「斎藤佑樹」の版間の差分
細 (「斎藤佑樹」を保護しました: 度重なる荒らし ([編集=管理者のみに許可] (無期限) [移動=管理者のみに許可] (無期限))) |
細 (「斎藤佑樹」の保護を解除しました: 不当な無期限完全保護) |
(相違点なし)
|
2020年1月13日 (月) 00:56時点における最新版
斎藤 佑樹(さいとう ゆうき、1988年6月6日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手)。愛称は「佑ちゃん」、「ハンカチ王子」「さいてょ」。
目次
経歴[編集]
中学時代まで[編集]
群馬県太田市出身。漫画『MAJOR』を兄とともに愛読し、新田町立生品小学校(現・太田市立生品小学校)在籍中は地元学童野球チーム『生品チャンピオンズ』に一年次から在籍し主将を務める。同町立生品中学校(現・太田市立生品中学校)では軟式野球部に所属。群馬県大会では準優勝、関東大会ではベスト8まで進み、このころ地元紙・上毛新聞に取り上げられる。2002年夏の甲子園大会(第84回選手権大会)で群馬県代表・桐生市立商業高校の応援のために阪神甲子園球場へ足を運んだことが、甲子園に憧れを持つきっかけになった。
早稲田実業学校高等部時代[編集]
2004年、推薦入試で早稲田実業学校高等部に進学。実家を離れ、東京で兄と二人暮しを始める。野球部では和泉実監督の指導を受け、1年からベンチ入り。
2005年、背番号1をつけて臨んだ2年夏の西東京大会では、日本大学第三高校との準決勝で3本の本塁打を浴びてコールド負けを喫した。2年秋の都大会では新チームの副キャプテンを任された。準決勝では2度目の日本大学第三高校との対戦で完封勝利を挙げ、決勝も制し24年ぶりの優勝。同年11月の明治神宮野球大会では準決勝で駒澤大学附属苫小牧高校と対戦したがチームは敗れベスト4。この時初めて後に甲子園でのライバルとなる田中将大と対決している。
2006年、春の甲子園大会(第78回選抜大会)に出場。2回戦で関西高校を引き分け再試合の末勝利を収めるも、準々決勝で横浜高校に敗退。同年夏(3年時)の西東京大会では、決勝で三たび日本大学第三高校と対戦。延長戦の末サヨナラ勝ちを収め、夏の甲子園大会出場を決めた。
同年夏の甲子園(第88回選手権大会)では、2回戦の大阪桐蔭高校戦で当時2年生ながら怪物スラッガーと呼ばれた中田翔と対決。4打数無安打3三振に封じ、これをきっかけにこの大会における斎藤の注目度が高まった。同大会で早実は26年ぶりに決勝戦に進出(荒木大輔を擁した1980年以来)。8月20日の決勝戦では、夏の甲子園大会で3連覇を目指す駒大苫小牧高校のエースに成長した田中との投手戦になり、延長15回でも決着がつかず、1969年夏(第51回選手権大会)の松山商業高校対三沢高校戦以来37年振りの決勝引き分け再試合となった(→第51回全国高等学校野球選手権大会決勝)。翌日の再試合でも斎藤は自ら先発を志願し4連投、最後は田中を三振に打ち取って13奪三振で接戦を制し、早実を初の夏の甲子園大会優勝に導いた。この大会の全試合で先発し、2回戦から決勝再試合までただ1人で投げ抜いたその功績は広く賞賛され、田中との投げ合いは甲子園大会の歴史に残るものとなった。この大会での投球回69、投球数948はどちらも一大会における記録としては史上1位。一大会における奪三振78は、1958年の板東英二(徳島商業高校)の83個に次いで歴代2位となった。
9月11日、自身の進路について記者会見の場で大学進学を表明。「自分は人間としても野球選手としても未熟。大学に進んで成長したい」と語る一方、日米親善高校野球大会でアメリカ遠征している間に気持ちが揺れたことも明かした。9月30日から兵庫県で開催された第61回国民体育大会(のじぎく国体)は、決勝戦で夏の甲子園大会決勝戦と同じく駒大苫小牧高校と対戦し、ここでも再び田中との対決となったが、結果は1 - 0で早実が勝利し斎藤は再び優勝投手となった。
早稲田大学時代[編集]
2007年、早稲田大学教育学部社会科社会科学専修に入学し、早稲田大学野球部に入部。背番号は「16」。4月14日から始まった2007年東京六大学野球春季リーグ戦において、斎藤は開幕戦となる東京大学戦で先発を務め勝利投手になった。1年生春の開幕投手での勝利は、1927年の宮武三郎(慶應義塾大学)以来80年振り。6月3日の優勝が懸かった早慶戦でも先発を任され、この試合で早稲田大学は勝利し、斎藤はリーグ戦優勝投手となった。斎藤のこのリーグ戦での成績は4勝(リーグ1位タイ)0敗、防御率1.65(同3位)。他にプロ野球ならセーブが付く場面での交代完了が2試合あり(東京六大学リーグにはセーブの制度はない)、チームの10勝中6勝に関与し優勝に大きく貢献した。また1年生投手としては史上初となるベストナインにも選出された。
6月、第56回全日本大学野球選手権大会では2回戦・準決勝・決勝の3試合に登板。準決勝・決勝では2日連続して先発を務め、それぞれ1失点で後続につないで2勝を記録、チーム33年ぶりの優勝に貢献し、1年生では史上初めて最高殊勲選手(MVP)に選ばれた。同年7月、アメリカで開催された第36回日米大学野球選手権大会日本代表に選出。代表チームでの背番号は「20」。第3戦で先発し、日本チームは敵地開催で初の優勝、斎藤は同大会日本代表の1年生投手としては史上初の勝利投手となった。しかし、リリーフで登板した第5戦では敗戦投手となり、この試合で高校3年の西東京大会以来続いていた、斎藤が先発した試合は負けないと言ういわゆる「不敗神話」も29でストップした。9月に始まった東京六大学秋季リーグ戦では、開幕戦となる対東京大学1回戦で先発を務め、勝利投手となる。1年生投手が春秋ともに開幕戦の先発を務めるのは1929年の古館理三(帝国大学)以来4人目、1年生投手が春秋ともに開幕戦勝利を収めたのは宮武以来80年ぶり。対法政大学4回戦ではリーグ戦初完投勝利(チームにとっても2季ぶり)を収め、早稲田大学の3季連続優勝がかかった慶應義塾大学との3回戦ではリーグ戦初完封に加え自己最多の15奪三振を記録、春に続き優勝決定試合での勝利投手となった。2007年秋期リーグでの成績のうち、防御率0.78は最優秀防御率賞で、2季連続のベストナインにも選ばれた。1年生投手の春秋連続ベストナイン受賞は史上初。また、4勝はリーグ最多勝、与四死球率1.55(57.2投球回で四死球10)はリーグ最少だった。
2008年、7月にチェコで開催された第4回世界大学野球選手権日本代表に選出。また秋季リーグ戦から背番号を「1」に変更し、自身最高の7勝(リーグ最多勝)を挙げ2季ぶりの優勝に貢献した。3回目のベストナインにも初の満票で受賞。優勝時のヒーローインタビューでは1年次からバッテリーを組んでいた細山田武史への感謝の思いを語った。
2009年、7月に開催された第37回日米大学野球選手権大会日本代表に選出。この年のリーグ戦は春4勝2敗、秋3勝2敗と本来の力を発揮できず、チームも優勝を逃した。本人はインタビューでこの年に球速を追い求めた結果フォームを崩してしまい、思った投球ができなかったと語っている。同年、秋季リーグ戦終了後に早稲田大学野球部第100代主将に就任。それに伴い背番号を「10」に変更。11月22日、史上初のプロ野球と大学野球それぞれの選抜チームによる交流戦『U-26 NPB選抜 対 大学日本代表』に先発投手として登板。翌日23日はオール早慶戦で3年ぶりに甲子園で登板。
2010年、7月30日から日本で開催された第5回世界大学野球選手権大会の日本代表に選出。秋季リーグ戦では、早慶戦2日目で早稲田大学と慶應義塾大学が勝率で並び、11月3日に50年ぶりの早慶優勝決定戦が行われることとなった。明治神宮野球場は超満員の36,000人の観衆を集め、その中斎藤は先発し8回途中までノーヒットノーランの好投をし、試合も10-5で早稲田大学が優勝。11月13日から開催された第41回明治神宮野球大会・大学の部でも1回戦から決勝戦まで登板し、同大会において早稲田大学初優勝に貢献。主将として大学最後の年にリーグ戦優勝、大学日本一というこれ以上ない有終の美を飾ることとなった。大学4年間を通じて、東京六大学野球史上6人目となる通算30勝300奪三振を達成(31勝323奪三振)。また世界大学野球選手権大会と日米大学野球選手権大会に大学日本代表として4年連続選出されたのは史上初。
