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+ | :同8月、コボスタ宮城の全面増築が完成、先行完成(3月)した楽天山観覧席と、8月に完成した3塁側上段の増設席を合わせ28,907人収容となった効果もあり、8月30日・ソフトバンク戦において、レギュラーシーズン・ポストシーズンを通して当球場歴代最多となる25,308人を集客したのを皮切りとして、観客動員記録を次々更新。最終的には1,450,233人(1試合平均単位で20,142人)の球団新記録を達成した。このうちコボスタ宮城に限れば67試合で1,350,293人(1試合平均20,153人)をマークした。 | ||
== チームの特徴 == | == チームの特徴 == |
2020年1月13日 (月) 01:16時点における最新版
東北楽天ゴールデンイーグルスは、日本のプロ野球球団。パシフィック・リーグに所属する。通称「楽天イーグルス」。2005年シーズンから新規参入した。NPBにおける12球団のうち、最も新しい球団である。運営法人の商号は「株式会社楽天野球団」(らくてんやきゅうだん)。
宮城県を保護地域とし、同県仙台市宮城野区にある楽天Koboスタジアム宮城を専用球場(本拠地)としている。また、二軍(イースタン・リーグ所属)の本拠地は同県宮城郡利府町にある楽天イーグルス利府球場である。さらにその他には球団全体の練習場と合宿所が同県仙台市泉区にある楽天イーグルス泉練習場などとして設けられている。
目次
球団の歴史[編集]
球団創立[編集]
2004年6月に明るみに出た大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併に端を発するプロ野球再編問題の渦中、同年9月に日本プロフェッショナル野球組織の加盟料撤廃(代って預かり保証金制度を実施)の決定を受けて、本拠地を神戸とするプロ野球参入の意思を表明。この時点では根来コミッショナーは「参入は時間的に難しい」と述べていた。9月24日に宮城県をフランチャイズ(地域保護権)とする新球団の加盟を申請した。
10月13日、初代監督に田尾安志が就任する事を発表。10月22日に新球団のチーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)と発表した。このときライブドアベースボール(呼称:仙台ライブドアフェニックス)も加盟申請を行っていたが、同年11月2日のプロ野球オーナー会議で楽天のみの参入が正式に承認された(プロ野球の新規参入球団は1954年の高橋ユニオンズ以来50年ぶり)。新規参入決定後の11月8日、近鉄とオリックスの選手を合併球団「オリックス・バファローズ」と新規球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」に振り分ける「分配ドラフト」が行われ、40選手の楽天入団が決定。
11月17日、新規参入決定後初のドラフト会議参加。明治大学の一場靖弘を自由獲得枠で、その他、即戦力選手6名を獲得。東北にゆかりのある選手には5巡目指名の塩川達也(東北福祉大学)がいた。その後、他球団から無償トレードならびに自由契約となった選手を次々と獲得(山﨑武司、関川浩一、飯田哲也等)。また、分配ドラフトでオリックスに指名されたが入団を拒否していた岩隈久志も金銭トレードで獲得している。
チームの新本拠地となる宮城球場は老朽化が著しかったため、楽天側の出資によってプロ本拠地としての使用に耐え得るよう2箇年計画で増改築されることが決まった。その一方で、球場を所有する宮城県は球場の命名権売却を決め、募集を開始。その結果、人材派遣会社の「フルキャスト」に年間2億円の3年契約で命名権を売却することが決定し、2005年3月、「フルキャストスタジアム宮城(略称:フルスタ宮城)」に改称される。なお、命名権は二軍のチーム名についても売却を予定していたが、こちらの方は契約先は存在していない。
また、チームの練習場・合宿所は宮城球場に程近い宮城野区内にあるJT硬式野球部(2004年休部)の施設(JT球場など)を活用することを検討していたが、交渉がまとまらず断念。仙台市内での育成施設整備は難航を極めた。一方、二軍本拠地については楽天・ライブドアの参入計画が浮上した段階で秋田県と山形県が誘致に名乗りを上げていたが、楽天側は仙台市に近い山形県を本拠地とすることを決め、山形市近郊の東村山郡中山町にある山形県野球場(現:荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた)を使用することになった。その後、練習場・合宿所などは天童市にある山形県総合運動公園内に整備する計画が立案された(整備までの当座の措置として、山形市内の公共宿泊施設を仮の合宿所として使用した)ものの、選手の大半が仙台市近郊に在住し、また当時は選手の一・二軍間の入れ替えが頻繁であったため必要性に疑問が生じ計画は白紙化。仙台市内に育成施設を整備する計画に転換した(但し二軍本拠地は変更しない)。
新規参入決定直後の秋季キャンプは白地に楽天のロゴが入ったジャージを着て藤井寺球場で行われた。
田尾監督時代[編集]
- 2005年
2月1日、沖縄県久米島での春季キャンプで本格的に始動。2月26日、新大分球場にて球団として初のオープン戦となる対読売ジャイアンツ戦が行われ、4対3で勝利。オープン戦は16試合で7勝8敗1分。
3月26日、パ・リーグ公式戦が開幕し、楽天は球団として初の一軍公式戦となる千葉マリンスタジアムで千葉ロッテマリーンズと対戦し、先発の岩隈久志が完投し3対1で勝利。球団創立以来一軍公式戦で1試合も戦っていなかった球団が、球団創立以来一軍公式戦で1試合以上は戦っている球団を対戦相手に初戦を勝利したのは、日本プロ野球史上初のことである。翌27日の第2戦は、打線が渡辺俊介に1安打に抑えられ、2リーグ制開始以降としては最大得点差の0対26で公式戦初敗戦。その後、4連敗。4月1日、本拠地初戦となる西武ライオンズ戦では初回先頭打者の礒部公一が岡本篤志からバックスクリーン直撃の球団史上初の公式戦本塁打を放つなど、16対5でチームは開幕戦以来のシーズン2勝目。しかし、4月15日の対北海道日本ハムファイターズ戦から29日の対西武戦にかけて11連敗で、勝率が2割を切る。このため、4月30日にGMのマーティ・キーナートをチームアドバイザーに(GMのポストは当面空席)、またヘッドコーチの山下大輔と打撃コーチの駒田徳広を二軍にそれぞれ降格(替わって二軍監督の松井優典と同外野守備・走塁コーチ橋上秀樹が昇格)させるなど、コーチングスタッフを大幅に入れ替えた。
5月6日より、この年から始まったセ・パ交流戦の成績は11勝25敗で最下位に終わる。7月には10勝9敗1分けで球団史上初の月間勝ち越したものの、8月にはシーズン2度目の11連敗を喫するなどして、29日の対日本ハム戦(フルスタ宮城)でシーズン最下位とパ・リーグ全球団への負け越しが決まった。8月中にシーズン最下位が決まったのは1952年に於ける8月20日に決まった近鉄パールス以来53年ぶりであった。9月25日のホーム最終戦(対ロッテ戦)終了後、田尾監督のシーズン終了をもっての解任が発表される。最終成績は38勝97敗1分(勝率.281)。開幕前から囁かれていた「シーズン100敗」こそ辛くも免れたものの、5位の日本ハムとは25ゲーム差、レギュラーシーズン1位のソフトバンクとは51.5ゲーム差を付けられた。2リーグ制以降の新球団の初年度の成績としては最低の勝率となった。チーム最多勝は岩隈久志の9勝で、その次は福盛和男の4勝など戦力的に他球団と格段の差があった。
田尾の後任に、野村克也が就任。
野村監督時代[編集]
- 2006年
弱者の戦略として「無形の力を養おう!」をスローガンに掲げ、チーム力の育成を図った。この年は前年より補強を進め、西武を自由契約となったホセ・フェルナンデス、同じく横浜ベイスターズlからセドリック・バワーズ、台湾からは林英傑、元ロッテのリック・ショートを獲得。
オープン戦では初めて主催試合が組まれたが、本拠地フルスタ宮城での開催は前年同様に改修工事実施のため行われず、倉敷マスカットスタジアム、香川県営野球場、静岡県草薙総合運動場硬式野球場の3球場で計4試合が組まれた。
リーグ戦開幕直前には泉区に練習グラウンド・室内練習所・合宿所が完成(家電量販店大手のデンコードーと命名権契約を結び、「デンコードースタジアム泉」と名付けられた。その後2008年3月末を以って命名権を返上している)。イースタン・リーグ公式戦では使用せず、練習専用施設として使用されるようになる(ただし、アマチュアの社会人チームとの練習試合で使用されることはある)。練習グラウンドと同敷地内に設けられた合宿所は「泉犬鷲寮」と命名された。
3月25日、開幕戦の対日本ハム戦(札幌ドーム)は岩隈久志が故障のため、前年2勝止まりだった一場靖弘が開幕投手を務めるが敗れ、開幕5連敗の後、31日の対福岡ソフトバンクホークス戦(フルスタ宮城)でシーズン初勝利。交流戦では5月25日の対ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)でリック・ガトームソンからノーヒットノーランを喫した。最終成績は17勝19敗で7位。後半に入ると、8月20日の対オリックス戦(スカイマークスタジアム)でリーグ戦初の同一カード3連勝。9月以降の成績を9勝10敗1分としたものの、9月23日の対西武戦で開幕から5位以上となる事なく2年連続最下位が決定。最終成績は47勝85敗4分で5位のオリックスとは4.5ゲーム差の最下位。ホセ・フェルナンデスが球団初のタイトルとなる、ベストナイン(三塁手)を獲得。
