「ゾウによる踏み付け」の版間の差分

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[[Image:Crushed_by_elephant.png|thumb|200px|ロバート・ノックスの『An Historical Relation of the Island Ceylon』に掲載された1681年のイラストのように、象は有罪とされた者の手足を切断することがあった]]
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<nowiki>[[Image:Crushed_by_elephant.png|thumb|200px|ロバート・ノックスの『An Historical Relation of the Island Ceylon』に掲載された1681年のイラストのように、象は有罪とされた者の手足を切断することがあった]]
 
'''ゾウによる踏み付け'''( -ふみつけ、Crushing by elephant)は、4000年以上にわたって[[東南アジア]]や[[南アジア]]、とりわけ[[インド]]で行われてきた、罪人を[[ゾウ]]で踏み潰したりばらばらに引き裂いたりする[[死刑]]の方法。[[古代ローマ|ローマ]]人や[[カルタゴ]]人もこうした処刑を行うことがあったほか、エジプトで行われていたゾウによる踏み付け刑について、[[フラウィウス・ヨセフス]]の著書や[[旧約聖書]][[第二正典]]の[[マカバイ記|第3マカベア書]]に記載されている。
 
'''ゾウによる踏み付け'''( -ふみつけ、Crushing by elephant)は、4000年以上にわたって[[東南アジア]]や[[南アジア]]、とりわけ[[インド]]で行われてきた、罪人を[[ゾウ]]で踏み潰したりばらばらに引き裂いたりする[[死刑]]の方法。[[古代ローマ|ローマ]]人や[[カルタゴ]]人もこうした処刑を行うことがあったほか、エジプトで行われていたゾウによる踏み付け刑について、[[フラウィウス・ヨセフス]]の著書や[[旧約聖書]][[第二正典]]の[[マカバイ記|第3マカベア書]]に記載されている。
  

2018年2月15日 (木) 00:36時点における版

[[Image:Crushed_by_elephant.png|thumb|200px|ロバート・ノックスの『An Historical Relation of the Island Ceylon』に掲載された1681年のイラストのように、象は有罪とされた者の手足を切断することがあった]] '''ゾウによる踏み付け'''( -ふみつけ、Crushing by elephant)は、4000年以上にわたって[[東南アジア]]や[[南アジア]]、とりわけ[[インド]]で行われてきた、罪人を[[ゾウ]]で踏み潰したりばらばらに引き裂いたりする[[死刑]]の方法。[[古代ローマ|ローマ]]人や[[カルタゴ]]人もこうした処刑を行うことがあったほか、エジプトで行われていたゾウによる踏み付け刑について、[[フラウィウス・ヨセフス]]の著書や[[旧約聖書]][[第二正典]]の[[マカバイ記|第3マカベア書]]に記載されている。 長年にわたり、ゾウは軍事目的([[戦象]])でも使われていた。このため、[[脱走]]兵・[[捕虜]]・軍隊内での犯罪者は、戦象の足の下敷きにされて処刑されることが多かった。 [[12世紀]]の[[ユダヤ人]]の[[ラビ]]で大旅行者でもあるPetachiah of Ratisbonは、北[[メソポタミア]]のニネヴェ([[モースル]])滞在中に見たゾウによる処刑を報告している。 :ニネヴェにはゾウというものがいた。その頭は出っ張りがなく、体は大きくて一度に荷馬車2台分ほどのわらを食べる。その口は胸の中にあり、食べ物を口にするときは長さ2キュービットもある唇を突き出してわらをつかみ、それを口に投げ込むのである。スルタンが誰かに死刑を宣告するとき、ゾウに「この者は有罪だ」と言う。するとゾウは唇で彼を捕まえ、上に投げ上げて殺すのである。 [[イギリス]]の航海者[[ロバート・ノックス]]は、[[1681年]]の著作で、セイロン島([[スリランカ]])で捕らえられていた間に見たゾウによる処刑方法を書いている。 :王はゾウを処刑者としても使う。ゾウたちはその「歯」を罪人の体に突き立て、こなごなになるまで引き裂き手足をばらばらに投げるのだ。ゾウたちはこういう場合には、三つのふちのついた受け口のある鋭い鉄を、その歯に取り付けている。… [[1868年]]にインド中央部を探検した[[ルイ・ルスレ]](Louis Rousselet)は、ゾウによる罪人の処刑を記述している。彼の描いたスケッチは[[木版画]]にされ、世界の旅や冒険を載せたフランスの雑誌『Le Tour du Monde』(「世界旅行」)に掲載された。このスケッチでは、有罪を宣告された者が頭を台に載せられ、ゾウが足の裏で頭を踏み潰す間そこに押さえつけられている様が描かれている。 [[Image:Le_Toru_Du_MOnde.jpg|left|thumb|200px|1868年に『Le Tour du Monde』誌に掲載された記事に添えられた挿絵。 Louis Rousseletのスケッチに基づく]] 処刑にかかる時間は長く引き伸ばされることがあった。例えば処刑の前に、ゾウの足に結んだロープなどに罪人を縛り、街の通りを引き回すこともあった。また、苦しみの時間を伸ばすために、処刑用によく訓練されたゾウを使うことによって、まずは手足を、次に胸を、というふうにゆっくり順番に踏み潰させることもあった。 多くの王([[ラージャ]])はゾウによる踏み付け刑のためにゾウを飼っていた。踏み付けという目的のため、これらのゾウは特に体が大きく、時には重さ9トンを超すものもあった。こうした処刑は、人々に犯罪を犯さないよう警告するため、公開の場で行われた。また見せしめのため残酷になるよう意図されており、実際非常に残酷な結果になった。 なかにはこうした処刑を個人的な楽しみのために行う専制君主もいた。[[ムガル帝国]]の皇帝、[[ジャハーンギール]]はゾウによる踏み付け刑で頭を潰される様を見るために多くの罪人を用意させていた。[[18世紀]]、ムガル帝国と争った[[マラータ族]]による[[マラータ同盟]]もゾウによる踏み付けを行った。<!--ここは分からず The Maratha Sardar Santaji Ghorpade (1764—1794) admitted to a weakness for this particular punishment and, for the slightest error, would order an offender to be crushed beneath the enormous feet of his royal elephant. --> [[18世紀]]と[[19世紀]]を通して、南アジアの[[ムスリム]]法廷は罪人に対し、ゾウによる踏み付け刑を宣告していた。しかし大英帝国の支配が強まるにつれ、ゾウによる踏み付け刑は衰退し行われないようになった。 ゾウによる死亡事故は今でも、アフリカや南アジアのゾウと人間が共存する地域では珍しくないが、これらは野生のゾウが人間を襲うもので、人間が殺人の目的で訓練されたゾウを使うということはない。 よく似た、しかし直接には関係のない言葉に「ゾウつぶし」([[w:Elephant crushing|Elephant crushing]])というものがある。若い野生のゾウを体罰や嫌悪刺激による[[オペラント条件づけ|条件づけ]]を用いて人間に慣れさせる方法を指し、主に東南アジアと南アジアで用いられるが、[[動物の倫理的扱いを求める人々の会]]をはじめとする動物愛護団体からは、「ゾウつぶし」は[[動物虐待]]に等しく、より人道的な訓練方法も十分可能であるとして批判されている。 {{jawp}} [[Category:死刑|そうによるふみつけ]] [[Category:象|そうによるふみつけ]]