宏徳会(こうとくかい)は、渡辺銀行とあかじ銀行の頭取をしていた渡辺勝三郎が出資して設立した育英会[1]。
1922年頃、旧制四高に在籍していた石堂清倫は、奨学金を受給しており、また入院した際にその費用を貸してもらっていた[2]。
東京・芝の城山町の渡辺家の門前に学寮があり、寮生は渡辺家の台所で食事をし、弁当を作ってもらって各学校へ通学していた[3]。
1924年かその少し前に寮生だった人物に、
がいた[5]。東条は卒業後も学寮に同居していた[3]。