小豆沢孟
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小豆沢 孟(あずきざわ たけし?、生年不詳 - 没年不詳)は、日本陸軍の情報将校。後方勤務要員養成所出身。ハルビン機関を経て、1943年3月、船舶司令部付となり、内地の港湾調査の後、外地の港湾調査のためマニラに赴任。1943年9月、シンガポール船舶司令部付、暁機関に所属。1944年、南方軍総軍司令部付、浪機関に所属。その後、第29軍司令部に配属。港湾防諜業務の指導にあたった。
経歴[編集]
後方勤務要員養成所乙II長期生[1]。
1943年(昭和18)3月、宇品の船舶司令部に着任。東京、横浜、神戸、長崎、函館などの内地の港湾を調査し、防諜計画書を作成した。[2]
船舶司令部・鈴木宗作司令官の指示により、外地の港湾調査のため、岸山勇軍曹とともにマニラに赴任。1943年末に報告書を提出した。[2]
1943年9月の昭南港爆破事件を受けてシンガポール船舶司令部付となり、暁機関(機関長・吉永弘之大尉)に属して、管下の諸部隊に対する港湾(船舶)防諜の指導にあたり、「特殊施策」の調査研究にあたった[2]。
(1944年初)南方軍総軍司令部付の浪機関(機関長・吉永大尉)に所属[2]。
(1944年3月)南方総軍のマニラ移駐に伴い、浪機関は第7方面軍に転属[2]。
(時期不定で)第29軍司令部に配属され、港湾防諜業務の指導にあたった[2]。
付録[編集]
脚注[編集]
- ↑ 中野校友会 1978 553,841
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 中野校友会 1978 553
参考文献[編集]
- 中野校友会 (1978) 中野校友会(編)『陸軍中野学校』中野校友会、JPNO 78015730