マイケル・ムーア

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マイケル・フランシス・ムーア

マイケル・フランシス・ムーアMichael Francis Moore, 1954年4月23日 - )は、アメリカ合衆国ジャーナリストドキュメンタリー映画 監督テレビプロデューサー、 テレビディレクター、政治活動家。

生い立ち[編集]

ディヴィソンはミシガン州フリントの郊外に位置する中流家庭の多い地域で生まれる。ゼネラルモーターズの生産拠点の一つであった。母は秘書、父と祖父は組み立て工、叔父は自動車工労働組合創立者の一人で、座り込みストライキで有名だった。

アイルランド系の家庭に生まれたムーアは14歳で教区の学校に入学し、続いてディヴィソン高校に入学する。同校を1972年に卒業、同年同校長と副校長の解雇を求めて教育委員会選挙に出馬し当選。任期終了までに校長と副校長は辞職した。

またボーイスカウトの最高位であるイーグル・スカウト(日本では富士スカウトにあたる)であった。イーグルとして自らのコミュニティーにおける、様々な危険や問題を指摘するフィルムを作成した。

社会派ジャーナリスト時代[編集]

ミシガン大学フリント校を中退し、22歳で隔週刊誌『The Flint Voice』(後に『The Michigan Voice』と改名)を刊行。廃刊になったが代わりに1986年マザー・ジョーンズ誌の編集者となりカリフォルニア州に転居する。5ヶ月後同誌において、サンディニスタの人権記録を穏和に批難した、ポール・バーマンによる記事の掲載を拒否したため、解雇されている。

映画監督時代[編集]

1989年に、生まれ故郷の自動車工場が閉鎖され失業者が増大したことを題材にしたドキュメンタリー映画『ロジャー&ミー』で映画監督としてデビューする。アポイントメントなしでゼネラルモーターズの企業経営者、ロジャー・B・スミス会長に突撃取材する手法が話題を呼んだ。

1994年に『ジョン・キャンディの大進撃』を監督。冷戦が終結して敵のいなくなったアメリカが、隣国のカナダを無理やり仮想敵国に仕立てるコメディ映画で、常に外敵を必要とするアメリカ政治を滑稽に笑い飛ばした。

1997年に監督したドキュメンタリー映画『ザ・ビッグ・ワン』では『ロジャー&ミー』と同様の取材方法で、アメリカ国内の工場を閉鎖して失業者を増やしながら、生産工場を国外に移して利益をあげる大企業の経営者たちを批判。

ジョージ・ウォーカー・ブッシュへの批判[編集]

2000年アメリカ合衆国大統領選挙では、アメリカ緑の党ラルフ・ネーダー候補を支援。しかし共和党ブッシュと、民主党ゴアの接戦が伝えられると、反共和党の立場から「絶対にブッシュを当選させてはならない」と、接戦州ではゴアに得票を集中させるよう訴えた。結果はブッシュの勝利に終わったが、民主党支持者の多いアフリカ系アメリカ人などの社会的少数者を投票から閉め出したり、無効の可能性の高い海外不在者投票(主に軍人で共和党支持者が多い)が有効扱いされるなど数々の不正があったと、ムーアは主張した。

またブッシュ優位ながら僅差のため再集計にもつれ込んだフロリダ州では、再集計でゴア逆転の目が出てきた情勢で、最高裁判所(共和党政権任命判事が多数)により再集計が差し止められ、これでブッシュの当選が決まった。こうした経緯からムーアはブッシュをアメリカ合衆国大統領と認めず、「Bush, Governor of Texas(ブッシュテキサス州知事、ブッシュの前職)」と呼び、大統領の座を盗んだ「泥棒の頭目」と強く批判した。

ホワイトハウス入場不可[編集]

一方1999年にはアメリカのロックバンド、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの曲「Sleep Now In The Fire」のPV撮影を、ニューヨーク証券取引所前にてゲリラ的に敢行。ニューヨーク市警察逮捕され、ホワイトハウスのブラックリスト入りのきっかけのひとつとなった(連行される様子は当該PVに収められている)。

2007年5月、彼がアメリカ政府当局の許可なしにキューバを訪問していたことが発覚し、財務省から捜査を受けている。事前にムーアは渡航許可を求める申請書は提出していたが、実際の許可は出されていないという。

その他[編集]

