シンカワン県
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シンカワン県(インドネシア語:Kabupaten Singkawang)は、日本海軍の占領行政の時代に西カリマンタン(旧蘭領ボルネオ西部)地方に設置された県[1]。分担地域の広さは約1,515,000km2[2]。
地勢[編集]
1943年6月頃、四国ほどの面積に人口60万人が暮らしていた[3]。うち華人が15-16万人を占めていた[3]。県都はシンカワン[3]。
物産[編集]
コプラ、ガンビル、ロタン、胡椒、ゴム、ダマール、木材などがシンカワン市を中心に取扱われていた[2]。
県事務所[編集]
シンカワン民政部の事務所は、市街地の西北端にあった市長の事務所をそのまま使用[2]。市長のアリウデンと華僑統制会の許可祥が民政に協力していた[2]。
のちポンチアナク民政部支部は州知事庁に変わり、シンカワン県監理官が設置され、土侯・部長制が実施された[2]。シンカワンは、シンカワン・ベンカヤン・サンバス・ムンパワの4分県に分割され、サンバスとムンパワのサルタンの下に約300人の王領職員、部長6人、副部長9人、村長591人、民政部所属職員500人で自治を分担した[2]。
終戦時に、県庁の職員数人が処刑された[4]。
警察署[編集]
- シンカワン警察署長:山田武夫警部[5]