9月25日に行われた高校生ドラフトでこの年の夏の高校野球準優勝校・駒大苫小牧の田中将大投手を1巡目指名。日本ハム、オリックス、横浜との競合の末、抽選で交渉権を獲得し、入団している。
- 2007年
3月24日、開幕戦のグッドウィルドームの対西武戦で岩隈久志が2年ぶりの開幕投手を務めたが敗戦。翌25日の第2戦は2年目の青山浩二で勝利するが、その後4連敗。4月1日、対オリックス戦(フルスタ宮城)では3回裏にホセ・フェルナンデスと山﨑武司がそれぞれ満塁本塁打を記録(1イニング2本の満塁本塁打は日本タイ記録)。同17日〜19日の対ソフトバンク3連戦では初のホーム3連勝している。5月には、山﨑が球団初となる月間MVPを受賞。
7月2日、オールスター戦で8選手がファン投票で選出され、田中将大、松本輝(故障により出場辞退)、福盛和男、嶋基宏、高須洋介、鉄平、礒部公一、山崎武司と楽天の選手が占めた。しかし、実力が伴っているか否かに関係なく選ばれたため、監督の野村克也は中間発表時点で「オールスターじゃなく、オールスターダストや」と苦言を呈し、この年の全パ監督を務めた日本ハムの監督のトレイ・ヒルマンも「ファンのマナー違反だ」と発言した。
8月は月間15勝。9月も好調を維持し、初の2カ月連続勝ち越し。29日の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)で3年目にして球団史上初の最下位脱出を決め、最終的には67勝75敗2分(勝率.472)で3位のソフトバンクにも7.5ゲーム差の4位。対ソフトバンク、オリックス戦では初の球団別シ-ズン対戦成績で勝ち越している。総得点575(2位タイ)、総失点676(6位)と打撃陣がチームを牽引したシーズンだった。山﨑武司が球団初の打撃部門タイトル獲得となる43本塁打108打点の成績で本塁打、打点の二冠王となり、田中将大が球団初の新人王を獲得。
楽天のホーム最終戦翌日の10月5日、フルキャストとの命名権契約解消で本拠地の名称が元の「宮城球場」に戻り、日本製紙が本拠地・宮城球場の命名権を取得。1月1日に「日本製紙クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)」と改称(その後、同社の不祥事が発覚。命名権契約解消は免れたが、ペナルティとして社名を削除。2月15日付で「クリネックススタジアム宮城(略称は変わらず)」に再改称した)。
- 2008年
3月20日、開幕戦の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)では9回裏に逆転サヨナラ3ラン本塁打を打たれて敗れ開幕から4連敗するが、その後7連勝で4月3日の対ロッテ戦(Kスタ宮城)で球団史上初の単独首位に浮上(2日後に首位陥落)。交流戦では初の勝ち越し(13勝11敗)。6月までは好調を維持したが、7月は24試合で5勝17敗2分と大きく負け越し。8月以降も岩隈久志が奮闘するものの負けが込む。シーズン最終戦となる10月7日の対ソフトバンク戦(Kスタ宮城)において延長12回にサヨナラ勝ちし、最下位を脱出。65勝76敗3分の5位に終わった。チームの総得失点差は+20で、球団初のプラスとなった。また、チーム防御率も初の3点台でパ・リーグ3位、チーム打率は12球団トップだった。岩隈が21勝を挙げ投手三冠王を獲得パ・リーグMVP、沢村賞、ベストナイン(投手)に選ばれている。
シーズン終了後、3年契約が切れることになっていた野村の監督に於ける契約延長が決定。翌年も引き続き楽天を指揮することになった。また、オフには巨人から小坂誠を金銭トレード、中日からは中村紀洋をFAで獲得。小坂は球団初の宮城県出身選手、中村は球団初のFA加入選手となった。
- 2009年
1月にメジャーリーグベースボールのオークランド・アスレチックスとの業務提携を開始した。WBC開催に伴い公式戦開幕が4月3日に設定されたため、初めて本拠地(Kスタ宮城)でオープン戦を開催(3月23日の対オリックス戦と翌24日の対西武戦)。
4月3日、開幕戦の対日本ハム戦(札幌ドーム)から4連勝で4月15日まで首位に立ち、一端首位から落ちたものの初めて4月を首位で終え5月11日まで首位だったものの、交流戦では6連敗するなど最終的には9勝15敗の10位。7月も8連敗するなど低迷は続く。しかし、8月以降の3カ月で38勝27敗として。9月12日の対ソフトバンク戦では球団史上初となるクライマックスシリーズ進出のマジックナンバー19が点灯し、10月3日の対西武戦(Kスタ宮城)で球団史上初のCS進出かつ、初のAクラス入りを決めた。同9日の対オリックス戦で勝利し、リーグ2位が確定し、CS第1ステージ地元開催権を獲得。最終的には77勝66敗1分(勝率.538)と初のシーズン勝ち越しを決めた。投手陣では3人の投手(岩隈、田中、永井)が2ケタ勝利を挙げた。
10月12日、野村は球団から監督退任を通告される。10月16日から行われたCSの第1ステージはKスタ宮城でソフトバンクと対戦し2連勝で第2ステージ進出するものの、札幌ドームでの日本ハムとの第2ステージは第1戦では最終回に4点リードを守り切れず、逆転サヨナラ負け。第4戦に敗れ通算1勝4敗で敗退。CS終了後、野村は契約期間満了に伴い退任。
後任の監督に、この年まで広島東洋カープ監督のマーティ・ブラウンが就任。野村は、翌年3月16日に就任要請を受けていた球団名誉監督に正式に就任している(期間は3年)。
ブラウン監督時代[編集]
- 2010年
スローガンは『Smart & Spirit 2010 Eagle Fire!』(鷲が強い情熱を持って突き進んでいく)。
3月20日、開幕戦の対オリックス戦(京セラドーム)に1対0で敗れ、その後チームは4連敗。交流戦は12チーム中第5位(3位と同率も前年度順位が考慮された)となったが、この年の交流戦は上位6チームをパ・リーグが独占。そのためリーグでの順位が浮上することはなかった。交流戦終了後は負けが込むようになり、6月26日の対ソフトバンク戦で単独最下位になって以降は1度も順位を浮上させることができず、9月19日に4年ぶりのリーグ最下位が確定した。開幕から1度も勝率を5割に乗せることができず、最終戦績は62勝79敗3分で優勝したソフトバンクとは15ゲーム差、5位のオリックスとは7.5ゲーム差。ホームゲームの平均観客数も前年より1000人近く減少。こうした事情から球団は9月29日のシーズン最終戦終了後、ブラウンの監督解任を発表。
ブラウンの後任に、中日ドラゴンズ、阪神タイガース元監督で阪神シニアディレクターの星野仙一が就任した。
星野監督時代[編集]
- 2011年
メジャーリーグ経験者の岩村明憲や松井稼頭央を獲得。また、ポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ移籍を表明していた岩隈久志も入札で独占交渉権を獲得したオークランド・アスレチックスとの交渉が決裂し、楽天に残留。キャプテン制度導入に伴い、鉄平が球団初代キャプテンに就任。チームスローガンは「Smart & Spirit 2011 真っすぐ」。
当初、3月25日のKスタ宮城での対ロッテ戦で創設以来初の本拠地開幕戦を迎える予定であったが、3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)でKスタ宮城が損壊したことにより、開幕戦が延期となった。この日、チームは兵庫県立明石公園第一野球場でロッテとのオープン戦の試合中で、選手は全員無事であった。13日に練習再開、17日までオープン戦を行わず、18日に震災発生以来初めて中日とオープン戦を行い、関西などを中心に開幕までの練習を行い、試合後などには球場や街頭などで募金活動を行っている。4月2日、3日には12球団によるチャリティー試合が行われ、楽天は札幌ドームで日本ハムと対戦している。このとき嶋基宏が、「見せましょう野球の底力を」とスピーチした。4月7日に震災以来チームとして初めて仙台に戻り、27日目の仙台入りに星野監督は「遅くなってすみませんでした。ごめんなさい」と訪れた避難所で謝罪している(この真っ最中にも強い余震が起きた)。4月11日にはフアン・モリーヨが震災で精神的な打撃を受けたとして球団に退団を申し入れ、了承された。 一方で、地震の影響でKスタ宮城に照明塔など47箇所の損壊が認められ、修復工事が必要となったことから、一時的に関西で主催試合を代替で行うことになった。この年のセ・パ両リーグの開幕日は4月12日に延期。同日の開幕戦はQVCマリンフィールドでの対ロッテ戦、主催試合初戦は同15日からの阪神甲子園球場。そして、本拠地・Kスタ宮城での初戦は宮城県が「震災復興キックオフデー」とした同29日の対オリックス戦となり、いずれも勝利した。
4月を9勝6敗で2位で終えたが、5月は7勝14敗2分と負け越し、岩村や鉄平が打率1割台で低迷、岩隈が18日離脱した事が原因とされ、18日には5位、翌6月4日には最下位となっている。交流戦も9勝13敗2分の9位と低迷。一方で田中将大が6、7月に連続して月間MVPを受賞するなどの活躍もあり、7月には永井怜が故障で離脱したものの、岩隈が復帰、ダレル・ラズナーが抑えに転向し5セーブ、新人の塩見貴洋が2勝を挙げるなどもあり、12勝10敗1分と勝ち越す。8月、前半に7連敗するが、後半に球団タイの7連勝もあり勝ち越すが、9月は8勝14敗と失速。終盤までクライマックスシリーズ進出争いには加わったものの10月13日に進出の可能性がなくなり、最終的に66勝71敗7分、首位のソフトバンクと23.5ゲーム差、3位の西武と3ゲーム差の5位となった。統一球の影響もあり、本塁打は球団最少の53本で、7月から8月にかけ17試合連続で無本塁打の球団ワースト記録。ヤフードーム(11試合)と札幌ドーム(8試合)においてはそれぞれ本拠地球場となってからはパリーグ球団初の本塁打0に終わっている。田中が最多勝、最優秀防御率、最優秀投手、最多完封の四冠王とゴールデングラブ賞の投手部門を獲得。山崎武司が戦力外通告を受け退団。