10月28日に開催されたプロ野球ドラフト会議にて、東京ヤクルトスワローズ、北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、福岡ソフトバンクホークスの4球団が1位指名し、抽選の結果、日本ハムが交渉権を獲得。同会議では早稲田大学の同期生である大石達也と福井優也も、それぞれ埼玉西武ライオンズと広島東洋カープに1位で指名され(大石は広島を含む他5球団との競合)、プロ野球ドラフト会議において同一大学の投手3人が1位指名を受けたのは同会議史上初となった。10月30日から早慶戦を控えていたため当日には記者会見は行われず、早慶優勝決定戦翌日の11月4日に大石、福井とともに会見が開かれ、プロ入りへの意気込みを語った。12月6日に日本ハムとの初交渉に臨み、新人としては最高評価の年俸1500万円、契約金1億円、出来高5000万円(金額は推定)で仮契約した。12月9日には日本ハムの本拠地・札幌ドームにおいて、2003年の新庄剛志以来7年ぶりの単独の入団会見が行われた。会見には監督の梨田昌孝と球団社長の藤井純一が同席し、背番号「18」のユニフォーム姿をお披露目した。その後、梨田が捕手となりマウンドでプロ第一球を披露し、トークショー、サインボール投げ入れなどのセレモニーが行われた。
卒業論文のテーマは「スポーツの地方興行と観客動員の地域の中での経済効果について」。日本ハムがかつて本拠地を東京から札幌に移転したことによる地域に与えた経済的影響などについて書いた。
プロ入り後[編集]
2011年4月17日、札幌ドームの対千葉ロッテマリーンズ戦に先発でプロ初登板し、5回を失点4(自責点1)で初勝利。同期入団のルーキーの中で初勝利一番乗りとなった。投球については投手コーチの吉井理人から変化球が多い事を問題視され、直球の割合を増やす事を課題とされた。5月8日の対福岡ソフトバンクホークス戦(札幌ドーム)に先発で1回を10球で3者凡退に抑えたが、左脇腹の違和感を訴えて降板。左内腹斜筋の筋挫傷で全治2~3週間と診断され、出場選手登録抹消となった。6月29日に一軍復帰。7月22日からのオールスターゲームでは2試合の登板を無失点に抑え、スカイアクティブテクノロジー賞を受賞。シーズンでは故障もありながらローテーションの5番手に加わり6勝6敗防御率2.69とまずまずの成績を挙げた一方で、投球イニングの少なさ(QS率は42.1%)や被打率の高さ、WHIPは1.47と課題も残した。当時日本ハムの監督だった梨田昌孝は、この年亡くなった西本幸雄からシーズン前に斎藤の投球フォームについて「あいつの投げ方はあかん。左足が突っ立っとる。右腕が棒のようにかかっとるやないか。能見篤史(阪神タイガース)のように、腕をしならせて投げるよう、指導せえ」と言われていたことを11月29日に行われた西本の告別式で明かした。
2012年3月19日、プロ入り2年目で自身初の開幕投手に選出され、3月30日の開幕戦(埼玉西武ライオンズ戦)にて9回1失点で初の完投勝利を挙げた。プロ野球の開幕戦で初完投勝利を記録したのは1962年の柿本実(中日ドラゴンズ)以来50年振り。パ・リーグでは1950年の榎原好(毎日オリオンズ)以来62年振り2人目。4月20日の対オリックス・バファローズ戦には初完封勝利をあげた。この日は一軍投手コーチ吉井理人の誕生日でもあった。6月6日の対広島東洋カープ戦(札幌ドーム)で自身の誕生日をバースデー勝利で飾るも、6戦連続で勝ち星から遠ざかるなど成績不振に陥り、7月30日に再調整のため出場選手登録抹消となった。当初は短期間で1軍復帰を目指す方針であったが、若手主体のフューチャーズに打ち込まれるなど2軍でも3試合続けて結果を残せず、早期昇格は白紙となった。
佑被弾社会人に6回4失点(2012年9月)[編集]
日本ハム斎藤佑樹投手(24)が9月13日、社会人のJX-ENEOS戦(鎌ケ谷)に先発し、6回10安打(1本塁打)4失点で降板した。4回までは無失点投球も5回1死一、 二塁から田畑秀也外野手(20=桐蔭学園)に右中間へ3ランを運ばれた。
6回は併殺崩れの間に4点目を失った。91球を投げて1奪三振、3四球だった。また、2軍降格後は初めて栗山英樹監督(51)も視察に訪れた。
二軍で低迷しているプロ野球・北海道日本ハムファイターズ斎藤佑樹投手(24)の“甘ちゃん体質”があらためて指摘されている。13日のプロアマ親善試合JXーENEOS戦で先発登板したものの6回10安打4失点と、またしても背信投球。二軍での登板6試合で0勝5敗、防御率6・05では一軍昇格など夢のまた夢で「お先真っ暗」といっていいだろう。
2年目の斎藤が現在、プロの壁にぶち当たっているのは誰の目にも明らかだ。才能を持った人間が、さらにたゆまぬ努力を重ねてしのぎを削る。そんなプロの世界での身の置き方にかつて「ハンカチ王子」と呼ばれていた男は、どうやら居心地の悪さを感じているようだ。
それが証拠に昨年、斎藤本人から思わぬ告白を受けた球界関係者が次のように現状を分析している。
「去年の早い時期に、佑ちゃんから『最近野球が面白くないんです』という相談を受けた。プロ野球の中に実際入ってみて、プロの選手がこれほどさまざまなトレーニングをしていることを知って面食らっているようだった。それだけで、それまで彼がどんな環境で野球をしてきたかが分かるよね。一言で言えば厳しさに対する耐性がないんじゃないかな。その違和感を今も感じているとしたら、プロとしては難しいのでは…」
「楽をして」とまでは言わないが、適度に頑張って長くメシが食えるほどプロは甘くない。
まだ何も成し遂げていない斎藤の“甘ちゃん体質”が改善されていないとすれば…。「彼は一体、プロに何を求めて入ってきたのだろうか」と言われても仕方がないだろう。
選手としての特徴[編集]
プロ入り前[編集]
オーバースローから投げる平均球速約139km/h、最速150km/hのストレートとコーナーを突く制球力が持ち味とする。変化球はキレの良い縦のスライダーとフォークボール、カットボール、ツーシーム(シュート)を投げ分け、稀にチェンジアップ、カーブも混ぜる。ツーシームは高校3年の時に覚え、大学進学後に効果を発揮した。野球解説者の大沢啓二は、『サンデーモーニング』(TBSテレビ)にて「球威そのものはあまりないが、頭がよく駆け引きがうまい」と評し、メジャーリーグを代表する左腕投手のヨハン・サンタナは斎藤の投球を見て「打者へのアプローチが違う。すごい!いつの日かこっちでプレーするのを見たい」と語った。
投球スタイルが早稲田実業学校の先輩・荒木大輔に似ているため、高校時代(特に本人が甲子園で優勝するまで)はメディアから「荒木2世」と呼ばれており、斎藤自身も荒木を尊敬しているという。また目標とする投手には、富士重工業硬式野球部のエース・阿部次男の名を挙げている。
投球数が150球を超えても球速を維持できるスタミナを有する。高校3年夏の甲子園の決勝戦だけでなく、同年の西東京予選の決勝戦でも221球投げており、最終イニングとなった11回表には149km/hの速球を投げている。また、大学4年間で故障や病気で離脱したことはなく、練習を休んだこともなかった。
高校2年までは、打たれたり味方が失策を犯したりするとマウンド上で感情を表に出すこともあったが、早稲田実業野球部のOBから「投手がマウンド上で怒って、何か得をするのか?」と言われ、以来マウンド上であまり表情を変えないようにしている。また、高校2年春の甲子園で打ち込まれたことをきっかけに、早稲田大学の先輩である佐竹功年を参考に膝を折り曲げて腰の位置を強制的に落とす投球フォームに改造したことで球質が向上し、これが夏の大会での優勝につながったという。フォーム改造に一役買ったのは宮本賢(当時早稲田大学野球部主将・後にプロでチームメイトになる)の助言であるという。
打者としては、高校3年時の甲子園大会で六番打者を務め、甲子園通算2本塁打を記録。大学時代では通算1本塁打を記録。
プロ入り後[編集]
プロ入り後は、調子の波の大きさが見られ、好投する試合もあれば、序盤からコントロールミスや四死球などを出して崩れていく試合もあるなど、投球内容の変化が多い。
