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その後フリーとなり東京へと活動拠点を移す。FM番組やテレビのナレーションなどで活躍。) | その後フリーとなり東京へと活動拠点を移す。FM番組やテレビのナレーションなどで活躍。) | ||
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== オープニング・クロージング == | == オープニング・クロージング == | ||
− | + | *6代目(現行)てっと君のアニメーション(2018年1月〜現在)【ハイビジョン制作】 | |
− | * | + | * 5代目(?~2017年12月)【ハイビジョン制作】 |
− | ** | + | ** オープニング「新潟の四季の風景」 |
− | ** | + | ** エンディング「新潟の冬の雪の中での田舎の風景」 |
+ | * 4代目'''「手と手とTeNY」'''朱鷺バージョン(2006年10月1日~?)【ハイビジョン制作】 | ||
+ | ** 冒頭に局ロゴ。CGの朱鷺が大空を飛び、次第に数が増えていく。その後地球を背景に飛び、テロップ「JOPI-DTV テレビ新潟デジタルテレビジョン」。ナレーションは朱鷺CGの冒頭に「JOPI-DTV、ご覧のチャンネルは、TeNY、テレビ新潟、デジタルテレビジョンです」、CGの終わりに「JOPI-DTV、こちらは、TeNY、テレビ新潟、デジタルテレビジョンです」(注:テロップとナレーションはデジタル版の場合)。 | ||
+ | ** アナログ放送の場合、「テレビ新潟、デジタルテレビジョンです」が「テレビ新潟です」となる。 | ||
** BGMは、局ロゴ表示の時のみ「手と手と手とTeNY」、それ以外は別の楽曲を使用。 | ** BGMは、局ロゴ表示の時のみ「手と手と手とTeNY」、それ以外は別の楽曲を使用。 | ||
− | + | ** それまでは平日深夜と日曜深夜の放送休止前のジャンクションは廃止されたが[[2008年]][[7月24日]]からオープニングバージョンと同じスタイルで復活した<ref group="注">ただしアナログ放送のみ前半の30秒を[[地上アナログテレビ放送|地上アナログ放送終了告知画面]]に差し替えて放送している。</ref>。 | |
− | ** それまでは平日深夜と日曜深夜の放送休止前のジャンクションは廃止されたが[[2008年]][[7月24日]] | + | |
** 日曜深夜のクロージング後の放送休止前には「放送機器点検のため、本日の日テレNEWS24はお休みします」という表示が出る。コールサイン表示はなし。 | ** 日曜深夜のクロージング後の放送休止前には「放送機器点検のため、本日の日テレNEWS24はお休みします」という表示が出る。コールサイン表示はなし。 | ||
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* 3代目'''「手と手とTeNY」'''ショートバージョン(TeNYでのNNN24放送開始~2006年9月30日) | * 3代目'''「手と手とTeNY」'''ショートバージョン(TeNYでのNNN24放送開始~2006年9月30日) | ||
− | ** VTRの冒頭で弥彦送信所の技術情報を表示し「JOPI- | + | ** VTRの冒頭で弥彦送信所の技術情報を表示し「JOPI-TV、TeNY、テレビ新潟です」のナレーションが入る。続いて、たくさんの人々が地球上で手をつないでゆくアニメーションの後、TeNYの社ロゴが映し出される15秒間の映像。BGMは「手と手と手とTeNY」(作詞:伊藤アキラ、作曲:[[小林亜星]])。ナレーションは堀敏彦が行っていた。 |
− | ** 放送休止時間帯にNNN24(現・日テレNEWS24)の放送を行うのに伴い、後述のロングバージョンを短縮したものを制作した。以前は放送開始前の[[フィラー]]があった。新潟県内の四季や風景をモチーフにした映像を主体にしたものだったが、現在は使用されていない。また[[新潟県中越地震]] | + | ** 放送休止時間帯にNNN24(現・日テレNEWS24)の放送を行うのに伴い、後述のロングバージョンを短縮したものを制作した。以前は放送開始前の[[フィラー]]があった。新潟県内の四季や風景をモチーフにした映像を主体にしたものだったが、現在は使用されていない。また[[新潟県中越地震]]後の翌2005年には休止時間帯に中越地震の被害の模様を綴った映像集をフィラーとして放送したこともあった。 |
* 2代目'''「手と手とTeNY」'''ロングバージョン(1998年1月1日~TeNYでのNNN24放送開始) | * 2代目'''「手と手とTeNY」'''ロングバージョン(1998年1月1日~TeNYでのNNN24放送開始) | ||
− | ** | + | ** 内容は前述の現行バージョンとほぼ同じ、イラストとTeNYのロゴをモチーフにした75秒間の映像。BGMは同じ「手と手と手とTeNY」だが、このバージョンではフルコーラス演奏。ナレーションは小幡章が行っていた。口上は初代のものと概ね同様で、クロージングにおけるコールサインの4回繰り返しでの読み上げおよび3回目・4回目の読み上げにエコーがエフェクトされる部分も踏襲された。 |
− | ** 「JOPI- | + | ** 「JOPI-TV」のアクセントは「じぇいおうぴいあい、てぃーびー」と、間延びはないが、IとTの間に一呼吸置いている。 |
+ | **[[秘密のケンミンSHOW]]にてテレビ新潟を紹介した際にコレの一部分が流されBGMも流れた。 | ||
+ | ** オープニングのナレーション:「JOPI-TV、JOPI-TV。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りします。今日もTeNY テレビ新潟の番組でお楽しみ下さい」 | ||
+ | ** クロージングのナレーション:「今日もTeNY テレビ新潟をご覧頂きまして、ありがとうございました。これで本日の放送をすべて終了いたします。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りいたしました。JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV」(2回目のコールサインからエコーがかかり、回を追うごとにエコーのかかりが強くなっており、4回目になるとはっきり聞こえる)。 | ||
* 初代'''「Yes My TNN」'''(1981年3月25日〈サービス放送開始〉~1997年12月31日)【フィルム制作】 | * 初代'''「Yes My TNN」'''(1981年3月25日〈サービス放送開始〉~1997年12月31日)【フィルム制作】 | ||
− | ** オープニング・クロージング共新潟の風景・風物をモチーフにした[[油絵]]調のキャンバス画。BGMは開局当時のイメージソング「Yes My Song」(作詞:[[森雪之丞]]、作曲:[[小六禮次郎]]、歌:[[サーカス (歌手)|サーカス]])。オープニングではデフォルトの歌入りのバージョンが、クロージングではサックスをメインにしたインストゥルメンタルのバージョンが使用された。ナレーションは開局当初は[[小林美樹]] | + | ** オープニング・クロージング共新潟の風景・風物をモチーフにした[[油絵]]調のキャンバス画。BGMは開局当時のイメージソング「Yes My Song」(作詞:[[森雪之丞]]、作曲:[[小六禮次郎]]、歌:[[サーカス (歌手)|サーカス]])。オープニングではデフォルトの歌入りのバージョンが、クロージングではサックスをメインにしたインストゥルメンタルのバージョンが使用された。ナレーションは開局当初は[[小林美樹 (アナウンサー)|小林美樹]]が、彼女の退社(1984年4月)後は駒形正明が行っていた。 |
− | **音声は開局前のサービス放送開始当初からステレオ放送であった他、当時県内民放のOP/ | + | **音声は開局前のサービス放送開始当初からステレオ放送であった他、当時県内民放のOP/EDの中では技術情報が最も詳細で、弥彦送信所の周波数・出力・チャンネルと、中継局全局のチャンネルを表示していた。双方共にここまでやったのは、新潟のテレビ局では初めてであった(但し、送信所のチャンネルと中継局全局のチャンネル表示については、以前から既に、[[新潟放送|BSNテレビ]]、[[新潟総合テレビ|NST]]でも行っていた)。 |
− | ** オープニングのナレーション:「JOPI-TV、JOPI-TV。映像周波数:567. | + | ** オープニングのナレーション:「JOPI-TV、JOPI-TV。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りします。“Yes My ふれあいネットワーク”今日もTNNテレビ新潟の番組でお楽しみ下さい」 |
− | ** | + | ** クロージングのナレーション:「今日もTNNテレビ新潟をご覧頂きまして、ありがとうございました。これで本日の放送をすべて終了いたします。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りいたしました。JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV」(2回目のコールサインからエコーがかかり、回を追うごとにエコーのかかりが強くなっており、4回目になるとはっきり聞こえる)。 |
