松岡清次郎

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松岡清次郎(まつおせいじろう,1894年1月8日 - 1989年3月20日)は松岡美術館の創設者である。松岡地所株式会社、松岡冷蔵株式会社の創業者でもある。

概要[編集]

1894年1月8日、東京都京橋区築地小田原町の米穀商の三男に生まれる。10歳の時に父と死別し。母キクは女手一つで4人の子どもたちを育てた。1912年(明治45年)、京橋区新川(現在の中央区新川)の私立・中央商業学校を卒業して銀座の貿易商に勤務し、貿易のノウハウを学び、5年後に独立した。雑貨輸出入業に従事し、当時としては先進的な第三国中継貿易を行う。第一次世界大戦時に不動産業、冷蔵倉庫業、ホテル業など多角的に事業を拡大する。 1917年(大正6年)、松岡清次郎は銀座で貿易商「松岡商店」を設立する。 1932年(昭和7年)、東京都墨田区横網(現在の両国国技館、江戸東京博物館の隣接地)にグループの礎となる「江東冷蔵製氷」を創業する。1932年(昭和7年)に東京都中央区銀座に「松岡合資会社(現松岡地所株式会社)」を創業して、不動産賃貸業にも進出する。江東冷蔵製氷は1967年(昭和42年)に、東京都港区港南の品川埠頭に移転して「松岡冷蔵株式会社」と商号を変更する。

美術館開設[編集]

古美術品蒐集を始め、初期には日本画を、戦後は中国陶磁を中心に蒐集。1974年(昭和49年6月「青花双鳳草虫図八角瓶」を落札して注目された。1980年(昭和55年)シャガールの「婚約者」、1986年(昭和61年)「釉裏紅牡丹蓮花文大盤」の落札などで話題をさらう。1975年 (昭和50年)11月、満80歳を転機に「これらの美術品は私蔵するべきものではなく、人類全体の文化遺産として後世に継承すべし」と考え、東京都港区新橋5-22-10の松岡田村町ビル内に松岡美術館を設立した。中国陶磁、日本画、西欧絵画、インド仏教彫刻など幅広いコレクションを集める[1]

美術館移転[編集]

松岡の死去後、2000年(平成12年)4月に美術館は港区白金台の松岡清次郎自邸跡地に移転する。エントランスを飾るブールデルの彫刻「ペネロープ」、中国陶磁の「青花双鳳草虫図八角瓶」「青花龍唐草文天球瓶」、ルノワールやシャガールといったフランス近代絵画など国際的な名品を収蔵する。コレクションは約1800点に及ぶ。

死去[編集]

松岡美術館館長の松岡清次郎は、1989年3月20日午後4時31分、呼吸不全のため東京都港区の虎の門病院で死去した。享年95。


参考文献[編集]

  1. 「松岡清次郎」『日本美術年鑑』平成2年版(237頁)