日本の長寿者
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- 日本国内の長生きした人についてまとめる。
- ただし、没年が第二次世界大戦終戦以降の方に限る(上代の天皇みたいなのを入れていたらキリがないので。
- 原則として女性110歳以上、男性105歳以上、有名人は男女ともに100歳以上を基準とする。
ベタな日本の長寿者の法則[編集]
- 禁酒禁煙、栄養バランスに配慮した食事みたいな生活の人ばかり、と思いきやそうでもない。
- 下記の大川ミサヲさん、泉重千代翁は喫煙者だったし……。
- 肉大好きな人が多い。といっても暴飲暴食レベルではなく、嗜み程度に食べるくらいが健康の秘訣なのかもしれない。
- まあ日本人の平均寿命が伸び出したのもちょうど肉を食べる(≒良質なタンパク質を摂る)ようになった頃だから、あながち無関係では無いのかもしれない。
- 「肉が食べられるくらい胃が丈夫=健康だから長生きできた」ということかもしれない。
- 大体戦時中の話が出てくるのはデフォ
- 最初期の人たちだと戦争のエピソードで日清・日露戦争どころか西南戦争が飛び出してくる。
国内最高齢者[編集]
渡邊すゑ[編集]
- 記録を辿れる中だと初代日本最高齢。1841年生まれで現在の岐阜県羽島市在住だった。
- 110歳時点でも元気に雑誌の取材に答えてた。
- 1953年1月中に没。
- ちなみに岐阜県内で次に110歳到達者が出たのは57年後の2010年。
馬田鹿蔵[編集]
- 男性107歳第二号。
- 男性初の国内最高齢者。
廿日出徳三郎[編集]
- 男性の国内最高齢者が2代続いた。2代続けて男性が国内最高齢者は空前絶後。
梅田ミト[編集]
- GRG認定の日本最高齢第1号。1863年生まれで現在の熊本市南区出身。
- ただ、結婚した年齢が37歳? なのは疑問。
- 国内最高齢になった時点で4人の子供はすでに全員先立っていた。
河本にわ[編集]
市川まん[編集]
- 日本最高齢になったけど2日で亡くなった。
- 山形県内最高齢だった期間が7年ぐらいあったのに……。
佐藤増太郎[編集]
- 廿日出徳三郎さん以来の男性の国内最高齢者。
- 当時の男性国内歴代最高齢者並びに男性長寿日本一歴代最長在位記録保持者だった。
長田杢太郎[編集]
- 1985年に津川イネさんの年齢に疑いがある場合の男女を含めた長寿日本一になったが、大野又一さんや佐藤増太郎さんや田中松太郎さんや清水林蔵さんの記録を抜けず、日本人男性歴代最高齢になれなかった。
- 石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、中願寺雄吉さんと並んで男女を含めた長寿日本一になりながら日本人男性歴代最高齢になれなかった方になる。
白浜ワカ[編集]
- 史上初の日本人114歳到達者。
- なお速攻で抜かれた模様。
猪飼たね[編集]
- 史上初の日本人115歳、116歳到達者。
- ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。
- ただ、今ではそのカルマンさんの年齢に疑いが生じており、こうなっていたら世界最高齢になっていた事になる。
- ただし、存命中はジャンヌ・カルマンさんがいて世界最高齢にはなれず。
- Wikipediaの方に趣味は陶芸って書いてあったけどどう考えても老人ホームでやったことがあるだけでは……。
- 多分国内最高齢者の中で唯一の離婚経験者……。
- 死別であれば最高齢者にとどまらずおそらくここのページに載っている長寿者の大半が経験していると思われるが、離別はかなりレアケースでは?
