松岡福利

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松岡 福利(まつおか ふくとし)は全日本同和会常任理事、同飯塚支部長、九州協和建設社長。「飯塚市の二番目の市長」の異名があった。飯塚市に松岡が10億円以上で建てた豪邸は「ホワイトハウス」と揶揄されている。

経歴[編集]

1962年の「夜桜銀次殺人事件」の首謀者の一人として服役。出所後、全日本同和会飯塚支部長として行政に強い影響力を持つようになる。

1979年5月、九州協和建設を設立。1981年度には9件で1億4000万円の鉱害復旧工事を受注するようになり、1982年度には32件で6億8000万円、1983年度には32件で5億2000万円と事業が急成長。1982年からは飯塚市の指定業者となり、1982年度には600万円だった受注工事高を1983年度には1億5000万円に伸ばしている。

1982年3月の市議会では、高鍋徹夫飯塚市長夫妻が松岡に旅行を奢られている疑惑が浮上。また、松岡が土地を異常な高額で飯塚市に売りつけ、1年半で2億7000万円の差益を得ている話も問題となった。

松岡は福岡県山田市の市政にも食い込み、1983年5月には飯塚地区消防組合山田消防署の公共工事入札で地元山田市の業者を制し、最低制限価格を20万円上回る1億8000万円で工事を落札。神業と呼ばれた。

1985年、糸田町議で土建業者の井手元登(「日本同和会」全国連合会会長)や自分の叔父(九州協和建設副社長、全日本同和会飯塚支部事務局長)とともに逮捕される。松岡の直接の容疑は、鉱害認定地を安く購入したうえで復旧費で宅地を造成し、さらに転売して二重の利益を得たという詐欺事件であった。

NTT関連の通信設備会社「日比谷総合設備」の営業上のトラブルに介入して同社から1億3000万円を脅し取り、1987年3月にも逮捕された。

出典[編集]

  • 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.52-54