印章
印章(いんしょう、英: seal)は、木・石・角・象牙・金属・竹などに文字やシンボルを彫刻し、個人・団体または官職のしるしとして、公私の文書に押し、その責任や権威を証明するもの。印(いん)、判(はん)、印判(いんはん)、印形(いんけい)、判子(はんこ)、はんこともいい、紙などに印章を押したあとを印影(いんえい)という。また、印章を押すことを押印(おういん)、捺印(なついん)、押捺(おうなつ)という。
目次
概説[編集]
印章の材質としては、木・水晶・金属のほか、動物の角・牙が多く用いられ、これらの素材を印材と呼ぶ。印材の特定の面に、希望する印影の対称となる彫刻を施し、その面にインク(朱肉・印泥)を付け、対象物に押し付けることで、特有の痕跡を示すことができる。この痕跡を印影と呼ぶ。
一般に、印影(印面)には文字(印字)が使用され、書体には篆書体、楷書体、隷書体が好まれる。印字は、偽造を難しくしたり、偽造防止のため、既存の書体によらない自作の印を使う者もいる。
実際の取引の場面では、印章を持参した者は本人(または真正の代理人)とみなされることが多い。この慣例を受けて、民事訴訟法は、私文書に「本人又はその代理人の署名又は押印」があるとき、その文書は真正に成立したものと推定されると定める(民事訴訟法228条4項)。これは、「成立の真正」と呼ばれて文書の名義が真正であることを意味し、内容が真正であることを意味する「内容の真正」とは区別される。なお、私文書にある印影が本人または代理人の印章によって押された場合には、反証なき限り、その印影は本人または代理人の意思に基づいて押されたと推定され、その結果、民事訴訟法228条4項の要件が満たされるため、文書全体が真正に成立したと推定される。
- 民事訴訟法
- (文書の成立)
- 第228条
- 4 私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。
印章は、主に日本や中国などで使用されており、その他の地域ではサインがこれに代わる。
用語[編集]
印に関する主な用語はそれぞれ次の意味がある。
- 印
- 印章または印影であり、一定の権利・強制力を有するもの
- 判
- 印章や印影ではあるが、記号・情報としての機能しか持たないもの
- 印章
- はんこの本体側。印材を加工・成形して作られる
- 印影
- 押された結果(紙側)
- 印鑑
- 照合用の印影
印章を用いて、紙面に印影を残すことを押印(おういん)または捺印(なついん)と言い、「契約書に押印 / 捺印する」などというように使用される。
印章の側面にあるくぼみは「サグリ」と言う。
しばしば、印章と同じ意味で印鑑という語が用いられることもある。古くは、印影と印章の所有者(押印した者)を一致させるために、印章を登録させた。この印影の登録簿を指して印鑑と呼んだ。転じて、登録した印章自体も印鑑と呼ぶようになった。このため、印鑑登録した印章や銀行に届け出た印章など、何らかの登録を受けた印章を特に印鑑と呼んで区別することもある。
歴史[編集]
印章は紀元前5000年頃に古代メソポタミアで使われるようになったとされる。最初は粘土板や封泥の上に押すスタンプ型の印章が用いられたが、後に粘土板の上で転がす円筒形の印章(円筒印章)が登場し、認証の道具の一つとして使われていたようである。紀元前3000年頃の古代エジプトでは、ヒエログリフが刻印されたスカラベ型印章が用いられていた。それ以来、認証、封印、所有権の証明、権力の象徴などの目的で広く用いられた。
中国[編集]
篆刻#歴史 を参照
日本[編集]
日本の篆刻史 を参照 日本では西暦57年ごろに中国から日本に送られたとされ、1784年に発見された「漢委奴国王」の金印が最古のものとして有名である。大化の改新の後、律令の制定とともに印章が使用されるようになったとされる。律令制度下では公文書の一面に公印が押されていたが次第に簡略化されるようになり、中世に至り花押に取って代わられた。しかしながら、近世以降次第に復活してゆき(織田信長の「天下布武」の印など)、江戸時代には行政上の書類のほか私文書にも印を押す慣習が広がるとともに、印鑑帳が作られた[1]。明治政府は欧米諸国にならって署名の制度を導入しようと試みた[2]が、以後の議論の末、1900年までに、ほとんどの文書において事務の煩雑を避けるため自署の代わりに記名押印すれば足りるとの制度が確立した[3]。また、印鑑登録制度が市町村の事務となったのも明治時代である。
印章文化を有する国[編集]
種類[編集]
用途による分類[編集]
重要な用途の印章を紛失すると、日常生活や商取引において非常に困るため、常用の認印と、重要度の高い印章が、必要に応じて使い分けられている。
- 認印