1月、岩隈久志がMLB・シアトル・マリナーズにFA移籍。
チームスローガンは「Smart&Spirit2012 ともに、前へ。」。
3月30日、球団初の本拠地開幕戦となる対ロッテ戦が行われたが、3対5で敗れている。交流戦は10勝14敗で9位。オールスター直前までの前半戦を40勝38敗3分の3位として、球団初のAクラス、勝率5割以上で折り返すが、後半戦に入り8連敗を記録するなど順位を下げる。9月を勝ち越して終盤までソフトバンク、ロッテとクライマックスシリーズ進出争いを展開するが、10月4日の139試合目の対西武戦(Kスタ宮城)で引き分けてBクラスが確定した。最終戦のロッテ戦(Kスタ宮城)に勝利し、67勝67敗10分で、首位の日本ハムと7.5ゲーム、3位のソフトバンクと1ゲーム差の4位に終わるが、3年ぶりにシーズン5割以上の成績を残した。
同年8月1日付で元球団会長の三木谷浩史が球団オーナーに復帰し、球団社長には証券会社勤務だった立花陽三が就任。
シーズンオフにはMLB・ダイヤモンドバックスからFAとなった斎藤隆を獲得し、岩村明憲に戦力外通告。名誉監督の野村克也も任期満了で同職を退任。
- 2013年
- チームスローガンは「Smart & Spirit 2013 HEAT!」
- 開幕投手と見られた田中将大がWBCでの疲れから辞退した事で、開幕戦の対ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)は則本昂大が新人投手としてはパ・リーグ史上55年ぶりの開幕投手となるが1対7で敗れている。4月27日の対西武戦(西武ドーム)に9対2で勝利し、球団通算500勝を達成するが、序盤から5割前後の成績で4月を9勝13敗と負け越し、5月3日には借金が4になるが、その後は勝ち星を伸ばし、交流戦はソフトバンクと優勝を争ったものの、0.5ゲーム差の2位に終わる。7月4日に首位のロッテに勝利し、6月以降では球団初の同率首位に並ぶと7月6日に単独首位に浮上、前半戦をそのまま首位で折り返し、以降は首位を明け渡す事はなく。
8月28日に球団史上初の優勝へのマジックナンバー28が点灯する。その後9月1日にマジックが消滅するものの、9月5日に再点灯し、9月22日の対日本ハム戦(札幌ドーム)に15対1で勝利し、4年ぶり2度目のクライマックスシリーズ進出が決定し、翌9月23日の同戦で球団新記録のシーズン78勝とした。そして優勝へのマジック2で迎えた9月26日、マジック対象チームのロッテが対日本ハム戦(札幌ドーム)で敗れ、楽天が対西武戦(西武ドーム)で4対3で勝利したことで、楽天球団初のパ・リーグ優勝が決定した。球団創設9年目での優勝は日本プロ野球史上5番目のスピードでの達成。
- クライマックスシリーズファイナルステージ(Kスタ宮城)では3位のロッテと対戦し、4勝1敗で日本シリーズに初めて進出を決めた。巨人との日本シリーズでは、3勝2敗で王手をかけた第6戦で2対4で敗れ、先発の田中将大がこの年シーズンから通じて初めての公式戦で敗戦投手となりタイとされるが、11月3日の第7戦(Kスタ宮城)に3対0で勝利し、4勝3敗で初出場で初の日本シリーズ優勝を達成した。同月、台湾で開催されたアジアシリーズでは、11月19日の準決勝の対統一セブンイレブン・ライオンズ戦(台湾・中華職業棒球大聯盟)に1対4で敗れたため、日本からの出場チームでは初めて決勝に進めなかった。
- 田中将大が8月に開幕からの公式戦連勝と、前年8月26日からの公式戦連勝の日本プロ野球新記録を樹立、シーズン後にはこれらの記録とポストシーズンの2勝を含めた30連勝がそれぞれギネス世界記録に認定された。24勝0敗1セーブで日本プロ野球史上初のシーズン無敗での最多勝を達成、最優秀防御率と勝率第1位も獲得。沢村賞、MVPを獲得。チームからはゴールデングラブ賞は3人、ベストナインには4人がそれぞれ選出、新人王に則本昂大が選出された。11月24日、優勝パレードが仙台市内中心部で行われ、約21万4千人の観衆を動員した。
- 2014年
- 1月23日、田中将大がポスティングシステムでMLBニューヨーク・ヤンキースに移籍。5月26日、星野仙一が腰痛の為、対ヤクルト戦(神宮)で休養し、投手コーチの佐藤義則が指揮を執った。翌27日に腰椎椎間板ヘルニアと胸椎黄色靱帯骨化症であることと星野の休養と、佐藤義則が監督代行をつとめることが発表された。7月2日、監督代行に二軍監督の大久保博元がつき、佐藤は一軍投手コーチに専念することになった。7月24日より星野が監督に復帰するが、チームは低迷し、9月6日にはリーグ優勝の可能性が消滅し、9月18日に星野が監督退任を発表、9月29日にはBクラスが確定、10月7日の対オリックス戦(コボスタ宮城)に敗れ、最下位が確定した。なお前年優勝チームの最下位は前年の日本ハムに次いで史上5度目。10月14日、次期監督に二軍監督の大久保博元の就任を発表。
- 同8月、コボスタ宮城の全面増築が完成、先行完成(3月)した楽天山観覧席と、8月に完成した3塁側上段の増設席を合わせ28,907人収容となった効果もあり、8月30日・ソフトバンク戦において、レギュラーシーズン・ポストシーズンを通して当球場歴代最多となる25,308人を集客したのを皮切りとして、観客動員記録を次々更新。最終的には1,450,233人(1試合平均単位で20,142人)の球団新記録を達成した。このうちコボスタ宮城に限れば67試合で1,350,293人(1試合平均20,153人)をマークした。
チームの特徴[編集]
- 「ゴールデンイーグルス」の名称は、東北地方の深山に棲息する猛禽類・イヌワシに因む。当初は単に「イーグルス」とする予定であったが商標の関係で「ゴールデンイーグルス」となった。なお、戦前に存在した球団「後楽園イーグルス→イーグルス」とは無関係である。
- 札幌ドームでの北海道日本ハムファイターズ・西武ドームでの埼玉西武ライオンズ同様、コボスタ宮城開催の主催試合では3塁側ベンチに座っている。
- 毎年5月19日を「ゴールデンイーグルスの日」に制定。これは「ゴ(5)ールデンイ(1)ーグ(9)ルス」の語呂合わせに由来する。
- 5月19日に開催された主催試合の来場者には、この日限りの記念グッズが進呈された。
- ホームであるコボスタ宮城は野外球場である上、やませの影響もあり雨や濃霧による中断、コールドになる試合が多く、その中断分も含めて試合が長丁場になる事が他球団に比べ多い。
- 野村監督就任以降は規律を重んじる傾向で、染髪、長髪、モヒカン等の髪型、髭は禁止されている。
ユニフォームの変遷[編集]
親会社・楽天のイメージカラーであり、イーグルスのチームカラーでもあるクリムゾン・レッド(えんじ色)を基調としている。肩・脇腹に2本の細ライン、パンツに1本の細ラインが入っている。帽子は、えんじ色をベースに白文字の「E」。2011年からは株式会社デサントとオフィシャルプラチナスポンサー契約を締結し、ユニフォームなどのウェアを提供している。胸に、スポンサー・アイリスオーヤマのワッペンが付く。
- 2009年の左袖に、球団創立5周年を記念して「5th Anniversary」のロゴマークをデザインしたワッぺンが付いた。
- 2011年の右袖に、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)犠牲者追悼の意を込め、黒の1ライン(喪章)が入り、「がんばろう東北」ワッペンが付く(「がんばろう東北」ワッペンは2012年も継続)。
- 2012年シーズンより、ホーム、ビジターともにヘルメットがツヤありからツヤなしに変わった。
ホーム用[編集]
白地で、胸ロゴは鷲の翼章付き「EAGLES」。その上に小さく「RAKUTEN」の文字があり、胸ロゴ・背番号・胸番号・帽子マークにはえんじ色の文字に黄色の縁取りが施されている。
- 2005年 - 2010年:シャドー・ストライプが広めの等間隔に入っていた。
- 2011年 - :胸番号・背番号・背ネームの字体が前年からビジター用(後述)のユニフォームで採用されているものと同じとなった。さらに、東日本大震災の犠牲者に哀悼の意を込めて左袖に袖を一周するリング状の喪章、震災からの復興の願いを込めて左腕に「がんばろう東北」のワッペンを追加した(喪章は2011年のみ採用)。また、同年からはキャプテン制度導入に伴い、キャプテン選手[注釈 1]にはキャプテンマークとして、ユニフォームの右胸に「C(ホーム用は金色縁に赤、ビジター用は金色縁に白)」のワッペンが付いている。2014年、胸番号・背番号・背ネームの字体が再度変更された。
- 2013年の「レジェンド・シリーズ2013」では、ビジターゲーム(8月30日〜9月2日・福岡ソフトバンクホークス対東北楽天ゴールデンイーグルス (福岡 ヤフオク!ドーム))でもホーム用ユニホームを着用して試合を行った。
ビジター用[編集]
上着がクリムゾン・レッド、パンツが白(ホーム用と同タイプ)のツートンカラーを採用。
- 2005年 - 2009年:胸ロゴは「RAKUTEN」で、立体的に見えるように胸ロゴに黄色のシャドーが入っていた。
- 2010年 - :胸ロゴのデザインが「Rakuten」に変更され、黄色のシャドーは廃止、胸番号・背番号・背ネームの字体も変更した。コンセプトは「シンプル&スマート」。2014年、胸番号・背番号・背ネームの字体を変更。
