信濃丸 (1900)
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(信濃丸から転送)
信濃丸(しなのまる)は、日本郵船が所有していた貨客船。1900年に竣工し、当初は欧州定期航路、のち台湾定期航路に就航した。日露戦争では徴用され、1905年に五島列島西方を哨戒中にバルチック艦隊を発見したことがよく知られている。1928年に台湾航路を退いた後、日魯漁業の北洋蟹漁業運搬船となり、太平洋戦争中は軍の輸送船、戦後は復員船として使用され、1951年に廃船となった。廃船時に各所に譲渡された備品が遺されている。
建造[編集]
- 1900年に英国で建造された[1]。
船主・船名[編集]
性能[編集]
航路[編集]
- 欧州定期航路に就航した[2]。
- その後、台湾定期航路に就航[5]。
- 1923年に日本郵船近海部が分離独立して近海郵船株式会社が創立された後、1928年に台湾航路就航船の船質改善計画により、イタリアから購入した朝日丸・大和丸によって代替された[5]。
- その後、日魯漁業の北洋蟹漁業運搬船として使用された[6]。
- 太平洋戦争中には軍の輸送船、戦後は復員輸送船として使用された[6]。
- 1951年に廃船となった[6]。
乗船した著名人[編集]
日露戦争での哨戒活動[編集]
吉川英治の労災事故[編集]
備品[編集]
- 1951年に信濃丸が廃船となった際に、横浜史料保存会が信濃丸のサロンで使用されていた椅子20脚余を譲受。1967年に保存会のメンバーで山手資料館の設立者でもある本多正道がレストラン馬車道十番館を開業する際に12脚を譲り受け、2004年当時山手資料館や馬車道十番館には信濃丸のサロンの椅子が残されていた。[6]
- 2004年頃、信濃丸の号鐘(操舵室の後方に吊して時鐘として使用されていた)が東京芝公園の聖アンデレ教会で教会の鐘として使用されていることが分かった。教会に引き渡された経緯は不明とされている。[10]
姉妹船[編集]
参考文献[編集]
- 野間(2008) 野間恒『増補 豪華客船の文化史』NTT出版、2008年、ISBN 9784757141889
- 松井(2006) 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年、ISBN 4303123307
- 日本郵船(2005) 日本郵船歴史博物館(編)『日本郵船歴史博物館 常設展示解説書』日本郵船、2005年
- 日本郵船(2004) 日本郵船株式会社広報グループ『航跡 日本郵船創業120周年記念』日本郵船、2004年。
外部リンク[編集]
- 日本郵船ホーム > 海風日記 > 「航跡」バックナンバー > 「信濃丸」の椅子 2017年9月20日閲覧。