人物[編集]
家族は父・母・兄・祖母がいる。父はかつて群馬県立前橋工業高校や富士重工業硬式野球部に所属し、野球の練習に厳しかったという。3歳違いの兄は群馬県立桐生高校の一番打者として県大会ベスト4に進出している。
斎藤は早実入学当初、群馬県太田市の実家から約2時間かけて通学していたが、後に東京在住だった兄とアパートで二人暮らしを始めた。高校卒業まで兄は食事の世話をするなど斎藤の生活全般の面倒を見ていた。大学では入学時から野球部の安部寮に居住。
趣味は釣り。実家に帰った時には渓流釣りを楽しむ。好きな武将は織田信長。父親の所属や出身地もあってスバルの車を「ベンツよりポルシェより、いつかスバル車に乗りたい」というほど愛好している。愛車はスバル・レガシィアウトバックとスバル・BRZ。
日本ハムに同期入団した乾真大と容姿が似ていると言われることがある。2011年1月12日に放送されたフジテレビ系列『情報プレゼンター とくダネ!』では、斎藤のプロ初練習を生リポートするべくファイターズスタジアムに隣接する勇翔寮から生中継を行っていたが、斎藤より先に登場した乾が斎藤と間違われた。
佑ちゃんフィーバー[編集]
2006年[編集]
夏の甲子園大会で早稲田実業が勝ち進むにつれて、斎藤が試合中にマウンド上で丁寧にたたんだ青いハンカチで顔の汗を拭く姿が話題となり、その端正な顔立ちも相まって「ハンカチ王子」と呼ばれるようになる。インターネット発祥と言われたこの愛称はその人気とともにマスコミによって一気に広まった。世間ではこの青いハンカチに対する関心が高まり、早稲田実業にはこのハンカチに関する問い合わせが殺到、Yahoo!オークションでは定価400円の同じ種類のハンカチに対し、一時的に1万円を超える値がついた。百貨店ではハンカチの売り上げが急増し、ジャスダックに上場するハンカチメーカー・川辺の株が値上がりした。後にそのハンカチはニシオ株式会社が製造・販売していた『GIUSEPPE FRASSON(ジョゼッペ・フラッソン)』というブランドのものだと判明したが、その時はすでに販売が終了していたため、その後ニシオはサンリオとタイアップし『幸せの青いハンカチ』と銘打ってハローキティの顔をあしらった青いハンカチを販売し約65万枚、約3億円を売り上げた。ちなみに青いハンカチを使う以前は黒木知宏の千葉ロッテマリーンズ時代の背番号「54」入りのタオルを愛用し、高校に入ってから母親が近所の商店街で購入した青いハンカチを使うようになった。
この大会の早実の試合の平均視聴率(NHK)は、3回戦12.7%、準決勝戦18.1%と徐々に数字を上げ、決勝戦は1990年代以降で最高の29.1%、瞬間最高視聴率は37.1%を記録。翌日の決勝再試合も平日にもかかわらず23.8%、瞬間最高視聴率30.4%を記録。注目を集めたこの大会で優勝投手となった斎藤は連日マスコミに大きく取り上げられ、大会終了後の日米大学野球選手権大会の選抜メンバーに選ばれ渡米すると、以前はほとんど報道されることもなかった同大会の模様が連日報道され、試合も生中継された。帰国の際には関西国際空港に約600人のファンが集まった。また、高校卒業後の進路についての報道が過熱していたことから、9月11日に進路に関する異例の記者会見が開かれた。会場となった早稲田実業学校のホールには150人以上の報道陣が集まり、テレビでも生中継された。
9月30日から開催された『のじぎく国体』では、開催前から野球会場があった兵庫県高砂市に斎藤の出場に関する問い合わせが集まり、早稲田実業学校の試合には連日観客が殺到、試合前日から徹夜組による長蛇の列ができた。試合当日には観客にケガ人が出る騒ぎとなり、入場制限が行われるなど厳戒態勢のもとでの試合となった。この大会に使用された高砂市野球場は、翌年の2007年に斎藤の愛称にちなんで『ハンカチメモリアルスタジアム』という愛称が付与された。
日刊スポーツ出版社発行の『輝け甲子園の星』など斎藤を扱った野球雑誌の売り上げが急激に伸び、週刊女性などの女性週刊誌の表紙を飾った。また、斎藤単独の写真集が発売され、斎藤をモデルにした曲・『青いハンカチ~君がくれた夏の日~』のCDが発売された。
「ハンカチ王子」という愛称は2006年の新語・流行語大賞のトップ10に入った。ただ、この受賞が日本学生野球憲章のアマチュア規定に抵触する恐れがあったため、言葉だけを表彰し斎藤の表彰式出席は見送られた。また、伊藤忠商事を始めとして複数の企業から特許庁へ商標出願がなされた。翌年注目を集めたゴルファーの石川遼には「ハニカミ王子」という愛称が付けられ、新語・流行語大賞を受賞している。
2007年[編集]
斎藤が早稲田大学に進学し野球部に入部したことで東京六大学野球が注目され、それまでマスコミでほとんど取り上げられることがなかった大学野球が、斎藤が登板する試合を中心に大きく扱われるようになる。この年から、日本テレビが放映権を取得し42年ぶりに地上波で東京六大学野球中継が放送されることになった。
この年の春季リーグ戦は斎藤の開幕登板が予想されたことからチケットを求める問い合わせが殺到し、史上初めてチケットぴあでの入場券前売りが実施された。4月14日の開幕戦は前年春の4倍となる約18,000人が詰めかけ、4月29日に先発した法政大学との第2戦では約28,000人を動員し、早慶戦以外では1992年以来の20,000人越えとなった。この日の夜に同じ明治神宮野球場で行われた東京ヤクルトスワローズ対読売ジャイアンツ(巨人)戦の観客動員は29,654人で、東京六大学野球の観客数がプロ野球、それも従来首都圏で最大の動員力を持っていたとされる巨人戦に肉迫する結果となった。この試合で従来早慶戦以外では開放されない通称「三角内野」(第2内野席)が開放された。早稲田大学の優勝が決まった6月3日の早慶戦の第2戦では約36,000人の観衆が集まり立ち見が出るほどの超満員となった。満員になったのは1997年春の早慶戦以来10年ぶり。この観客数は当日行われたプロ野球交流戦の6試合中5試合を上回り、北海道日本ハムファイターズ対阪神タイガース(札幌ドーム)に次ぐ動員数となった。この試合の平均視聴率はNHKと日本テレビ合わせて14.3%を記録。
この春季リーグ戦の早稲田大学戦に訪れた観客の総数は11試合で約22万8000人、1試合平均2万727人集まり、前年度に比べ3倍近くに膨れあがった。この人気を受け、2008年から東京六大学野球連盟は史上初めて東京六大学野球のカレンダーとベースボールカードが発売された。
2009年[編集]
速報!スポーツLIVE(テレビ朝日)の初回放送(11月8日)のスタジオゲストとして大石達也と共に出演。自身初のスタジオ生出演で、代表に選ばれた『U-26 NPB選抜 対 大学日本代表』の試合に向けての意気込みを語るとともに、公の場で初めてプロ野球へ進む意志を表明した(「1年後プロに行きたいか」という質問に対し「○」の札を挙げた)。
2010年[編集]
斎藤が大学4年になりプロ野球ドラフト会議が近づくにつれて、再び多くの注目を集めるようになる。10月28日に開催された同会議はTBSテレビが全国ネットで生中継し、夕方の時間帯にもかかわらず平均視聴率14.4%を記録。この年のペナントレースの最高視聴率が14.3%(4月24日の巨人対広島東洋カープ戦、NHK)で、それをも上回る視聴率となった。瞬間最高視聴率は斎藤の交渉権を引き当てた日本ハム球団社長(当時)の藤井純一のインタビュー中で17.2%。2007年の中田翔に続き斎藤を引き当てた藤井の黄金の右腕にあやかり、その後「GOD HANDグッズ」が発売された。
11月3日の早慶優勝決定戦は、明治神宮野球場の収容人数35,650人に対し立見席が用意され、チケット販売枚数が36,000枚になり20年ぶりに完売となった。これによりマスコミ関係者には東京六大学野球連盟から大入袋が配られた。NHK総合によるテレビ中継は平均視聴率12.1%、瞬間最高視聴率は16.2%を記録。勝利投手となりヒーローインタビューの場で「最後に一つだけ言わせてください」と切り出し、「いろんな人から斎藤は何か持ってると言われ続けてきました。今日、何を持っているのか確信しました。それは、仲間です」と語った。この発言が話題を集め、その年の新語・流行語大賞の選考委員特別賞を受賞。2006年の「ハンカチ王子」に引き続き2度目の受賞で、これは野球界において史上初。