限定ユニフォーム[編集]
この他、期間限定での「3rd(または4th)ユニフォーム」が下記のとおり採用されている。
- 2006年 - 2009年:交流戦期間のホーム開催試合のみ着用するサードユニフォームが登場。胸ロゴは左胸に帽子と同じ「E」マーク、胸番号が右胸につく。肩、脇腹にクリムゾン・レッドのラグランスリーブラインが入る。背番号、胸番号の書体は、かつて西鉄ライオンズが採用していた角文字が使われている。
- 2007年:「ファンクラブデー」期間限定のファン投票によって選ばれたホーム用が初登場。交流戦用ユニフォームと同タイプであるが、胸に帽子と同じ「E」ロゴが大きく配置されている。胸番号は無し。背番号、選手名はカッパープレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
- 2008年7月11日 - 13日の対千葉ロッテマリーンズ3連戦で2008年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。胸ロゴは左胸に「RAKUEN EAGLES」のロゴが縦置きに配置、右胸の胸番号、背番号、選手名はカッパープレート・ゴシック体。肩、脇腹、背中にクリムゾン・レッドが施されている。
- 2010年 - 2011年:夏休み期間限定のサードユニフォームが登場。フロント部分は白、脇(肩から両袖・わき腹にかけて)にはえんじ色のラグランデザインが使用され、胸に大きく「TOHOKU」の文字、その下に小さく「RAKUTEN」とある。右袖には帽子と同じ「E」マーク、左袖に「楽天」ロゴが入り、パンツは普段のホーム用をそのまま使用。東京ドーム以外での地方主催試合開催(いわゆる「東北シリーズ」で、郡山・秋田、岩手)、及び夏休み期間中のKスタ宮城での12試合を合わせた15試合で着用した。2011年も同様に、地方2試合(秋田・岩手)・8月のKスタ宮城での12試合、計14試合にて着用。
- 2011年:「球団創設7年目特別企画ユニフォーム」としてイーグル・レインボーを採用。「虹(夢の架け橋)」をコンセプトに胸下・両袖をクリムゾンレッドを含む7色の帯で構成しており、胸部は通常デザインとは異なる紺色の「Eagles」ロゴに加え左胸下に鷲のイラストが入る。パンツはクリムゾンレッド(後側のみ紺の縁取り)のラインが入り、腰部に背番号が入る。アンダーシャツは紺色。キャップも通常デザインではなく白抜きの紺色・ゴシック体の「E」となる。5月28・29日の対阪神2連戦ならびに6月11・12日の対中日2連戦(いずれもKスタ宮城)の交流戦計4試合で着用した。
- 2011年7月1日からの対千葉ロッテマリーンズ3連戦では2011年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。胸には「E」の一文字ロゴ、肩と脇下には4色のラインが入る。また左袖には東北地方の地図が入ったファンクラブオリジナルエンブレムが入る(「がんばろう東北」ワッペン及び喪章は右肩に移動)。
- 2012年6月29日からの対福岡ソフトバンクホークス3連戦で2012年度版「ファンクラブデー」ユニフォームを着用。普段はビジター用で使われるクリムゾンレッド生地に左胸に「E」の一文字ロゴマーク。右袖に「がんばろう東北」ワッペン、左袖には2012年ファンクラブの証である「ファンクラブワッペン(東北地方の地図が入ったファンクラブオリジナルエンブレム)」が付く。袖には犬鷲の羽ばたく翼と、「足」を生かした野球からイメージする「疾走感」も表現した白のラインが4本ずつ、両袖合わせて8本のラインをあしらい球団創設8年目であることを表現、同じく脇に4本のラインをあしらったキャップもオリジナルのものを使用。
- 2012年7月27日 - 8月26日に行われた26試合(ホーム17試合・ビジター9試合)で、「イーグル・スター」ユニフォームを着用する。「イーグル・スター」は「星に願いを(WHEN YOU WISH UPON A STAR)」をテーマに作られた。アイボリー地にクリムゾンレッドのストライプ(楽天のユニホームにストライプが使われるのは、球団創立以来初)をあしらったデザインで、左袖には星を象ったロゴのワッペンが貼られていて、勝ち星を重ね優勝すること、そして東北の早期復興への願いがひとつの「星」に込められている。
- 2013年7月26日~8月25日の期間中に福島県・岩手県・秋田県・山形県の地方球場で開催する1軍公式戦とKスタ宮城で開催する1軍公式戦、青森県などで開催する2軍公式戦の合計29試合で着用する企画ユニフォーム企画「TOHOKU GREEN(トーホク・グリーン)」を発表。「東北の緑が変わることなく、美しくあり続けることへの願い」をテーマに、ベースの色に「つね(常)に変わらない」という「常磐」の意味を持つ色「常盤色」を使ったデザインのユニフォームで東北の早期復興、美しき東北の自然の保全、そして東北楽天ゴールデンイーグルスが常勝チームになることへの願いをテーマに作られた。ユニホームは常盤色をベースに胸には「TOHOKU」、また、キャップも常盤色をベースにした。胸ロゴ・帽子ロゴ・背番号は赤縁に白。なお、ユニホーム下とアンダーシャツは通常のものを使用。
球団旗の変遷[編集]
- 2005年 - :親会社のイメージカラーであり、球団のチームカラーでもあるクリムゾン・レッド(えんじ色)を地色に、中央に白文字のチームロゴ(左右両端の文字は鷲の翼をイメージした「EAGLES」、その上に小さく「RAKUTEN」)。
マスコット[編集]
- クラッチ
- イヌワシをイメージした(背番号は10で、この球団の永久欠番に該当する。)。名前は一般公募され、英語のclutchに「ぎゅっとつかむ」「わしづかみ」という意味があり、また「勝負強い打者」を英語でクラッチヒッター(clutch hitter)と言うことから、「勝負強いチームになって、みんなの心をわしづかみにしてほしい」という願いを込めて決定された。
- クラッチーナ
- 「クラッチを元に女の子らしい名前を」ということで球団側が名づけた。ピンク色の羽毛が特徴。
- Mr.カラスコ
- 非公認マスコット。当該項目を参照。
- 超特大ゴーヤ
- Baby-brown
- ピーマン ボン ジョルノ .カンパニー
- 未公認マスコット。当該項目を参照。
主な歴代の球団歌[編集]
公式応援歌[編集]
- THE マンパワー!!!(作詞・作曲:つんく♂(シャ乱Q)、歌:モーニング娘。)
- 2005年4月1日に行われた主催ゲームかつ本拠地の開幕戦である対西武戦と同年5月8日に行われた対巨人戦ではフルキャストスタジアム宮城で披露され、スカイ・A「サテライトスタジアム」の中継のエンディングや、東北ANN各局ネット「黄金鷲団」のオープニング・エンディングでも使用されている。
- イーグルスのオーナーである三木谷浩史の個人資産管理会社が所有する(楽天グループでは無い)ヴィッセル神戸(Jリーグ)が2004年の本拠地開幕戦に松浦亜弥をゲストに呼んだことがハロー!プロジェクトとのつながり、さらにこの曲の誕生につながった。
- LET'S GO 楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:DEF.DIVAと楽天イーグルス応援隊)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第2弾。コーラスでつんく・カントリー娘。・メロン記念日が参加。前作「THE マンパワー!!!」に球団関連の歌詞がなかったためにファンの間で定着しなかった反省から、「楽天」「楽天イーグルス」「東北楽天ゴールデンイーグルス」といった球団名が曲の中に合計30回登場する。CDは2006年3月25日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、3月28日のホーム開幕戦(対オリックス戦)で披露された。また前作に引き続きスカイ・A「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」(「サテライトスタジアム」から番組名変更)のエンディングテーマソングとして使用されている。
- 前作から引き続き参加しているのは前作でモーニング娘。のメンバー、今作でDEF.DIVAのメンバーとして参加している石川梨華のみである。
- ダイスキ楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:GAM)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第3弾。CDは2007年3月24日にWEB販売の楽天イーグルスオフィシャルショップ限定で発売され、4月1日のホーム開幕戦(対オリックス・バファローズ戦)で披露された。この曲もスカイ・A sports+「sky・A STADIUM LIVE RAKUTEN わしづかみ」のエンディングテーマソングとして使われている。
- 越えろ!楽天イーグルス(作詞・作曲:つんく♂、歌:℃-ute)
- ハロー!プロジェクトによる公式応援歌第4弾。2008年3月20日発売。仙台駅構内・楽天イーグルスオフィシャルストア、Hello!Projectオフィシャルショップのみで発売。PVに、岩隈久志・山崎武司ら楽天所属選手(当時)が出演。
- なお、PVは前述の選手登場のバージョンのほか、℃-uteメンバーのみ出演のバージョンのものも存在する。
- 球場での披露に関しては3月29日のホーム開幕戦のみ。
- 紅の翼(歌:堀内孝雄)
