秦真次
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秦 真次(はた しんじ)は、日本の軍人、宗教活動家。
元陸軍中将、東京憲兵司令官、第2師団長を歴任。真崎甚三郎や荒木貞夫と同じ、国家革新派だった。[1]
東京憲兵司令官だった頃、大川周明とともに、民間の維新運動の会合所となっていた東京・神田の道了堂を訪問して、若い活動家をよく煽動していた[1]。
軍にあったときに「まこと」というパンフレットなどを出版[2]。
退役した後、伊勢の皇学館大学に入学[2]。在学中は猿田彦神社の社務所に下宿し、同神社の社家で猿田彦命の末孫と言われた宇治土公(うじとこ)貞幹の世話になっていた[2]。
卒業後、神典や国学を研究し、著書『言霊学』などを出版した[2]。
1935年10月に真崎甚三郎や畑俊六らと天津教の神宝を拝観し、同年12月28日にヒヒロイガネ製の装飾品などの天津教の神宝を靖国神社の遊就館に預ける。天津教に入信し、のち同教の神官となった。[3]
東京・世田谷区の代田もしくは馬橋の邸宅に住んでいたが、後に代々木の神代村に移り、間もなく重病になって長期入院し、比較的早くに亡くなった[2]。
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 原 (2009) 原武史『松本清張の「遺言」 - 『神々の乱心』を読み解く』〈文春新書〉文藝春秋、2009年、ISBN 978-4166607037
- 三村 (1953) 三村三郎『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』八幡書店、1986年
- 初出:日猶関係研究会、1953年
- 新装版:八幡書店、2000年、ISBN 4893500163