大塩八幡宮

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大塩八幡宮(おおしおはちまんぐう,Oshio Hachiman Shrine)は福井県越前市に鎮座する891年に創建された神社である。

概要[編集]

社伝によれば、中納言紀友仲が越前国国府の南泉島へ流罪され、無実の罪を嘆いていた。宇多天皇の御代、889年(寛平元年)3月勅許により京都へ戻ることができた。これを喜び、神勅を戴いて社殿を造営し、891年(寛平3年)8月20日、石清水八幡宮の神霊を勧請して創建した。勅使を派遣され清原元政を神主職とし、その後姓を瓜生と改めた。末裔は現在に至る。王子保の地一帯を神領とした事から「大塩保八幡宮」と言われた。1183年(寿永2年)、倶利伽羅峠の戦いで勝利した木曽義仲はその後も勝利を重ね、北国街道を西上し大塩八幡宮の境内に本陣を構え戦勝祈願したと伝えられる。鎌倉幕府より田地の寄附があった。足利・朝倉家等の国主も尊崇し田畑山林の寄附や社殿の造営修復があった。慶長年間の太閤検地の際に悉く没収され神社は衰微した。1603年(慶長8年)松平秀康が入国した際社領三十石を寄附し、松平忠直は二十石を加増した。

明治以降[編集]

明治4年10月郷社に、七年六月県社に列した。明治43年10月13日、王子保区内の十二社(大神下前神社、宇佐神社、愛宕神社、若宮神社、日野神社、日吉神社、小白山神社、癒瘡神社、天神社、住吉神社、若宮神社、稲荷神社)を合祀した。1971年(昭和46年)8月28日、八幡神社の社名に復した。昭和56年の修復で創建当時の入母屋造、こけら葺き、四方吹放ちとなった。 参道入口に朱の鳥居が立ち、参道の先に丘の前に朱の鳥居がある。境内に入り、参道階段を登ると、次の鳥居があり、神門がある。

拝殿[編集]

現大塩八幡宮拝殿は室町時代末期に建てられたと推定される長床式の建物である。木造平屋建て、入母屋、こけら葺、平入、桁行7間(15.76m)、梁間4間(8.88)、5間×2間の身舎に1間の庇、外壁は柱のみの吹き放し、組物など当時の様式を伝える。1978年(昭和53年)に国指定重要文化財に指定された。

アクセス情報[編集]

公式ページ[編集]

大塩八幡宮