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* [[1968年]]7月:[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]から[[参議院]][[全国区]](当時)に出馬し、史上初の300万票得票でトップ当選。 | * [[1968年]]7月:[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]から[[参議院]][[全国区]](当時)に出馬し、史上初の300万票得票でトップ当選。 | ||
− | * [[1969年]]11月:『スパルタ教育』を光文社より出版。 | + | * [[1969年]]11月:『スパルタ教育』を光文社より出版。 子供はスパルタのように厳しく育てろと説いた。しかし子供達は全てコネを使って就職させ、税金で飲み食いさせ、税金で豪華海外旅行にも行っていた。 |
* [[1972年]]12月:参議院議員を辞職し[[衆議院]]選挙に東京2区から無所属で出馬して当選。後に自由民主党に復党 | * [[1972年]]12月:参議院議員を辞職し[[衆議院]]選挙に東京2区から無所属で出馬して当選。後に自由民主党に復党 | ||
* [[1973年]]7月:[[渡辺美智雄]]、[[中川一郎]]、[[浜田幸一]]らと憲法改正や金権政治の打破を謳った[[タカ派]]集団「[[青嵐会]]」を結成。 | * [[1973年]]7月:[[渡辺美智雄]]、[[中川一郎]]、[[浜田幸一]]らと憲法改正や金権政治の打破を謳った[[タカ派]]集団「[[青嵐会]]」を結成。 |
2007年5月1日 (火) 16:36時点における版
石原 慎太郎(いしはら しんたろう(旧字体で『石原愼太郎』とも表記されるが、本項ではよく知られている新字体の表記を使用する)、昭和7年(1932年)9月30日 - )は、日本の政治家、小説家。学歴は一橋大学法学部卒業。学位は法学士(一橋大学)。自民党員。現東京都知事、元衆議院議員、元参議院議員。環境庁長官、運輸大臣を歴任。現同賞審査委員。戸塚ヨットスクールを支援する会会長。賞歴は芸術選奨文部大臣賞。第34回芥川賞、平林たいこ賞受賞。
概要
兵庫県神戸市須磨区生まれ。一橋大学在学中の1956年、『太陽の季節』により第34回芥川賞を受賞、文壇デビューを果たす。
1968年に参議院議員に初当選、1972年には衆議院に鞍替え出馬し当選する(以後連続8回当選)。1975年、現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選に自民党推薦で出馬するも落選。その後1976年福田内閣で環境庁長官を、1987年竹下内閣で運輸大臣を歴任、1989年には自民党総裁選に立候補し、海部俊樹に敗れる。1995年、議員勤続25年を祝う永年勤続表彰の場で、突如議員辞職を表明した。
1999年、再度、都知事選に出馬。立候補を表明するのが有力候補中最も遅かったが、舛添要一・鳩山邦夫・明石康といった有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。2003年には308万票(得票率史上最高)を得て再選を果たした。
2006年5月15日、「8都県市首脳会議」後の報道陣との質疑で三選出馬を正式に表明した。
『「NO」と言える日本 −新日米関係の方策−』(盛田昭夫と共著)、『弟』はミリオンセラーとなった。
家族は妻と4男(伸晃・良純・宏高・延啓)がいる。趣味はヨット、テニス、スキューバダイビング。
2007年4月8日、投票の過半数にあたる281万票を得て、東京都知事に三選を果たした。
年譜
- 1932年9月30日:兵庫県神戸市須磨区に山下汽船に勤める父・石原潔、母・光子の長男として生まれる。父・潔は愛媛県の長浜に生まれ旧制宇和島中学(現・宇和島東高校)を中退後山下汽船に入社、店童(商店で言えば丁稚)から出発し関連会社とはいえ重役に出世した人物。母・光子は広島県宮島の出身(出生地は大阪市)。なお石原自身は神奈川県を出身地としている。[1]
- 1934年12月:弟・裕次郎が生まれる。
- 1936年6月:父・潔が小樽出張所主任となり北海道小樽市に転居。
- 1943年1月:父・潔が小樽支店長となる