− | ** なお、サービス放送開始当初([[1981年]][[3月25日]])から同年5月末までは、OP/ | + | ** なお、サービス放送開始当初([[1981年]][[3月25日]])から同年5月末までは、OP/ED共に「なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りします(いたしました)」という部分は、中継局の整備がまだ本格化されていなかったため、カットされて放送していた。 |
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** 後に歌手の[[山本理沙]]がこの「Yes My song」([[バップ]])を[[ソノシート]]化したが、OP/EDには使用されていない。 | ** 後に歌手の[[山本理沙]]がこの「Yes My song」([[バップ]])を[[ソノシート]]化したが、OP/EDには使用されていない。 | ||
− | ** サービス放送開始時から1995年の[[阪神・淡路大震災]]を機に24時間送信(1999年から開始)を開始するまで、エンディングである放送終了直前には、「夜の小箱」というミニ番組が放映されていた<ref>ステレオ放送。親局の日本テレビの番組終了前の「夜のしおり」のテレビ新潟版である。VTRに乗せて翌日の番組内容を紹介する番組である。初めは、テレビ新潟のアナウンサーのアナウンスと共に音楽が流れ、映像はYesMyタワー等からの夜の風景のVTRであったが、後にアナウンスなしで四季折々の県内の風景を収録したVTR映像に翌日の番組紹介を字幕で流すという形に変わった。</ref>。また深夜帯のローカルの天気予報(5分枠、ステレオ放送)では、咲き誇る桜や[[関越自動車道]] | + | ** サービス放送開始時から1995年の[[阪神・淡路大震災]]を機に24時間送信(1999年から開始)を開始するまで、エンディングである放送終了直前には、「夜の小箱」というミニ番組が放映されていた<ref group="注">ステレオ放送。親局の日本テレビの番組終了前の「夜のしおり」のテレビ新潟版である。VTRに乗せて翌日の番組内容を紹介する番組である。初めは、テレビ新潟のアナウンサーのアナウンスと共に音楽が流れ、映像はYesMyタワー等からの夜の風景のVTRであったが、後にアナウンスなしで四季折々の県内の風景を収録したVTR映像に翌日の番組紹介を字幕で流すという形に変わった。</ref>。また深夜帯のローカルの天気予報(5分枠、ステレオ放送)では、咲き誇る桜や[[関越自動車道]]を走る車窓からの映像が季節に応じてバックグラウンドに使われていた。 |
* [http://www.teny.co.jp/sound/teny_mono.wav 手と手と手とTeNY(WAVEサウンド)] | * [http://www.teny.co.jp/sound/teny_mono.wav 手と手と手とTeNY(WAVEサウンド)] | ||
2018年8月8日 (水) 13:05時点における最新版
株式会社テレビ新潟放送網(テレビにいがたほうそうもう、Television Niigata Network Co.,Ltd.)は、新潟県を放送対象地域とする日本テレビ系列の放送局(テレビ局)。略称はTeNY(テニィ)。キャッチフレーズは「手と手とテニィ」、地上波デジタル放送のキャッチフレーズは「digitable!(デジタブル)」だが、テレビ放送やホームページではほとんど使用されていない。コールサインはJOPI-(D)TV。
目次
概要[編集]
1981年4月開局。新潟県内で3番目の民放テレビ局である。日本テレビ系列局では唯一、社名に日本テレビと同じ「放送網」の字が入る。
開局当初の略称は、英語の登記名「Television Niigata Network」の頭文字からとった TNN(ティエヌエヌ)。特徴的なロゴデザインで、2文字目のNは字画の先端が上下に大きく伸び、電波を表していた。
1998年1月1日にCIを導入し、マーク・社名ロゴなどを一新、略称も社名の「テレビ」と「新潟」の頭文字をアレンジしたTeNYに変更した。
1973年、新潟県に3局目の民放テレビ局の開局枠が割り当てられたものの、免許を申請した業者が余りにも多数で一本化できず、各社間の調整にも失敗したため結局申請は却下、第一次オイルショックによる不況も重なって計画は立ち消えとなった(ただし、枠そのもの(29ch)は、そのまま残った)。その後、1980年8月頃の会合により新潟に民放テレビの第3・4局目の割り当て(いわゆる「静岡方式」による2局同時割り当て)があり、先に日本テレビ系である第3局(29ch・当局)が割り当てられ、次にテレビ朝日系列局の第4局(21ch、現新潟テレビ21(NT21のちのUX)・1983年10月1日開局)が割り当てられた。
日本軽金属新潟工場(現在は新潟県庁などが立地)に隣接する信濃川右岸、新潟市新光町に本社を建設。社屋には当時県内で最大面積となる100坪のテレビスタジオと、「TNNタワー」と呼ばれる展望塔型の送信塔が設けられた。1980年9月19日に予備免許を取得。当初は翌1981年の秋の開局を目指していたが、キー局の日本テレビのドル箱番組だった巨人戦中継を放送するため(当時日本テレビの巨人戦中継は新潟総合テレビ〈以下、NST〉で放送されていたが、放送枠の都合で不定期放送となっていた)、同年4月のプロ野球シーズン開幕に何とか間に合わせたいという事から、翌年4月の開局を目指して急ピッチで準備を進める事になった。またNSTはクロスネットを行っており、番組の自社制作に消極的な姿勢も一部見られた背景から、当局は積極的に自社番組を制作し、県内・外の情報を県民により多く発信する事も方針付けられた。
こうして、当局は1981年3月25日にサービス放送を、4月1日に本放送を開始した。開局に合わせてイメージソング「Yes My Song」(作詞:森雪之丞、作曲:小六禮次郎、歌:サーカス)も制作された。若者達が気球を膨らませてゆく、若々しいイメージのステーションブレイクを放送して新しいテレビ局をアピールした。
旧略称・TNNの時代は「Yes My TNN」というキャッチフレーズで親しまれた。「わたしのテレビ・TNN」を意味しており、県民にとって身近な存在のテレビ局でありたいという理念を示したものだった。自社番組を「Yes Myシリーズ」と銘打って「Yes My お天気」「Yes My お店往来」「土曜ワイドYES MYにいがた」などタイトルの冠に「Yes My」を付けていた他、社主催のイベントにも「Yes My 映画試写会」「Yes My スキーツアー」と銘打つなど様々なシーンで使用されていた(但し後年についてイベントなどは「TNN」「テレビ新潟」という冠を付けるケースが多かった)。
当局は開局以後、前述の方針を遵守して積極的に自社番組の制作に取り組んだ。土曜正午のトークバラエティ「嫁さんきなせや」にはMCに宮尾すすむを招くなど芸能人を起用した(なお、「嫁さんきなせや」のアシスタントは同局のアナウンサーだった坂上みきが担当していた)。
また平日夕方のローカルニュース「にいがたNOW」は、新潟放送の「BSNニュースワイド」などと並ぶローカル報道番組に成長した。1990年代に入ると土曜昼の生放送による情報番組「てんこもりテレビ」「情報山脈テレビDON!」など生ワイド番組の制作にも乗り出した(因みに両番組のMCにはタレント時代の堀敏彦が招かれている)。これらが昇華して平日帯のローカル情報番組「夕方ワイド!新潟一番」へとつながり、県内民放各局の夕方生ワイド番組に先鞭を付けた。当局はこの「夕方ワイド!新潟一番」の番組広告を皮切りに、1996年から現在まで新潟交通のバスカードに企業広告を出している(現在はTeNYデジタル放送のPR広告)。また当局は日本テレビや札幌テレビなどと共同でウラジオストクなどロシア極東地方の主要都市に支局を開設、これら地域のニュースや経済情報を伝える「ヴォストーク」は日本海側各県のブロックネット番組にもなった。
1998年1月1日、CI導入により略称を「TeNY」に変更、併せて新しいイメージソング「手と手と手とTeNY」(キャッチフレーズは「手と手とTeNY」であるが、曲のタイトルには「手と」がもう1つ入る。作詞:伊藤アキラ、作曲:小林亜星)も制作された[1]。 なお、旧ロゴは放送上ではほぼ淘汰されたものの、現在もTeNY本社本館前、車寄せのひさし部分には「テレビ新潟」の旧ロゴのエンブレムが掲げられている他、新潟駅万代口、JR東日本新潟支社の屋上に設置された中継アンテナも「TNN テレビ新潟」の旧ロゴのままである。この他、カラーバーなどごく一部にも「テレビ新潟」の旧ロゴが残存している。略称で大文字と小文字の両方が入っているのは、テレビ新潟を除くとテレビ北海道(TVh・テレビ東京系列)のみである。
日本テレビが制作・プロモーションなどで関係している映画では、主役俳優らに系列各局のキャッチフレーズを叫んでもらい(いわゆる「怒鳴り」)、ステーションブレイクを兼ねた映画宣伝のスポットCMとして各局で放送しているが、当局の場合は前述のキャッチフレーズ「手と手とテニィ」が使われている。2005年には映画「宇宙戦争」の監督スティーヴン・スピルバーグもこの「手と手とテニィ」のステーションブレイク(5秒スポット)に登場し、一部で話題を呼んだ。
積極的な自社番組制作などで実績を挙げている当局だが、開局以来ほぼ全く同じ内容で放送を続けているCMが現在もいくつか残存している。このうち代表的なものが当局の発起人企業の一つでもある丸新新津グループ(現・丸新グループ)のCMで、松山千春「空 〜翼をひろげて」をBGMに、飯豊連峰を登山する社員達の姿が描かれている。開局前に撮影・制作されたものだが、映像構成やナレーション、BGMの入れ替えなど細かな修正を加えた以外はほぼ開局当時のままである。現在も木曜20時54分の「TeNYニュース」内などで放送されている。