- 愛知県の国内最高齢に11年半にわたって君臨した。
宮永スエキク[編集]
- 趣味は三味線・踊り。英語版Wikiだと"guitar and dance"って書かれててめっちゃ趣味が陽キャっぽい。
- 地味に鹿児島県出身の国内最高齢第一号。
- 泉重千代翁は非公認記録なので。
- 4男7女に恵まれたけど9人が先立った。これは辛い……。
松永タセ[編集]
- 新潟県出身だが夫の没後東京都内に転居。東京都在住の国内最高齢第一号。
- 112歳の時に進め!電波少年シリーズで松村邦洋にプロポーズされたが断った。
石崎伝蔵[編集]
- 元学校の校長先生。
- 戸籍上では1886年生まれの112歳没だけど戸籍届けが2年遅れたため、実際には2歳年上の1884年生まれの114歳没とする説がある。
- この説が事実の場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。
- 並びに今でも男女を合わせた茨城県内歴代最高齢者となり、茨城県は京都府と並んで男性が男女を合わせた歴代最高齢者の都道府県となる。
- 茨城県内男性最高齢に12年9ヶ月以上、男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の7年7ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の7年2ヶ月にも亘って在位した事になり、都道府県内男性最高齢者や男性長寿日本一の歴代最長在位記録保持者になる。また、男女を合わせた長寿日本一在位期間が↑の松永タセさんの死去後の5ヶ月になり、その期間に秋野やすさんという女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になれなかった人が存在するようになる。
- 並びに男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位した渡名喜元完さんは男性長寿日本一になれなかった事になり、男性長寿日本一になれなかった人では当時最も長生きした人になる。
- 日本人男性初の111歳、112歳、113歳、114歳到達者にもなる。
- 1884年生まれは哥川スエさん、宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんと4人の長寿日本一を出し、長寿日本一を最も多く出しているが、もう1人出し、5人出した事になる。
- 違う場合によっては宮永スエキクさん、滝井アサさん、松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一になれなかった事になる。
- 男性長寿日本一になった当初は男女を含めた長寿日本一だった白浜ワカさんに6歳半のも差をつけられていて、その次のそれだった猪飼たねさんにも5歳8ヶ月のも差をつけられていたが、猪飼さん死去で男女を含めた長寿日本一の年齢が5歳も若返ると、それとの年齢差が縮まり、男女を含めた長寿日本一になって女性長寿日本一並びに男女を含めた2位の藤井カヨさんに3歳5ヶ月の差をつけた。
- 女性が有利な長寿界で男性が男女を含めた最高齢になるのは珍しいが、女性の最高齢や男女を含めた2位に3歳以上の差をつけるのはかなり珍しいと言える。
- そういった事で死去時に男女を含めた長寿日本一が藤井カヨさんとなったが、それの年齢が3歳5ヶ月若返り、男性も2位の田辺定義さんに4歳の差をつけていたが、死去時に男性長寿日本一が田辺さんとなり、それの年齢が4歳若返った。
- 誕生日が違う場合でも秋野やすさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、ウォルター・リチャードソンさんは男性長寿世界一になれなかったことになり、違う場合によっては宮永スエキクさんと滝井アサさんと松永タセさんは女性長寿日本一になっても男女を含めた長寿日本一に、渡名喜元完さんは男性長寿日本一に、ジョンソン・パークスさんは男性長寿世界一になれなかったことになる。
- 誕生日も戸籍上では10月2日であるが、GRGでは10月20日と誤植された。
- この説が事実の場合で誕生日も同じ10月2日なら、114歳209日まで生きた事になって↓の中願寺雄吉さんの記録を20日上回って、木村次郎右衛門さんに抜かれるまで日本人男性歴代最高齢記録保持者で、死去時にはクリスチャン・モーテンセンさんに次ぐ男性としては歴代2位の長寿だった事になる。
- 日本人初の男性世界最高齢者で、戸籍上で4ヶ月、2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら丁度1年在位した事になる。
- 戸籍上で100歳代後半まで茨城から東京へ買い物に行くなどかなり活動的。
- 趣味は読書。読む本が多すぎて1日が24時間では足りないと言うほど。
