奥本章寛

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奥本 章寛(おくもと あきひろ、1988年2月13日 - )とは、平成22年3月、宮崎県宮崎市にて自分の妻と長男、義母3人を殺害した死刑囚である。

事件概要[編集]

2010年3月1日午前5時ごろ、奥本は宮崎市花ケ島町の自宅で、生後5カ月の長男・雄登ちゃんの首を両手で絞め、浴槽に沈めるなどして殺害。遺体を勤務していた会社の資材置き場に埋めた。

また、妻のくみ子さん(当時24歳)と義母の池上貴子さん(同50歳)の頭部をハンマーで殴るなどして殺害した。

殺意[編集]

宮崎市で母子ら3人が遺体で見つかった事件で、生後約6カ月の長男に対する死体遺棄容疑で逮捕され、3人の殺害も認めている会社員の奥本章寛容疑者(22)が「義母の気性が激しく、理不尽なことでよく怒られた。言われるがままで反抗できず苦しかった」と話していることが7日、弁護人への取材で分かった。

奥本容疑者は今月1日夜に「帰宅したら妻と義母が死んでいた」と110番した。接見での同容疑者の話によると、3人を殺害した時刻は同日未明で、弁護人には「殺害後に部屋を荒らした」と説明したという。

「直前には3人の殺害をためらった。大変なことをしてしまい、子供に一番申し訳なく思う」と後悔する様子を見せる一方、「家計が苦しかった上に、お金は妻が管理しており、自由になるお金がほとんどなかった」と不満があったことも漏らしているという。

裁判[編集]

1審宮崎地裁(2010年12月)[編集]

宮崎市で3月、生後5カ月だった長男と妻、義母の3人を殺害したとして、殺人罪などに問われた無職、奥本章寛被告(22)の裁判員裁判で、宮崎地裁(高原正良裁判長)は7日、求刑通り死刑を言い渡した。

裁判員裁判での死刑判決は3例目、殺害された人数は最も多い。奥本被告は起訴内容を認めており、量刑が主な争点だった。

判決理由で高原裁判長は「義母の叱責をきっかけに、自由で1人になりたいと考え、家族3人を殺害した自己中心的な犯行で、厳しく非難されるべきだ」と指摘。犯行の計画性も認めた上で「冷酷、残虐で、結果はあまりに重大だ」と述べた。

被告人質問
午前10時、弁護側による被告人質問が再開された。

義母の貴子さんから「あんたのことは自衛隊を辞めた時から気にくわん」「あんたの両親は何もしてくれん」などと非難され、被告は「本当は家に早く帰りたいのに、家に居場所がなくて帰れなかった」などと帰宅が遅くなっていった経緯について語った。

2010年2月23日、被告の故郷で雄登ちゃんの初節句をすることを巡って、貴子さんと口論。その際、貴子さんから頭をたたかれ、被告の出身地を差別的な言葉で中傷されたことや「離婚したければ離婚しろ。慰謝料をがっつり取ってやる」などと言われたとも語った。

2日後の25日。「もう限界だと思った。何とかこの生活から抜け出したいと考えた。義母を殺害するしかないと思った」と殺害を決意した時期について明らかにした。くみ子さんと雄登ちゃんについては「義母を殺害したらくみ子がいるので、私が捕まってしまう。雄登は赤ちゃんなので、お母さんと一緒がいいと思った」などと3人殺害の動機についても語った。

犯行当日については涙声で次のように説明した。

「(首を絞めた)雄登を浴槽に沈め、扉を閉めました。中からバシャバシャという音が聞こえた時、雄登の苦しんでいる姿が思い浮かびました。でも、こうするしかないと思いました」

3人の遺体については、会社の資材置き場に重機で穴を掘って埋める計画だったが、「操縦技術がないので掘れなかった。雄登だけを埋めて、2人は強盗殺人に見せかけようと思った」などと説明。

事件については「後悔しております」。「夢であってほしいか?」と聞かれ、「毎日……、毎日思っています」と涙した。雄登ちゃんについては「(自分と似ているのは)唇だと思っていた。あやすと笑った顔が一番頭に残っている。ごめんねということしか思いつきません」とおえつした。

妻と義母や、親族らにも謝罪の言葉を述べ、「私はどのような刑でも……、どのような刑でも受け入れる覚悟です」と語った。

生後5カ月の長男ら殺害、死刑確定へ(2014年10月)[編集]

宮崎市で平成22年3月、生後5カ月の長男と妻=当時(24)、義母=同(50)=の家族3人を殺害したとして殺人罪などに問われた無職、奥本章寛被告(26)の上告審判決で、最高裁第1小法廷(山浦善樹裁判長)は16日、被告の上告を棄却した。

死刑が確定する。裁判員の死刑判断を最高裁が支持したのは2例目。

同小法廷は「説教や叱責を繰り返す義母との同居生活から逃れたいと思い悩んだ末に家族3人の殺害を決意した」と指摘。「あまりに短絡的で身勝手。相当に計画的な犯行で、結果は誠に重大」とし、死刑とした1、2審判決を支持した。

上告審では、1審宮崎地裁の裁判員裁判で極刑を求める意見を述べた遺族が「1審に差し戻し、もう一度深く審理してほしい」とする上申書を提出したが、判例上、上告審で新たな証拠採用はできないとされている。