- つんく♂と同じアップフロントエージェンシー(現:アップフロントプロモーション)の堀内孝雄が歌う公式応援歌第5弾。
- 紅の翼 2011 ~さあ行こう戦いの舞台へ~(作詞:庄司哲洋、作曲・歌:堀内孝雄)
- 紅の翼が制作された2009年は球団創設5年目の節目の年でクライマックスシリーズ進出を果たした記念すべきシーズンであった。このシーズンを越えるべく制作された公式応援歌である。
公式球団歌[編集]
- 羽ばたけ楽天イーグルス(作詞:藤巻浩・勝山聡・井岡美里、作曲:藤巻浩、歌:狗鷲合唱団)
- 行進曲調。
- Dangerous Fight!(作詞・作曲:藤巻浩、歌:TOMMY)
- 合体ロボットアニメの主題歌系ロック調。
公認応援歌[編集]
- 楽天イーグルスGO! GO! GO! GO! (作詞・作曲:佐々木朋義、歌:奥山えいじ、DJ:ワッキー貝山)
- 毎年、みちのくYOSAKOIまつりで踊られる。
公認イメージソング[編集]
- 後述するように田尾安志監督解任に対して抗議する意味も込め、さとう自らが歌唱を封印したが、2010年2月24日に自身が司会を務めるミヤギテレビ「OH!バンデス」にて封印を解き、毎月1回番組内で歌っている。
その他[編集]
- 楽天サンバ
- 大空へ(作詞・作曲・歌:清貴)
- エフエム東京の番組企画で製作された。
場内アナウンス[編集]
- 楽天Koboスタジアム宮城開催のホームゲームで選手を紹介する場内アナウンス(「スタジアムDJ」と呼ばれる)は球団創設1年目の2005年から取り入れている。
- 男性の場内アナウンスといえば京セラドーム・ほっともっとフィールドで開催されるオリックス主催ゲームが先駆けであるが、選手の紹介方法については大阪D・神戸がメジャーリーグを手本としてポジションや打順を英語でアナウンスするのに対し、男性の場内アナウンスを使用しているのにかかわらずポジションや打順は日本語のままである。
- 2013年からの楽天イーグルスの選手コールでは、「打順、ポジション、背番号、選手名」の順であり、メジャーリーグにおけるコールと同じ順である。
楽天Koboスタジアム宮城 歴代場内アナウンス[編集]
期間 | 男声 | 女声 |
---|---|---|
2005年~2007年 | 古田優児 | 岩手佳代子・高野志津 |
2008年 | 岩手佳代子 | |
2009年~2011年 | 山口祐佳 | |
2012年 | 紺野陽子 | |
2013年 | 千葉マサト | 紺野陽子・? |
2014年~ | ? |
応援スタイル[編集]
- 本拠地・楽天Koboスタジアム宮城(コボスタ宮城)ではトランペットや笛の使用は禁止されており、NPBから許可を受けた私設応援団のみ太鼓の使用が可能(但し、使用できる太鼓の大きさも制限されており、各団体1個のみしか使用できない。楽天のみならず、他球団の応援団に対しても同様)。なお、コボスタ宮城以外の球場ではトランペットや笛を使用した応援を行っている。
- 楽天攻撃時の選手の打席では他球団で行っている「かっとばせ」コールの代わりに「ドドドド○○!ドドドド○○!ォォォォオオオオ○○!」(○は選手名。ォォォォオオオオはせり上がる様に語尾上がり調で)とコールする「4・4・8拍子」(東北楽天ゴールデンイーグルスの応援団である「全国荒鷲連合会(総本部・北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」が発案した独自の応援方法)という応援スタイルが確立されている。ただし、一部の選手については「4・4・8拍子」とは別の応援スタイルを取っている者も存在する(聖澤諒、外国人選手など)。
- 初回攻撃開始時は"オープニングテーマ"(原曲:さとう宗幸の「青葉城恋唄)を歌う。
- 選手別応援歌は基本的に私設応援団「全国荒鷲連合会(北海道荒鷲会・東北荒鷲会・関東荒鷲会・関西荒鷲会・九州荒鷲会)」(以下「全鷲連」)で作った個別応援歌を使用しているが、個別応援歌が作られていない選手も少なくなく、その選手には共通の汎用テーマを使用している。なお、汎用テーマは3種類(30歳未満選手用、30歳以上・外国人選手用、投手用)用意されている。
- 得点のチャンス時に歌われる"チャンステーマ"は仙台市内にある遊園地「八木山ベニーランド」のテーマ曲が使われている。ちなみに、このテーマは元々、地元の仙台二高の野球応援のチャンステーマとして使われていた。その後、"チャンステーマ2"(原曲:山形のローカルヒーロー「大鍋宣隊イモニレンジャー」のテーマ)と称する新しいチャンステーマも用意され、先のチャンステーマと並行して使用されている。この他、九州地区、北海道地区、関東地区、関西地区、ならびに東北地区専用のチャンステーマも存在する。
- 7回の攻撃開始前には球団歌「羽ばたけ楽天イーグルス」の演奏終了に合わせ赤のジェット風船を飛ばしている。また、楽天が勝利した際は白い風船を飛ばしている(「白星」の意味)。
- ホームゲームでの勝利時、監督・コーチ・選手一同がグラウンドに整列し挨拶を行っているが、その挨拶終了後、引き続き選手数名が外野スタンド前に走り、スタンドのファンと一緒に「万歳三唱」を行っている(どの選手が参加するかは日によって異なる)。また、万歳三唱の直後にバックスクリーン後方から花火を打ち上げる。
歴代監督・年度別成績[編集]
年度 | 監督 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差(※) | 打率 | 防御率 | 本塁打 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 田尾安志 | 6 | 136 | 38 | 97 | 1 | .281 | ▲51.5 | .255 | 5.67 | 88 |
2006 | 野村克也 | 6 | 136 | 47 | 85 | 4 | .356 | ▲33.0 | .258 | 4.30 | 67 |
2007 | 4 | 144 | 67 | 75 | 2 | .472 | ▲13.5 | .262 | 4.31 | 111 | |
2008 | 5 | 144 | 65 | 76 | 3 | .461 | ▲11.5 | .272 | 3.89 | 94 | |
2009 | 2 | 144 | 77 | 66 | 1 | .538 | ▲5.5 | .267 | 4.01 | 108 | |
2010 | マーティー・ブラウン | 6 | 144 | 62 | 79 | 3 | .440 | ▲15.0 | .265 | 3.98 | 95 |
2011 | 星野仙一 | 5 | 144 | 66 | 71 | 7 | .482 | ▲28.5 | .245 | 2.85 | 53 |
2012 | 4 | 144 | 67 | 67 | 10 | .500 | ▲7.5 | .252 | 2.99 | 52 | |
2013 | 1 | 144 | 82 | 59 | 3 | .582 | △7.5 | .267 | 3.51 | 97 | |
2014 | 6 | 144 | 64 | 80 | 0 | .426 | ▲17.0 | .255 | 3.97 | 78 | |
2015 | 大久保博元 |
※1 ▲:2005・2006年はレギュラーシーズン首位球団、2007年以降はリーグ優勝球団とのゲーム差
※2 △:リーグ2位球団とのゲーム差
※3 順位に於ける太字の1は日本一
チーム成績・記録[編集]
- 日本一 1回(2013年)
- リーグ優勝 1回(2013年)
- クライマックスシリーズ優勝 1回(2013年)
- 最下位回数 3回(2005・2006年、2010年)
- Aクラス 2回(2009年、2013年)
- Bクラス 7回(2005 - 2008年、2010 - 2012年)
- 連続Aクラス入り最長記録 1年(2009年、2013年)
- 連続Bクラス最長記録 4年(2005 - 2008年)
- 最多勝 82勝(2013年)
- 最多敗 97敗(2005年)
- 最多引き分け 10分(2012年)
- 最高勝率 .582(2013年)
- 最低勝率 .281(2005年)
- 最多本塁打 111本(2007年)
- 最少本塁打 52本(2012年)
- 初試合・初勝利 2005年3月26日・千葉マリンスタジアム(対ロッテに3-1)
- 初敗戦・初の完封負け・初の2ケタ失点 2005年3月27日・千葉マリンスタジアム(2試合目、対ロッテに0-26、26点差での完封は日本プロ野球タイ記録)
- 初引き分け 2005年7月10日・フルキャストスタジアム宮城(83試合目、対ロッテに4-4、この年唯一の引き分け)
- 初の完封勝ち 2005年7月31日・インボイスSEIBUドーム(96試合目、対西武に4-0、球団史上初の月間勝ち越しを決めた試合でもある)
- 初の2ケタ得点 2005年4月1日・フルキャストスタジアム宮城(6試合目、対西武に16-5、本拠地かつ主催試合で行われた初試合でもある)
- 初めて戦った月・初の月間負け越し 2005年3月・5試合 1勝4敗0分 勝率.200
- 初の月間勝ち越し 2005年7月・20試合 10勝9敗1分 勝率.526
- 初の月間勝率5割ちょうど 2006年9月・20試合 9勝9敗2分
- 最大連勝 7(2008年3月26日・対オリックス - 4月3日・対ロッテ、2011年8月20日・対ソフトバンク - 8月27日・対ソフトバンク、2013年7月26日・対ロッテ - 2013年8月4日・対日本ハム)