- 戸籍上で108歳で白内障になったが本を読めなくなるのは辛いと手術し無事完治。
- 2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、後述する中願寺雄吉さんや木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると織田信長にあたる。乱世が続いていた日本の男性長寿界で台頭し、「112ぷらす2」が事実だった場合で誕生日が同じなら、実際には男性長寿日本一に7年7ヶ月(海外に移住した方を含めると7年2ヶ月)在位し、長田杢太郎さん以来の男性で男女を含めた長寿日本一になり、114歳を超えたとされるが、それでもサラ・ナウスさんの存在により男女を含めた長寿世界一になれなかった事が、右大臣になったが天下統一をできなかった、信長と似ているから。
中願寺雄吉[編集]
- 確認されている中では男性で114歳到達第一号。死亡時点で当時の世界最高齢でもあった。
- 割と年齢相応の見た目の印象。目元が可愛らしい。
- 前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや後述の木村次郎右衛門さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると豊臣秀吉にあたる。石崎伝蔵さんがなれなかった男女を含めた長寿世界一になり、114歳まで生きたが、1889年生まれ最後の日本人や世界の人物はもとより男性の生き残りになれず、前述する石崎伝蔵さんの「112ぷらす2」が事実なら、日本人男性歴代最高齢者になれなかった事が、信長ができなかった天下統一を成し遂げたが、農民出身のために征夷大将軍になれず、幕府を開けなかった秀吉と似ているから。
小山ウラ[編集]
- この方から皆川ヨ子さんを経て中野シツさんまでは3人連続で福岡県在住者が長寿日本一になった。
- 同一都道府県からの長寿日本一の最大連続人数で、同一都道府県から長寿日本一が連続して出たのは他に石黒喜代子さんと都千代さんの神奈川県在住者が2人連続でなったのみである。
- 日本人男性初のスーパーセンテナリアンである鶴英寿さんや川手ミトヨさんを挟んだ2人前の長寿日本一だった中願寺雄吉さんや日本人男性初の118・119歳到達者の田中カ子さんも福岡県在住者であった事から、福岡県は男女ともかなり長生きの都道府県と言える。
木村次郎右衛門[編集]
- 日本人男性で初めて115歳、116歳に到達。現在も歴代世界最高齢男性。
- 男性長寿者の中だと一人飛び抜けてる。
- 京都府内の歴代最高齢者であり、上の石崎伝蔵さんの1884年生まれ説を考慮しない場合は都道府県別の最高齢記録保持者で唯一の男性。この場合、逆に言えば京都府以外は全員女性がその都道府県内で一番長生きしたことになる。
- 京都府の女性歴代最高齢の人物も114歳まで生きていたので、男女ともにかなり長生きの都道府県と言える。
- 出生時の名前は三宅金治郎。
- 結婚後に婿養子となって代々の受け継いでいた名前に変えたらしい。
- 前述の石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれの114歳没説が事実なら、前述の石崎伝蔵さんや中願寺雄吉さんと並ぶ男性長寿三英傑の1人であり、三英傑に例えると徳川家康にあたる。日本人男性として初めて115・116歳に達して、中願寺雄吉さんが達成した男女を含めた長寿世界一になって、その中願寺さんが達成できなかった日本人男性歴代最高齢者どころか世界全体での男性歴代最高齢者になって、特定の年(1897年)生まれの日本どころか世界全体で男性どころか男女を含めた最後の生き残りになったのが、秀吉が成し遂げた天下統一を行い、その秀吉がなれなかった征夷大将軍になって江戸幕府を開いた徳川家康と似ているから。
大川ミサヲ[編集]
- 日本人初の117歳到達者。
- 116歳の誕生日の時に長寿の秘訣は何ですか?アナウンサーに聞かれる→それに対して知らんと即答。周りの人が爆笑していた。
(氏名非公開)[編集]
- 歴代の国内最高齢で唯一氏名非公表
- ただし誕生日と住所は判明している。
都千代[編集]
- 確実な証拠がある中で117歳到達第2号。
- 好物はウナギ、ワイン、クリームソーダ。
- 孫は医療法人社団愛優会の理事長・都直人氏。同法人の運営する老人ホームに入居していた。
- 114歳で右足の切断手術。116歳で左足の切断手術を受けた。116歳での外科手術はギネス記録。
田中カ子[編集]
- 日本人初の118歳、119歳到達者。
- 「死ぬ気がせん」の人。
- 40代の時にすい臓がんになったが完治。103歳の時に大腸がんになったがそれも治ったらしい。
- どんだけ生命力あんねんこの人……。
- 2022年4月10日、ついに故サラ・ナウスさんの記録を追い抜きついに歴代世界最高齢2位に。
- と思ったがその9日後老衰で死去。ご冥福をお祈りします。