  • キャサリーン・グリン(1958年4月10日生まれ、フリント出身)と結婚しており、娘のナタリー(1981年生まれ)がいる。
  • 最近、"無脂肪"を謳っているもの以外は食べないというダイエット法で体重を20キロ落とした。

作品[編集]

監督作品[編集]

  • ロジャー&ミー』 - Roger & Me (1989年)
  • Pets or Meat: The Return to Flint (1992年) (テレビ番組)
  • TV Nation(1994年) (テレビ番組)
  • 『ジョン・キャンディの大進撃』 - Canadian Bacon (1995年)
  • ザ・ビッグ・ワン』 - The Big One (1997年)
  • And Justice for All (1998年)
  • 『マイケル・ムーアの恐るべき真実 アホでマヌケなアメリカ白人』- The Awful Tluth (1999年) (テレビ番組)
  • The Awful Truth-Episode #1.1 (1999年) (テレビ番組)
  • ボウリング・フォー・コロンバイン』 - Bowling for Columbine (2002年)
高校生2人が彼ら自身の在籍する学校で10数名を殺傷したコロンバイン高校銃乱射事件に題材をとり、銃社会アメリカとそれを生み出す恐怖の再生産について、ジャーナリスティックに考察したこの映画が世界的な大ヒットとなったことから、ドキュメンタリー映画家としての評価を確立。同作はカンヌ映画祭55周年特別賞や、2003年アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。
アカデミー賞授賞式ではブッシュを「架空の選挙で選ばれた架空の大統領」、ブッシュ政権の起こしたイラク戦争を「架空の理由で戦っている戦争」と断じた。さらに「恥を知れ、ブッシュよ。恥を知れ! お前は(開戦に反対した)ローマ教皇と(「大統領が自分たちと同じテキサス州出身であることが恥ずかしい」と述べた)ディクシー・チックスを敵に回した。お前の持ち時間は終わりだ」と批判する演説を打って賞賛とブーイングで会場を沸かせたが、終了を促す音楽で強引に打ち切られた。ちなみにムーアによれば、会場では賞賛が圧倒的であったのに、報道ではブーイングが強調されていたとのことである。
  • 華氏911』 - Fahrenheit 9/11 (2004年)
2004年アメリカ合衆国大統領選挙では、ブッシュの大統領再選を阻止する目的で公開。カンヌ映画祭での最高賞パルム・ドールを受賞し各国でヒットとなるものの、当初の目的は果たせず。アメリカのSF映画"華氏451度"の題名から引用している。(詳しくは映画華氏911タイトル欄を参照)
  • Sicko (2007年公開予定)
3年の時を経て、今度は米国の「医療問題」をテーマにした映画を制作。米国内医療業界の大手各社は既に、突撃取材に厳戒体制のようである。今年のカンヌ映画祭の特別招待作品に決定した。
  • The Great '04 Slacker Uprising (2007年公開予定)
  • Fahrenheit 9/11 1/2 (2008年公開予定)

出演作品[編集]

著書[編集]

  • 松田和也訳『アホでマヌケなアメリカ白人』(2002/10 柏書房 ISBN 476012277X) 原題"STUPID WHITE MEN"(直訳すると「アホな白人達」)
  • 黒原 敏行訳『おいブッシュ、世界を返せ!』(2003/11/29 アーティストハウス ISBN 9784048981514) 原題"Dude,Where is my country?" (「おい君、ボクの国はどこだい?」)
書籍名はダニー・レイナー監督の"Dude,where's my car?"(邦題は「ゾルタン★星人」)というSFコメディ映画の題名から取ったものである。
  • 松田 和也訳『アホの壁 in USA』(2004/3/11 柏書房 ISBN 9784760124916 ) 原題"Downsize This!" (「これを小型化しろ!」)
  • 黒原 敏行、戸根 由紀恵他訳『華氏911の真実』(2004/11/30 ポプラ社 ISBN 9784591083642)

  原題"THE OFFICIAL FAHRENHEIT 9/11 READER"(華氏911公式参考書)

  • 黒原 敏行、戸根 由紀恵他訳『マイケル・ムーアへ―戦場から届いた107通の手紙』(2004/11/19 ポプラ社 ISBN 9784591083635) 原題"Will They Ever Trust Us Again?"(彼らは再び僕達を信じてくれるのだろうか?)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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