- 最大連敗 11(2005年4月15日・対日本ハム - 4月27日・対オリックス、2005年8月9日・対オリックス - 8月23日・対オリックス)
- 1試合最多得点 18(2005年9月2日・対オリックス)
- 1試合最多失点 26(2005年3月27日・対ロッテ)
- 1試合最多安打 24(2014年4月12日・対ロッテ)
- 1イニング最多得点 10(2005年4月13日・対ソフトバンク・3回裏、2005年9月2日・対オリックス・6回裏)
- 1イニング最多失点 11(2005年3月27日・対ロッテ・2回裏、2008年7月22日・対西武・2回裏)
- 最多貯金 28(2013年9月28日・対日本ハム)
- 最多借金 59(2005年9月28日・対ソフトバンク)
- 1試合最多本塁打数 6本(2010年6月6日・対巨人・中村紀洋8、9号、山崎武司13号、高須洋介2号、嶋基宏3号、ランディ・ルイーズ2号)
- 1イニング二塁打 7本(2013年8月4日・対日本ハム・5回表、プロ野球記録)
タイトル獲得者[編集]
総合[編集]
- 田中将大(2007年)
- 則本昂大(2013年)
- 2006年 - ホセ・フェルナンデス(三)
- 2007年 - 山崎武司(指)
- 2008年 - 岩隈久志(投)、リック・ショート(外)
- 2009年 - 鉄平(外)
- 2010年 - 嶋基宏(捕)
- 2011年 - 田中将大(投)
- 2013年 - 田中将大(投)、嶋基宏(捕)、藤田一也(二)、ケーシー・マギー(三)
- 2010年 - 嶋基宏(捕)
- 2011年 - 田中将大(投)
- 2012年 - 田中将大(投)
- 2013年 - 田中将大(投)、嶋基宏(捕)、藤田一也(二)
ポストシーズン[編集]
- クライマックスシリーズMVP
- 2013年 - 田中将大
- 日本シリーズMVP
- 2013年 - 美馬学
打撃部門[編集]
- リック・ショート(2008年)
- 鉄平(2009年)
- 山崎武司(2007年)
- 山崎武司(2007年)
- 聖澤諒(2012年)
投手部門[編集]
- 岩隈久志(2008年)
- 田中将大(2011年,2013年)
- 岩隈久志(2008年)
- 田中将大(2011年,2013年)
- 岩隈久志(2008年)
- 田中将大(2011年,2013年)
- 田中将大(2012年)
- 岩隈久志(2008年)
- 田中将大(2011年、2013年)
年度別獲得者[編集]
- ()内は獲得タイトル
- M→最優秀選手、新→新人王、ベ→ベストナイン、ゴ→ゴールデングラブ賞、首→首位打者、本→最多本塁打、打→最多打点、盗→最多盗塁、勝→最多勝利、防→最優秀防御率、投→最優秀投手、三→最多奪三振、沢→沢村賞
- 2006年 - ホセ・フェルナンデス(ベ)
- 2007年 - 山崎武司(ベ/本/打)、田中将大(新)
- 2008年 - 岩隈久志(M/ベ/勝/防/投/沢)、リック・ショート(ベ/首)
- 2009年 - 鉄平(ベ/首)
- 2010年 - 嶋基宏(ベ/ゴ)
- 2011年 - 田中将大(ベ/ゴ/勝/防/投/沢)
- 2012年 - 田中将大(三/ゴ)、聖澤諒(盗)
- 2013年 - 田中将大(M/ベ/ゴ/勝/防/投/沢)、嶋基宏(ベ/ゴ)、藤田一也(ベ/ゴ)、ケーシー・マギー(ベ)、則本昂大(新)
永久欠番[編集]
- 10:ファン
- サブメンバーの一人としてチームを盛り上げてほしいという思いを込めた、ファンのための背番号。スターティングメンバーの9人に次ぐ番号であることにちなむ。
- 球団創設時からの永久欠番であるので、背番号「10」をつけていた選手・監督・コーチは過去にも誰一人存在しない。
- この10の永久欠番化は、千葉ロッテマリーンズが、一軍登録25人に次ぐ26番目、支配下選手登録者の一人という意味を込めて26をファンのための準永久欠番としたのを参考にしたとのこと。
- ちなみに、球団マスコットの「クラッチ」が背番号10を着用している。
主催ゲーム開催球場[編集]
本拠地[編集]
- 2005年 - 現在 宮城球場
- 2005 - 2007年の呼称は「フルキャストスタジアム宮城」(略称:フルスタ宮城)
- 2008 - 2010年の呼称は「クリネックススタジアム宮城」(略称:Kスタ宮城)
- 2011 - 2013年の呼称は「日本製紙クリネックススタジアム宮城」(略称:Kスタ宮城)
- 2014年からの呼称は「楽天Koboスタジアム宮城」(略称:コボスタ宮城)
スポンサー[編集]
- ヘルメット
- 左袖
- パンツ
- 左胸
- アイリスオーヤマ(2009年 - )
- ベンチシート、応援用ビッグユニフォームなど
- 北電子(2007 - 2008年)
- その他
- 宮城球場におけるイーグルス主管試合(一部を除く)において、スポンサー協賛デーの試合を設けている。球団のオフィシャルスポンサー・サプライヤーとなっている企業・団体が特設ブースを設けるほか、観戦者に対して協賛企業・団体のグッズプレゼントが行われる。また試合によってはトークショーなどもある。
放送[編集]
楽天では初代球団オーナー・三木谷浩史の方針により収益を安定させるため、基本的に中継映像の制作部分までに関する権利を球団側で留保していた。2008年からは制作著作の権利までを球団側が所持。 従来型の放送局での中継には一定の制約がある。この手法は、北海道に移転した日本ハムの例に倣ったものとされる。
インターネットテレビ[編集]
- 2009年8月11日に「楽天イーグルスチャンネル」を開設。プロ野球シーズン中は主催試合のハイライト・試合後の監督の会見・勝利試合のヒーローインタビュー、オフシーズンには新入団選手の会見・キャンプのハイライトなどの動画を無料で随時公開している。
- プロ野球シーズン中には、上記の動画の公開に加えて、ニコニコ生放送内の特設ページで主催試合の放送権を有するCS放送局制作の公式戦中継映像・実況のインターネット向け同時配信を実施(日本国内限定・クライマックスシリーズへ進出した場合には宮城球場での開催試合も対象に追加)。2009年には、クライマックスシリーズを含めたホーム・ビジター18試合で、sky・A sports+制作の中継を同時に配信した。CSにおける主催試合の放送権がJ SPORTS(2012年)→ 日テレプラス(2013年以降)へ移行しても同時配信を継続。2013年には、(クリネックススタジアム宮城以外の開催分を含む)主催公式戦全72試合に加えて、クライマックスシリーズ・ファイナルステージ全試合の中継も配信した。
- ニコニコ生放送では月額制の「プレミアム会員」を優先する視聴基準を設けているため、無料の「一般会員」として前述の中継を視聴する場合には、配信中でも視聴ユーザーの総数が収容人数を超えた時点で自動的に視聴できなくなる(いわゆる「生放送からの追い出し」)。さらに、「入場」(配信用ページへのアクセス開始)時間の早い順に会員の視聴権を割り当てているため、入場時間や当該ページへのアクセス状況によっては中継を視聴できないこともある。
インターネットラジオ[編集]
- 楽天イーグルスラジオ「EAGLESTATION」
- 2013年9月13日のオリックス戦以降の主催試合(宮城球場開催分)では、Jストリームのライブ配信インフラを活用しながら、「楽天イーグルス実況中継」(球団の自主制作による同球場での主催試合実況中継)をTuneIn Radioで試験的に実施。10月2日にTuneIn Radio内へ「EAGLESTATION」を開設したことを機に、日本で初めて、プロスポーツ球団の自主制作による公式戦の実況中継を本格的に開始した。
- 中継音源の聴取は無料で、スポンサーを付けていないため、イニングの間にはCMを挿入しない。ただし、配信時間は試合開始の直前から終了(楽天が勝利した場合にはヒーローインタビュー)直後までに限定。それ以外の時間帯には「SIGN OFF」扱いで配信を完全に休止するため、ダイジェストを含めて、過去の中継音源をオンデマンド形式で聴取することも不可能である。
- 2013年の中継では、解説者を配置せず、球団のイベント関係者(中継上の名義は「しゃべれる裏方“いしち”」)が実況と進行を兼務。「EAGLESTATION」の運用開始後は、10月3日のロッテ戦を皮切りに、主催公式戦6試合とクライマックスシリーズ・ファイナルステージの全試合(いずれも同球場開催分)を中継した。なお、公式戦期間中は宮城球場の内野スタンド上段に実況ブースを設けていたが、クライマックスシリーズではグラウンド付近の一塁側内野席へ中継機材を移動。中継日によっては、球団関係者やゴールデンエンジェルスのメンバー(当日の総合MC担当)などをゲストに招くこともあった。
- 2014年には、公式戦初の主催試合(4月1日のオリックス戦)を皮切りに、コボスタ宮城で主催する公式戦全67試合を中継する予定。前年から続く日本語版に「英語チャンネル(English Channel)」を加えたうえで、日英2ヶ国語による同時配信を実施する。また、日本語版の中継では、実況と進行を兼務するMCが日替わりで出演。前年担当の「いしち」に加えて、平方恭子(スカイ・Aでの東北楽天主催試合中継初代リポーター)、地元・仙台を拠点に活動するお笑い集団ティーライズのメンバーなどがMCを務める。
従来型放送[編集]
- 地上波テレビ:NHK・在仙民放各局がホームゲームを放送。
- NHK:地上波デジタル放送に関しては、サブチャンネルにて試合終了まで放送。大半は東北地方で放送される。ただし、楽天球団制作映像優先の方針により、自局での映像制作には一定の制限があり、中継権を持たない試合の資料映像については、原則として楽天野球団制作からの配信を受ける形となる。