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震における同局の取材行動ぶりは、当時の視聴者に強い印象を与えた。「ズームイン!!SUPER」のキャスターで、地震当日たまたま新潟市内で当局の仕事があり、その後魚沼市(当時北魚沼郡湯之谷村)の実家に帰省していた大桃美代子を急遽呼び寄せて被災地の状況を伝え、また『歌のトップテン』の中継リポーターとしても知られていた堀敏彦がJR新潟駅の中継リポートを行うなど、地元局としての報道能力の高さを証明した。現在でも報道制作能力の高さに定評がある。
前述の新潟駅にある中継アンテナは、駅前など市内中心部からの中継を行う際に周囲のビルが電波を遮る恐れがあるため、設置されたものである。「夕方ワイド!新潟一番」の駅前中継などで使用される。
地上デジタル放送は、アナアナ変換の都合もあり、総務省の計画により、2006年10月1日に放送開始が設定され、同日に開始された。新潟に於いての東京キー局から送られてくる光ファイバーによるハイビジョン・デジタル中継回線は、NHK及び新潟民放のキー局4局からのものは既に2006年1月には整備を完了していたこともあり、同局は全国で同日地上波デジタル放送を開始する放送局中では、全国で最も早く同年6月5日にサイマル試験放送を始めることができた。しかし、日本テレビ系列局の中でローカル面でのハイビジョン化の切り替えのスピードの出足は最も遅れた方で、自社制作番組に於いてのハイビジョン制作は開始当初、外部のカメラ取材を編集して制作したデジタル放送開始記念番組程度位だった。その後、報道用のハイビジョン中継車を2007年4月に県内民放で初めて導入し、それを「ズームイン!!SUPER」や日本テレビでの報道番組の生中継等で稼動させ、同年10月1日からはようやくニュースセンターのスタジオがハイビジョン化され、これに伴い、重要な報道やハイビジョンとして報道する価値があるものについては、ハイビジョンでの取材を行うようになった(報道取材のハイビジョン化の割合は、県内民放ではUXに続いて多く、県内民放で最も早くハイビジョン取材を行ったNSTよりも多くなった。またNNN全国ニュース向けの回線もハイビジョンに対応している)。2008年6月8日には、ようやく自社の報道用ハイビジョン中継車を使ったローカル単発番組のハイビジョン生中継番組を制作、放送するようになり(「トキ・・・未来へつなごう」)、翌年1月13日にはメインスタジオを始めとする放送局舎を全面ハイビジョン化させ、この日の「夕方ワイド新潟一番」の年始第1回から、一部の中継の場合を除きローカル番組を全部ハイビジョン化させた[2]。
本社[編集]
支社[編集]
- 東京支社・東京都中央区銀座1-8-16(銀座アスタービル)
- 関西支社・大阪府大阪市北区曽根崎新地2-2-16(桜橋東洋ビル)
- 長岡支社・長岡市今朝白1-8-18(長岡DNビル)
- 上越支社・上越市本町3-1-13(君の井酒造ビル)
- 東北支社・宮城県仙台市青葉区国分町3-6-11(ARK小田急ビル)
関連会社[編集]
チャンネル[編集]
アナログテレビ放送[編集]
- 送信所:29ch JOPI-TV 弥彦送信所(出力=映像:30kw 音声:7.5kw)
- 中継局
中継局 | ch | 中継局 | ch | 中継局 | ch | 中継局 | ch | 中継局 | ch | 中継局 | ch | |||||
高田 | 27 | 相川 | 56 | 小出 | 41 | 津南 | 55 | 村上市村上 | 44 | 高柳 | 46 | |||||
守門 | 59 | 関川 | 61 | 青海 | 41 | 三川 | 62 | 牧 | 53 | 村上市府屋 | 41 | |||||
村上市勝木 | 59 | 両津 | 42 | 高千 | 60 | 安塚 | 42 | 新井 | 59 | 村松 | 59 | |||||
栃尾 | 60 | 塩沢 | 60 | 土樽 | 52 | 越路 | 59 | 新津 | 38 | 小千谷真人 | 56 | |||||
川口 | 42 | 大和 | 60 | 黒川 | 60 | 中里 | 32 | 鹿瀬 | 40 | 村上市朝日 | 41 | |||||
早川 | 42 | 湯沢 | 42 | 糸魚川 | 27 | 津川 | 53 | 湯之谷 | 25 | 六日町 | 59 | |||||
外海府 | 36/41 | 下相川 | 41 | 糸魚川大野 | 59 | 川口大島 | 53 | 妙高高原 | 32 | 津南田中 | 50 | |||||
津南上郷 | 32 | 津南中津 | 39 | 柏崎鯖石 | 59 | 柏崎山口 | 41 | 関川女川 | 40 |
デジタルテレビ放送[編集]
親局、中継局共、リモコン番号は4である。
- 親局:26ch JOPI-DTV 弥彦送信所(出力:3kW)
- 中継局
中継局 | ch | 中継局 | ch | 中継局 | ch | 中継局 | ch | 中継局 | ch | ||||
高田 | 31 | 津南 | 25 | 新井 | 47 | 守門 | 36 | 妙高高原 | 47 | ||||
三川 | 45 | 津川 | 45 | 村上 | 31 | 村松 | 45 | 高柳 | 39 | ||||
津南上郷 | 25 | 両津 | 37 | 外海府 | 32 | 関川 | 47 | 青海 | 25 | ||||
小出 | 30 | 相川 | 32 | 湯沢 | 26 | 栃尾 | 47 | 川口 | 26 | ||||
鹿瀬 | 26 | 大和 | 36 | 津南田中 | 26 | 六日町 | 36 | 高千 | 26 | ||||
糸魚川大野 | 25 | 糸魚川早川 | 36 |
沿革[編集]
- 1980年9月5日 - 第1回発起人会が開かれる。
- 1980年9月19日 - テレビ放送予備免許取得・開局準備室開設。
- 1980年10月23日 - テレビ新潟放送網創立。等々力英男(新潟トヨタ自動車社長)が社長就任。
- 1981年2月27日 - 開局どころかサービス放送開始前、日本テレビ「ズームイン!!朝!」に於いて、当時テレビ新潟のアナウンサー小林美樹が、試験電波発射前の弥彦山送信所から同番組の新潟県からの初の生中継を行う。これが、テレビ新潟初の放送業務及び生中継となった。
- 1981年3月7日 - 試験電波発射(カラーバーと2重音声による。送出用マスターはNEC製、送信機は東芝製。)。
- 1981年3月24日 - テレビ放送本免許取得。
- 1981年3月25日 - サービス放送開始(同時に県内2局目の音声多重放送を行う)。これに伴い、当初からENG(3/4インチU規格VTR使用)を使ったニュース取材を開始。番組送出用VTRは日立製の物が使われる(1インチ・2インチ共に)。CMバンク設備はNEC製。又、サービス放送開始及び開局に於いて、親局の日本テレビが大型中継車を貸与する等の協力を行う。
- 1981年3月30日 - 日本テレビ「ザ・トップテン」番組開始前夜祭の中継の部分に於いて、小林幸子の出演で、テレビ新潟開局前夜祭特別番組を準備中の新潟県民会館から全国に生中継を行う。
- 1981年3月31日 - テレビ新潟開局前夜祭特別番組「はばたけ!テレビ新潟 YES MY スーパースター夢の饗宴」を18時00分~20時54分に渡って新潟県民会館から生放送した(日本テレビが制作と技術面で協力した)。司会は徳光和夫(当時日本テレビアナウンサー)と久米宏(当時フリー)の2人で、これが初共演だったという。ゲストには地元新潟市出身の小林幸子らが出演した。
- 1981年4月1日 - 新潟県3番目の民放テレビ局として開局(本放送を開始)。開局当時の略称はTNN。開局記念の1つとして、日本テレビの「ズームイン!朝」のキーステーションが新潟に置かれ、同番組司会の徳光和夫が新潟市から生中継を行い、又、初代5人のアナウンサーが番組内で全国に紹介された。
- 1981年4月21日 - 日本テレビ製作の全民間テレビ放送局で放送された「放送広告の日」特別番組で、開局したばかりのテレビ新潟が紹介され、初代同局アナウンサー全5人が登場、自己紹介し、当時の日本の全民間テレビ放送局にてその模様が放送される。
- 1981年5月下旬 - ローカル枠の天気予報の一部がステレオ化される[3]。
- 1981年6月 - 大型中継車導入(音声多重放送対応)。
- 1981年6月19日 - 本社社屋落成(スタジオ面積100坪)。
- 1981年6月 - ジャイアント馬場の地元三条市の三条市総合体育館にて、日本テレビと共同で「全日本プロレス中継」の公開実況録画中継を行う(プロレス中継の日本テレビとの共同制作は同局初。音声はステレオ)。
- 1981年7月6日 - 日本テレビの番組「ザ・トップテン」の新潟市からの全国中継で、導入したばかりの自社の大型中継車を使って、新潟ローカル局ではテレビ番組初のステレオ生中継を行う。[4]
- 1981年8月16日 - 日本テレビの「第4回 日本民謡大賞」の新潟県予選大会の模様を、同局ローカル制作番組初(天気予報等を除く)のステレオで放送する。[5]
- 1982年3月 - 開局1周年記念として地元刈羽郡小国町出身の林家こん平(かつての千谷沢村〈ちやざわむら〉、現・長岡市。地元では転訛して「チャーザー村」と云う。)の独演会と日本テレビ「笑点」の公開録画(2回分)を長岡市立劇場にて行う。[6]。
- 1983年4月4日 - 新潟県初のローカルステレオレギュラー番組「弥生のサウンド飛行船」、「ビート・オン・ポップ '83」の2番組が放送開始。[7]
