オランダの歴史
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オランダの歴史(オランダのれきし)
古代[編集]
中世[編集]
- 13世紀までにホラント伯領など聖俗諸侯領が形成された[1]。
- 15世紀にブルゴーニュ公国の一部となった[2]。
- 16世紀にハプスブルク家領となった[2][1]。
- 1556年、スペイン領に[2]。
- 宗教改革ではカルヴァン派が浸透したが、カトリックのスペイン王はプロテスタント貴族を弾圧したため、1568年に独立戦争が勃発した(80年戦争、-1609年)[2][1]。
- 1579年、北部7州がユトレヒト同盟を結成、1581年にスペインからの分離を宣言(ネーデルラント連邦共和国)[2]。1648年のウェストファリア条約で北部7州の独立が国際的にも承認された[2][1]。南部諸州はスペイン領にとどまった[2][1]。
近世[編集]
- 1602年にオランダ東インド会社設立[2]。17世紀に東南アジアなど海外に進出して[2][1]、香辛料貿易を独占[1]。首都アムステルダムは中継貿易港および金融市場の中心として繁栄した[1]。
- 17世紀後半、3次にわたる英蘭戦争に敗れて制海権を失った[2][1]。
- 18世紀末、一時フランスに占領され[3]、1810年にフランスに併合された[2]。
- 1815年、ウィーン会議により、南部諸州を併せたオランダ王国として独立[2][1]。
- 1830年に南部諸州がベルギー王国として分離・独立を宣言[1]、1839年に独立を承認[2]。
近代[編集]
現代[編集]
- 戦後、1949年にインドネシアが独立[2][1]。
- 中立主義を捨て、1949年にNATO、1957年にEEC(のちEU)に加盟した[2][1]。
- 1960年にベルギー、ルクセンブルクと経済同盟を結成[2]。
- 1975年にスリナムが独立[2]。
近況[編集]
- 2005年、ヨーロッパ憲法批准の是非を問う国民投票では反対票が60%を占めた[1]。
- 2005年3月、イラク派遣部隊が撤退[2]。
- 2007年12月、EU新基本条約調印、2008年7月に批准[2]。
- 2010年6月、総選挙で自由民主国民党(VVD、中道右派)が第1党となり、同年10月、VVDとキリスト教民主同盟(CDA)の中道右派連立政権が発足[2]。
- 2012年9月、総選挙でVVDが第1党、労働党が第2党となり、同年11月にVVDと労働党の連立政権が発足[2]。
- 2013年5月、ベアトリクス女王(1980年より在位)の退位で123年ぶりに男性国王が誕生[1]。
- 2014年10月、イラクでの対ISIL空爆に参加[2]。
- 2016年1月、シリア空爆を決定[2]。
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 二宮書店 (2017) 二宮書店編集部『データブック オブ・ザ・ワールド 2017年版』二宮書店、ISBN 978-4817604118
- ハンドブック (2013) 「世界各国ハンドブック」編集委員会『ニュースがわかる 世界各国ハンドブック』山川出版社、ISBN 978-4634640641