- 2009年のクライマックスシリーズ第1ステージ第1戦を放送(BS1でも放送されたが、実況・解説者は異なる)。番組編成は以下の通り
- TBCテレビ:在仙のなかでは一番放送の数が多く創設当初は日曜のデーゲーム、現在は水曜のナイトゲームが中心。毎年1試合以上は巨人戦を差し替えて放送している、解説は2005年が対戦相手地域やJNN所属の相手OB解説者が、2006年は衣笠祥雄・川口和久・盛田幸妃・仙台出身の佐々木主浩が担当。2007年はラジオ解説が主の佐々木信行・秦真司が行い、2008年は駒田徳広・松本匡史も加わり2009年からは高橋雅裕が2010年は杉山賢人が新加入(衣笠、川口、盛田、佐々木(主)、駒田、秦、高橋は現在TBCで担当していない)。アナウンサー陣は佐藤修(2011年度よりスポーツ部所属)・松尾武・守屋周・飯野雅人。2010年からは木曜日にローカル枠が出現したおかげでゴールデンタイムの中継が増え過去最多の11試合を中継。過去には実況で三橋泰介(フリー)・大井健郎(現・報道記者)、リポーターで猪井操子(フリー)・根本宣彦・山本義幸も担当した。
全国ネット並びにポストシーズン製作実績
- 2005年5月の交流試合・巨人戦2試合(TBS製作、TBCアナウンサーは楽天ベンチリポーターのみ)
- 2009年のクライマックスパ第1ステージ第2戦(自社製作、RKBにもネットされた)
- 2011年4月のKスタ開幕・オリックス戦(TBCは宮城ローカル、全国中継は横浜×巨人との二元中継でTBSのスタッフで放送された)
TBC製作分・・・解説:杉山賢人 実況:松尾武 ベンチリポーター:飯野雅人 スタンドリポーター:高以亜希子
TBS製作分・・・解説:佐々木主浩 ゲスト:松山英樹 実況:林正浩 ベンチリポーター:伊藤隆佑
- 仙台放送:土曜デーゲームが多いが2005年・2006年・2009年は巨人戦を差し替えていた。解説は斉藤明雄・高木豊・達川光男・田尾安志・江本孟紀のフジテレビ系列解説者が担当。2010年のオリックス戦では2009年まで楽天打撃コーチを担当した池山隆寛がベンチサイド解説を務めた。実況アナの変貌が目まぐるしく2005年は下田恒幸(現フリー)が3試合、佐藤拓雄が1試合実況を務め、2006年は浅見博幸が2試合を実況。金澤聡がリポーターを務めた後2007年から実況、板垣龍佑(現テレビ東京)がリポーターを務めた後2009年からは広瀬修一が担当。2006年の実況を務めた浅見がインタビュアーとして同局中継3年ぶりの登場を果たした(中継終了後にインタビューが行われた)。在仙局の中では中継製作に一番消極的である反面ビジター試合を積極的に中継。アナウンサー(主に金澤)をベンチリポーターとして派遣している。2007年からは毎年1試合のみの中継となっていたが2011年は4月と5月さらには7月に1試合ずつ中継された。
ポストシーズンの放送実績
- 2009年のクライマックスパ第2ステージ、VS北海道日本ハムファイターズ・第3戦(北海道文化放送製作)
- ミヤギテレビ:レギュラーシーズンは週末デーゲームのみ未だに差し替え中継の実施はない。解説者は2005年が日本テレビの中畑清・水野雄仁が担当、2006年から2008年までは楽天OB初のミヤギテレビ専属解説者となった川尻哲郎と日本テレビの池谷公二郎。2009年4月の西武戦と9月の日本ハム戦を阿波野秀幸が務め10月のクライマックスシリーズを若菜嘉晴が務めた2010年は初代打撃コーチの駒田徳広と苫篠賢治、2011年は佐野慈紀・西崎幸広が担当。実況は伊藤拓とリポーターを担当している外賀幸一が2009年7月のオリックス戦を実況する予定(解説は前述の若菜)だったが試合開始直前に中止となり幻となったが2010年7月の日本ハム戦で野球実況デビューを果たした。さらには2010年4月の中継では加藤智也がリポーターを担当。伊藤・外賀・加藤の先輩・上司にあたる三雲茂晴も裏方(制作)として中継に参加している。2009年4月3日に札幌ドームで行われた日本ハム戦の中継を系列のSTVが行ったものの同局は巨人戦を優先し、4年間続いていた開幕中継をストップさせた。
ポストシーズンでの放送実績
- 2009年のクライマックスパ第2ステージ・第1戦、第2戦(札幌テレビ製作の映像+仙台のスタジオで伊藤が実況)
音声差し替え中継
- 2008年3月のソフトバンク戦(福岡放送製作映像&仙台のスタジオ 解説:川尻哲郎、実況:伊藤拓)
その他
- 2005年5月の阪神戦(ホーム開催であったが系列のよみうりテレビが製作、MMTは伊藤を『派遣』する形で中継を行った)
解説:川藤幸三、実況:小澤昭博、リポーター:伊藤拓・尾山憲一、他球場情報:山本純也 ※2011年も阪神戦を中継したがMMTとよみうりテレビは別スタッフで中継した。
- 東日本放送:夏の高校野球県大会中継をしていることもあり実況アナは豊富で中継数も仙台放送やミヤギテレビよりも多い、土曜デーゲーム中心だが2005年・2006年・2010年は巨人戦を、2011年はゴールデンタイムの編成を差し替えた。ホームでの巨人戦中継では2008年(詳細後述)を除きテレビ朝日製作のため協力(2011年現在も続いている)にまわり同局のアナウンサーは楽天リポーターとして登場する(2009年まで)。解説はほとんどの試合、東北福祉大OBの大塚光二が務めている(巨人戦の場合はグランド解説にまわる)が2008年は元ABCプロ野球解説者の村上隆行が、2010年からはデニー友利が新加入した。2008年まではファン代表としてローカルタレントの本間秋彦がゲスト出演。(本間が諸事情で来られない場合もゲストを配し、野崎靖博や戸叶尚も中継に加わったこともある)。実況は熊谷博之・岩崎心平・松本龍が担当。Jリーグ・ベガルタ戦中継がメインの加川潤も2005年1試合を担当した。リポーターは各実況アナに加え2007年のみ吉岡伸悟も担当、2008年までは相手チームにもリポーターを配し系列局のアナウンサーが担当していた。2007年はCS放送sky・A sports+中継の実況も担当。2008年は6月の交流試合・巨人戦を自社製作で行う予定だったが当日、朝に起きた岩手・宮城内陸地震の影響で中止。中継を行った4試合全てが4時間超になり終了まで中継ができない現象が続いた、2011年は在仙局では史上初となるKスタ以外でのホームゲーム中継を甲子園で実施、系列ABCの協力を全面に受け阪神戦同様の放送ブースで中継を行った。2006年から3年続けて開幕戦のネット受けを行いすべての試合で熊谷がベンチリポーターで派遣されている。
全国ネット並びにポストシーズン製作実績
- 2005年と2006年5月の交流試合・巨人戦1試合ずつ(テレビ朝日製作、熊谷が楽天リポーターで出演)
- 2009年のクライマックスパ第2ステージ第4戦(現地乗り込み、北海道テレビ製作の映像+熊谷の楽天応援実況)
- 2011年のオールスターゲーム第3戦(KHBアナウンサーの出演はなし)
音声差し替え中継
- 2010年6月の阪神戦(ABC製作映像+仙台のスタジオ 解説:大塚光二 実況:岩崎心平 リポート:松本龍)
- 2011年6月の阪神戦(2010年同様の対応 解説:大塚光二 実況:松本龍)
2005年シーズンのデーゲーム中継は隣県(特に2軍本拠の山形県や福島県、岩手県)、ソフトバンク戦においてはTBC製作をRKBで仙台放送製作をテレビ西日本で日本ハム戦においてはミヤギテレビ製作をSTVで放送されたこともある。 2010年以降のTBC木曜ナイターは全試合ではないものの青森、秋田を除く3県にもネットされた試合がある。
- 在仙局以外では、東京地区のTOKYO MXが2011年に「「がんばろう東北」東北楽天ゴールデンイーグルス野球中継」のタイトルで、4月30日と5月1日の対オリックス戦、および5月7日の対西武戦を中継(映像は球団制作のものを使用)。2013年10月21日のクライマックスファイナルシリーズ第4戦をテレビ東京(TXN)系列6局(テレビ東京植草朋樹アナウンサーが出張実況。野村克也、緒方耕一が解説。)が中継。
- 2008年6月、交流戦2試合をBS朝日で放送。(当初は1日の広島戦を球団製作=スカイ・エーと同時、14日の巨人戦は東日本放送制作で宮城県向けローカル中継との同時放送を予定していたが、巨人戦中継予定当日が岩手・宮城内陸地震のため開催中止となり、予備日の16日の試合はKHBの放送枠の都合が付かなかったためこの試合も球団製作のものに変更された)
- 同8月から日本BS放送(BS11)にて「BS11プロ野球・全国生中継」として中継に本格参入。同年度は終盤10試合を放送した。sky・A sports+と同様の球団制作中継。2009年からはタイトルを「プロ野球まるごと中継 熱闘!BS11ナイター」として20試合程度を放送した。
- 2010年はタイトルを「熱闘!! 楽天戦 フル中継」と改題、中継数も30試合に増加。Kスタ宮城以外にも東京ドーム、岩手県営野球場、秋田こまちスタジアム、郡山市営開成山野球場で行われる試合も放送されるようになった。なお2011年よりタイトルを「断然 パ・リーグ主義!!」と改題(QVCマリンフィールドのロッテ戦も中継されるため)。2012年は放送なし。
- 2011年からはBS11に加え、TwellVでも「TwellV プロ野球中継」で放送。2011年度は楽天主催試合を4試合中継。2012年度は楽天主催試合15試合を中継することが決定している。
- 日テレプラス(「日テレプラス プロ野球中継 楽天イーグルス HEAT! LIVE」 2013年より)
- J SPORTS(「J SPORTS STADIUM・野球好き」2012年のみ)
