ネックレス
ネックレス (necklace) は、小さめのビーズが多数連なるよう繋げて作った装飾品。首飾り(くびかざり)の一種。大き目のペンダントトップビーズ(ペンダントトップ)が胸元の位置に配されるよう紐で結んだ装飾品はペンダントといい区別される。ただし、ペンダントトップとネックレスを組み合わせたものもありペンダント・ネックレスという。特にひも状で留め金がないものをラリエットと呼ぶ。
ネックレスには1本の紐に通した一連のものと何連にも組み合わせたものがあり、後者には胸元から肩先まで覆う広襟形のものもある。
首に着ける装身具で高級品やブランド物もある。ビーズには真珠や金属、天然石などの色々な素材がある。また、首飾りだけではなく、肩凝り解消用や開運用のネックレスもある。
種類[編集]
ネックレスには多様な種類があり、高価なものも多い。素材は真珠がよく知られている。一つ一つ糸でつながっていることや、白銀の輝きがあるのが特徴。真珠のネックレスは、主に冠婚葬祭で利用される。正式には、白真珠(白蝶貝・アコヤ貝)は婚礼、黒真珠(黒蝶貝)は葬儀に使う(本来、黒真珠を身につけるのは略装)。現在は、真珠の生産量が減りはじめ、淡水真珠のネックレスが増えている(透明感のある奇麗な輝きが特徴)。
ただし、真珠は硬度が 3 度ほどのものが多く、傷がつきやすいため、保存には注意を要する。また汗にも弱く、光沢を失う原因になる。真珠をつないでいる糸も弱いため、真珠が外れることもある。
真珠のネックレスは長さによって名称が異なる。
- チョーカー (35 cm) 一番多く利用される
- プリンセス (40 cm ~ 45 cm) ネックレスの基準サイズ
- マチネー (53 cm)
- オペラ (71 cm)
- ロープ (105 cm ~ 107 cm)
- ロングロープ (142 cm)
金属製のネックレスは、形も様々で、鼻ピアスやイヤリングとともにお洒落として使われる。だが、最近では金属アレルギーが問題視されている(ニッケルなどの溶出により、皮膚のかゆみやかぶれなどが数年続く)。そのため、金属アレルギーを起こしにくく皮膚に優しいチタン製のネックレスが販売されている。
肩凝り解消グッズとして、ゲルマニウムネックレスや磁気ネックレスなどといった健康商品がある。これはある芸能人がゲルマニウム、および磁気の各種ネックレスの効果をテレビで絶賛したことから、ブームになったとされる。ただし、喧伝されている効能の中に医学的には証明されたものはない(ゲルマニウム、および磁気治療器の項を参照)。
天然石で製造されたネックレスの中には、開運目的で販売されるものもある。
ペンダント・ネックレス[編集]
ペンダントトップとネックレスを組み合わせたものもありペンダント・ネックレスという。
ペンダント・ネックレスのペンダントトップには十字架やハート形、花柄などがある。
ドイツでは、ツヴィシェンゴールドパーレンと呼ばれる、十字架がついたネックレスが発見されており、1世紀から2世紀のものと推測されている。明確なことは知られていないが、キリスト教信者がキリストへの敬意を示すためにつけたものと思われている。若者たちが十字架ネックレスを絶賛しすぎていることから、キリスト教関係団体による非難もある。
一方、ハート形には、ハートの上にダイヤモンド数粒を詰めたものや、そのまま一個詰めたものも販売されている。コンパクトタイプのものがあり、小物入れとして利用できる。十字架のキリストとは対照的に、ハート形にはマリアが載っているものが多い。
2005年10月1日、青森でモナリザが刻まれたネックレスが公開された。約 36 カラットのダイヤモンドが使用されており、総額 5~6 億円である。
歴史[編集]
古代エジプト[編集]
古代エジプトでは先王朝時代(紀元前5500年頃)には自然石に穴を開けて紐でつないだ装飾品があったことが数多くの埋葬例からわかっている。当初は自然石をそのまま穿孔して使用していたが、次第に石を研磨して成形するようになった。さらに王朝時代成立前の紀元前4500年頃にはファイアンスと呼ばれる石英粉で様々な形のビーズを作るられるようになった。ネックレスの素材は王朝時代が終わるまでほとんど変化せず、石製、歯骨角製、金属製、ファイアンス製、ガラス製であった。
日本[編集]
弥生期から律令期にかけては、ガラス製の勾玉や管玉など様々な材質が用いられた。平安時代以降の日本ではネックレスやイヤリングといった文化は廃れたが(後述論文)、アイヌ文化では「タマサイ」と呼んで作られ続けた。タマサイは18世紀以前ではサハリン経由でもたらされた大陸産のガラス玉が主体であったが、19世紀以降は江戸や大阪でアイヌ向けに生産されたガラス玉にとって代わられる。理由としてはロシアとの緊張関係の高まりによって北海道に目が向けられるようになったためとされる(後述論文)。また太刀文化の違いから太刀に装着されていた足金物の部品が不要であったため、これをタマサイの飾りに転用したり、日本の銭や鏡の他、南北戦争時のアメリカ陸軍の軍服用の金ボタンなども服飾品として用いられた(日本考古学協会 『日本考古学 第43号 2017年5月』「関根達人著『モノから見たアイヌ文化史』瀬川拓郎」)。