- 1986年4月1日 - 中国 黒龍江電視台と姉妹局協定調印。
- 1988年6月30日 - 新津義雄(丸新グループ社長)が社長就任。
- 1990年8月29日 - ソ連 沿海地方テレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。
- 1990年9月1日 - ソ連 ハバロフスク地方テレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。
- 1991年4月23日 - ソ連 イルクーツクテレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。
- 1991年7月18日 - ソ連 サハリンテレビ・ラジオ委員会と放送協力協定締結。
- 1992年4月4日 - 「てんこもりテレビ」スタート。
- 1993年6月30日 - 常盤恭一が社長就任。
- 1994年3月1日 - 日本テレビ・札幌テレビなどと共同でNNN/TNNウラジオストク支局開設
- 1994年4月2日 - 「情報山脈テレビDON!」スタート。
- 1994年4月28日 - 北川信が社長就任。
- 1995年10月2日 - 「夕方ワイド新潟一番」スタート。
- 1997年6月30日 - 社屋を増築。本館の東隣に新館が完成。
- 1997年12月1日 - 本社主調整室更新(マスター更新。東芝製?)。
- 1998年1月1日 - CI実施。略称を「TNN」から「TeNY」に変更。
- 1998年2月 - 字幕放送開始。
- 1998年6月17日 - 弥彦親局送信機更新(東芝製)。
- 1999年4月3日 - 「エレベスト」スタート。
- 2002年3月2日 - 「とことんアルビ!!DX」スタート。
- 2002年3月9日 - 「とことんアルビ!!」スタート。
- 2003年6月26日 - 北川信が社長を退き会長に就任。前川磐が社長就任。
- 2005年10月1日 - 弥彦親局、地上デジタル放送の試験電波を発射。(地上波デジタル用の送信機は東芝製)
- 2005年10月21日 - 弥彦親局より地上デジタル放送の試験放送を開始(県内初。出力3kw)。
- 2006年4月1日 - TeNY開局25周年。
- 2006年5月27日・28日 - 「開局25周年記念大感謝祭・新潟一番の日」を新潟市産業振興センターで開催
- 2006年6月5日 - 本社主調整室(マスター)を東芝製のアナログ・デジタル統合型のものに更新。同日午前5時20分の「ズームイン!!SUPER」より、地上波デジタル放送のサイマルサービス試験放送、データ放送及びワンセグの各試験放送開始(その模様は同日の新潟一番内のニュースの最後で紹介された)。[8]
- 2006年9月1日~10月8日 - 新潟テレビ21(UX)と共同で地上波デジタル放送開始のキャンペーンを実施。
- 2006年9月30日 - 開局25周年・長岡市制施行100周年記念として日本テレビ「笑点」の公開録画を長岡市立劇場にて行う[9]。
- 2006年10月1日 - 地上デジタル本放送開始(UHF26ch、コールサインJOPI-DTV、出力3kw、チャンネルはリモコンキーID4)。
- 2007年4月 - 県内民放では初めて自社としての報道・簡易中継用のハイビジョン中継車(含ハイビジョンSNG中継システム)を導入。「ズームイン!!SUPER」の新潟県内からの中継等で使用を開始する。
- 2007年10月1日 - ニューススタジオの映像サブ(調整卓)がハイビジョン対応化され、ローカルニュース及び天気予報の多くがハイビジョン放送となる。
- 2008年5月12日 - お天気カメラがハイビジョン化される。
- 2008年6月8日 - 同局初の単発ハイビジョン生中継ローカル番組『TeNY Touch eco スペシャル「トキ・・・未来へつなごう」』を放送[10]。
- 2008年9月25日 - 27年ぶりに佐渡市にて野生放鳥されたトキの試験放鳥のニュース内での佐渡市現地からの中継を、県内の民放では唯一ハイビジョンにて生中継。同時に、同模様の取材映像を、県内民放でいち早くハイビジョンにて放映した。
- 2009年1月12日 - アナログ及びデジタル、ワンセグの全放送にてウォーターマークの表示が開始される[11]。
- 2009年1月13日 - メインスタジオを始めとする新潟本社局舎内が全面ハイビジョン化される。これに伴い、この日の「夕方ワイド新潟一番」からメインスタジオのハイビジョン運用を開始する。
- 2009年6月1日 - 「夕方ワイド新潟一番」の駅前中継用のSNGがハイビジョン仕様の物に交換され、同中継がハイビジョン化される。[12]
ネットワークの移り変わり[編集]
- 1981年4月1日 日本テレビ系列として開局。新潟県では史上初のマストバイ局である。
- 移行された割合は 新潟総合テレビ7:新潟放送3。
- しかし、「キユーピー3分クッキング」は新潟放送が中部日本放送制作分をネットしているため、ネットできなかった。
主な自社制作番組[編集]
- TeNYニュース(毎日 20:54~21:00)※HD
- TeNYストレイトニュース(月曜-金曜 11:30-11:45、土曜11:25-11:35、日曜11:30-11:40)ローカルパート ※HD
- 夕方ワイド新潟一番(月曜-金曜 15:55-19:00)※NNN Newsリアルタイム(16:53-18:16)を内包。 ※HD
- きらり☆夢ファイル(水曜 21:54-22:00)
- すこやか新潟(土曜 11:35-11:40)
- ブカツの天使(土曜 22:54-23:00)※HD
- ロッツtheよしもとTV(土曜 24:55-25:20)
- アナちゃん☆(日曜 13:25-13:30、金曜 25:50-25:55)
- とことんアルビ!!(日曜 17:25-17:30)
- ムズムズNIGHT(日曜 23:26-23:30) フジテレビ系の番組ペケ×ポンで「実際にあるローカル番組は?」として出題された事がある。
以下3つの番組は、土曜11:40-11:55に放送されている(週によって番組が違う)。
- TeNY医療の広場(第1・2)
- とことんアルビ!!DX(第3)
- シネマれびゅー(最終)
※スカイパーフェクTV!のアルビレックス新潟ホームゲーム中継の制作も手がけている。
過去の自社制作番組[編集]
自社主催のスポーツイベント[編集]
- 環日本海新潟駅伝(大会自体は開催打ち切り)
情報カメラ設置ポイント[編集]
TNN時代にネットしていた番組[編集]
日本テレビ系[編集]
- NNN朝のニュース(平日:サービス放送開始~1992年3月、土・日曜:開局~1996年3月)
- NNN昼のニュース(サービス放送開始~1996年3月、現在のNNNストレイトニュース枠)
- (月~土曜夕方のNNNニュース)NNNジャストニュース(サービス放送開始~1984年3月)→NNN6:30きょうのニュース(1984年4月~1986年9月)→NNNライブオンネットワーク(1986年10月~1988年3月)
- (以上の3番組は現在のNNN Newsリアルタイム枠)
- NNN日曜夕刊(サービス放送開始~1996年3月、現在の真相報道 バンキシャ!枠の前半部分)
- お昼のワイドショー(サービス放送開始~1987年9月)
- おしゃれ(サービス放送開始~1987年3月)→三枝成章の気まぐれ(1987年4月~9月)
- 三枝の爆笑夫婦(サービス放送開始~1985年9月)→今日もワクワク(1985年10月~1986年9月)→SAKAIです〜デザートーク〜(1986年10月~1987年9月)
- (以上の6番組は現在のおもいッきりDON!枠)
- (以上の2番組は現在の情報ライブ ミヤネ屋枠)
- タウン5(サービス放送開始時~1981年3月28日)→爆笑!!マイスタ(1981年3月30日~同年9月)→マイスタ芸能ワイド(1981年10月~1982年3月)→芸能マイスタ(1982年4月~同年9月)→酒井広のうわさのスタジオ(1982年10月~1987年9月)→芸能スクランブル!!(1988年10月~1989年3月)→スクランブル3(1989年4月~9月)→キャッチ(1989年10月~1992年3月)→峰クンしげるのごくらく生テレビ(1992年3月~1993年3月)
- (タウン5からマイスタ芸能ワイドまでは、月~金(タウン5のみ土含む)の17時10分~17時30分の放送。芸能マイスタからの6番組は現在の情報ライブ ミヤネ屋枠)
- 11PM(サービス放送開始時にNSTから移行~1990年3月[13])
- EXテレビ(1990年4月~1994年3月)
- どんまい!! VARIETYSHOW&SPORTS→TVじゃん!!(1994年4月~1997年9月)
- (以上の4番組は現在のNEWS ZERO枠)
- テレビ3面記事 ウィークエンダー(サービス放送開始~1984年5月)
- 追跡(1988年4月~1994年3月)
- スター誕生!(開局時にNSTから移行~1983年9月)→クローズアップNOW(1983年10月~12月)→クイズ!!ラブラブジャンプ(1984年1月~3月)→鉄矢と熊のひたすら日曜日(1984年4月~9月)→徳光和夫のTVフォーラム(1984年10月~1988年12月)
- TVジョッキー(開局時にNSTから移行~1982年12月)
- びっくり日本新記録(読売テレビ制作、開局時にNSTから移行~1985年9月)
- 日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行(開局時にNSTから移行~1990年9月)→日立 地球トライアル→日立 あしたP-KAN気分!
