デッサン
この項目では、目に見えるものを鉛筆や木炭で描いたものについて説明しています。1997年に日本テレビ系列で放送されたテレビドラマについては「デッサン (テレビドラマ)」をご覧ください。 |
デッサン(仏:Dessin)とは、物や人・現象など、目に見えるものを鉛筆や木炭などを使って、紙などに描く素描である。
描画する要素として、対象に見える明暗と陰影・色彩の差異を手がかりに、対象物の形状・質感・色味・透明感などを、そのまま紙上に再構成する。 例として、レンガひとつを描くにしても、角の微妙に削れた部分・表面の細かい凹凸・細かい色彩の変化・陰影などを緻密に観察し紙上に写す。
一昔前までは、デッサンは単なる訓練法であるため、芸術性のある絵画や商用であるイラストとは目的が違うという風潮が強かったが、現在ではデッサンに芸術作品としての価値を認める者も多い。
木炭デッサン[編集]
木炭デッサンとは木炭(柳や楡などを燃焼させて硬質に炭化させたもの)と、木炭紙という非常にザラついた紙を使用するデッサンである。
デッサン用木炭は、木材の種類や産地・仕上げの状態で品質の差(色・太さ・堅さ・密度)が出やすい。そのため、求める質感や色味を出すために、数種類の木炭を使う場合もある。
デッサン用木炭には木材の芯がそのまま残っているものがあり、スポンジ状の芯が描画の際に邪魔になることがある。この芯を予め取り除くことを芯抜きと云う。
木炭で描写していくわけだが、木炭は紙に定着しづらいので、指や手の平で押さえる、叩く、ガーゼで押し付けるなどして定着させながら描きすすめていく。また、油分の少ない食パンを使用して、軽く木炭を取り除くこともするが、油分が紙に写るので強く擦ることはしない。また、練りゴムや消しゴムは基本的に使用しない。木炭紙のザラザラは繊細なもので、消しゴムを使うとすぐに痛んでしまう。また、白くまっさらにすると訓練にならない。
訓練時間が全て終了した場合、必ずフィキサチフで木炭を固定させる必要がある。
初心者が使う木炭としては、伊研のもの(200番、1600番、360番など)を使うことが多い。
鉛筆デッサン[編集]
鉛筆デッサンとは鉛筆を使用したデッサンである。
鉛筆の硬度の種類には、9H〜1H・H・F・HB・B・2B〜6B・EE・EBなどがあり、メーカーによって色味や描き味に若干の差がある。紙は、やはりザラついたデッサン用紙や画用紙を用いる。
デッサンの分類[編集]
これらの分類とは別に、描く対象によって静物デッサン、人物デッサン、石膏デッサンなどの分類がある。
デッサン力とは[編集]
優れたデッサンを模写することはデッサンとは呼ばない。 デッサンの要に、着眼点がある。着眼点をどれだけ表現上に保存できているかが、デッサン力の有無といっても過言ではない。 その着眼点とは、ムーヴマン(動勢)、マッス(量塊)、フォルム(形)、ボリュム(量感)であり、それらは、石膏像が石膏像、人物が人物、静物が静物たりうる認識理由として、対象に内在する。 技術は適所にある事で成立するが、この意識の問題は、理解と時間無しには成り立たない。その理解のうえでの技術、デッサンならば、多少稚拙、技術足らずでも、表現を近しめることが可能になる。重要なのは意識にあり、意識という技術にある。 また、限られた時間で行われるデッサンは、デッサンという行為に含まれる様々な要素をどう選択し、どのようにモチーフに似せて描くかという訓練になる。このプロセスはアート、デザインを問わずあらゆる表現行為に通じるという考えから、古くから芸術大学、美術大学の入学試験科目として行われている。
用語としてのデッサン[編集]
このようなことを踏まえて、実在のものを絵に表すときに求められる「絵としての写実性」を広い意味で「デッサン」と呼ぶ。 例えば通常の人体を描いた時に、右手と左手の長さが極端に違っているように見えるということは誤りであり、しばしば「デッサンが狂っている」などと言われる。 むろん、絵である以上デフォルメなどどのような表現もあり得る。描き手が思ったとおりの写実性を表すことが出来る能力がデッサン力である。