- 一般に申し込みや受け取りなどの証明用として用いられる印。姓(苗字)のみが彫られた既製品が多く、三文判(“二束三文”から。作りも安っぽいため)とも呼ばれる。印材にラクト等のプラスチックを用いたものが多い。
- 実印
- 役所に登録(印鑑登録制度)した印章を実印と言う。偽造を防ぐため、個別に製作されたものを用いることが多く、転じてその登録をする用途に適した印を指すこともある。個人の実印及び法務局(登記所)に登録する会社、各種法人の実印がある。財産(不動産、自動車など)の取引など重要な用途において印鑑登録証明書を添付して用いられる。大量生産品の印鑑は登録できないこともあり、印影のサイズなどに制限がある。
- 銀行印
- 銀行もしくは証券会社等に口座を開設する際に用いる印。偽造を防ぐため、個別に製作されたものを用いることが多く、転じてその用途に適した印を指すこともある。
- 角印
- 個人ではなく法人(団体)の請求書、領収書、契約書などに、社名や住所に付して確認のために用いられる角型の印。右縦書きで篆書体で「○○株式会社之印」のように彫られていることが多い。
- 職印
- ある職に就いている者が使用する印。司法書士などいわゆる士業の一部は、その根拠法令において職印を作成し登録するように定められている。また、都道府県知事、市町村長、代表取締役などの印もこれに含まれると考えることができる。
- 公印
- 公的機関の印。大阪市を例に取ると「大阪市印」「大阪市長之印」という角印が用いられている他、「大阪市北区長之印」など各区長の公印、また用途別に「戸籍専用」(住民票・戸籍の写し用に)などの文字を入れた物などが規則で定められている。職印や角印の一種であると考えられる。天皇の御璽もまた公印である。
- 落款(らっかん)
- 書画に押される印章。書画の作成者、所有者、鑑定者によって押される印。特に作者による落款は真贋の鑑定の大きな証拠となる。1人の作者によって複数押されることが多い。陰刻と陽刻がある。
印材(材質)による分類[編集]
印材 を参照 印章としての機能は同じであるが、朱肉の着きやすさ、耐久性、高級感などに優れた材質が選ばれる傾向にある。
その他、彩樺等の新素材がある。
ゴム製のものや、さらに内部にインクを溜め込む仕組みを備え浸透式で朱肉を必要としないものもある。但し、捺すごとに力のいれ具合などで印影が変形するため、公文書、私文書問わず使用できないケースが多い。契約書などでの実印や、預貯金払い戻しの際の銀行印としてはもちろん、「欠けた三文判でも構わない」と言われるような書式(役所に提出する各種申請書・届出書など)であっても、認められない場合が多い。一般に「シヤチハタ不可」といわれているのはこのことを指す。これらは印影を窃用されても問題ないような、例えば回覧の読了や宅配便等の受け取りなどに用いられる事が多い。
書体による分類[編集]
印章としての機能は同様であるが、用途によって書体を選ぶ傾向がある。 主に重厚な書体は法人印や実印として好まれ、可読性の高い書体は認印として好まれる。
- 篆書体
- 大篆、小篆、印篆などの総称として呼ばれる。法人の使用する印に多く使われ、個人の場合は実印として使用されることが多い。
- 隷書体
- 可読性が高く、用途を問わず使われる。
- 楷書体
- 可読性が高く、認印のほかインキ浸透印に多く使われる。
- 行書体
- 可読性は比較的低いが、柔らかい書体のため使用されることがある。
- 草書体
- 可読性が低く、法人印として使われることは少ない。
- 古印体
- 日本で作られた書体といわれ、独特の線の強弱・途切れが特徴。可読性は比較的高く、用途を問わず広く使われる。
- ワン書体
- 動植物等のシルエットを崩さないように文字を組み込んだ、城山博文堂が開発した独自の書体。
- 犬の「ワン」とオンリーワンの「ワン」からくる呼び名。
「陰刻」と「陽刻」[編集]
印章は「陰刻」と「陽刻」に区別される。 「陰刻」とは文字が印材に彫られ、捺印すると、印字が白抜きで現れる印章である。「陽刻」とは文字の周りが彫りぬかれ、捺印すると文字の部分に印肉によって現れる印章である。現在では「陽刻」が一般的である。
歴史上漢委奴国王印がそうであるように「陰刻」が一般的であった。これは当時、印章が「封泥」に捺印するため使用されていたことに由来する。「陰刻」の印を粘土に押すと、文字が凸状になって現れるためである。「陽刻」が一般的になるのは紙が登場し、朱肉が普及してからである。
なお、陰刻印章は印鑑登録出来ない。
機能[編集]
押印(捺印)は契約等に際して意思表示のあらわれとみなされる。例えば、契約書等に記名(自筆、代筆、印刷等を問わない)し押印する事は、その契約を締結した意思表明とみなされる。