- 1943年2月:父・潔が東京支店副長の辞令を受け神奈川県逗子市に転居。石原一家が逗子で最初に住んだ桜山の家は山下汽船創業者山下亀三郎の別邸。
- 1945年4月:神奈川県立湘南中学(後の神奈川県立湘南高等学校)へ進学。
- 1949年:1年間、休学する。この頃描いた絵を「ゴーギャンさえも驚愕する名作である」と自賛。公式サイト内では「石原の迸る感受性の果実」と紹介している。
- 1951年10月:父・潔が脳溢血で急死。元々は京都大学フランス文学科に行くつもりであったが、父の上司の助言により公認会計士を目指し一橋大学を志望する。
- 1952年4月:一橋大学入学。簿記や会計学などの勉強に励んだが半年間やってみて向いてないと悟り公認会計士になることを断念する。
- 1955年12月:当時18歳だった石田由美子(広島市己斐町(現・西区己斐)生まれ。後に典子と改名)と結婚。由美子は小泉純一郎と縁戚になる(由美子の従兄弟の子にあたる美枝子が純一郎の実弟・正也と結婚した)。
- 1956年1月23日:弟・裕次郎の放蕩生活に想を得た『太陽の季節』により第34回芥川賞を受賞。史上最年少受賞(当時)。ベストセラーとなり、「太陽族」、「慎太郎刈り」が流行となる。
- 1956年3月:一橋大学法学部を卒業(法学社会学部に入学した。在学中に学部改組が行われ法学社会学部が法学部と社会学部に分離し、法学部を卒業)。
- 『太陽の季節』が日活で映画化され、当時無職だった弟・石原裕次郎が日活俳優としてデビューする。また自らも映画初出演を果たす。
- 1957年4月19日:長男・伸晃が誕生。
- 1958年:東宝で映画「若い獣」の監督を務める。
- 1962年1月15日:二男・良純が誕生。
- 1963年3月:『狼生きろ豚は死ね・幻影の城』を新潮社より出版。しかし、兄弟そろってぶくぶく太りだす。
- 1964年6月19日:三男・宏高が誕生。
- 1966年:四男・延啓が誕生。
- 1967年:読売新聞社の依頼で、ベトナム戦争を取材。
- 1968年7月:自由民主党から参議院全国区(当時)に出馬し、史上初の300万票得票でトップ当選。
- 1969年11月:『スパルタ教育』を光文社より出版。 子供はスパルタのように厳しく育てろと説いた。しかし子供達は全てコネを使って就職させ、税金で飲み食いさせ、税金で豪華海外旅行にも行っていた。
- 1972年12月:参議院議員を辞職し衆議院選挙に東京2区から無所属で出馬して当選。後に自由民主党に復党
- 1973年7月:渡辺美智雄、中川一郎、浜田幸一らと憲法改正や金権政治の打破を謳ったタカ派集団「青嵐会」を結成。
- 1975年4月:現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選に自民党推薦で出馬。233万票を得票するも落選。なおこの落選については公式サイト内では全く触れられていない。
- 1976年:福田赳夫内閣で環境庁長官に就任。
- 1983年:自由民主党の派閥、中川派を継いで石原派の代表となる。
- 1983年:黒シール事件によって新井将敬の選挙活動を妨害し野村秋介より抗議を受ける。
- 1987年7月17日:弟・裕次郎が肝細胞癌で逝去(享年52)。
- 1987年11月:竹下登内閣で運輸大臣に就任。
- 1989年8月:亀井静香らに推される形で自民党総裁選に出馬するも竹下派が推す海部俊樹に敗れる。 『「NO」と言える日本』を盛田昭夫と共著で出版。
- 1990年:総選挙で伸晃が初当選し、父子揃って衆議院議員となる。
- 1995年4月:国会議員在職25年表彰の国会演説で突然の議員辞職を表明。
- 1996年:弟の故裕次郎をテーマに『弟』を発表。
- 1999年4月:再度、都知事選に出馬。立候補表明の記者会見での第一声の、「どうも、石原裕次郎の兄です」と言う挨拶ギャグが話題を呼ぶ。有力候補がひしめく中、166万票を得票して当選。
- 2003年4月:308万票(得票率史上最高)を得て、東京都知事に再選。
- 2004年:「弟」テレビドラマ化。
- 2006年5月14日:フジテレビの討論番組「報道2001」に生出演し、「オリンピック招致を言い出した以上、やらないわけにはいかない。それまで体力がもつかなあ」と発言し、2007年4月の都知事選への3選出馬の意向を示した。
- 2006年12月7日:都議会本会議で2007年の都知事選への出馬を正式表明。
脚注
外部リンク
- 公式サイト「宣戦布告.net」(石原慎太郎公式ウェブサイト)