浜口内閣(はまぐち ないかく)とは、立憲民政党総裁・衆議院議員の濱口雄幸が第27代内閣総理大臣に任命され、1929年(昭和4年)7月2日から1931年(昭和6年)4月14日まで続いた日本の内閣である。
立憲民政党を中心とする政党内閣であるが、一方で貴族院の親民政党議員を多く入閣させたところに特色がある。
外務大臣には、協調外交で知られる幣原喜重郎を起用。
財界からの信任のある井上準之助蔵相を起用して金解禁、緊縮政策、産業合理化を断行し、また政友会の反対を排除してロンドン海軍軍縮条約を結んだ。これらが右翼からの反感を買い、1930年(昭和5年)11月に濱口雄幸が銃撃され、幣原喜重郎が臨時代理を務めた。その後、濱口が復帰するが病状の悪化により総辞職。4ヶ月後に濱口は死去した。
濱口は、初の明治生れ、高知県出身の総理大臣である。
- 濱口雄幸(衆議院民政党総裁):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 幣原喜重郎(臨時代理):1930年(昭和5年)11月15日 - 1931年(昭和6年)3月9日
- 男爵幣原喜重郎(貴族院同和会):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 安達謙蔵(衆議院民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 井上準之助(貴族院無所属→民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 宇垣一成(軍人:陸軍):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 阿部信行(臨時代理):1930年(昭和5年)6月16日 - 1930年(昭和5年)12月10日
- 財部彪(軍人:海軍):1929年(昭和4年)7月2日 - 1930年(昭和5年)10月3日
- 男爵安保清種(軍人:海軍):1930年(昭和5年)10月3日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 濱口雄幸(事務摂行):1929年(昭和4年)11月26日 - 1930年(昭和5年)5月19日
- 子爵渡辺千冬(貴族院研究会):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 小橋一太(衆議院民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 同年11月29日
- 田中隆三(衆議院民政党):1929年(昭和4年)11月29日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 町田忠治(衆議院民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 俵孫一(衆議院民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 小泉又次郎(衆議院民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 江木翼(貴族院同成会/民政党系):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 松田源治(衆議院民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 阿部信行(軍人:陸軍):1930年(昭和5年)6月16日 - 1930年(昭和5年)12月10日
- 鈴木冨士弥(衆議院民政党):1929年(昭和4年)7月2日 - 1931年(昭和6年)4月14日
- 前田米蔵(衆議院政友会):1929年(昭和4年)7月2日 - 同年7月3日
- 川崎卓吉(貴族院同和会/民政党系):1929年(昭和4年)7月3日 - 1931年(昭和6年)4月14日
政務次官[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]