併せて印章の使用は認証の手段として用いられる。特定の印章を所有するのは当人だけであり、他の人が同じ印影を顕出する事は出来ない、という前提に立っている。それゆえに、文書に押された印影を実印の印影や銀行に登録した印影と照合して、間違いなく当人の意思を表すものかどうかを確認する。
契約などの場面においては、使用された印章を特定しても、「実際に押印した人物」を特定することができないため、印章の所有者の意図しない不正使用などをめぐり、のちに争われる事態となることもある。
裁判においても、私文書に押される印の有無は当該契約の有無、契約にかかる義務や責任の有無を示す重要な証拠となる。民事訴訟法228条4項では、契約書に署名又は押印のある契約は成立が推定される。また、判例では、印影が本人の印章による場合には本人の意思に基づく押印であると推定され、契約の締結も本人の意思に基づいてなされたものと推定される(二段の推定)。この契約の存在を否定するには押された印章の所有者側が、当該契約が自身の意思によらない(捏造された)ことを立証しなければならない。
印鑑制度の限界[編集]
預金通帳 を参照 日本の金融機関では預金通帳と登録した印鑑を照合することで口座取引を可能としていた。
この仕組みを実現するため、預金通帳の表紙裏面に、登録に用いた印章の印影を転写した印鑑票(副印鑑)が貼付されていた。銀行印の登録原票は口座開設店にあり、登録印鑑の照合が出来るのはその店にのみ限られる。そこで、通帳に副印鑑を貼付けることで、他の店でも印影の照合、そして口座取引が可能となった。
ただし、印鑑と預金通帳があれば預金を引き出すことができるため、第三者による悪用を防ぐためには印鑑に用いた印章と通帳は別々に保管することが望ましいとされた。
しかし、近年では副印鑑をスキャナで読み取って預金払戻し請求書にカラープリンタで転写したり印影から印章を偽造するなどして、登録に用いた印章を所持せず他人の口座から預金を引き出す手口が現れ被害が後を絶たない事から、副印鑑の貼付を廃止し、代えて登録原票をデジタル情報として蓄積し、いずれの本支店でも参照できるようにして、口座取引を何処でも出来るようにする方法が普及しつつある。
類似の概念[編集]
署名[編集]
氏名を自書することであり、筆跡によってその署名した個人を特定することが可能である。
多くの場面で、署名が記名押印と同等のものとしてその効力を認められており、刑法の「印章偽造」やいわゆる「有印公(私)文書偽造」といった罪においても署名が印章と同等に扱われている。
なお、商法においては署名が本来の形で、その代わりとして記名押印が認められている。
拇印[編集]
印章を持ち合わせていない場合、印章の代わりに拇印(ぼいん)を用いる事がある。拇印とは、拇指ないし人差し指の先に朱肉をつけて押す印のことであり、指紋により、押印した個人を特定することが可能である。
但し、署名が記名押印と同等のものとして広く認められていることもあり、警察での供述調書、被害届などの特殊な文書以外の公文書への拇印はあまり用いられない。
なお、拇印は指印(しいん)とも呼ばれる。
その他[編集]
- 篆刻 - 芸術作品、特に書画類で作者を示すため、自作した印のことである。(詳しくは、「篆刻」を参照のこと)
- 花押
- スタンプ・ゴム印
- 日本において、スタンプと言う場合は、特に判(またはゴム印)をさす。
- ゴム製の印章とその印影は、力や熱のほか、経年により変形するため、公文書などへの使用はできない。
- 日付を入れたゴム印もあり、その場合はデート印と呼ぶことがある。
- シヤチハタ・インキ浸透印 - 朱肉やスタンプ台なしでの押印を可能にした印章のこと。(詳しくは、「シヤチハタ」を参照のこと)
- 三菱鉛筆・ダイヤルバンク印 - ダイヤル番号で印影が変化する印章のこと。
著名な印章[編集]
印章に関わる身分等[編集]
脚注[編集]
- ↑ 北健一『その印鑑、押してはいけない!: 金融被害の現場を歩く』朝日新聞社(ISBN 4-02-257938-2)2004年、211-212頁。
- ↑ Wikisource:ja:諸証書ノ姓名ハ自書シ実印ヲ押サシム(明治10年太政官布告第50号)参照。
- ↑ 信森毅博「認証と電子署名に関する法的問題」別表 私法上の押印の扱い年表(69頁)、日本銀行金融研究所ディスカッションペーパー98-J-6、1998年、2008年8月31日閲覧。
関連項目[編集]
- 金印
- 篆刻
- 花押
- 朱肉
- 訂正印 - 捨印
- 消印
- 契印
- 割印
- 封印
- 印綬
- 印鑑証明 - 印鑑登録
- 署名 - 電子署名
- 意思 - 意思表示
- 商法中署名スヘキ場合ニ関スル法律 - 現在は会社法第369条第3項
- 身分証明書
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