れ先である都営浅草線・京急全線・芝山鉄道線の路線図も英語表記・駅番号(新京成・京急のぞく)と共に一緒に書き込まれているため、大変サイズが大きく、書き込まれている駅数も多い。
- 2010年7月に成田スカイアクセス線開業と同時に駅の案内サインの更新も行われ、4か国語(日本語、英語、中国語、韓国語)の案内表示の更新、ユニバーサルデザインのピクトグラムの導入が行われた。英語での自動放送が導入されている駅もある。
列車および車両[編集]
- 京成電鉄では行商の人のために2013年3月29日まで「行商専用車」を運転していた。かつては専用列車が数往復していて、一部に押上発着もあったが、末期は普通列車1本(第732列車、7:46芝山千代田発・9:52京成上野着[22])のみであった。専用車は6両編成の最後尾の1両が充てられ、この車両には一般の旅客は乗車できなかった。ただし、稀に行商組合で定められた休日のみ当該時刻の列車であっても一般客に開放された。運用は6両固定すべてが入り、最新の3000形も「行商専用車」の札を横窓に下げ、5両目と6両目の間の貫通扉にも札を下げていた。同様の目的を持った列車としては、近畿日本鉄道で鮮魚の行商人専用に列車を貸し切っている鮮魚列車が2013年10月現在も運行されている。
- 2005年5月より平日上りの通勤特急の成田寄り1両に女性専用車を設定した。
鉄道施設内の商業撮影[編集]
京成電鉄は日本の鉄道事業者で初めて映画やテレビ番組・CMの撮影を鉄道施設内で行うことを認めた会社である。その後関連会社の北総鉄道でも実施され、同社の方が登場機会が多くなった。
元官僚などとの関係[編集]
経営危機に陥った1970年代後半に、運輸省(現在の国土交通省)出身の佐藤光夫が社長に、日本興業銀行出身の村田倉夫が副社長にそれぞれ外部招聘で就任し、それ以来ごく最近まで運輸省のOBや銀行出身者が経営に参画し、事実上の国家管理・銀行管理となっていた(厳密には国家管理・銀行管理ではない)。これは、不動産投資の失敗や石油ショック後の不況、成田空港関連の先行投資負担(及び開港の遅れによる損失)が重なって破綻寸前に追い込まれたためである。上野の京成百貨店が撤退したことや谷津遊園を閉園したのもこの影響である。佐藤・村田のリーダーシップのもとで京成はなりふり構わぬ徹底した経営再建を推し進め、その努力は1989年度の累積赤字一掃・復配により結実した。
広報誌[編集]
京成電鉄では、『京成らいん』という広報小冊子を毎月発行しており、京成電鉄各路線のすべての駅において専用スタンドに置かれている。1951年に「京成文化」という題名で創刊、その後「京成ライン」を経て「京成らいん」と改題。当初は有料で販売していた[23]が、現在は無料配布している。2008年2・3月号で通巻第600号を数えている。沿線案内や京成グループ各社のPRだけではなく、京成沿線にゆかりのある有名人・文化人などのインタビューコーナーもある。現在では京成電鉄ホームページからも最新号およびバックナンバー(ただし過去7号まで)をFLASH形式で閲覧することができる。
競馬[編集]
中央競馬では、三大都市圏の5場において観客輸送を担う鉄道事業者が特別競走に賞を出しているが、京成も中山競馬場の観客輸送をJR東日本とともに担っているため、京成杯と京成杯オータムハンデキャップ(共にGIII競走)に社杯を提供している。中山競馬場の最寄り駅は東中山駅である。特に皐月賞・有馬記念といったGI競走の時は特急が臨時停車することもある。
一方、地方競馬の船橋競馬場では1997年に南関東重賞(G3)「京成盃グランドマイラーズ」を創設、社杯提供を受け冠名が取られた。2006年のみ「京成盃スカイライナースプリント」という競走名で施行されたが、翌2007年より競走名を「京成盃グランドマイラーズ」に戻され、現在も南関東SIII競走として施行されている。船橋競馬場の最寄り駅は船橋競馬場駅である。船橋競馬においても休日開催などで多客となった時には特急が臨時停車することもある。
提携など[編集]
輸送関係[編集]
- オリエンタルランド - 京成電鉄沿線における新規事業展開や東京ディズニーリゾートへのゲスト輸送力のさらなる拡大、その他両社グループ会社双方の協力による事業展開を模索する業務提携。
- 近畿日本ツーリスト - 京成電鉄側は、子会社京成トラベルにおいて近畿日本ツーリストの旅行商品を主要商品と位置づけ、同商品の増売に取り組んでいる。近畿日本ツーリスト側は、主に京成電鉄の成田空港アクセスにおいて鉄道・バス・タクシーの利用促進を図る施策を検討、実施する業務提携をしている。
京成カード(自社発行のクレジットカード)関係[編集]
- 三菱UFJニコス - クレジットカード会社側として運営面の業務提携をしている。
- 千葉銀行 - 千葉銀行の取引実績により発生するポイント「リーフポイント」を京成カードのポイントサービス「京成グループポイント」に、交換することができる業務提携をしている。