- ちなみに名前の読みは「りきこ」ではなく「かね」である。自分も最初間違えて覚えていたが。
- カはカタカナ。
巽フサ[編集]
- 田中カ子さんの次の長寿日本一。
- 「ごはんまだでっかー!」
糸岡富子[編集]
- 2023年12月現在の長寿日本一。
- 登山が好きだった。
男性国内最高齢者[編集]
織田惣三郎[編集]
- 男性初の107歳。
- 長生きの家系だった。
- ちなみに福井県で次に107歳男性が出たのは48年後の2005年。
長谷川三之助[編集]
- 105歳没だけど戸籍届けが2年遅れたため、2歳年上の107歳没とする説がある。
- こうなると織田惣三郎さん、馬田鹿蔵さん、廿日出徳三郎さんに続いて107歳の男性が出た事になる。
松浦幾松[編集]
- 老人福祉法制定時点での男性最高齢者。
津江市作[編集]
- 木城村村長で新しき村の開発に協力した。
高田栄作[編集]
- 男性初の108歳。
吉川与三太郎[編集]
- 1867年生まれで1976年没。江戸時代生まれの男性最後の生き残りだった。
大野又一[編集]
- 男性初の109歳。
鶴英寿[編集]
- 男性で初めて110歳に達して、スーパーセンテナリアンとなった。
- 後に世界最高齢者になる中願寺雄吉さんと同じ福岡県小郡市在住だった。
原志免太郎[編集]
- お灸と関わりが深い医師だった。
- 奇しくも後に世界歴代最高齢者となる田中カ子さんと同じ福岡市東区在住だった。
田辺定義[編集]
- 114歳を超えて3年以上の長期在位だった(可能性がある)石崎伝蔵さんと中願寺雄吉さんに挟まれて影が薄い。
- 織田信長と豊臣秀吉の間の明智光秀のような物か。
- 一応、東京市職員、東京市政調査会常務理事、公明選挙連盟理事、明るい選挙推進協会顧問で、長寿以外の功績が大きいらしいが。
田鍋友時[編集]
- ↑の田辺定義さんと苗字の読みが同じ。
- 名字の読みが同じ他、114歳を超えた(可能性がある)男性の前後と言う共通点もある。
- 113歳時点のインタビューで何歳まで生きたいかという問いに対して無限と答える。
- 見た目がどう見ても110歳代には見えない。ぱっと見60代で通じそう。
百井盛[編集]
- 石崎伝蔵さんと同様に元校長先生。
- 福島県南相馬市出身で東日本大震災の時に108歳。故郷が被災した事を嘆いていただろう。
野中正造[編集]
- 20世紀生まれの日本人男性としては初の113歳達成者。
- 木村次郎右衛門さん没後としても初。
渡邉智哲[編集]
- 浦川原村議会議員だったらしい。もしかして地方議員では最長寿か。
上田幹蔵[編集]
- 半年で4回5人変わった後に男性長寿日本一になった。
- 112歳まで生きて男性長寿日本一に2年も在位したが、小出保太郎さんや吉田正光さんや百井盛さんの記録には及ばなかった。
薗部儀三郎[編集]
- 2023年現在の男性長寿日本一
- 事実上の最後の明治生まれの男性である。
- 2024年3月31日に112歳で死去。ご冥福をお祈りします。
- よって日本国内から明治生まれの男性が絶滅しました。
日本一になったけど、なった事が疑問視されている人[編集]
男性[編集]
中村重兵衛[編集]
- 1852年生まれ、1968年没。岩手県釜石市出身。
- 三陸沖地震で一家全滅。のちに再婚した。
- 釜石市に同人の銅像がある。
泉重千代[編集]
- 1865年生まれ、1985年没。ジャンヌ・カルマン以前は世界最高齢かつ120歳到達第一号とされていた。
- 徳之島出身。
- 本名は泉千代善で重千代は早世した養父の子供らしい……。
- 実際は1880年生まれだとしても一応没時点では鹿児島県最高齢、すごい元気なおじいちゃんであったことに変わりはない。
渡名喜元完[編集]
- 男性長寿日本一に岡儀平さん死去後の5年4ヶ月、海外に移住した方を考慮した場合、衛藤衛さん死去後の4年11ヶ月に亘って在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、男性長寿日本一になっておらず、男性長寿日本一になれなかった男性では当時最も長生きした人になったとされる、ある意味かなり可哀想な人。
- しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。
- しかもこの節に書かれている人のうちの半数が南西諸島在住者であり、南西諸島在住者は日本一になっても、なった事が疑われる方が多い傾向にある。
- しかも沖縄在住だったので、本土人(茨城在住者)の年上説のせいで日本一になっていないので、本土人によって迷惑がかかった沖縄人と言える。
女性[編集]
守分梅[編集]
- 1844年生まれで1956年頃に長寿日本一とされた。
- しかし実際は16歳年下の1860年生まれとされる。
小林やす[編集]
- 1846年生まれ、1964年没。山梨県大月市出身。
- 初婚50歳? うせやろ!?