- 投稿!特ホウ王国(1994年5月~1997年9月)
- (日曜20時枠)宇宙空母ギャラクティカ(開局時にNSTから移行、末期のみ)→日曜お笑い劇場(1981年5月~9月)→日曜8時!ドパンチ放送!!(1981年10月・11月)→俺はご先祖さま(1981年12月~1982年3月)→陽あたり良好!(1982年3月~9月)→久米宏のTVスクランブル(1982年10月~1985年3月)→天才・たけしの元気が出るテレビ!!(1985年4月~1996年9月)
- (日曜21時枠)桃太郎侍(サービス放送開始時にBSNから移行[14]、最後の半年間のみ)→幻之介世直し帖(1981年10月~1982年3月)→松平右近事件帳(1982年3月~1983年3月)→新・松平右近(1983年4月~9月)→サンデースポーツ9(1983年9月~1984年9月)→日曜9時は遊び座です(1984年10月~1985年3月)→刑事物語'85(1985年4月~9月)→誇りの報酬(1985年10月~1986年9月)→あぶない刑事(1986年10月~1987年9月)→巨泉のこんなモノいらない!?(1987年10月~1989年9月)
- (日曜22時台前半)トヨタ日曜ドキュメンタリー 知られざる世界(開局~1986年12月)→オシャレ30・30 (1987年1月~1994年6月)
- YAWARA!(1989年10月~1992年9月)
- コボちゃん(1992年10月~1994年3月)
- 魔法騎士レイアース(1994年10月~1995年11月)
- (以上の3番組は現在のサプライズ月曜後半枠)
- トップテンシリーズ(現在の世界まる見え!テレビ特捜部枠)
- Time21(1985年4月~1991年3月)
- ザ・恋ピューター(サービス放送開始~1982年2月)→三枝の恋ピューター(1982年3月~同年9月)(以上、読売テレビ制作)
- スター爆笑Q&A(1982年3月~1992年3月)→ワンダーゾーン(1992年4月~1993年3月)→関口宏のびっくりトーク ハトがでますよ!(1993年4月~1995年9月、いずれも読売テレビ制作)
- それは秘密です!!(開局時にNSTから移行~1987年9月)
- 火曜8時枠時代劇(開局時にNSTから移行~1997年3月。一時期に『火曜デラックス』編成による中断時期あり。開局時は『新五捕物帳』の途中から。)
- どちら様も!!笑ってヨロシク(1989年10月~1996年6月)
- (水曜20時枠)俺はおまわり君(開局時にBSNから移行~1981年9月)→先生は一年生(1981年10月~1982年3月)→女かじき特急便(1982年4月~9月)→歌のワイド90分!(19:30 - 20:54、1982年10月~1986年9月)→所さんの勝ったも同然!!→いい!!かもしんない(1986年10月~1987年3月)→水曜バラエティ(19:30 - 20:54、1987年4月~9月)→あきれた刑事(1987年10月~1988年3月)→欽ちゃんの気楽にリン(1988年4月~6月)→新伍の演歌大全集(1988年7月~9月)→SHOW by ショーバイ!!シリーズ(1988年10月~1996年9月)
- 木曜スペシャル(開局時にNSTから移行~1994年3月、NST時代は「土曜スペシャル」等として、内容・シリーズ単位で購入して放送していた。)
- 木曜ゴールデンドラマ(開局~1992年3月)→ドラマシティ(1992年4月~1993年3月、共に読売テレビ制作)
- 歌まね振りまねスターに挑戦!!(開局~1986年3月)
- カックラキン大放送!!(サービス放送開始時にNSTから移行~1986年9月。NSTでは1週間遅れの放送だった。)
- (金曜20時枠)太陽にほえろ!(開局時にNSTから移行~1986年11月)→太陽にほえろ!PART2(1986年11月~1987年2月)→ジャングル(1987年2月~12月)→NEWジャングル(1988年1月~9月)→もっとあぶない刑事(1988年10月~1989年3月)→ハロー!グッバイ(1989年4月~9月)→勝手にしやがれヘイ!ブラザー(1989年10月~1990年3月)→刑事貴族シリーズ(1990年4月~1992年12月)→はだかの刑事(1993年1月~9月)→もうひとつのJリーグ(1993年10月~12月)→ザ・ワイドショー(1994年1月~3月)→新・西遊記(1994年4月~9月)→静かなるドン(1994年10月~1995年3月)→ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!(1995年5月~1996年3月)
- 金曜劇場(開局時にNSTから移行~1985年9月)
- TVムック・謎学の旅(1985年4月~1992年3月)
- ウンナン世界征服宣言(1992年4月~1995年3月)
- 土曜トップスペシャル(1982年1月~1985年9月)
- 今夜は最高!(開局~1989年9月)
- 夜も一生けんめい。(1990年4月~1994年3月)
- お笑いスター誕生!!(サービス放送開始~1986年9月)
- お笑いマンガ道場(中京テレビ制作、サービス放送開始~1994年3月、開局以前には、当番組が松下電器(現パナソニック)がスポンサーの時にのみ、BSNにて放送されていた。)
- キン肉マン
- シティーハンターシリーズ(読売テレビ制作)
- 健康増進時代(開局時にBSNから移行~1995年3月)→Oh!診(1995年4月~1997年2月)
テレビ東京系[編集]
TNN時代に始まったネット番組[編集]
☆の番組は現在も放送中
※HD はハイビジョン制作
日本テレビ系[編集]
- (以上の2番組は現在の『Oha!4 NEWS LIVE』と『ズームイン!!SUPER』に枠が分かれている)
- NNNニュースダッシュ→NNNニュースD(末期、1996年4月~2007年9月。現在の『NNNストレイトニュース』枠)※HD
- NNNニュースプラス1(1988年4月~2006年3月、1995年10月から平日は『夕方ワイド新潟一番』にインサート)
- NNNきょうの出来事(開局時にNSTから移行~2006年9月、現在の『NEWS ZERO』及び『NNN NEWS』枠)
- NNNニュースサンデー(末期、1996年4月~)☆
- NNNドキュメント☆
- ズームイン!!朝!(サービス放送開始~2001年9月、現在の『ズームイン!!SUPER』枠)
- ズームイン!!サタデー(末期、1996年4月~)☆※HD
- ルックルックこんにちは(サービス放送開始~2001年3月、現在の『スッキリ!!』枠)
- 午後は○○おもいッきりテレビ(1987年10月~2007年9月、現在の『おもいッきりDON!』枠)※HD
- ごちそうさま(開局~1998年9月、1987年10月以降は「午後は○○おもいッきりテレビ」にインサート。開局時にNSTの同日時差ネットから移行された。)
- ザ・ワイド(1993年4月~2007年9月、現在の『情報ライブ ミヤネ屋』枠)※HD
- ウェークアップ!(読売テレビ制作、1991年1月~2005年3月、現在の『ウェークアップ!ぷらす』枠)
- The・サンデー(1989年10月~2008年9月)☆※HD(但しスタジオパートと天気予報のみ)
- 独占!!スポーツ情報(サービス放送開始~2000年9月、現在の『真相報道 バンキシャ!』枠の後半部分)
- スポーツうるぐす(1994年4月~2008年9月)☆※HD
- スポーツMAX(最末期、1997年10月~2005年9月。2002年4月~2004年3月の間は『きょうの出来事』に内包(きょうの出来事 & SPORTS MAX)。現在の『NEWS ZERO』のスポーツコーナー)
- 全国高等学校サッカー選手権大会(開局時にNSTから移行)☆
- 新春スポーツスペシャル 箱根駅伝☆
- 全日本プロレス中継(サービス放送開始~2000年6月[15])
- 心のともしび(現在は山梨放送制作)☆
- ご存じですか(開局時にBSNから移行、現在は木・金のみ)☆
- 皇室日記☆
- いつみても波瀾万丈(1992年3月~2008年9月)※HD
- TVおじゃマンモス(末期、1997年6月~1998年3月)
- 遠くへ行きたい(読売テレビ制作)☆※HD
- スーパージョッキー(1983年1月~1999年3月)
- 天声慎吾→特上!天声慎吾(末期)☆
- 快傑!コウジ園
- 笑点☆(サービス放送開始時にBSNから移行。BSN時代は6日遅れの異時ネットだった。)
- だんとつ!!平成キング(最末期、1997年10月~1998年3月)
- 特命リサーチ200X→特命リサーチ200X-II(末期、1996年10月~2004年3月)
- 知ってるつもり?!(1989年10月~2002年3月)
- おしゃれカンケイ(1994年7月~2005年3月、現在の『おしゃれイズム』枠)
- 電波少年シリーズ(1992年7月~2003年3月)