- 中央三井信託銀行 - 京成カード所有者に対して、中央三井信託銀行の取引実績により「京成グループポイント」が発生するほか、住宅ローン金利優遇特典を提供する業務提携をしている。
- 楽天 - 「京成グループポイント」を「楽天スーパーポイント」に交換することができる業務提携をしている。
脚注[編集]
- ↑ 1.0 1.1 京成電鉄成田空港線の上限運賃認可と実施運賃についてPDF - 京成電鉄ニュースリリース(2010年2月19日)。それによると、北総線のみの各駅から成田湯川・空港第2ビル・成田空港の各駅までは、印旛日本医大を境にそれぞれの運賃を別計算した上で、当路線と同額になるように乗継割引を設定することが明記されたため、北総線のみの各駅が京成電鉄(成田空港線)と共用化されていないことが確定している。
- ↑ 京都市では1931年3月31日に新京阪鉄道(現阪急京都本線)が、神戸市では1933年6月17日に阪神本線が地下乗り入れを果たしている。
- ↑ 成田空港建設中から、開港、そして鉄道乗り入れ後も度々中核派などによって線路や会社関係者宅や関係施設に爆弾が仕掛けられることがあった。21世紀に入ってからはほとんど見られなくなっている。
- ↑ 京成線各駅で「駅ナンバリング」を導入いたしますPDF - 京成電鉄、2010年6月25日。
- ↑ 5.0 5.1 京成電鉄新本社業務開始日等決定のお知らせ PDF - 京成電鉄、2013年8月30日。
- ↑ 東京都内を走る関東の大手民鉄が東京都外に本社を構える例としては京成のほか、埼玉県所沢市の西武鉄道がある。
- ↑ 幻の京成新線計画 - ダイヤと交通論、2014年11月21日
- ↑ ただし、臨時列車のみで設定している列車種別を含めると京阪電気鉄道(快速特急が臨時列車のみの種別)が京成と同じ10種類、 阪急電鉄(直通特急が臨時列車のみの種別)が11種類の設定である。
- ↑ 「京浜急行の先頭電動車編成について」電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1998年7月臨時増刊号(通巻656号)掲載による。
- ↑ 1947年に火災で焼失したモニ7を銚子電気鉄道に譲渡した例があるが、台車は他車の部品を流用、車体は新製している。このほか、廃車発生品の冷房装置が長野電鉄に売却され、3500系電車の冷房改造に際して流用された例もある。
- ↑ 2009年3月期第2四半期決算説明会 京成グループ中期経営計画「F4プラン」の進捗状況について
- ↑ 「京成3300形青電塗装編成の営業運転終了」 - railf.jp(交友社『鉄道ファン』)、2013年2月19日
- ↑ 3月20日(水・祝)臨時列車「さよならリバイバルカラー赤電」運転 成田駅でさよならイベントを開催PDF -京成電鉄ニュースリリース、2013年3月12日
- ↑ 3324編成(赤電)の営業終了に伴い、運行予定表を掲出しますPDF
- ↑ 鉄道ピクトリアル2007/3臨時増刊号より
- ↑ 電装機器を東洋電機製造製で統一している点は、京阪電気鉄道の例と同様である。
- ↑ 京成電鉄成田空港線の上限運賃認可と実施運賃についてPDF - 京成電鉄、2010年2月19日。
- ↑ 京成線ご利用案内 - 京成電鉄
- ↑ 京成電鉄 - 駅別乗降人員 2014年7月2日閲覧
- ↑ 京成電鉄の駅別乗降人員(2012年度)2014年7月2日閲覧
- ↑ 京成同様に社名を冠した駅が多数ある近畿日本鉄道(計16駅、いずれも「近鉄○○」)でも同様に案内上社名を省略することが多い。一方、京浜急行電鉄(「京急○○」)や西武鉄道(「西武○○」)など首都圏の他社では社名は省略しないのが一般的である。
- ↑ 京成時刻表vol.26 75ページ
- ↑ 京成らいん 2008年2・3月号
参考文献[編集]
- 白土貞夫『ちばの鉄道一世紀』
- 京成電鉄『京成電鉄85年のあゆみ』
関連項目[編集]
- 京成グループ
- グングン京成 - テレビ・ラジオの提供番組で放送されたCMソング
- 京成パンダ
- BMK推進運動
- 筑波高速度電気鉄道
- スカイライナー
- エアポート快特
- 行商専用列車
- 京成電鉄のダイヤ改正
- 大栄車輌
- 舞浜リゾートライン
- 藤井浩二 - 京成OB
- こちら葛飾区亀有公園前派出所
- 男はつらいよ - 京成も撮影に協力し、路線が作中によく登場してきた。
- 3年B組金八先生 - 東武鉄道とともに、ドラマの中で荒川を渡るシーンなどがよく登場する。
- 鉄道むすめ - ドラマ『鉄道むすめ〜Girls be ambitious!〜』1話・2話にて、京成の成田空港駅が舞台となった。
- 読売ジャイアンツ - 1947年まで出資しており、筆頭株主であった。
- 目撃!ドキュン - 過去のスポンサー番組。