11月4日の記者会見当日に、『ニュースウオッチ9』(NHK)、『報道ステーション』(テレビ朝日)、『NEWS ZERO』(日本テレビ放送網)、『NEWS23X』(TBSテレビ)、『すぽると!』(フジテレビジョン)(以上、出演順)に生中継で出演した。
11月6日に放送された『S☆1』(TBSテレビ)に出演した当時早稲田大学野球部監督の應武篤良が、斎藤の入学時に熱狂的なファンの一部による盗撮や寮の部屋の覗きといった行動があったことを明かした。
12月9日の札幌ドームでの単独入団会見には、平日にもかかわらず約8,000人のファンが駆けつけた(2003年の新庄剛志の入団会見は約2,000人)。この模様は『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)で全国ネット生中継され、北海道の民放5局とNHK、衛星放送のGAORAでも生中継された。新人選手の単独入団会見は球団史上初。
2011年[編集]
1月11日、千葉県鎌ケ谷市の合宿所『勇翔寮』に入寮する際、約500人のファンや報道陣が集まり、その様子がワイドショーで生中継された。ファイターズスタジアムでの自主トレの期間はスタジアムに連日約2,000人ものファンが押し寄せ、史上初めて観客席が開放された。さらに1月16日に行われた『新入団選手歓迎式典・交流会』ではスタジアム史上最高の約11,000人(前年は512人)のファンが集まり、上空には取材ヘリが8機飛ぶ中、ルーキーでは異例の入団記念グッズ(Tシャツ・フェイスタオル・ストラップ)が発売され販売開始約1時間で完売。球場のある鎌ケ谷市には大きな経済効果がもたらされ、テレビ報道による同市のPRとしては約160億円の広告効果があった。
2月1日から沖縄県名護市で行われた春季キャンプにも、那覇空港に1,000人以上が出迎え、キャンプ初日には400人以上の報道陣が集まり、その一挙手一投足が連日マスコミで報道された。このキャンプ期間中に名護市のキャンプ地を訪れた観客数は計27,150人と、前年の11,550人の2倍以上になった。
4月17日のプロ初登板・初先発試合(ロッテ戦、札幌ドーム)は、放送権利を元々北海道テレビ放送が持っていたことからキー局のテレビ朝日が当初放送予定だった番組を急遽中止しスタッフを派遣、「緊急生中継」として、斎藤の投球回を中心にローカル枠で放送した。デーゲームにもかかわらず、この試合の北海道地区における平均視聴率は29.4%、瞬間最高視聴率37.0%を記録。中継した北海道テレビのレギュラーシーズンの野球放送としては史上最高の視聴率をたたき出した。
9月10日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)では、2006年の夏の甲子園決勝以来となる田中将大との対決が実現した。チケットは前売りのみで売り切れてしまうほどの大きな盛り上がりを見せた。
2012年[編集]
3月30日、自身初の開幕投手をプロ初完投勝利で飾った試合(埼玉西武ライオンズ戦、札幌ドーム)の中継(札幌テレビ放送)において、平均視聴率31.6%を記録。それまでの最高記録だった2011年の斎藤がプロ初登板した試合中継(上記)の29.4%を上回り、北海道内の球団公式戦中継で最高記録を更新。瞬間最高視聴率は39.4%。
あなたは斎藤佑樹という人物をご存知だろうか?[編集]
若い人は聞き慣れない名前であるのかもしれない。実はこの人物日本の至宝である田中将大さんの野球人生に大きく関わった影の立役者なのである。
田中将大さんはこう語る。
「あいつがいなかったらここまで来れなかったと思います」
今や誰もが知るMLBの元大投手、メジャー移籍初年度から20勝投手になりサイヤング賞を獲得、その後もサイヤング賞4回、最多奪三振8回、最優秀防御率5回、最多勝8回と数々の偉業を成し遂げ今年その野球人生20年に幕を閉じた。
田中将大さんは自他共に認める努力家であり幼少期から野球に勤しみ、常に切磋琢磨しながら成長してきた人物であるが今でも伝説として語り継がれる甲子園の決勝戦、そこで対戦校として相手になったのが斎藤佑樹。
同じ投手という立場にありお互いが認め合う正真正銘のライバル関係にあった。
斎藤佑樹は試合中顔の汗をハンカチで拭う行為を行い、対照となる田中将大さんよりも顔が整っていたが為にメディアにハンカチ王子と持て囃されのだがこの事が彼の人生を大きく変えた。
当時の心境を後に語っている。
「私の内面や実力を無視したマスコット的扱いに困惑しておりました。今思うとメディアの玩具にされてましたね」
伝説の甲子園決勝は斎藤佑樹に軍配があがり、斎藤佑樹は大学へ進学、田中将大さんは鳴り物入りでプロ入り。田中将大さんは当時名将であった故野村克彦氏率いる楽天イーグルスに入団し毎年着実に力を付けていった。斎藤佑樹は大学時代投球速度を速くしようとフォームを弄り失敗する等を経て同じく鳴り物入りでプロ入り。
プロ一年目から大卒ドラ1と言う事もあり即戦力として期待されたが、期待される程の活躍はできずメディアが持ち上げに持ち上げていた為、実力とのギャップに球団ファンは大きく落胆した。
またベッドの上での寝顔写真を週刊誌に一回り年上の女性に売られるなどし、時期的な問題もあり大きく注目され女性ではなく斎藤佑樹が批判された。その女性は週刊誌にこう答えている。
「彼はちょっと人生を甘く考えている部分がある。 “これ(告白記事)が勉強だよ”といっておきたい」
因みに次の年には田中将大さんがタレントである里田まいさんと結婚され今現在までと続く幸せな結婚生活を送っている。
斎藤佑樹はプロ三年目にこう語っている。
「いつか追いついて追い越したいと思っている。勝負は今だけじゃないんだって心のどこかで思っている。24歳、25歳の現時点ではピッチャーとしてマー君の方が上です。でも30歳になったら、40歳になったらどうかということは誰にもわからない。そのための大学4年間だったと思っています。そこには僕、けっこう自信を持ってるんです」
だがプロ4年目に入り、怪我をしながら2年経つも期待される結果を残せず6年目で戦力外通告。比較対照とされてきた田中将大さんは24連勝無敗という驚異的な数字を引っ提げこれまた鳴り物入りでメジャーへ挑戦。その後の活躍は件の通り。
この差が彼は受け入れられなかったのかもしれない。また私達メディアが面白半分に持ち上げていたのも悪かったのかもしれない。彼は精神を病みプロ野球を引退した後実家に帰省し、ひっそりと療養生活を送る事になる。
― 先程あいつがいたからここまで頑張れたと述べましたが、彼の事はやはり特別でしたか?
- 「そうですね。やっぱり人間、ライバルが居ると切磋琢磨して頑張れますよ。当時彼が引退されるまでは本当にメディアに天秤に掛けられてましたから(笑)」
― なるほど(笑)。確かに当時は凄かったですよね
- 「本当にねぇ・・・まぁそのお陰で僕は頑張れたんですけどね」
― 斎藤佑樹さんが引退された後も交友はあるんですか?
- 「・・・彼が精神を病んでしまった事は僕も知っていたので中々連絡が取りづらくて、彼もまた外界との接点を全て遮断してましたから。結局そのまま・って感じですね」
私は田中将大さんのインタビューを終えた後、斎藤佑樹に会う事を決意し、当時実家が在った場所に向かったが今は誰も住めない管理駐車場となっていた。
彼は今何処に居るのか、途方に暮れていたが周辺の住人に取材をしていると、親の介護の為実家近くに移り住んだ兄弟がおり、斎藤佑樹に会って話がしたい旨を伝えると携帯を取り出し何処かに連絡をし出した、どうやら斎藤佑樹本人と繋がってるらしく取材の許可が下りた。
話を聞くと、どうやら某県の離島にいるらしく自給自足の生活を送っている様で、たまに人がいる所に栽培した野菜や捕った魚、作製した小道具を売り、買い出しに行く生活のようだ。
日程を決めその日船に乗りながらその離島に向かうと木々に囲まれた島が見えた。本当にここに住んでるのか・・思わず言葉が漏れた。
船を着け林の中を進むと小屋があり土を耕している人物が居た。彼もこちらに気付き軽く会釈する。37歳にしては老けており麦わら帽子から漏れている髪も白髪がかなり混じっている。
ー 斎藤佑樹さんですか?
