旧中島飛行機東京製作所

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旧中島飛行機東京製作所(きゅうなかじまひこうきとうきょうせいさくしょ)は戦前に存在した中島飛行機株式会社のエンジン製作部門である。

概要[編集]

中島飛行機群馬県の太田製作所が発祥の地であったが、関東大震災により交通、通信が途絶して、太田工場の生産ラインがとまったことから、東京に進出した。1925年(大正14年)11月、敷地3,800坪、建物550坪、従業員80名の中島飛行機東京工場(東京府豊多摩郡井荻町)が稼働した。1930年(昭和5年)、国産第1号のエンジン「寿」を開発しエンジンメーカーとして確立した。1937年、東京工場を東京製作所に改称した。

戦後は、中島飛行機はGHQによって解体され、荻窪製作所(東京工場を改称)は富士精密工業(株)東京工場として再出発した。後にプリンス自動車工業(株)と合併し、さらに1966年(昭和41年)、日産自動車(株)と合併し日産自動車(株)荻窪工場となった。2011年(平成23年)3月、「区立桃井原っぱ公園」という防災公園に姿を変えた。