- sky・A sports+(『スカイ・Aスタジアム LIVE RAKUTENわしづかみ』 2011年まで)
- GAORA(アクティブ!ベースボール)
- AMラジオ
- 東北放送(県域放送):「TBCパワフルベースボール」
- ※ 「プロ野球三都物語」は開幕前に1年に1度放送。
- NHK仙台放送局(東北地域向け):NHKプロ野球の枠での放送と、「NHKラジオ夕刊」など通常の番組を休止しての放送がある(7時のニュースは放送される)。
- FM放送
- NHK仙台放送局(東北地方全域) : 開幕戦のみ放送。NHKラジオ第1放送が高校野球優先のうえ、実施期間のために放送ができず、FM放送を行っている。2005年〜2007年の3年間はいずれも東北ブロックでの放送。2006年は対戦カードが日本ハムだったため、北海道でも放送された。
備考[編集]
- 2013年11月24日に仙台市内で実施された優勝パレードでは、上記の地元地上波民放4局とNHK仙台放送局が、以下の分担によって共同で生中継を実施した。
- 東日本放送:スタート地点周辺の撮影・取材(キー局・テレビ朝日制作の全国ネット番組『報道ステーション SUNDAY』内での全国向け生中継に協力)
- ミヤギテレビ:隊列の中の撮影(宮城ローカルで自社制作の特別番組を放送)
- 東北放送:選手や関係者が乗り込んだバスへの同行撮影・取材(宮城ローカルで自社制作の特別番組を放送)
- NHK仙台放送局:ヘリコプターによるパレードの空撮
- 仙台放送:上記の各局が撮影した映像の編集・管理(宮城ローカルで自社制作の特別番組を放送)
応援番組[編集]
- 黄金鷲団(東日本放送制作、ANN東北地方ブロックネット番組、2005年4月2日 - 12月24日) - インターネット向けにもGyao経由で配信
- CHALLENGE 燃えよ!EAGLES → 燃えよ!EAGLES(東日本放送制作、秋田朝日放送でも同時ネット、2005年3月 - )
キーワード[編集]
フレックス・プライス[編集]
2009年よりKスタ宮城で行われる楽天の主催試合において、対戦相手や曜日などに応じてチケットの価格を変える「フレックス・プライス」が導入されている。「フレックス・プライス」のようなチケットの価格変動制は、メジャーリーグでは複数の球団が採用しており、日本では東京ヤクルトスワローズが神宮球場での読売ジャイアンツ戦、阪神タイガース戦に限り一部席種を割高にしている例があるが、本格的な導入は楽天が初めてになる。
チケットの価格は6段階で設定されており、高い順から「プラチナ」、「クリムゾン」(2013年より導入)、「ゴールド」、「シルバー」、「ブロンズ」、「バリュー」となっている。2012年は開幕2試合を含む計8試合がプラチナとされ、一番安いバリューは主に平日のナイター試合に設定された。
席によっては、プラチナの価格がバリューの2倍以上になる事もある。
平日デーゲーム開催[編集]
2007年4月3日(火)~5日(木)、フルキャストスタジアム宮城で日本ハムとの3連戦をいずれもデーゲームで開催した。前年3月末のホーム開幕3連戦(28日からの対オリックス3連戦)をナイターで開催した際、冷え込みが激しく降雪も記録する事態があり、球団側は選手や観客の身の安全を考慮。比較的気温が高く温暖で、また春休みとあって学生ファンが多く詰め掛けられると見越し、本拠地開催では極めて異例の平日デーゲームを敢行することになった。3試合とも13時開始。テレビでもスカイ・Aスポーツプラスと東北放送(宮城ローカル)で生中継された。3試合とも1万人超えの盛況ぶり。特に、3戦目においては期待の高卒新人投手・田中将大の本拠地初登板もあって、約18000人ものファンが球場に詰め掛けた。翌2008年も前年同様の事情で、4月1日(火) - 3日(木)の対ロッテ3連戦をデーゲームで開催。ここでも3試合全て観衆1万人を超えた。
2009年~2011年は平日デーゲーム開催は行われず。2009年はWBCのため開幕が遅く4月7日(火)がホーム開幕戦。2010年はホーム開幕戦が土曜日に設定されたため(他球場では前日の金曜にホーム開幕戦となるナイターが行われている)。2011年は当初3月29日(火)~3月31日(木)の対ソフトバンク3連戦をデーゲームで開催する予定になっていたが、東日本大震災の影響による開幕日延期のため取り止めとなった。
2012年は4月3日(火)~4月5日(木)の対ソフトバンク3連戦が4年ぶりの平日デーゲーム開催となり、いずれの試合も観衆1万人を超えた。
2013年も4月3日(水)・4日(木)の対オリックス戦2試合がデーゲーム(ともに14:00開始)となったが、3日は雨天で中止となったため実際に行われたのは4日の1試合のみだった(この日の観衆は17482人)。
- 本拠地での平日デーゲームはプロ野球初期の1930年代-1950年代(ほとんどの球場にナイター照明がなかった)は頻繁に行われたほか、1990年代までは消化試合やプレーオフ(パ・リーグ)、日本シリーズでも行われた。
地方球場の命名権[編集]
地域密着を目指すという観点で、イーグルスでは2軍の主本拠である利府町中央公園野球場(イーグルス利府球場)のほか、地方遠征(主に2軍)を開催する岩泉球場・しらさわグリーンパーク・湯沢市稲川野球場を初めとした東北地方16か所(2014年2月現在)の命名権を持っており、それぞれ「イーグルス○○球場」という名称を使用している。
これはイーグルスが2007年9月から取り組んでいる「フィールドサポートプログラム」という制度によるもので、東北地方各地の「野球競技を実施できる野球場」を対象として、球場を保有する地方自治体などと協議したうえで愛称を設定するが、通常の命名権のようなチーム名称・ロゴの使用のためのロイヤリティーは発生しない。
基本コンセプトを「地域と球団間における野球普及・促進に向けた協力活動」の一環として実施しており、これらの野球場では2軍(イースタン・リーグ)公式戦の開催(硬式球が使用できる球場のみ)のほか、年1回以上「イーグルス野球塾」と題した少年野球教室の開催などを通して、地域の野球振興に寄与し、また地元でのイーグルスの応援を高揚させるという目的がある。
がんばろう東北[編集]
地震による甚大な被害を受けた東北地方の人々を励ますべく、1995年の阪神・淡路大震災時のオリックス・ブルーウェーブが用いた「がんばろうKOBE」にあやかって作られた言葉。2008年の岩手・宮城内陸地震と2011年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)において使用され、ユニホームの袖部分にもこのフレーズが描かれたワッペンが貼り付けられた。
個人に対するファーム主催試合の命名権販売[編集]
2014年には、個人を対象に、「FAN'Sデー」期間中(4月18日 - 20日)に楽天イーグルス利府球場で主催するイースタン・リーグ公式戦3試合の命名権を1試合3万円で販売。3試合とも完売したため、当該カードの試合前には、命名の対象者による始球式などのセレモニーを実施した。ちなみに、個人に対する球団主催公式戦の命名権販売は、NPBの球団では初めての試みである。
主なキャンプ地[編集]
- 久米島町営仲里野球場(沖縄県島尻郡久米島町)
- 久米島野球場(沖縄県島尻郡久米島町)
- 金武町ベースボールスタジアム(沖縄県国頭郡金武町) - 2012年・春季キャンプ
- マスカットスタジアム(岡山県倉敷市) - 2011年・秋季キャンプ
ショップ[編集]
オフィシャルショップは「楽天イーグルスグッズショップ 」。店舗は以下の通り。
- スタジアム店
- 宮城県仙台市宮城野区宮城野2-11-6(楽天Koboスタジアム宮城内)
- 仙台駅店
- 宮城県仙台市青葉区中央1-1-1(JR仙台駅構内)
- 盛岡店
- 岩手県盛岡市菜園1-11-7
スポーツラウンジ「T.R.G.E.」[編集]
2014年の公式戦開幕日(3月28日)からは、球団直営のスポーツラウンジ「T.R.G.E.(TOHOKU RAKUTEN GOLDEN EAGLES OFFICIAL SPORTS LOUNGE)」を、仙台市の繁華街・国分町2丁目のエーラクフレンディアビルの1階にオープン。東北楽天戦をはじめ、テレビのスポーツ中継を見られるスポーツバーで、アルコール飲料も有料で提供する。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの年度別成績一覧
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧
- 東北楽天ゴールデンイーグルス主催試合の地方球場一覧
- 楽天イーグルスTV
- ベガルタ仙台 - 本拠地・Kスタ宮城にベガルタ仙台が広告を出し、ベガルタ仙台の主催ゲームにこの球団が看板を出している。
- ヴィッセル神戸 - 三木谷浩史の個人資産管理会社クリムゾングループが所有するJリーグクラブ。なお、このクラブのユニフォームに広告は出しているが、楽天グループではない。
- 東北楽天ゴールデンイーグルスの応援団
- 仙台のスポーツ
外部リンク[編集]
- http://www.rakuteneagles.jp/
- 楽天イーグルス(@Rakuten__Eagles)- Twitter
- 楽天イーグルス ファーム【若鷲】(@Eagles_Farm)- Twitter
- パ・リーグTV
- ニコニコ動画 楽天イーグルスチャンネル
- 東北楽天ゴールデンイーグルス
テンプレート:東北楽天ゴールデンイーグルス テンプレート:各年の東北楽天ゴールデンイーグルス
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