- 「はいそうですよ、わざわざ遠い所までようこそお越しくださいました」
ー 今回は取材を許可してくれて有り難う御座います 今日はあなたの野球人生の話を聞きに来させていただきました。
- 「ははは、いいですよ、とおーい昔の話ですよ」
木漏れ日が差し込む中笑いながら汗を拭う彼の姿はハンカチ王子そのものだった。
2ちゃんねるでのスレッドタイトル[編集]
2006年 高校3年生甲子園優勝[編集]
- 斎藤フィーバー 家に帰れない スポーツ 2006年8月23日 10時9分
- 斎藤の「青いハンカチ」を探せ スポーツ 2006年8月23日 15時14分
- 巨人、早実・斎藤の1巡目検討 スポーツ 2006年8月24日 8時24分
- 「青いハンカチ」もう買えない スポーツ 2006年8月24日 11時51分
- 斎藤が本音「普通の生活を…」 スポーツ 2006年8月25日 11時49分
- 斎藤効果 皆でハンカチ王子 スポーツ 2006年8月26日 12時38分
- ダル「斎藤君より田中君かな」 スポーツ 2006年8月26日 19時28分
- 早実・斎藤 国際球に手応え スポーツ 2006年8月27日 12時36分
- 早実・斎藤、松井秀に会えず スポーツ 2006年8月27日 17時11分
- 斎藤投手 右肩疲労回復せず スポーツ 2006年8月28日 8時14分
- 斎藤の父「進学すると思う」 スポーツ 2006年8月28日 11時59分
- 斎藤&田中へ取材規制 高野連 スポーツ 2006年8月29日 7時8分
- 斎藤「最後の五輪」で投げたい スポーツ 2006年8月30日 9時40分
- メジャー高評価に揺れる斎藤 スポーツ 2006年9月2日 13時47分
- 斎藤投手4失点 日米引き分け スポーツ 2006年9月3日 11時57分
- 斎藤と同じハンカチ 倍率76倍 スポーツ 2006年9月4日 12時2分
- 斎藤、日米最終戦で汚名返上 スポーツ 2006年9月5日 18時20分
- 斎藤「心境の変化」結論は スポーツ 2006年9月6日 11時27分
- 斎藤の進路、9日にも家族会議 スポーツ 2006年9月6日 13時4分
- 大リーグ観戦の斎藤「感動」 スポーツ 2006年9月6日 18時37分
- 早大監督が斎藤にラブコール スポーツ 2006年9月7日 21時53分
- 「大きなもの得た」斎藤ら帰国 スポーツ 2006年9月8日 21時22分
- 阪神 斎藤投手指名の予定なし スポーツ 2006年9月10日 13時44分
- 早実・斎藤が進路決断 発表へ スポーツ 2006年9月11日 9時51分
- 早実・斎藤が早大進学を表明 スポーツ 2006年9月11日 16時51分
- 斎藤進学 王監督は理解を示す スポーツ 2006年9月11日 19時54分
- 斎藤大学へ「まだまだ未熟」 スポーツ 2006年9月11日 22時21分
- 斎藤の選択 大学野球の世界 スポーツ 2006年9月12日 15時15分
- 4年後の斎藤狙う先輩岡田監督 スポーツ 2006年9月12日 21時8分
- 早大練習場に「斎藤スタンド」 スポーツ 2006年9月15日 7時25分
- 「ハンカチ王子」商標登録出願 スポーツ 2006年9月21日 14時47分
- 早実斎藤「先輩として頑張って」 スポーツ 2006年9月25日 18時50分
- 斎藤が汗ふくパフォーマンス スポーツ 2006年10月3日 20時2分
- 斎藤投手のハンカチを再発売 スポーツ 2006年10月4日 17時8分
- 早実斎藤もう早慶戦デビュー? スポーツ 2006年10月6日 12時35分
- 早実斎藤 早慶戦をお忍び観戦 スポーツ 2006年10月29日 18時1分
- 早実も未履修か 斎藤に影響? スポーツ 2006年11月2日 16時12分
- 斎藤を守れ 早大が実地調査 スポーツ 2006年12月23日 11時54分
- 斎藤「ハンカチ王子弱々しい」 スポーツ 2006年12月26日 10時50分
- 早大野球部「女子マネはなし」 スポーツ 2006年12月27日 11時51分
2007年 早稲田大学へ進学決定[編集]
- 早実・斎藤投手の早大進学内定 スポーツ 2007年1月7日 1時8分
- 佑ちゃん 早大の練習に初参加 スポーツ 2007年1月13日 15時43分
- 斎藤 入学早々に開幕投手も スポーツ 2007年1月15日 13時29分
- 斎藤「王子だから」合コンNG スポーツ 2007年1月19日 12時13分
- 斎藤 目標は「エースで4番」 スポーツ 2007年1月20日 12時17分
- 「斎藤守れ」ネットや橋設置へ スポーツ 2007年1月21日 16時25分
- 早実・斎藤にメッツが熱視線 スポーツ 2007年1月28日 17時25分
- 早実斎藤は「野茂の球に近い」 スポーツ 2007年1月31日 13時23分
- 佑ちゃん育成へ捕手9人ローテ スポーツ 2007年2月4日 13時11分
- 早大監督、斎藤に初カミナリ スポーツ 2007年2月7日 14時56分
- 早実・斎藤 発熱40度でダウン スポーツ 2007年2月11日 10時5分
- 佑ちゃん「死ぬかと思った」 スポーツ 2007年2月14日 10時26分
- 斎藤、チョコの話題はさらり スポーツ 2007年2月14日 22時3分
- 佑ちゃん フリー打撃に初登板 スポーツ 2007年2月17日 19時32分
- 佑ちゃんデビュー戦は無観客 スポーツ 2007年2月19日 18時15分
- 佑ちゃんはアナウンサー志望? スポーツ 2007年2月25日 13時29分
- 斎藤「大学デビュー」は赤点 スポーツ 2007年2月26日 7時29分
- キャンプ直前 斎藤の周辺は? スポーツ 2007年3月1日 20時8分
- 佑ちゃんに監督「壁に直面」 スポーツ 2007年3月6日 16時46分
- 斎藤 甲子園思い出しイメトレ スポーツ 2007年3月6日 21時17分
- 斎藤に早大監督「光見えた」 スポーツ 2007年3月7日 21時22分
- 日テレ 佑ちゃん開幕戦を中継 スポーツ 2007年3月9日 20時26分
- 裏金余波 佑ちゃん取材も禁止 スポーツ 2007年3月12日 12時11分
- 佑ちゃん 対外初試合は無失点 スポーツ 2007年3月20日 13時18分
- 学生の本分? 斎藤公開されず スポーツ 2007年3月20日 18時14分
- 佑ちゃんに大学野球の洗礼 スポーツ 2007年3月27日 19時8分
大学1年[編集]
- 佑ちゃんブーム再び? 開幕へ スポーツ 2007年4月13日 22時23分
- 佑ちゃん開幕戦白星デビュー スポーツ 2007年4月14日 10時34分
- 斎藤「人生で最も緊張した」 スポーツ 2007年4月14日 17時13分
- 斎藤、強豪校相手にどこまで? スポーツ 2007年4月15日 10時54分
- 佑ちゃん 法大戦先発が急浮上 スポーツ 2007年4月16日 12時36分
- 佑ちゃん、29日法大戦に先発 スポーツ 2007年4月28日 13時25分
- 早大・斎藤 投打に活躍で2勝目 スポーツ 2007年4月29日 13時37分
- 佑ちゃん リリーフで窮地救う スポーツ 2007年5月5日 15時19分
- 早大が明治に5-0、斎藤3勝目 スポーツ 2007年5月20日 13時45分
- はしか流行 佑ちゃんを直撃 スポーツ 2007年5月22日 9時27分
- 佑ちゃん、はしかの恐れなし スポーツ 2007年5月22日 22時44分
- あと1勝でV 佑ちゃん初戦先発 スポーツ 2007年5月26日 14時2分
- 佑ちゃん救援か 早慶戦速報 スポーツ 2007年6月2日 12時21分
- 早大負け、佑ちゃん出番なし スポーツ 2007年6月2日 15時56分
- 佑ちゃん4勝目、早大が連続V スポーツ 2007年6月3日 12時35分
- 慶大・加藤「佑ちゃん打てる」 スポーツ 2007年6月4日 7時29分
- 佑ちゃん一色 10年ぶり満員 スポーツ 2007年6月4日 11時47分
- 斎藤、初の1年生投手ベスト9 スポーツ 2007年6月4日 16時42分
- 佑ちゃん「早稲田は一生勝つ」 スポーツ 2007年6月5日 7時10分
- 佑ちゃん人気で合宿有料公開に スポーツ 2007年6月5日 18時0分
- 佑ちゃん 冷や汗セーブで8強 スポーツ 2007年6月14日 17時32分
- 斎藤が好投 大学日本一に王手 スポーツ 2007年6月16日 17時2分
- 斎藤1失点 早大33年ぶり日本一 スポーツ 2007年6月17日 12時43分
- 「最高です」MVPに斎藤佑樹 スポーツ 2007年6月17日 18時52分
- 佑ちゃん合宿開始 代表は確実 スポーツ 2007年6月22日 19時56分
- 佑ちゃん代表入り 先発起用も スポーツ 2007年6月25日 17時10分
- 斎藤ら米空港で思わぬトラブル スポーツ 2007年6月30日 14時20分