- 手相鑑定関係の書籍で手相がめちゃくちゃイイと褒められてた。
- 「小林やそ」「小林やと」という表記もある。
森元いと[編集]
- 1873年生まれとされたが戸籍訂正が認められ、1853年生まれになった。
津川イネ[編集]
藤沢ミつ[編集]
- ↑の津川イネさんの次に長寿日本一になったとされていた人。
- 実際には妹のコサヨが幼児期に死亡したミつの戸籍を継いだため、1890年生まれで100歳に達していない可能性が高い。
- このため泉重千代さん、津川イネさん、藤沢ミつさんの年齢に疑いがある人が3人連続で長寿日本一になったとされていた事になる。
秋野やす[編集]
- 松永タセさんの次の男女を合わせた長寿日本一で3ヶ月近く在位したとされてきたが、上述する石崎伝蔵さんの2歳年上の1884年生まれ説により、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっておらず、女性長寿日本一になっても男女を合わせた長寿日本一になっていないとされる、ある意味珍しいかつ可哀想な人。
本郷かまと[編集]
- 1887年生まれ、2003年没。重千代翁と同じく徳之島出身。
- 実際は1888年以降生まれらしい、同じ年に姉が生まれていること、1890年生まれの弟が先に記載されていることなど戸籍が不自然。
- 調査した学者によると1909年に長女、1912年に長男が生まれ、1915年6歳下の男性と結婚したことになっているのは違和感が大きいと指摘。
- 徳之島は先述の重千代翁と一緒に長寿の島として売り出しているが二人とも年齢不詳という……。
- 生活習慣が独特で、2日起きっぱなし→2日ぶっ通し寝るという謎の生活リズム。
- 2000年頃に、日テレの『the世界仰天ニュース』という番組で取り上げられ、一気に全国的な人気者となる。
知念カマ[編集]
- 生前には氏名を非公表としていた。
- 氏名を非公表にして家族を明かさなかった事や南西諸島在住者である事が年齢に疑いがあるとみなされる事に。
田島ナビ[編集]
- 戸籍上で117歳到達第2号で19世紀生まれ最後の生き残りだったとされてきた。
- 晩年は車いすの上でほぼ寝たきり状態だったが、戸籍上で110歳ぐらいまでは矍鑠としていた。
- 戸籍上で116歳時点で長男も90代で生存。
- しかしこの人も年齢に疑いがある。 空襲で戸籍が焼失し、両親の戸籍を復元しようとしたら生年が1900年になっている物と1901年になっている物があり、復元当初は1901年生まれとされたが、1971年に1900年生まれに訂正が裁判で認められたためらしい。
- こうなって誕生日が同じなら、都千代さんが存命だったため長寿日本一になれず、長寿日本一になれなかった人では最も長生きした人になる。
長生きした有名人[編集]
男性[編集]
平櫛田中[編集]
- 国立劇場のロビーに展示されている「鏡獅子」の作者。
- 平櫛さんと田中さんのコンビではない。
- 田中が名前で、「でんちゅう」と読む。
- 田中家から平櫛家に養子に行ったことから付けられた号。本名は倬太郎。
- 小平市に美術館がある。
- 実はこの人が男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。
大西良慶[編集]
- 元清水寺の貫主。
- 日本で初めて五つ子が誕生した際にその名付けを担当した。
- 平櫛田中同様にが男性の長寿日本一だったこともあるのだが、当時は泉重千代の記録が認められていたため、生前は男性長寿日本一とみなされることはなかった。
東久邇宮稔彦[編集]
- 首相としての任期は最も短いが102歳まで生きて首相経験者の中では日本国内最長寿どころか世界最長寿となった。
- これは東伏見慈洽(東伏見宮邦英王)に抜かれるまで皇族最長寿(近代以降)だった。
- 首相退任後は闇市で店を開いたり新興宗教の教祖になったり波乱の一生を送った。
- 臣籍降下後の名前は「東久邇稔彦」。
- 旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。
- ブラジルに入植した一族もいる。
- 旧伏見宮系皇族の中では一番男系子孫が多く、万が一の場合皇籍復帰が検討されているらしい。
曻地三郎[編集]
- しいのみ学園の創設者。
- 106歳で世界を一周し、公共交通機関を使って世界一周をした最高齢者としてギネスに認定された。
下川原孝[編集]
