「法則」の版間の差分
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法則(ほうそく)とは、ある現象とある現象の関係を指す言葉である。
自然現象についてだけでなく、法規上の規則を法則と呼ぶこともある。また文法上の規則(例えば係り結びの法則など)も法則とされる。 法則を大別し、自然現象に焦点が当てられているものが「自然法則」、人間の行動についての規範・規則は「道徳法則」、と分けられることもある。
自然法則[編集]
ある物事と他の物事との間に一定の関係がある、またはあるらしいときに、その関係をさす言葉である。一般に、ある関係が法則と呼ばれるときは、その関係が必然性や普遍性を持つ、または持つらしいことが示唆される。
法則の妥当性[編集]
ある法則に当てはまらない物事が新たに見つかると、その法則は適用範囲が限定されたり、修正されたり、新たな法則に置き換えられたり、廃棄されたりする。
「法則」という呼ばれ方をするからといって必ずしも絶対性を持つとは限らない。例えば、「ゴルトンの法則」のように科学的な立場からは既に否定されたもの、「定比例の法則」のように例外が少なからずあるもの、「ムーアの法則」のように将来破綻することが予測されているものなどがある。
「例外のない法則はない」という戒め[編集]
“例外のない法則はない”という表現がある。上記のごとく、法則の妥当性について絶対視したり過信しすぎることを戒める言葉である。
この「例外のない法則はない」をあえて半ば強引に硬直的に捉えて論理の遊びをする人もいる。すなわち、「これが正しいと仮定すると、これ自体が法則であるため、法則“例外のない法則はない”にも例外があるはずである」と考える。「法則“例外のない法則はない”の例外とはすなわち、“例外のない法則がある”あるいは“例外のある法則はない”である」と考え、「法則“例外のない法則はない”は例外の存在を認めているが、後者は例外の存在を認めていない」と考えたりするようである。
だが普通には、「例外のない法則はない」という表現は単に「法則には一般に例外というものがあるものだ(だから気をつけよう、個々のできごとをよく見よう)」との意味だと、常識を働かせて理解されている。
俗的な意味での法則[編集]
経験則や科学的な裏付けの無いジンクスも一種の法則として扱われる場合がある。(例:マーフィーの法則)
法則、仮説、理論[編集]
かつて法則は、観察・実験を繰り返すことで帰納的に得られる、と考えられていた時代もある。 だが、現代では、法則はあくまでとりあえず「仮説」としてたてられ、その仮説から具体的・個別的な命題を導き出し、その命題を観察・実験で検証し、有効性が検証されれば「法則」に格上げされ、そのようにできた複数の法則が体系化したものが「理論」だ、と言われるようにもなっている。
トゥールミンの指摘[編集]
スチーヴン・トゥールミンはその著書『科学哲学入門』(1953)において、法則は、"法則本体" と "適用範囲" の要素に分離できることに言及し(例えば「xがAならば、xはBである」という本体部分と、「xがa,b,c、、、s,t,u の範囲ならば」という適用範囲の指定があり)、それらを分離して吟味すべきことを述べた。 トゥールミンは「法則というものは有効範囲が不明な周遊券のようなものである」と指摘。我々は有効範囲が不明な周遊券を持っており、旅に出てとにかくそれを使ってみる。そして無事使えると、事後的に"ここは周遊券の有効範囲に入っていたのだ"とする。同様に法則も、新たな領域においては実際に適用できるのかそうでないのか事前には判らない。無事適用できると事後的に"ここは適用領域の中だったのだ"とする、と指摘。つまり、法則の一回一回の適用行為は一種の「賭け」であり、法則を適用できるとの考えは、過去の適用の成功事例をもとにしたあくまで帰納的な推測にすぎない、またそれゆえに「法則」は確かさをもって新しい事例を導き出すことはできない、と指摘した。
道徳法則[編集]
道徳法則に分類される法則というものは、「こうあるべし」ということを表明している。「こうである」という事実を表明しているのではない。