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!(1989年10月~)☆※HD
- 名探偵コナン(読売テレビ制作、末期、1996年1月~)※HD
- 世界まる見え!テレビ特捜部(1990年7月~9月=パイロット版、1991年4月~)☆※HD
- キスだけじゃイヤッ!(読売テレビ制作、最末期、1997年10月~2006年3月)
- スーパーテレビ情報最前線(1991年4月~2005年9月)
- 伊東家の食卓(最末期、1997年10月~2007年3月)※HD
- 踊る!さんま御殿!!(最末期、1997年10月~)☆※HD
- 火曜サスペンス劇場(1981年9月~2005年9月)
- 1億人の大質問!?笑ってコラえて!(末期、1996年7月~)☆※HD
- 速報!歌の大辞テン(末期、1996年10月~2005年3月)
- とんねるずの生でダラダラいかせて!!(1991年10月~2001年3月)
- 水曜ドラマ(一時期はTears Wednesday)(1985年10月~、1988年10月~1991年9月の3年間は『水曜グランドロマン』のため中断)☆※HD
- 嗚呼!バラ色の珍生!!(1994年10月~2001年3月)
- マジカル頭脳パワー!!(1990年10月~1999年9月)
- どっちの料理ショー(読売テレビ制作、末期。1997年4月~2005年3月)
- ダウンタウンDX(読売テレビ制作、1993年10月~)☆※HD
- ぐるぐるナインティナイン(1994年4月~、1997年4月からゴールデン進出)☆※HD
- ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(末期、1996年4月~2002年3月)
- 水曜ロードショー→金曜ロードショー(サービス放送開始時から放送。開局時に完全にNSTから移行。理由は、NST時代は『NST日曜ロードショー』として11日遅れでの放送だった為である。)☆作品により※HD
- FAN(1995年4月~1998年9月)
- ネットワーク・7(ミヤギテレビ制作)
- メレンゲの気持ち(末期、1996年4月~)☆※HD
- TVおじゃマンボウ(1993年7月~2006年3月、放送しなかった時期あり)
- モグモグGOMBO(1993年4月~2003年9月)
- スーパースペシャル(1994年5月~2004年3月)
- 土曜グランド劇場→土曜ドラマ(一時期はSurprise Saturday)(1987年4月~1988年3月の1年間はバラエティ枠(ワールドクイズ ザ・びっくり地球人!→クイズ・地球NOW)のため中断。開局時にBSNから移行)☆※HD
- 夜もヒッパレ一生けんめい→THE夜もヒッパレ(1994年4月~2002年9月)
- 恋のから騒ぎ(1994年4月~)☆※HD
- DAISUKI!(1991年4月~2000年3月)
- ZZZ(最末期、1997年10月~2003年9月)
- 鉄腕!DASH!!(1995年10月~1998年3月、現在の『ザ!鉄腕!DASH!!』枠)
- それいけ!アンパンマン(1988年10月~)☆
- 所さんの目がテン!(1989年10月~)☆※HD
- からだ元気科(日本医師会提供。開局時は「健康増進時代」という番組名で、BSNから移行された。末期。1997年3月~2006年3月)
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」(第1~3回はNSTで放送)☆※HD
- 全国高等学校クイズ選手権☆※HD
テレビ東京系[編集]
TeNY改称後に始まったネット番組[編集]
☆の番組は現在も放送中
※HD はハイビジョン制作
日本テレビ系[編集]
- NNNストレイトニュース(2007年10月~)☆※HD
- NNN Newsリアルタイム(2006年4月~、平日は『夕方ワイド!新潟一番』にインサート)☆※HD
- NEWS ZERO(2006年10月~)☆※HD
- NNN NEWS(『NEWS ZERO』の週末版、2006年9月30日~)☆※HD
- ズームイン!!SUPER(2001年10月~)☆※HD
- レッツ!(2001年4月~2002年3月)→ザ!情報ツウ(2002年4月~2006年3月)→スッキリ!!(2006年4月~)☆※HD
- おもいッきりイイ!!テレビ(2007年10月~2009年3月)(現在の「おもいッきりDON!」枠☆※HD
- 情報ライブ ミヤネ屋(読売テレビ制作、2007年10月~。15:50飛び降り)☆※HD
- THE独占サンデー(2000年10月~2002年9月)→真相報道 バンキシャ!(2002年10月~)☆※HD
- ウェークアップ!ぷらす(読売テレビ制作、2005年4月~)☆※HD
- THE・サンデー NEXT(2008年10月~)☆※HD
- スポんちゅ(2005年10月~2006年9月)※HD
- サッカーアース(2006年4月~)☆※HD
- 新ニッポン探検隊(2002年4月~)☆
- サプライズ(2009年4月~)☆※HD
- 夜は別バラ22:54(2002年10月~2004年3月)→夜は別バラ(2004年4月~9月)→しんバラ(2004年10月~2005年3月)→バリューナイト(2005年4月~)☆※HD
- オカンと娘(読売テレビ制作、2004年5月~2005年4月)
- 鶴の間
- いただきマッスル!(中京テレビ制作)
- たかじんのそこまで言って委員会(読売テレビ制作、2005年10月~)☆※HD (中部エリアでは福井放送を除いて放送)
- はじめての一枚(読売テレビ制作、2008年4月~)☆※HD
- 誰だって波瀾爆笑(2008年10月~)☆※HD
- ロンブー龍→ロンQ!ハイランド☆※HD
- ザ!鉄腕!DASH!!(1998年4月~)☆
- ワールド☆レコーズ(2004年4月~2005年3月)→A(2005年4月~6月)→サンデー・スペシャル(『ウタワラ』とのつなぎ番組、2005年7月~9月)
- ミンナのテレビ(2005年4月~9月)→歌笑HOT HIT10→ウタワラ(2005年10月~2007年1月)※HD
- 世界の果てまでイッテQ!(2007年2月~)☆※HD
- 行列のできる法律相談所(2002年4月~)☆※HD
- おしゃれイズム(2005年4月~)☆※HD
- ワカチュキ(2002年10月~2004年7月)→中井正広のブラックバラエティ(2004年7月~)☆※HD
- コロッセオ→プロレスリング・ノア中継☆
- 犬夜叉→ブラック・ジャック→ブラック・ジャック21→結界師(2006年10月~2007年9月、深夜アニメ降格で打ち切り)→ヤッターマン(リメイク版、2008年1月~)☆(読売テレビ制作)※HD
- 芸恋リアル(2006年4月~2007年6月)→今夜はシャンパリーノ(2007年7月~2008年2月)(ここまで読売テレビ制作)※HD→人生が変わる1分間の深イイ話(2008年2月~)☆※HD
- アンテナ22(2005年10月~2006年9月) →極上の月夜(2006年10月~2007年3月)→ゲツヨル!(2007年4月~6月)→夏ドキュ!(つなぎ番組、2007年7月~9月)→オジサンズ11(2007年10月~2008年9月)※HD→しゃべくり007(2008年10月~)☆※HD
- 歌スタ!!(2005年10月~)☆※HD
- ドラマ・コンプレックス(2005年11月~2006年10月)→火曜ドラマゴールド(2006年11月~2007年3月)※HD
- 未知の世界を撮りたい 驚き(秘)映像ハンター!ドリームビジョン(2007年4月~9月)※HD→おネエ★MANS(2007年10月よりゴールデン進出、ゴールデン進出前にも日本テレビと同時ネット(2006年10月~2007年9月))☆※HD
- 週刊オリラジ経済白書(2007年4月~2008年3月)→THE M(2008年4月~9月)※HD→誰も知らない泣ける歌(2008年10月~)☆※HD
- 火曜10時枠ドラマ(2007年4月~)☆※HD
- サルヂエ(中京テレビ制作、2004年4月~2007年1月)※HD→今田ハウジング(2007年3月~2008年3月)※HD→日本史サスペンス劇場(2008年4月~)☆※HD
- ザ!世界仰天ニュース(2001年4月~)☆※HD
- メンタルヌード→マルバレ!→MusiG(読売テレビ制作)☆
- ミラクル☆シェイプ
- (木曜19時枠)モー。たいへんでした(2001年4月~2002年3月)→地球は女で回ってる?(2002年4月~9月)→週刊!特ダ〜ネ家族!!(2002年10月~12月)→壮絶バトル!花の芸能界(2003年1月~9月)→トナリの悩みの解決人(2003年10月~2004年3月)→天才!志村どうぶつ園(2004年4月~、2007年4月から土曜19時枠)☆※HD
