ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau, 1925年[1]5月28日[2] - 2012年[3]5月18日[4])は、ドイツのバリトン歌手、指揮者。[5]
古典学者のアルベルト・フィッシャーと学校教師の母親テオドラ・クリンゲルホッファーの息子[6]としてベルリン近郊ツェーレンドルフ[7]にアルベルト・ディートリヒ・フィッシャー(Albert Dietrich Fischer)として生まれる。父アルベルトは1934年に、母親がヨハン・ゼバスティアン・バッハの農民カンタータを書いた領主の子孫であることから、その先祖の家名を姓に加えた。[8]16歳の頃からゲオルク・アドルフ・ヴァルター[9][10][11]に声楽を学び、[12]1942年にはベルリン芸術大学に入学してヘルマン・ヴァイセンボルンに声楽を師事した。[13]1943には兵役に就いたが、1945年には従軍先のイタリアで捕虜となった。[8]1947年に復員後はヴァイセンボルンの許に戻って声楽を学び、[13]その年のうちにライプツィヒで歌曲リサイタルを開いた。[8]1948年[14]にはバーデンヴァイラーで急病のバリトン歌手の代わりに急遽ヨハネス・ブラームスのドイツ・レクイエムの演奏に参加して成功を収めた。[15]1949年にはヨーロッパ各地への演奏旅行に出て、1955年にはアメリカに遠征[16]している。[8]1951年[17]にはトーマス・ビーチャムが組織したディーリアス音楽祭に出演してフレデリック・ディーリアスの《人生のミサ》を歌ってイギリス・デビューを果たした。[18]1962年にはベンジャミン・ブリテンの戦争レクイエムのコヴェントリー大聖堂での初演に参加している。[19][20]オペラ歌手としては1948年にベルリン市立歌劇場でジュゼッペ・ヴェルディの《ドン・カルロ》のポーザ侯爵ロドリーゴ役を歌ってデビューを飾り、翌年に同歌劇場でリヒャルト・ヴァーグナーの《タンホイザー》の上演でヴォルフラム役を歌って高評を得た。[12]1952年にはリヒャルト・シュトラウスの《サロメ》のヨカナーン役でバイエルン国立歌劇場に登場し、[21]1954年にはバイロイト音楽祭に出演している。[22]1957年にはヴァーグナーの《タンホイザー》のヴォルフラム役でウィーン国立歌劇場、[23]1965年にはリヒャルト・シュトラウスの《アラベラ》のマンドリーカ役としてコヴェントガーデン王立歌劇場に[24]初登場。1961年にシュヴェツィンゲン音楽祭でハンス・ヴェルナー・ヘンツェの《若い恋人たちのエレジー》のミッテンホーファー役を歌い、1978年にはミュンヘンでアリベルト・ライマンの《リア王》の表題役を歌った。[25]この《リア王》の表題役を披露した年以降は、オペラへの出演を控えるようになった。[8]1992年にバイエルン国立歌劇場のガラ・コンサートを最後に歌手活動から引退。[26]指揮者としては、1973年に病に倒れたオットー・クレンペラーの代役を務めて以降、折に触れて指揮台に立っていた。[27]1960年から副業で絵を描き始め、1980年にはバンベルク美術館で展覧会が開かれた。[12]私生活では、四度結婚しており、1949年に恋人でチェロ奏者のイルムガルト・ポッペンと結婚して三子を儲けたが、1963年に三男マヌエルの出産後、肥立ちが悪く亡くなっている。1965年から1967年まで女優のルート・ロイヴェリク、1968年から1975年までアメリカ人の声楽教師の娘であるクリスティーナ・ピューゲル・シューレとそれぞれ再婚し、1977年に再婚したソプラノ歌手のユリア・ヴァラディと生涯添い遂げた。[8]
脚注[編集]
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- ↑ ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ - Discogs
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- ↑ 12.0 12.1 12.2 アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
- ↑ 13.0 13.1 アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
- ↑ 1月19日にベルリンで歌ったフランツ・シューベルトの《冬の旅》の録音が残っている。(アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ)
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- ↑ カーネギー・ホールでの初リサイタルは1964年。(アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ)
- ↑ この年のザルツブルク音楽祭でヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共演してグスタフ・マーラーの《さすらう若人の歌》を歌っている。(アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ)
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