- 佑ちゃん恐怖 球場に殺人バチ スポーツ 2007年7月2日 11時57分
- 日本は初戦黒星 斎藤投げず スポーツ 2007年7月5日 10時56分
- 佑ちゃん初勝利 優勝に王手 スポーツ 2007年7月7日 11時24分
- 斎藤に米スカウトは賛否両論 スポーツ 2007年7月7日 18時16分
- 斎藤佑樹の不敗神話ストップ スポーツ 2007年7月9日 9時13分
- 佑ちゃん卒業後直接メジャーも スポーツ 2007年7月11日 12時22分
- 日テレ、佑ちゃん映像を紛失 スポーツ 2007年8月1日 6時53分
- 佑ちゃん 秋季も開幕投手濃厚 スポーツ 2007年8月7日 19時14分
- 佑ちゃん抱負「春とは違う」 スポーツ 2007年9月6日 9時30分
- 佑ちゃん勝利、80年ぶり快挙 スポーツ 2007年9月8日 12時5分
- 早大・斎藤、不敗神話崩れる スポーツ 2007年9月23日 16時31分
- 佑ちゃん完投勝利も初被弾 スポーツ 2007年10月1日 17時23分
- 国体Vの舞台「ハンカチ球場」に スポーツ 2007年10月8日 22時9分
- 佑ちゃんに魔の7回「残念」 スポーツ 2007年10月15日 17時7分
- 早大3季連続V、斎藤4勝目 スポーツ 2007年10月30日 14時40分
- 佑ちゃん最短KO、早大は勝利 スポーツ 2007年11月12日 18時51分
- 斎藤 ハンカチ王子もうイヤ? スポーツ 2008年1月20日 22時58分
- 斎藤佑樹、合宿初日から250球 スポーツ 2008年3月5日 9時17分
大学2年生[編集]
- 早大・斎藤、打球直撃で降板 スポーツ 2008年5月19日 16時37分
- ロッテも斎藤佑の1位指名明言 スポーツ 2009年1月18日 16時40分
- 六大学中継、日テレ打ち切り スポーツ 2009年3月3日 17時17分
- 斎藤&マー君で野球五輪復活PR スポーツ 2009年3月18日 13時44分
大学3年生[編集]
- 深キョンと斎藤佑樹がデート エンタメ 2009年4月2日 8時46分
- 斎藤 社会人にボコボコで無言 スポーツ 2009年4月5日 14時0分
- 斎藤10奪三振 東大に11-0大勝 スポーツ 2009年4月11日 16時18分
- 斎藤佑4回6失点で20勝お預け スポーツ 2009年4月28日 17時27分
- 斎藤佑20勝 平成以降最速タイ スポーツ 2009年5月3日 17時39分
- 斎藤佑が無敗野村に投げ勝つ スポーツ 2009年5月16日 17時56分
- 斎藤佑樹ブーム再燃は秒読み スポーツ 2009年7月9日 17時50分
- 斎藤佑5回2失点 日本逆転勝ち スポーツ 2009年7月13日 23時12分
- 斎藤佑、六大学優勝逃し号泣 スポーツ 2009年11月2日 12時43分
- 斎藤佑 空振りゼロも再戦熱望 スポーツ 2009年11月23日 13時53分
- 斎藤佑「野球引退後政治家に」 スポーツ 2009年11月25日 11時37分
- 日本ハム 佑ちゃんに「18」用意 スポーツ 2009年12月27日 11時16分
- 斎藤佑樹「12球団OKです」 スポーツ 2010年1月1日 10時47分
- 斎藤佑が始動「負けない投手」 スポーツ 2010年1月5日 19時52分
- 斎藤始動にスカウト9球団21人 スポーツ 2010年1月6日 11時57分
- ヤクルト、斎藤佑担当に5人 スポーツ 2010年1月21日 11時27分
大学4年生ドラフト会議[編集]
- 六大学開幕 早大サヨナラ勝ち スポーツ 2010年4月10日 18時32分
- 王会長の大本命は「佑ちゃん」 スポーツ 2010年4月26日 18時9分
- 斎藤佑まだ伸びる 投球術評価 スポーツ 2010年5月8日 13時24分
- 斎藤佑 初本塁打に今季2勝目 スポーツ 2010年5月15日 19時56分
- まさかの乱調 斎藤佑ショック スポーツ 2010年6月1日 7時49分
- リベンジ果たせなかった斎藤 スポーツ 2010年8月6日 0時54分
- 斎藤が今季初勝利 早大勝ち点 スポーツ 2010年9月13日 16時52分
- 早大・斎藤13人目の300奪三振 スポーツ 2010年9月26日 0時23分
- 東大が斎藤攻略、2年ぶり勝利 スポーツ 2010年10月2日 18時24分
- 斎藤佑が通算30勝 東大に雪辱 スポーツ 2010年10月4日 17時33分
- 斎藤ら早大3投手がプロ志望届 スポーツ 2010年10月13日 17時56分
- ソフトB、斎藤佑獲り参戦か スポーツ 2010年10月27日 8時6分
- 早大 斎藤ら異例の会見なし スポーツ 2010年10月29日 2時45分
- ハム斎藤 経済効果試算52億円 スポーツ 2010年10月29日 17時45分
- 斎藤佑「記憶に残る選手に」 スポーツ 2010年11月4日 15時20分
- ハム、斎藤佑にダル部屋準備 スポーツ 2010年11月6日 7時41分
- 斎藤佑に背番18 ハムあいさつ スポーツ 2010年11月6日 13時38分
- 日ハム 斎藤佑に影武者用意? スポーツ 2010年11月11日 14時47分
- 斎藤「ススキノ豪遊」は封印 スポーツ 2010年11月12日 8時59分
- 斎藤人気 33年ぶり外野席解放 スポーツ 2010年11月15日 8時0分
- 斎藤 涙の有終「僕は幸せ者」 スポーツ 2010年11月18日 17時34分
- 強運? 胴上げ投手斎藤の裏側 スポーツ 2010年11月19日 17時57分
- 長嶋さん「佑ちゃん見たい」 スポーツ 2010年11月26日 11時40分
- 斎藤 先発デビューは3月27日? スポーツ 2010年11月29日 7時24分
- 斎藤「もってる」流行語認定 スポーツ 2010年12月1日 7時57分
- 佑ちゃんに流行語「特別賞」 スポーツ 2010年12月2日 8時16分
- 佑vs.マー君 星野案ダメ出し スポーツ 2010年12月4日 8時53分
- 斎藤佑樹が仮契約 背番号は18 スポーツ 2010年12月6日 17時0分
- 佑ちゃん 経済効果は58億円 スポーツ 2010年12月7日 15時40分
- 佑ちゃん、恋は「来年以降?」 エンタメ 2010年12月8日 21時12分
- 斎藤入団会見「開幕一軍へ」 スポーツ 2010年12月9日 15時52分
- 斎藤、開幕1軍でダル隣部屋 スポーツ 2010年12月11日 7時58分
- 斎藤vs.田中 2月27日初対決? スポーツ 2010年12月14日 19時43分
- 斎藤佑 紅白オファーにも断り スポーツ 2010年12月15日 7時43分
- 佑ちゃん 1人卒業式案が浮上 スポーツ 2010年12月17日 7時46分
- 斎藤佑 イチロー所属事務所に スポーツ 2010年12月18日 13時7分
- 斎藤効果 ハム年間席が即完売 スポーツ 2010年12月23日 9時26分
- 持ってる男、佑は有馬も的中 スポーツ 2010年12月27日 11時16分
- 斎藤が退寮、記者に土産配る スポーツ 2010年12月29日 16時46分
- Twitterのニセ佑に本人も困惑 スポーツ 2011年1月3日 8時51分
- 佑レプリカユニ、1時間で完売 スポーツ 2011年1月9日 10時25分
- 斎藤が入寮 プロ生活へ不安も スポーツ 2011年1月11日 15時54分
- 斎藤の自主トレ開始に2500人 スポーツ 2011年1月12日 14時9分
- 斎藤は1軍キャンプ 監督明言 スポーツ 2011年1月12日 18時31分
- 斎藤佑が志願の居残り練習 スポーツ 2011年1月13日 17時2分
- 斎藤佑がダルと再会 興味津々 スポーツ 2011年1月15日 17時45分
- 斎藤見たさ 鎌ケ谷に1万人超 スポーツ 2011年1月16日 22時4分
- 佑ちゃん初ブルペンで40球 スポーツ 2011年1月18日 15時29分
- 殺到心配 佑にサイン禁止令 スポーツ 2011年1月21日 10時41分
- 江川氏 佑ちゃん200勝太鼓判 スポーツ 2011年1月22日 11時37分
- 佑、右ひざ伸ばすフォームに スポーツ 2011年1月23日 11時48分
- 佑、ジンギスカン一生タダ? スポーツ 2011年1月24日 10時41分
- 佑 初実戦では「打たれたい」 スポーツ 2011年1月25日 10時33分
- 佑 初任給125万円は「貯金」 スポーツ 2011年1月26日 10時40分
- 佑 イチローと自主トレで対決 スポーツ 2011年1月30日 15時42分
- 佑、沖縄入りにファン1200人 スポーツ 2011年1月31日 14時40分
- キャンプイン 斎藤佑に歓声 スポーツ 2011年2月1日 11時6分
- 斎藤佑、梨田監督に3球投げる スポーツ 2011年2月2日 12時16分