- (木曜20時枠)週刊ストーリーランド(1999年10月~2001年9月)→ウルトラショップ→ウルトラショップ5.1(2001年10月~2002年9月)→国民クイズ常識の時間→クイズ!常識の時間!!→ジョーシキの時間2(2002年10月~2004年3月)→摩訶!ジョーシキの穴(2004年4月~2005年3月)→金のA様×銀のA様(2005年4月~2006年6月)→くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!(2006年7月~2007年3月)
- モクスペ(2007年4月~)☆番組により※HD
- (木曜21時枠)新どっちの料理ショー(2005年4月~2006年9月)→ニッポン旅×旅ショー(2006年10月~2007年9月)→秘密のケンミンSHOW(2007年10月~)☆(読売テレビ制作)
- マネーの虎(2001年10月~2004年3月)
- 謎を解け!まさかのミステリー(2003年10月~2006年3月)→太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(2006年4月~)☆※HD
- FUN(1998年10月~2004年3月)→アリゾナの魔法(2004年4月~2005年3月)→プリティガレッジ(2005年4月~9月)→ガガガガガレッジセール(2005年10月~2006年3月)→未来創造堂(2006年4月~)☆
- 音楽戦士 MUSIC FIGHTER☆
- ツボ屋与兵衛
- 月刊 元気一番"生"テレビ(ミヤギテレビ制作)☆
- 冒険!CHEERS!!(2003年10月~2005年3月)→たべごろマンマ!(2005年4月~2008年3月)※HD→全力!Tunes(2008年4月~9月)※HD→弟子っちょピカ丸(2008年10月~)☆※HD
- 億万のココロ・愛しのマネー$伝説(2004年10月~2005年3月)→世界!超マネー研究所(2005年4月~9月)
- (秘)ひらめ筋(2005年4月~9月)→ひらめ筋GOLD(ゴールデン進出後、2005年10月~2006年3月)
- シャル・ウィ・ダンス?(2006年4月~2007年3月)※HD
- 世界一受けたい授業(2004年10月~)☆※HD
- 電波少年に毛が生えた 最後の聖戦(2002年10月~12月)→雲と波と少年と(2003年1月・2月)→エンタの神様(2003年4月~)☆※HD
- ナイナイサイズ!(2000年10月~2007年9月)※HD→週末のシンデレラ 世界!弾丸トラベラー(2007年10月~)☆※HD
- Music Lovers(2006年10月~)☆※HD
テレビ東京系[編集]
- 福留の22の21→スキヤキ!!ロンドンブーツ大作戦→倫敦音楽館 Lon-mu
- ソングラシリーズ
- クエス・ファイブ
- えぐら開運堂
- 北島ウインクハート
- ロンブーの怪傑!トリックスター(2006年10月~、水曜24:59~25:29)☆
- 怒りオヤジ3(番組自体は継続中)
- 日経スペシャル ガイアの夜明け(2006年10月~、金曜9:55~10:49)☆
- ドライブ A GO!GO!(2000年4月~9月、番組自体は継続中)
- 三宅式こくごドリル
- ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!
- ハロー!モーニング。(2006年10月~2007年5月)→ハロモニ@(2007年5月~、金曜25:25~25:50)☆
- 金子柱憲・高田純次ゴルフの王道→熱闘!ゴルフ向上委員会(日曜7:30~8:00)☆
- キンコンヒルズ(NSTからの移動、水曜25:29~25:59)☆
- きらきらアフロ(テレビ大阪制作、火曜25:29~25:59)☆
- 64マリオスタジアム
- Mr.マリック魔法の時間
- 超星神シリーズ
- 学級王ヤマザキ
- KAIKANフレーズ
- NARUTO -ナルト-
- D.Gray-man→メイプルストーリー
- NARUTO -ナルト- 疾風伝(土曜5:29~5:59)☆
- ハヤテのごとく!
- ポケットモンスター ダイヤモンド&パール(土曜9:30~10:00)☆
- 絶対可憐チルドレン☆
- 日曜ビッグバラエティ☆
現在、テレビ東京系列の番組の放送数は新潟県内のテレビ局4局の中では3番目である。(ちなみに1番多いのはNST、次いでBSN、そして1番少ないのがUXである。)
アナウンサー[編集]
男性[編集]
女性[編集]
- 木内なな(1997年入社・旧姓:渡辺奈々)
- 田巻佑規子(2005年長野放送から移籍)
- 長谷川慶子(2006年入社)
- 諸橋碧(2006年入社・地上デジタル放送推進大使)
- 奥田麻衣(2006年入社)
- 栗林紗美(2009年入社)
元アナウンサー[編集]
現社員
退職
- 小林美樹(初代アナウンサー。1981年~1984年3月。その後一旦フリーとなるが、後にNHKの経済番組のキャスターとなる。元スター誕生!出身アイドル歌手)
- 山口悌介(初代アナウンサー。後にエフエムラジオ新潟制作部長等を歴任)
- 神山元子(初代アナウンサー。1981年~1986年3月。)
- 洒井園子(初代アナウンサー。1981年~1984年9月。)
- 川尻直美(益子直美)(←福島放送、現在フリー・大阪で活動中)
- 大川澄
- 堀田智子(現オフィス・エリ所属)
- 佐藤弘恵
- 坂上みき(1982年4月~1985年3月。退社後は、大阪・毎日放送の契約アナにて、夕方のローカルニュース・「MBSナウ」を担当。現在は関東のPONで芸能ナレーション担当している。スッキリと違いちゃんと画面に顔と名前表示されている
その後フリーとなり東京へと活動拠点を移す。FM番組やテレビのナレーションなどで活躍。)
- 織田めぐみ(後にテレビ大阪へ移籍)
- 中山美智代(真木美智代としてエフエムラジオ新潟などに出演)
- 峰剛一(1984年~1998年。その後、現在のニチエンプロダクションに所属し、フリーとなる。)
- 後藤綾子(エフエムラジオ新潟などに出演)
- 渡辺千秋(1984年4月~1989年1月。その後フリーとなり、日本テレビ「ザ・ワイド」のリポーターなどで活躍。)
- 大河原千佳子(1985年4月~1991年3月。)
- 長谷川園子
- 高橋正美
- 増子ゆかり(1986年4月~1989年3月。その後フリーとなり、現在でも「夕方ワイド!新潟一番」などに出演中)
- 伊藤奈穂子(1991年4月~1995年7月、その後フリー。現在NTVズームイン!!SUPER、ズームイン!!サタデー等に出演)
- 関純子(JリーグFC東京川口信男と結婚)
- 樋口美幸(結婚後は山内美幸)
- 小紫真由美
- 岡本奈穂子
- 川野美咲(NHKアナと結婚後、広島へ)
- 林妙
- 武岡智子(2001年~2005年、現:日テレNEWS24キャスター)
- 須賀由美子(2005年、現:とちぎテレビ「朝生とちぎ」サブキャスター)
- 佐藤温子(2004年~2006年、現:「日経ブロードバンドニュース」キャスター)
- 外山麻衣(2004年~2006年、現:TCP Artist所属)
- 田島祐子(1996年4月~2006年3月。その後、現在のニチエンプロダクションに所属し、フリーとなる。大のスヌーピー好きで有名)
オープニング・クロージング[編集]
- 6代目(現行)てっと君のアニメーション(2018年1月〜現在)【ハイビジョン制作】
- 5代目(?~2017年12月)【ハイビジョン制作】
- オープニング「新潟の四季の風景」
- エンディング「新潟の冬の雪の中での田舎の風景」
- 4代目「手と手とTeNY」朱鷺バージョン(2006年10月1日~?)【ハイビジョン制作】
- 冒頭に局ロゴ。CGの朱鷺が大空を飛び、次第に数が増えていく。その後地球を背景に飛び、テロップ「JOPI-DTV テレビ新潟デジタルテレビジョン」。ナレーションは朱鷺CGの冒頭に「JOPI-DTV、ご覧のチャンネルは、TeNY、テレビ新潟、デジタルテレビジョンです」、CGの終わりに「JOPI-DTV、こちらは、TeNY、テレビ新潟、デジタルテレビジョンです」(注:テロップとナレーションはデジタル版の場合)。
- アナログ放送の場合、「テレビ新潟、デジタルテレビジョンです」が「テレビ新潟です」となる。
- BGMは、局ロゴ表示の時のみ「手と手と手とTeNY」、それ以外は別の楽曲を使用。
- それまでは平日深夜と日曜深夜の放送休止前のジャンクションは廃止されたが2008年7月24日からオープニングバージョンと同じスタイルで復活した[注 1]。
- 日曜深夜のクロージング後の放送休止前には「放送機器点検のため、本日の日テレNEWS24はお休みします」という表示が出る。コールサイン表示はなし。
- 3代目「手と手とTeNY」ショートバージョン(TeNYでのNNN24放送開始~2006年9月30日)
- VTRの冒頭で弥彦送信所の技術情報を表示し「JOPI-TV、TeNY、テレビ新潟です」のナレーションが入る。続いて、たくさんの人々が地球上で手をつないでゆくアニメーションの後、TeNYの社ロゴが映し出される15秒間の映像。BGMは「手と手と手とTeNY」(作詞:伊藤アキラ、作曲:小林亜星)。ナレーションは堀敏彦が行っていた。
