3S政策
3S政策とは、大衆の関心を政治に向けさせないように取る愚民政策のひとつ。
概要[編集]
3S政策の3Sとは、Screen(スクリーン)、Sport(スポーツ)、Sex(セックス)の頭文字を取ったものである。
日本では[編集]
安岡正篤[1]は、第二次世界大戦終結後、GHQが日本の占領政策を実行するにあたり、基本原則としての「3R」、重点的施策としての「5D」、補助政策としての「3S」を策定したことをガーディナー・GHQ参事官から直接話を聞いている[2]。しかし、鈴木邦男は「「3S政策」はGHQが押し進めたと書いている。じゃ、公式文書があるんだろうか。「日本人を映画づけ、スポーツづけ、セックスづけにして日本弱体化を計る」とか。まさかこんな文書はないだろう」 [3]と主張している。
安岡が存在したと主張する、この政策により、日本では性風俗が開放され[4]、映画やエンターテイメントが興隆し、プロ野球をはじめとするスポーツが国民行事となった。スクリーン(映画)、スポーツ、セックス(性産業)またはスピード(クルマ)は大衆の欲望動員による娯楽であるが、それらに目を向けさせることにより、民衆が感じている社会生活上の様々な不安や、政治への関心を逸らさせて大衆を自由に思うがままに操作し得るとされる。簡単に言えば「ガス抜き」政策である。あまりにも厳しい占領政策をすると、暴動が起こる恐れがあるので、人々の目を逸らさせるために行う[5]。
安岡は「日本を全く骨抜きにするこの3R・5D・3S政策を、日本人はむしろ喜んで、これに応じ、これに迎合した、あるいは、これに乗じて野心家が輩出してきた。日教組というものがその代表的なものであります。そのほか悪質な労働組合、それから言論機関の頽廃、こういったものは皆、この政策から生まれたわけであります」[6]と警告している。
これらの政策と「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」により、日本のマスコミや教育現場が当時のGHQによる検閲を経て、現在に至るまで「自己検閲」を続けることによって日本の弱体化を図ったものとされている[5](詳細はウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム/自己検閲を参照)。
「3R」は復讐(Revenge)、改組(Reform)、復活(Revive)、また「5D」は武装解除(Disarmament)、軍国主義排除(Demilitalization)、工業生産力の破壊(Disindustrialization)、中心勢力解体(Decentralization)、民主化(Democratization)であると安岡は主張する。
出典[編集]
- ↑ 玉音放送(終戦の詔書)の起草者でもある
- ↑ 安岡正篤『運命を創る―人間学講話』プレジデント社、1985年
- ↑ 正月だから…「3S政策」再考(HP「鈴木邦男をぶっとばせ」)
- ↑ 同じく安岡による。
- ↑ 5.0 5.1 小林興起『主権在米経済―「郵政米営化」戦記―これからも貢ぎ続ける日本でいいのか?』、光文社Kobunsha paperbacks:81(第9章 アメリカの占領政策は「日本解体」にあった)274頁。
- ↑ 同じく安岡による。
参考著書[編集]
- 安岡正篤『運命を創る―人間学講話』
関連項目[編集]
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