- 中田翔との対決に斎藤乗り気 スポーツ 2011年2月4日 8時35分
- 斎藤 主力捕手の「音」に感激 スポーツ 2011年2月5日 18時4分
- 佑の理想は直球で空振り三振 スポーツ 2011年2月6日 18時7分
- 甲子園以来 佑と中田翔対戦へ スポーツ 2011年2月9日 19時56分
- 佑 初フリーで中田に7発被弾 スポーツ 2011年2月10日 15時8分
- 佑は別格 2月は2軍降格なし スポーツ 2011年2月12日 11時42分
- 佑が初実戦、1回を3者凡退 スポーツ 2011年2月13日 14時36分
- 佑、初の実戦「60点ぐらい」 スポーツ 2011年2月13日 18時52分
- ツーシーム? 佑「直球」の謎 スポーツ 2011年2月14日 18時24分
- 斎藤佑 腹痛で20日の登板回避 スポーツ 2011年2月19日 18時1分
- 斎藤佑調整遅れ 開幕中継ぎも スポーツ 2011年2月22日 8時9分
- 斎藤佑 初キャンプを打ち上げ スポーツ 2011年2月25日 16時23分
- 斎藤佑OP戦初登板 1回無失点 スポーツ 2011年2月26日 15時7分
- 佑 スライダー封印で「自信」 スポーツ 2011年2月26日 22時11分
- 斎藤佑 トーク力で沢村に完敗 スポーツ 2011年3月1日 8時47分
- 佑が札幌登板 先輩青木斬り スポーツ 2011年3月2日 21時22分
- 佑、G斬り「イメージできた」 スポーツ 2011年3月6日 9時13分
- 斎藤佑が巨人3回零封 初勝利 スポーツ 2011年3月6日 16時42分
- 佑 開幕5戦目のオリ戦で先発 スポーツ 2011年3月7日 13時2分
- 佑 13日初先発をTBS緊急中継 スポーツ 2011年3月10日 8時40分
- 佑9失点 初先発でプロの洗礼 スポーツ 2011年3月21日 14時53分
- 佑、9失点からきっちり修正 スポーツ 2011年3月27日 16時22分
プロ1年目[編集]
- 佑&マー君が一つの募金箱持つ スポーツ 2011年4月2日 15時4分
- 佑 2軍戦で5失点も「納得」 スポーツ 2011年4月10日 20時7分
- 佑、大嶺と対決へ「面白い」 スポーツ 2011年4月15日 8時55分
- 斎藤 あす初登板「緊張する」 スポーツ 2011年4月16日 17時21分
- 佑、5回4失点で初勝利第1号 スポーツ 2011年4月17日 15時57分
- 佑1勝に「夢がかなえられた」 スポーツ 2011年4月17日 17時51分
- 佑「野球の面白さ感じた」 スポーツ 2011年4月18日 10時12分
- 斎藤佑「次は理想の投球で」 スポーツ 2011年4月18日 19時45分
- 佑2度目登板へ「余裕ない」 スポーツ 2011年4月24日 8時12分
- 斎藤2勝目なるか 楽天戦先発 スポーツ 2011年4月24日 18時23分
- 斎藤、6回3失点でプロ2勝目 スポーツ 2011年4月24日 22時1分
- 斎藤2連勝も反省「ラッキー」 スポーツ 2011年4月24日 23時11分
- 斎藤佑6回3失点 3勝目ならず スポーツ 2011年5月1日 17時13分
- 2勝の斎藤佑に厳しい声も スポーツ 2011年5月2日 21時40分
- 佑 左わき腹痛め初回で降板 スポーツ 2011年5月8日 13時56分
- 佑が登録抹消 わき腹違和感で スポーツ 2011年5月8日 17時52分
- 佑、筋挫傷で全治2-3週間 スポーツ 2011年5月9日 13時5分
- 佑、6・5巨人戦復帰を目標 スポーツ 2011年5月10日 8時38分
- ハムGM 佑に「体を鍛え直せ」 スポーツ 2011年5月14日 10時51分
- 佑が投球練習「100%回復」 スポーツ 2011年5月23日 8時32分
- 佑 復帰登板予定の2軍戦中止 スポーツ 2011年5月28日 9時43分
- 斎藤佑、1軍復帰は交流戦後に スポーツ 2011年6月3日 8時28分
- 佑2軍で復帰 1発含む2回2失点 スポーツ 2011年6月4日 14時3分
- 佑 2軍3度目の登板は7回3失点 スポーツ 2011年6月21日 18時18分
- 梨田監督明言、佑復帰は29日 スポーツ 2011年6月22日 19時29分
- 斎藤佑 復帰登板もプロ初黒星 スポーツ 2011年6月29日 21時15分
- プロ初黒星の佑、登録抹消へ スポーツ 2011年6月30日 11時32分
- 同期対決で斎藤佑4回4失点 スポーツ 2011年7月11日 20時23分
- 佑、5回無失点で復帰後初勝利 スポーツ 2011年7月17日 16時28分
- 佑 新人異例の球宴2試合登板 スポーツ 2011年7月21日 9時12分
- 斎藤佑、球宴初登板は無失点 スポーツ 2011年7月22日 22時53分
- 斎藤佑が証明 走り込み神話 スポーツ 2011年7月24日 23時11分
- 佑ちゃん無失点も日ハム4連敗 スポーツ 2011年8月2日 21時53分
- 佑、勝ち権利目前降板にぶ然 スポーツ 2011年8月9日 8時29分
- 斎藤佑「思い出の日」に4勝目 スポーツ 2011年8月20日 20時51分
- 斎藤佑、3ラン浴びるも5勝目 スポーツ 2011年8月27日 20時37分
- 斎藤佑、ダルらとCDデビュー スポーツ 2011年8月30日 8時52分
- 佑&マー君初対決へ「平常心」 スポーツ 2011年9月9日 8時39分
- 佑 田中に敗れ「4年間の差」 スポーツ 2011年9月10日 22時8分
- 斎藤佑が5敗目、鷹打線に感心 スポーツ 2011年9月16日 21時57分
- 斎藤佑、7回無失点で6勝目 スポーツ 2011年10月6日 20時41分
- 佑、CSファイナルで先発濃厚 スポーツ 2011年10月23日 15時24分
- 佑、倍増3千万円で一発サイン スポーツ 2011年11月28日 15時56分
- 西本さん 佑のフォームで遺言 スポーツ 2011年11月30日 9時21分
- 斎藤佑 山本昌と合同トレ計画 スポーツ 2011年12月10日 12時31分
- 3.11 斎藤vs.マー君再戦も スポーツ 2011年12月28日 8時2分
- 佑&小林麻耶 一緒に伊勢参り エンタメ 2012年1月11日 6時12分
- 王会長 佑に「騒がせてるな」 スポーツ 2012年1月12日 10時43分
- 佑、ダル不在で開幕投手意欲 スポーツ 2012年1月25日 16時36分
- ダル移籍で佑は覚醒? 恩師語る スポーツ 2012年1月26日 12時31分
- 佑、初日からブルペンで31球 スポーツ 2012年2月1日 19時25分
- 佑 今季初実戦で場外弾浴びる スポーツ 2012年2月11日 14時59分
- 斎藤佑、DeNAに3回4失点 スポーツ 2012年2月16日 16時11分
- 佑、侍ジャパンの背番「11」 スポーツ 2012年2月19日 9時41分
- 佑4回1失点 課題残した4四球 スポーツ 2012年2月23日 15時43分
- 斎藤佑 開幕遠のく5回3失点 スポーツ 2012年3月3日 17時28分
- 佑に「打たれたら殴り倒す」 スポーツ 2012年3月10日 9時54分
- 佑、6回3失点でも開幕投手? スポーツ 2012年3月17日 7時39分
- 斎藤佑が開幕投手 監督が明言 スポーツ 2012年3月19日 13時57分
プロ2年目[編集]
- 開幕投手の斎藤佑、7回3失点 スポーツ 2012年3月23日 4時54分
- 栗山監督「佑よ雅樹になれ」 スポーツ 2012年3月24日 8時15分
- 佑、人生最大の重圧も闘志 スポーツ 2012年3月30日 9時32分
- 佑、期待に応え開幕完投勝利 スポーツ 2012年3月30日 21時11分
- 佑にダル指令「7-10完投を」 スポーツ 2012年4月2日 9時9分
- 2度目の対戦もマー君に軍配 スポーツ 2012年4月13日 21時21分
- 斎藤佑、プロ初完封で3勝目 スポーツ 2012年4月20日 21時8分
- 初完封の佑「不思議な感覚」 スポーツ 2012年4月20日 23時15分
- 斎藤佑4勝目、稲葉は250号 スポーツ 2012年5月4日 17時38分
- 佑、大石登板に「うっそー」 スポーツ 2012年5月6日 8時49分
- 佑が大炎上 2回もたず9失点KO スポーツ 2012年5月12日 14時33分
- 斎藤佑、一発に泣き3敗目 スポーツ 2012年5月19日 18時32分
- 斎藤佑 24歳誕生日飾る5勝目 スポーツ 2012年6月6日 21時12分
- 1位の佑「プライドを持って」 スポーツ 2012年6月25日 21時31分
- 佑 1か月ぶり勝利がスルリ スポーツ 2012年7月6日 23時3分
- 斎藤佑 球宴第1戦で先発へ スポーツ 2012年7月17日 19時42分
- 佑、6戦勝ちなしで2軍落ち スポーツ 2012年7月29日 20時22分
