早まった一般化
早まった一般化(はやまったいっぱんか)とは、形式的な誤謬または詭弁の一つ。以下のような論証形式の推論をいう。類推の危険とも。
- A は X である。
- B も X である。
- C も X である。
- D も X である。
- したがって、いかなる場合も X である。
この形式は論理的に妥当でない。少ない例から一般的な結論を導こうとしており、これが早まった一般化となる。つまり、Xを満たすものが存在するという一部の個別の事実から全体を判断していて、それ以外のEからZまでの中に、Xでないものが存在する可能性が全く考慮に入れられていないため、誤りになる。
具体例[編集]
この論証形式が妥当でないことを示すには、真の前提から明らかに偽の結論が導かれるような反例を挙げればよい。
当然、非活火山(かつて休火山・死火山とされていたもの)と呼ばれるものも存在する(具体的には、大山、愛鷹山など)。
示した例以外のものも全て正しいことが証明できる場合は、妥当である。たとえば、
という論証は妥当である。
あるいは、反例が示された場合も、それがごく特定の少数であることが確認できる場合、やはりそれなりの有効性がある。たとえば、
という論証の場合、確かにペンギンやダチョウなど飛べない鳥も存在するが鳥全体の中ではごく少数である。問題はそれを確認する方法にある。上記二つの例では、上の例では歯の構造や爪に肉食性としての、下の例では翼などに飛翔性の性質への適応があらわであるから、そのような解剖学的証拠で裏付けを与えることができる。しかし上の例ではネコ科はともかく、ネコ目にすると妥当性は著しく低くなる。
という論証は、膨大な天体の数から考えてあまりに示された例が少数であり、太陽系以外の天体について確認の方法がないことから、早まった一般化と言わざるをえないであろう。
数学のように厳密な論証のできる分野では、演繹的に論証することで、あるいは数学的帰納法のような方法を用いて証明することでそれが可能である。しかし、このことはそれが簡単であることを意味するものではない。
日常における例[編集]
最も身近で見ることができるのは、悪いことをしたものに対してそれを指摘すると、「誰でもやってることだ」と反論するのがある。また、数人の知人がやっているだけのことを「みんなやってる」とする誤謬もある。これの大規模な例として、方言・地域的特産品を全国的な共通語・産品であるとする誤解があり、これは国家間でも発生しうる。