濃尾地震

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特に強い揺れに襲われた地域を紫で表示(現在の 岐阜県・福井県・愛知県)

濃尾地震(のうびじしん)とは、19世紀末に、日本の濃尾地方(現在の岐阜県など)を襲った、直下型の巨大地震。日本で発生した直下型地震の中では最大級である。

概要[編集]

1891年(明治24年)10月28日、午前6時38分、突然、美濃国や尾張国(現在の岐阜県や愛知県の一部)などを、M(マグニチュード)8.0の巨大地震が直撃[1]。内陸の地殻内で起きた直下型地震である。 現在の岐阜県本巣市付近を震源とするこの地震は、日本で過去発生した内陸の浅い地震の中では最も大きい[2]兵庫県神戸市などに壊滅的な被害をもたらしたあの大地震でさえ、M7.3であったことを考慮すると、この地震がいかに巨大かが解るだろう。M8程度の巨大地震といえば、普通は海で発生する地震である場合が多く、陸地の真下でこの規模の地震が起こることなど、滅多にないのである。しかし、それが現実になった、つまり、人々が生活を送る場所の真下で、ここまで巨大な地震が起きてしまったことを考えれば、いかに凄まじい揺れ・被害になったことは、言うまでもなく明らかである。

揺れ[編集]

現在の震度階級にして震度7に相当する極めて猛烈な揺れ(激震)が、現在の岐阜県、愛知県、福井県など広範囲に及び、その周辺は、震度6(烈震)の地域でほぼ埋め尽くされた。

断層[編集]

地震によって、震源に近い、現在の本巣市根尾水鳥では、地表に最大で6 mもの巨大な断層が出現[3](この断層の活動が原因で地震が発生)。この断層は、根尾谷断層と呼ばれており[4]、日本で確認された断層の中では最大であり、かつ現在もなお痕跡が残っていることから、国の特別天然記念物に指定された[5]

被害[編集]

地震の揺れなどによる死者は、阪神・淡路大震災を上回る、7,273人に達した[6]。また、負傷者は17,000人を越えるという大惨事となった。その他、全壊家屋が142,000棟以上、半壊家屋が80,000棟以上となり、合計で10,000箇所以上で山崩れが発生した。