- 100歳以上の記録を現在でも数多く保持している。
- マスターズ陸上選手。
- 東日本大震災で被災し死去。
日野原重明[編集]
- 聖路加国際病院院長。地下鉄サリン事件の際に被害者治療の陣頭指揮にあたった。
- ほかにも生活習慣病という言葉の生みの親の一人でもある。
福井福太郎[編集]
- 101歳まで現役のサラリーマンとして働いていたことで有名。
- 100歳を過ぎた頃から新聞・テレビ・雑誌などに取り上げられ反響を呼び、『100歳、ずっと必要とされる人』という本も出した。
- 宝くじ販売業者・東京宝商会の顧問。
- ちなみに東京宝商会は定年退職後の再就職先。
堀江正夫[編集]
- 元軍人で第二次世界大戦後は参議院議員を務めた。
- 妻は料理研究家の堀江泰子であり、娘や孫も料理研究家になっている。
- 娘と孫が正夫の長寿の秘訣について書いた本を出版したこともある。
中曽根康弘[編集]
- 首相としても三公社の民営化などの実績を残した。
- 首相経験者の中では東久邇宮稔彦王に次いで2位。
- 衆議院議員では金光邦三(104歳)・奥野誠亮(103歳)・柄沢とし子(102歳)に次ぐとみられる。
- 大正時代に生まれた首相経験者としては田中角栄に次いで2人目である。
- 首相を辞めてからも平成の元老ポジションとして君臨した。
- 1995年に福田赳夫が亡くなってからは三角大福中で唯一の生存者となった。
- 2004年に鈴木善幸が亡くなったことで、昭和時代に首相を務めた人物としては唯一の生存者となった。
- そして中曽根が亡くなったことにより、昭和の首相を務めた人物は全員鬼籍に入った。
女性[編集]
きんさんぎんさん (成田きん・蟹江ぎん)[編集]
- 双子の姉妹で、100歳を超えたあたりから注目されテレビ・CMに引っ張りだこになった。
- 妹のぎんさんの娘4人ものちにメディアに取り上げられている。
- 「きんちゃんとぎんちゃん」という歌で、歌手デビューしたことがある。
森シノ[編集]
- インターネット放送局・天草テレビのアナウンサー
- 世界最高齢の女子アナと呼ばれていた。
後藤はつの[編集]
- 73歳から99歳まで油絵を描き続ける。100歳を超えても百人一首など初めて111歳でもインタビューに応じていた。
吉行あぐり[編集]
- その名の通り、NHKの朝ドラ「あぐり」のモデルになった美容師。
- 「あぐり」放映当時(1997年)は90歳だったが、その後107歳まで生きた。
- ただし「あぐり」自体は本名ではない。(本名は同じ読みで「安久利」と表記する。)
- 私生活では最初の夫の吉行エイスケが34歳の若さで死んでしまったり、エイスケとの子供3人(作家の淳之介、女優の和子、作家の理恵)のうち2人(淳之介、理恵)に先立たれりするなどかなり辛い経験もしている。
その他の長寿者[編集]
男性[編集]
五十嵐清[編集]
- 111歳後半まで生きたが、上に田鍋友時さんと木村次郎右衛門さんの、後に113歳を超えた男性が2人存命していたため男性長寿日本一どころか2位すらなれず、上に複数の高齢の存命男性がいた男性では最も長生きした。
山下義一[編集]
- 中国地方の男性としては初の111歳・112歳到達者だが、1ヶ月だけ年上の渡邉智哲さんが存命だったため男性長寿日本一になれず、男性長寿日本一になれなかった男性では最も長生きした方になった。
- 110歳を超えてスーパーセンテナリアンになってもパソコンを使う位矍鑠としていた。
- 書籍も出しており、平成末期に太宰治より年上の人が書籍を出す事はロマンを感じる。
女性[編集]
中地シゲヨ[編集]
- 2021年1月に116歳まであと少しで死去。田中カ子さんが存命だったため、田島ナビさんの1歳年下の1901年生まれ説を考慮しない場合、長寿日本一になれなかった人で最も長生きした。
乙成ヨシ[編集]
- 2022年1月に115歳で死去。
- 当時田中カ子(当時119)がご存命だったため国内最高齢になれずに亡くなった人では最高齢だとみられる。
- 各都道府県の死亡時最高齢になれなかった人の中だと最高齢。国内最高齢になれなかった人だと中地シゲヨさんや1歳年下の1901年生まれ説を考慮した場合は田島ナビさんのほうが長生きしてる模様。
- 田中カ子さん4月に亡くなった際に国内最高齢者になったのは巽フサさんで1907年4月に生まれた。
- 乙成さんは1906年12月生まれだったのでちょっと惜しかった。