- 斎藤佑樹、遠い1軍復帰の道 スポーツ 2012年8月14日 17時34分
- 佑、ご飯食べられず激やせ スポーツ 2012年8月15日 12時0分
- 斎藤佑、2軍戦で6回7失点KO スポーツ 2012年8月25日 17時42分
- 佑、アマ相手でも結果残せず スポーツ 2012年9月13日 15時30分
- 佑 今季は事実上の「構想外」 スポーツ 2012年9月14日 19時16分
- 佑1軍昇格へ 中継ぎで起用も スポーツ 2012年9月29日 9時47分
- 佑6失点で降板 CS先発が絶望 スポーツ 2012年10月6日 7時47分
- 佑CS戦力外、日本Sで再合流も スポーツ 2012年10月15日 10時3分
- 佑1軍合流「どこでも投げる」 スポーツ 2012年10月27日 8時12分
- 斎藤佑 苦悩のプロ2年目語る スポーツ 2012年11月9日 1時39分
- 佑、500万円増で一発サイン スポーツ 2012年12月17日 12時54分
- 佑、500万円増にも笑顔なし スポーツ 2012年12月18日 7時25分
- 斎藤佑「88年会」対決に闘志 スポーツ 2013年1月6日 14時18分
- 木佐貫加入で佑ローテピンチ スポーツ 2013年1月25日 8時54分
- 佑の右肩回復せず 最悪手術も スポーツ 2013年1月31日 7時33分
- 斎藤佑樹、前半戦は絶望的か スポーツ 2013年2月4日 10時13分
プロ3年目 田中は24勝0敗[編集]
- 佑、一般女性と「破局」告白 スポーツ 2013年4月26日 12時2分
- 佑「まだ野球やめたくない」 スポーツ 2013年6月14日 12時12分
- 佑、6歳下の大谷にライバル心 スポーツ 2013年6月21日 8時2分
- 2つの恐怖と戦う斎藤佑樹の今 スポーツ 2013年7月3日 17時6分
- 最速136キロ 苦しむ斎藤佑樹 スポーツ 2013年7月9日 18時40分
- 佑「1軍で勝つのは難しい」 スポーツ 2013年7月15日 19時30分
- 斎藤佑 高校生の球数制限反対 スポーツ 2013年8月29日 18時48分
- 佑、14日に344日ぶり先発へ スポーツ 2013年9月10日 10時38分
- 佑まだ2軍 マー君と対決なし? スポーツ 2013年9月19日 17時23分
- 斎藤佑 2軍で炎上9失点KO スポーツ 2013年9月20日 15時8分
- 佑2軍で9失点KO 課題「全部」 スポーツ 2013年9月20日 19時36分
- 佑先発へ 今の状態を見せたい スポーツ 2013年10月2日 10時55分
- 斎藤佑、5回途中6失点でKO スポーツ 2013年10月2日 20時11分
- 6失点の斎藤佑「課題が明確」 スポーツ 2013年10月2日 23時20分
- 佑11失点 方向は間違ってない スポーツ 2013年10月10日 17時35分
- 斎藤が大谷とディープな競演 スポーツ 2013年10月31日 19時13分
- 「最強」目指した斎藤佑の今 スポーツ 2013年11月13日 13時5分
- 0勝の佑、700万円減も前向き スポーツ 2013年12月3日 16時6分
- 斎藤佑「0勝トリオ」で再出発 スポーツ 2013年12月14日 6時32分
- 斎藤佑 来季は「楽」目指す スポーツ 2013年12月16日 10時43分
- 佑、渡米マー君に惜別エール スポーツ 2013年12月26日 10時59分
- 「終わった」早大ドラ1が結集 スポーツ 2014年1月14日 10時47分
- 正念場の斎藤佑 紅白戦に照準 スポーツ 2014年1月19日 14時54分
- 斎藤佑樹 マエケン体操導入 スポーツ 2014年1月27日 13時31分
- 崖っぷち佑 気合の「ウッ」 スポーツ 2014年2月3日 7時58分
- 背水の佑 1日2度ブルペン スポーツ 2014年2月4日 22時54分
- ハム佑 3回無失点も監督苦言 スポーツ 2014年2月27日 20時51分
- 斎藤佑、開幕ローテ見えた スポーツ 2014年2月28日 6時39分
- 斎藤佑 G打線3失点で課題残す スポーツ 2014年3月5日 20時34分
プロ4年目 田中はNYヤンキースへ[編集]
- 斎藤佑 開幕1軍「うれしい」 スポーツ 2014年3月26日 19時3分
- 佑 4失点で2年ぶり勝利ならず スポーツ 2014年3月29日 17時4分
- 佑2回途中KO 悲鳴と罵声交錯 スポーツ 2014年4月10日 20時4分
- 佑2回途中KO リリーフ転向も スポーツ 2014年4月11日 1時3分
- 乱調の佑 ハム首脳「寂しい」 スポーツ 2014年4月11日 12時47分
- 斎藤佑中継ぎ白紙? 登録抹消 スポーツ 2014年4月11日 17時0分
- 斎藤佑樹2軍落ち 居場所作れ スポーツ 2014年4月12日 7時49分
- 佑が炎上 ヤジ「大谷見習え」 スポーツ 2014年5月29日 16時55分
- 二軍でも炎上 斎藤佑樹に厳しい指摘 スポーツ 2014年6月1日 16時29分
詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
2011 | 日本ハム | 19 | 19 | 1 | 0 | 0 | 6 | 6 | 0 | 0 | .500 | 472 | 107.0 | 122 | 5 | 35 | 1 | 5 | 62 | 6 | 0 | 41 | 32 | 2.69 | 1.47 |
通算:1年 | 19 | 19 | 1 | 0 | 0 | 6 | 6 | 0 | 0 | .500 | 472 | 107.0 | 122 | 5 | 35 | 1 | 5 | 62 | 6 | 0 | 41 | 32 | 2.69 | 1.47 |
---|
- 2011年度シーズン終了時
記録[編集]
- 投手記録
- 初登板・初先発・初勝利:2011年4月17日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(札幌ドーム)、5回4失点(自責点1)
- 初奪三振:同上、1回表に岡田幸文から空振り三振
- 初完投:2011年9月10日、対東北楽天ゴールデンイーグルス19回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、8回10安打4失点で敗戦投手
- 初完投勝利:2012年3月30日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(札幌ドーム) 、9回4安打1失点7奪三振
- 初完封勝利:2012年4月20日、対オリックス・バファローズ4回戦(ほっともっとフィールド神戸)、9回8安打
- 打撃記録
- 初打席:2012年5月19日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回表に野村祐輔から右翼フライ
- その他の記録
- オールスターゲーム出場:2回(2011年 - 2012年)
背番号[編集]
- 18 (2011年 - )
- 11 (2012年東日本大震災復興支援ベースボールマッチ)
登場曲[編集]
関連企業[編集]
- バウ企画(マネジメント契約)
- ミズノ(アドバイザリープロスタッフ契約)
参考文献[編集]
- 斎藤寿孝・斎藤しづ子『佑樹~家族がつづった物語~』小学館 ISBN 9784093877169)
- 門田隆将『ハンカチ王子と老エース』、講談社 ISBN 9784062136846)
- 矢崎良一・鈴木洋史・山岡淳一郎・渡辺勘郎『新たなる聖地―甲子園から神宮へ―』竹書房 ISBN 9784812431177)
- 中野翠『斎藤佑樹くんと日本人』文藝春秋、文春新書 ISBN 9784166605682)
- 高部務・担当記者グループ『斎藤佑樹青春の軌跡』東邦出版 ISBN 978-4-8094-0617-1)
- 『斎藤佑樹投手「ハンカチ王子」パーフェクト・ブック』講談社フライデー編集部 ISBN 4-06-378817-2)
- 西宮野球倶楽部編『甲子園熱闘伝説 - 王貞治から斎藤佑樹まで』双葉社 ISBN 978-4-575-30065-9)
- 『甲子園のキセキ : 時代を超えた、高校野球、6つの物語』日刊スポーツ出版社 ISBN 978-4-8172-0264-2)
- ベースボール・マガジン社編『東京六大学野球栄光の軌跡 - リーグ誕生から斎藤佑樹まで』 ISBN 978-4-583-61485-4)
- 『東京六大学野球伝説 - 闘う男!斎藤佑樹いざ、神宮デビュー!!』宝島社 ISBN 978-4-7966-5791-4)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
テンプレート:北海道日本ハムファイターズ テンプレート:北海道日本ハムファイターズ開幕投手 テンプレート:北海道日本ハムファイターズ2010年ドラフト指名選手