- 放送休止時間帯にNNN24(現・日テレNEWS24)の放送を行うのに伴い、後述のロングバージョンを短縮したものを制作した。以前は放送開始前のフィラーがあった。新潟県内の四季や風景をモチーフにした映像を主体にしたものだったが、現在は使用されていない。また新潟県中越地震後の翌2005年には休止時間帯に中越地震の被害の模様を綴った映像集をフィラーとして放送したこともあった。
- 2代目「手と手とTeNY」ロングバージョン(1998年1月1日~TeNYでのNNN24放送開始)
- 内容は前述の現行バージョンとほぼ同じ、イラストとTeNYのロゴをモチーフにした75秒間の映像。BGMは同じ「手と手と手とTeNY」だが、このバージョンではフルコーラス演奏。ナレーションは小幡章が行っていた。口上は初代のものと概ね同様で、クロージングにおけるコールサインの4回繰り返しでの読み上げおよび3回目・4回目の読み上げにエコーがエフェクトされる部分も踏襲された。
- 「JOPI-TV」のアクセントは「じぇいおうぴいあい、てぃーびー」と、間延びはないが、IとTの間に一呼吸置いている。
- 秘密のケンミンSHOWにてテレビ新潟を紹介した際にコレの一部分が流されBGMも流れた。
- オープニングのナレーション:「JOPI-TV、JOPI-TV。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りします。今日もTeNY テレビ新潟の番組でお楽しみ下さい」
- クロージングのナレーション:「今日もTeNY テレビ新潟をご覧頂きまして、ありがとうございました。これで本日の放送をすべて終了いたします。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りいたしました。JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV」(2回目のコールサインからエコーがかかり、回を追うごとにエコーのかかりが強くなっており、4回目になるとはっきり聞こえる)。
- 初代「Yes My TNN」(1981年3月25日〈サービス放送開始〉~1997年12月31日)【フィルム制作】
- オープニング・クロージング共新潟の風景・風物をモチーフにした油絵調のキャンバス画。BGMは開局当時のイメージソング「Yes My Song」(作詞:森雪之丞、作曲:小六禮次郎、歌:サーカス)。オープニングではデフォルトの歌入りのバージョンが、クロージングではサックスをメインにしたインストゥルメンタルのバージョンが使用された。ナレーションは開局当初は小林美樹が、彼女の退社(1984年4月)後は駒形正明が行っていた。
- 音声は開局前のサービス放送開始当初からステレオ放送であった他、当時県内民放のOP/EDの中では技術情報が最も詳細で、弥彦送信所の周波数・出力・チャンネルと、中継局全局のチャンネルを表示していた。双方共にここまでやったのは、新潟のテレビ局では初めてであった(但し、送信所のチャンネルと中継局全局のチャンネル表示については、以前から既に、BSNテレビ、NSTでも行っていた)。
- オープニングのナレーション:「JOPI-TV、JOPI-TV。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りします。“Yes My ふれあいネットワーク”今日もTNNテレビ新潟の番組でお楽しみ下さい」
- クロージングのナレーション:「今日もTNNテレビ新潟をご覧頂きまして、ありがとうございました。これで本日の放送をすべて終了いたします。映像周波数:567.25MHz、音声周波数:571.75MHz、映像出力:30kW、音声出力:7.5kW。こちらは29チャンネル、テレビ新潟です。なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りいたしました。JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV、JOPI-TV」(2回目のコールサインからエコーがかかり、回を追うごとにエコーのかかりが強くなっており、4回目になるとはっきり聞こえる)。
- なお、サービス放送開始当初(1981年3月25日)から同年5月末までは、OP/ED共に「なお、各地の中継局からはご覧のチャンネルでお送りします(いたしました)」という部分は、中継局の整備がまだ本格化されていなかったため、カットされて放送していた。
- 後に歌手の山本理沙がこの「Yes My song」(バップ)をソノシート化したが、OP/EDには使用されていない。
- サービス放送開始時から1995年の阪神・淡路大震災を機に24時間送信(1999年から開始)を開始するまで、エンディングである放送終了直前には、「夜の小箱」というミニ番組が放映されていた[注 2]。また深夜帯のローカルの天気予報(5分枠、ステレオ放送)では、咲き誇る桜や関越自動車道を走る車窓からの映像が季節に応じてバックグラウンドに使われていた。
- 手と手と手とTeNY(WAVEサウンド)
脚注[編集]
- ↑ このCI導入の原因の1つとして、1990年代半ば、Windows95の登場によるインターネットの大幅普及もあり、それに於ける同社のWEBサイトを開設することになったが、ウェブサイトのURIの取得の際、既に「www.tnn.co.jp」は他の会社が使用しており取得できず、仕方なく「www2(?).tnn.co.jp」を取得したが、それに関するアクセス・トラブルもあったことなども考慮し、新たな略称を設けた上でウェブサイトを開設したかったという一因もある。なお、前記のアドレスは、現在は使われていない。
- ↑ 新潟の民放で放送センターの局舎を全面ハイビジョン化させたのは、NST、BSNに次いで3番目である。
- ↑ CM送出用1インチVTRによる映像、音声をバックに天気情報が字幕で出る番組形態の時に実施。朝6時45分の「NNN朝のニュース」内、夜20時45分の「NNNニューススポット」の後、夜21時54分の「NNN海外スポット」の後の各ローカル天気枠、深夜の放送終了前のローカルの天気予報の原則1日4回。それ以前は、20時54分の「NNNニューススポット」、21時54分の「NNN海外スポット」(それぞれ二ヶ国語)の後の天気予報が、元がステレオ音声にも関わらず、メイン音声が左チャンネル、サブ音声が右チャンネルの二ヶ国語放送のまま放送されていたが、この状況をある視聴者から指摘を受け改善策が取られた結果、こうなった
- ↑ この時の中継は、沢田研二の「渚のラブレター」(歌だけでなく、作曲も沢田本人)の生演奏だった。(バックバンドはこの曲の為に作られた「渚のラブレターバンド」で、そのメンバーの中には、後のTBSテレビ「三宅裕司のいかすバンド天国」(新潟ではこの番組は未放送で、後の2007年12月に制作された総集編のみBSNテレビから放送)の審査員で一躍有名になった吉田建もベーシストとして参加していた。)
- ↑ その後同予選大会の放送は、翌年からはしばらくの間はモノラル放送だった。
- ↑ 「笑点」のみステレオ放送
- ↑ 「弥生のサウンド飛行船」は半年で終了したが、「ビート・オン・ポップ」は石丸電気の提供で、約10年位続いた。
- ↑ 2006年10月1日に地上波デジタル本放送を始めた放送局の中で、最もサイマル試験放送の開始が早かった。
- ↑ この模様は、同年10月8日、15日の2週に渡って放送された。(SD(標準画質)・ステレオ音声での収録、放送。)
- ↑ 同局の報道用ハイビジョン中継車を使った佐渡市のトキ保護センターからのハイビジョン生中継とハイビジョン取材VTRによる構成。
- ↑ アナログ放送は画面の右上に「アナログ」と、地上波デジタル及びワンセグ放送は画面の右上に局ロゴが表示される。
- ↑ 同局では、同番組開始時から、新潟駅からの中継専用のSNGを屋上に固定して設けている。
- ↑ NSTでは同番組は、1981年2月まで同時ネット。翌月の3月からは、フジテレビの「プロ野球ニュース」をネット放送し始めた。
- ↑ BSNでは、1週間遅れの放送だった。
- ↑ 以前はNSTでも開局時から放送していたものの、NSTでは1979年頃に同番組の放送を打ち切った。
その他の新潟県の放送局[編集]
- NHK新潟放送局
- 新潟放送(BSN)(TBS系列)〔JRN・NRN系列〕
- 新潟総合テレビ(NST)(フジテレビ系列)
- 新潟テレビ21(UX)(テレビ朝日系列)
- エフエムラジオ新潟(FM-NIIGATA)〔JFN系列〕
- 新潟県民エフエム放送(FM PORT)〔独立ラジオ局〕
外部リンク[編集]
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