乾布摩擦

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乾布摩擦(かんぷまさつ 英:《have》a rubdown with a dry towel或いは単にKanpu masatsu)とは、肌を乾いたタオルなどで直接こする代替医療・民間の健康法の一つ。自律神経鍛錬、体力向上、風邪予防、免疫力を上げる、などとメリットを謳っているが健康に良いという科学的エビデンスはなく、事情によってはかえって皮膚炎を起こすともいわれている。 「寒風摩擦(かんぷうまさつ)」と誤記されることもある[1][2]

概要[編集]

基本的な格好は上半身裸でする事が多い。 末梢からの皮膚への刺激が延髄を介し、迷走神経に影響を及ぼし、自律神経の働きを高めると謳う民間療法。気管支喘息発作予防や皮膚鍛練法として有用であることが知られている[3]。その作用機序には、鍼灸治療の効果の一因とされる、軸索反射や体性-内臓反射が関わっているという説が広く唱えられている。 特別な器具を用いないため手軽で、広く民間療法として知られ、日本や北欧などで行われている。アーユルヴェーダのガルシャナ(サンスクリット語で「摩擦」)が起源との説もあり、それによれば絹製品を用いると特に効果が高いと謳っている。 日本では風邪の予防法として、小学校・中学校・幼稚園・保育園・老人福祉施設などで行われることもある。そのため、冬との関連を連想して「寒風摩擦(かんぷうまさつ)」と誤記されやすい。

長所と短所[編集]

長所[編集]

乾布摩擦には上述したように自律神経の働きを高めて血流を上昇させる効果がある。血液が上昇すると、必要な酸素と栄養が体全体に供給される他、必要のない老廃物や毒素も血液が全身をまわって回収し体の外に排出することができる。その結果、免疫力の向上・冷え性の緩和・新陳代謝の改善・喘息予防・体臭改善・美肌効果・むくみ改善・便秘解消・肩こり緩和・しもやけ予防など多くの効果が確認されている。

短所[編集]

ただし乾布摩擦には、角層や皮膚組織を傷つけ、むしろ皮膚炎を起こすという説もある。皮膚にかゆみがある場合、乾布摩擦はかゆみを増悪させる[4]。特に乾皮症や皮膚掻痒症など皮膚疾患を持っている場合は厳禁である[5]。アトピー性皮膚炎がある場合も、乾布摩擦を行なってはいけない[6]。摩擦刺激による効果的な作用の出方は,摩擦の程度,部位(重要な血管,神経がある頸部など),虚弱な子ども・高齢者,脳血管疾患・心臓疾患などの罹病者,さらに治療中の服用薬によって変わってくるので,医師,リハビリ専門家の指導,処方のもとで行われることが望ましい。

適切な乾布摩擦の方法[編集]

乾布摩擦といえば上半身裸で行うものという印象があるが、服の上からでも十分な効果がある。血液を心臓に押し返すような感覚で行うことが大切だとされる。乾いたタオルや手ぬぐいを用意し、手足の先端から、体の中心に向かってこする。こする程度は、心地よさを感じる強さで良い[7]

<乾布摩擦の手順> 次の順番で、それぞれ10〜15回こする。

  1. 「足の先」から「ひざ」に向けてこする
  2. 「手の先」から「ひじ」に向けてこする
  3. 「ひざ」から「足の付け根」に向けてこする
  4. 「ひじ」から「肩」に向けてこする
  5. 「お腹」から「胸」に向けてこする
  6. 「背中」を斜めにこする

歴史[編集]

戦時中[編集]

日本では太平洋戦争前(1940年頃)に園や小学校に導入されたのが始まりとされる。当時は男女関係なく上半身裸で乾布摩擦する光景は決して珍しくなかった。1938年5月、実際に大阪府立市岡女子高校の学生は「公民」の授業中に「乾布摩擦」を練習している[8]。また、1940年代の東京府立氷川国民学校(戦後は港区立氷川小学校、現在は統廃合されて赤坂小学校)では、夏休み中も毎朝9時に登校し、女子生徒が並んで乾布摩擦を行っている。さらに、1944年の喜連川国民学校では異性別々ではなく男女混合で行っていたことが分かっている。しかし、戦時中は乾布摩擦に限らず「体力づくり」と称して裸で授業や行進をさせることもあり、生徒は実質的に体罰と等しい扱いを受けていた。特にそれを象徴的に表しているのが以下の引用文である。

精神と体力を鍛えるため、授業中も裸で通す試みが行われた。姿勢や歩き方など、こまごました所作までが規則づくめになり、学校も軍隊と変わらない絶対服従の世界になった。

新潟県市之瀬国民学校。1941年5月[9]

同じようにして、1941年大阪市内の国民学校では、女子児童らが体力づくりのためと上半身裸で運動場を行進させられている。この状況は少なくとも終戦まで続いたと思われる[10][11][12]

