ブリティッシュ・アメリカン・タバコ
ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(British American Tobacco Plc、LSE:BATS)は、イギリスのロンドンに本社を置く、世界第2位のタバコ製造販売企業。略称BAT又はBA。代表的な銘柄にラッキーストライクなどがある。
主要業務[編集]
ブリティッシュ・アメリカン・タバコが所有するブランドとして国際展開しているものは、ダンヒル、ケント、ラッキーストライク、ポールモール、ヴォーグ、ロスマンズ、ウィンフィールド、ステートエクスプレス555、クール、バイスロイなどがある。但し販売している各国でブリティッシュ・アメリカン・タバコが商標権、販売権を持っているわけではない。
世界展開[編集]
ブリティッシュ・アメリカン・タバコが製造または販売するローカルブランドは下記のものがある。
- ベンソン&ヘッジズ(バングラデシュ)
- ベルモント(コロンビア、チリ、ベネズエラ)
- ジョッキークラブ(アルゼンチン)
- ストラッドブローク(オーストラリア)
- ハリウッド(ブラジル)
- デュモリエ(カナダ)
- プリンス(デンマーク)
- ノースステート(フィンランド)
- HB(ドイツ)
- ソピアネー(ハンガリー)
- ウィリス(インド)
- アルダス(インドネシア)
- キャロルズ、キャロルズキング、グランドパレード、ブラックエレン(ドイツ)
- スウィートアフトン、メジャー(アイルランド)
- ブーツ、アラン(メキシコ)
- ゴールドリーフ(バングラデシュ、パキスタン)
- ヤンIIIソビエスキ(ポーランド)
- ヤヴァゴールド(ロシア)
- コートレイ(南アフリカ)
- パリジェンヌ(スイス)
- マルテペ(トルコ)
- ション(ウズベキスタン)
- マルボロ(バングラデシュ)
- クレーブンA(ベトナム、ジャマイカ)
- BATスナス、ホリデイ、フリーダム、パークドライブ(ニュージーランド)
- ロイヤルズ(イギリス)
- エンバシー(ケニア)
- バイスロイ、ニューポート、ラッキーストライク(ドミニカ共和国)
- デルタ(エルサルバドル)
日本[編集]
日本では、ケントが最主力銘柄である。日本法人はブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン合同会社。
日本販売製品[編集]
- 紙巻
ブランド名 | 現行銘柄数 | 廃止銘柄数 | 備考 |
---|---|---|---|
ケント | 18銘柄 | あり | 主力ブランド |
ラッキーストライク | 7銘柄 | あり | |
クール | 11銘柄 | あり | メンソールブランド |
カプリ | 4銘柄 | なし | |
ポールモール | 3銘柄 | あり | |
JPS | 2銘柄 | あり | |
カールトン | 2銘柄 | あり | |
ダンヒル | 3銘柄 | あり | |
ヴォーグ | 4銘柄 | あり | 細巻たばこ |
ロスマンズ | 1銘柄 | あり |
- 葉巻
- キャプテン・ブラック
- スウィング
- オートイ
- サンライズ
- キュベロ
- パイプ
- 現在無し
- 販売終了
- キャプテンブラック銘柄全品(2006年)
モータースポーツとの関わり[編集]
日本に輸入されていない銘柄としてState Express 555(ファイブ・ファイブ・ファイブ)があり、かつてこの銘柄は自動車メーカーSUBARUのWRCワークスイメージとして555ロゴがデザインされ、よく知られていたが、F1でのスポンサードに注力する為に、WRCからは撤退することとなった(ただし2002年に再度スバルのスポンサーとして復帰している。2005年をもって撤退)。
F1では、古くは1970年代から80年代にかけてチーム・ロータスのスポンサーを務め、黒地に金字のジョン・プレイヤー・スペシャル塗装のマシンが活躍していた。
F1チームブリティッシュ・アメリカン・レーシング(後のB・A・R)の筆頭株主として創設に名を連ね、1999年から同チームメインスポンサーとしてF1に参加。
2000年以降、BAR・ホンダでは主にラッキーストライクブランドを宣伝しているが、スポンサーロゴには555も含まれており、2004年のF1中国GPでは、中国市場でのブランドの知名度を考慮し、アンソニー・デビッドソンの乗るサードカーのカラーリング及び、ドライバーとチームスタッフのユニフォームが、通常のラッキーストライクから555イメージのブルーに変更されているほか、2台のレースカーもラッキーストライクロゴが555ロゴに置き換えられている。ただし、カラーリングは従来と同じであった。2005年と2006年の中国GPでは、2台のレースカーも555イメージのブルーのカラーリングとなった。
B・A・Rが1999年にF1参戦開始するにあたり、アメリカのIRLなどの様に、2台のカラーリングをラッキーストライクと555に分けて両ブランドを同時に露出させる戦略を狙ったが、F1のレギュレーション上同一チームは単一のカラーリングでなければならなかったことを指摘された為、苦肉の策としてマシンの中央から左右に分断(中央部にはファスナーが描かれていた)し、それぞれ左右で独立したラッキーストライクと555のカラー&デザインを施した。このカラーリングは妥協の産物に過ぎなかったこともあり、きわめて不評で、翌2000年にはラッキーストライクをイメージしたカラーリングに変更された。
2005年をもって、チーム株式を全てホンダに売却しチーム運営からは手を引き、その後はホンダF1チームのメインスポンサーとしてチームをサポートしたが、EU内でのタバコ広告規制に伴い2006年をもってスポンサー活動を終了した。