在日殉難烈士・労工記念館
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(在日殉難烈士・労工紀念館から転送)
在日殉難烈士・労工記念館(ざいにちじゅんなんれっし・ろうこうきねんかん)は、2006年8月18日に天津市政府が市郊外の烈士陵園に開設した、戦時中に日本に連行され使役された華人労務者の記念館。1950年代に日本から送還された華人労務者2,340人の遺骨が納骨されており、花岡事件の被害者の遺骨も含まれている[1]。
建設の経緯[編集]
2001年9月に柿沢弘治外務大臣を団長とする「天津訪問団」が天津市を訪問し、日本で死亡し、中国へ送還された後、天津市の周恩来祈念堂・革命烈士祈念館に仮安置されていた華人労務者の遺骨を納骨するための「日中平和祈念堂」を、ODAを活用して建設する「天津中日平和公園建設事業」の確認書を取り交わした[2]。
その後、小泉政権下で靖国神社問題が政治化して日中関係は悪化し、日本側では、二階堂進の没後、その秘書だった青木譲一が理事長となってNPO法人ピースメモリアルプロダクションが設立され募金活動が行なわれたが、天津市政府は独自に郊外の北辰区に開設する天津市革命烈士陵園の中に祈念堂を移築する計画を立て、建設を進めた[3]。
天津市が建設した施設は在日殉難烈士・労工記念館の名称で2006年4月10日に竣工し、同年8月18日に落成式が行なわれた[4]。展示には中国人強制連行を考える会も協力している[5]。
2008年11月には同館で遺骨送還55周年の記念式典が行われた[6]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 石飛(2010) 石飛仁『花岡事件「鹿島交渉」の軌跡』彩流社、2010年、9784779115042
- 金子(2010) 金子博文「解説」石飛(2010)pp.389-422
- 李(2010) 李恩民「日中間の歴史和解は可能か-中国人強制連行の歴史和解を事例に」北海道大学スラブ研究センター内 グローバルCOEプログラム「境界研究の拠点形成:スラブ・ユーラシアと世界」『境界研究』No.1、2010年10月、pp.99-112
- 田中(2008) 田中宏「花岡和解の事実と経過を贈る」『世界』2008年5月号、岩波書店、pp.267-278