戦後[編集]

終戦後も乾布摩擦は民間療法として衰えを見せず、1960年頃にはカラー写真が流入し、乾布摩擦を撮影した写真もモノクロ写真が少なくなっていった。しかし、この頃から意図的に校外から女子生徒の乳房を撮影する者も現れ始める。事実、大衆向けの少女ヌードとして「ツボミから果実へ」「小さなふくらみ」「小さなふくらみ第二集」の3冊の写真集が出版されていた。「ツボミから果実へ」は1989年1月にさーくる社から出版された写真集で、当時の価格は2000円であった(撮影者不明)[13]。一方で同じくさーくる社から出版された「小さなふくらみ」「小さなふくらみ第二集」は出版年・価格などは不明である。「ちいさなふくらみ」の中で背景に写っている佐賀県佐賀市の芙蓉中学校 (ふようちゅうがっこう、通称F中学校)の一部の建物は昭和63年5月に建てられた。隣の芙蓉小学校の校庭で行っていた有名な乾布摩擦の写真はその後に撮られたので、少なくとも1988年以降(平成元年)に撮影されたという見方が強い[14]。ただし、一部の記事では乾布摩擦が中学校で行われていたという記述もある[15]。1980年代には全国区規模の健康法としてピーク的に広まったが、不審者出没に不安を持つ保護者や時流で体罰や虐待と取られかねない事に加え、裸になる児童個々の心や健康を鑑みて主体性を伸ばす時間に充てる風潮へと時代が代わり、一部自治体では徐々に廃れていった。例として丹波新聞が情報収集したところ、丹波篠山市では1989年(平成元年)に乾布摩擦をしていたという最後の記録が残るが、このころを境に姿を消していったとされる。

現在[編集]

2020年(令和2年)時点では一部の保育園や幼稚園で乾布摩擦を行っている。なお、2019年11月に早朝から乾布摩擦や腕立て伏せをする防衛大学校を河野防衛大臣が2日連続で視察する動画がYoutubeに上がっている[16]

脚注[編集]

  1. Wikipedia「乾布摩擦」
  2. 「乾布摩擦」やったことある? 兵庫・丹波では学校園での実施ゼロ 教諭ら「全員裸ありえない」 丹波新聞 2020年2月8日
  3. 宮城ヒデ子; 友利千賀子; 河野伸造 「皮膚表面温度からみた乾布摩擦の検討」 『Biomedical Thermology』 19巻3号、110-115頁、1999年。
  4. 敷地孝法; 原田勝博; 広瀬憲志; 荒瀬誠治 「老人性乾皮症,皮膚そう痒症,皮脂欠乏性湿疹」 『四国医学雑誌』 57巻3号 徳島医学会、63-65頁、2001年6月25日。
  5. 敷地孝法 「乾皮症,皮膚掻痒症」 『四国医学雑誌』 57巻1号 徳島医学会、13頁、2001年2月25日。
  6. 眞弓光文編 「さあ、みんなでやってみよう!~ぜん息に負けないからだづくり」 『子どものぜん息&アレルギーシリーズ』 7号 独立行政法人 環境再生保全機構、2002年3月。
  7. 免疫力がアップする?「乾布摩擦」の効果!!
  8. [japanese.china.org.cn/life/txt/2011-06/29/content_22884048_2.htm japanese.china.org.cn 第二次世界戦争中 日本人学生の精神鍛錬]
  9. [zu6rbpgl.blog.fc2.com/blog-entry-120.html FC2ほぼほぼ日刊適当まとめちゃん冬の陣] 女子着替え中の教室で騒ぎ、駆けつけた教諭が…「これは僕の」「メモリーカードが入っていない
  10. [ titibu.sakura.ne.jp/nagura/senjihin_kimi.html 田向の田島キミさんに聞き取りした話]
  11. [ www1.kcn.ne.jp/~yossan/Tulips/010103/0101030209.htm 保健体育研究室 藤猪省太(ふじいしょうぞう)]体力づくりのためと上半身裸で運動場を行進させられている女子児童
  12. [ https://ameblo.jp/wredpowerppp/entry-12057111850.html 村井あけみの奮戦記] 戦時中、女子も上半身裸で体を鍛えるための乾布摩擦。西小学校 4年生女子
  13. [argonorakuza.thyme.jp/booklist_03.html アルゴノラクザ] 少女ヌード写真集の歴史/1986~1990年
  14. [v72b.blog.fc2.com/blog-entry-14.html 小ぶろぐFC2]乾布摩擦のF小学校
  15. [rio2016.5ch.net/test/read.cgi/sepia/1188386724/l50?v=pc  5ちゃんねる掲示板]裸で乾布摩擦
  16. Youtube 河野防衛大臣が乾布摩擦など視察「日々研鑽を」(19/11/13)