中村 敬宇(なかむら けいう、1832年 - 1891年)
天保3年(1832)、江戸幕府の同心の家に生まれる[1]。本名・正直(まさなお)[1]。
昌平坂学問所で学んだ後、幕府の儒官に任用される[1]。
維新前夜、幕府派遣のイギリス留学生の監督として渡英[1]。
この頃、英学に傾倒し、『西国立志編』や『自由之理』を翻訳・刊行[1]。
明治6年(1873)、家塾・同人社を開設[1]。
後年、東京帝国大学教授、貴族院議員を務める[1]。
1891年(明治24)没[1]。