木下頼継
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木下 頼継(きのした よりつぐ、? - 慶長5年(1600年))は、安土桃山時代の武将。豊臣家の家臣。越前敦賀城主・大谷吉継の次男。兄弟に大谷吉治、大谷泰重、真田信繁正室となった竹林院ら。受領名は山城守[1]。
生涯[編集]
生年は不詳[1]。『廃絶録』(『日本史料集成』)では吉継の次男とあるが、甥とする説もある[1]。豊臣秀吉に仕えて吉継とは別に越前国内で2万5000石を与えられた[1]。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは吉継に従って加賀の前田利長と戦い、9月15日の関ヶ原本戦では吉継軍の前衛に布陣して奮戦した[1]。大谷軍が小早川秀秋に襲われて全滅する直前、戦線を離脱して越前へ戻り再起を図る[1]。だが同年のうちに病死した[1]。
ただし『廃絶録』は頼継の最期に関しては記していない[1]。また年齢に関しては兄とされる吉治が天正8年(1580年)頃の生まれとされるため、20歳より手前だったと推測される。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『大谷吉継のすべて』 新人物往来社 2000年 花ヶ前盛明