大都技研

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株式会社大都技研
DAITO GIKEN, INC.
種類 株式会社
市場情報
略称 大都
本社所在地  105-0021
東京都港区東新橋2丁目14番1号 コモディオ汐留
電話番号
設立
業種 機械
事業内容 遊技機(パチンコ・パチスロ)の企画開発・設計・製造・販売、家庭用ゲームソフトの企画開発・販売、音楽CDの企画・販売、キャラクター商品の企画・販売
代表者 代表取締役社長 木原海俊こと李海俊[1]
資本金 8,400万円
売上高 785億円(平成18年3月)
総資産
従業員数 480名
決算期
主要株主
主要子会社 大都販売株式会社、株式会社大都製作所、株式会社ダイト、株式会社ダイトテクス、株式会社大都エンタープライズ、大王電子株式会社、大王興業株式会社
関係する人物
外部リンク www.daitogiken.com
特記事項:

大都技研(だいとぎけん)は、日本のパチスロ機のメーカー。旧社名はエーアイ

歴史[編集]

エーアイ時代[編集]

1980年(昭和55年)にエース電研として設立(現存するパチンコメーカーのエース電研とは別会社)。1982年に社名をエーアイに変更した。

エーアイはパチスロ機とパチスロ周辺機器(コインサンドなど)のメーカーであった。パチスロ第1弾は1号機の『ベルアルファ』(1986年)であるが、ファンにエーアイの名前が広く知られるようになったのは2号機以降である。

2号機の第1弾『ロックンロール』(1989年)はパチスロで初めてプラスチック製の筐体(色)を使用していた。内部仕様がユニバーサル販売(現:アルゼ)の『リバティーベルIII』と同じであったといわれている。第2弾の『サファリラリー』(1990年)では、『ロックンロール』の筐体ではなくオリンピアの筐体を採用し、リール絵柄にバッテリーレギュラーボーナス)や、ライトハンドルなどを採用し、ユニークであった。

3号機第1弾の『ハンター』(1991年)は、ゾウライオンワシなどのリール絵柄を採用した。しかし、公表のリーチ目が存在しないという通常では考えられない仕様(通常ゲームで常にランダムなスベリがある)であり、ノーマルでは人気が出ることはなかった。筐体もオリンピアのものから独自のものになった。この筐体は後にバークレスト(現:ロデオ)が採用している。第2弾の『グレートハンター』(1992年)は『ハンター』の進化版で、リール絵柄・配置・筐体などは同一。相違点は、レギュラーボーナスの獲得枚数が50枚程度と他の3号機(90枚)より少なく、その分ビッグボーナスの確率が上げられた仕様であった。

4号機第1弾の『ウイリーチャンプ』(1994年)ではオリンピアの筐体に戻った。A-Cタイプで、ビッグボーナス・レギュラーボーナスとシングルボーナスの集中の3つの役が入り乱れるゲーム性であった。その後『スパンキーII』(1995年)ではAタイプに戻り、エーアイ時代の最後の機種となる『ブルドックボス』(1996年)までAタイプの台を製造していた。

大都技研時代[編集]

1993年にエーアイはパチスロ周辺機器メーカーの大手である大都販売(だいとはんばい)の傘下に入る。しばらくはエーアイの社名のままパチスロを製造していたが、1997年にエーアイは大都技研と改称し、大都グループのパチスロメーカーとして再出発した。1年ほどの準備期間を経て1998年に大都技研としての1号機『キャメロットII』が発売された。筐体もオリンピアのものから独自のものとなり、大幅に変更された。

しばらくは独自の発想を持つ台を製造する玄人受けのメーカーであり、シェアもそれほど高くなかったが、2003年に発売された『吉宗』が約26万台を売り上げる大ヒットとなり、一時期は『北斗の拳』(サミー)とならんでホール内を席巻した。2005年に兄弟機とされる『押忍!番長』を発売し、これも約25万台(2006年3月現在)を売り上げる大ヒットとなって有名メーカーに仲間入りした。

有名メーカーとしては比較的後発であるが、『吉宗』以降の各機種のヒットを受け、プレイヤーには認知度も高い。これまでにリリースされたパチスロ機種は、他社に無いオリジナリティを有し、斬新なアイデアやそのシステムは他社が追随する形となった。現在リリースのペースは1年に約1回という比較的遅いものとなっているが、発表する機種が必ずといって良い程大ヒットし長い稼動寿命を持つことや、台の生産能力と受注台数との兼ね合いでそれ以上速いペースで新機種を発表すると生産が追いつかない可能性が高いことなどが原因であると推測される(実際『吉宗』の発売以前は平均して年5~6機種ほどを発売していたが、『吉宗』以降急に新機種の発表ペースが鈍化している)。

余談であるが、『シェイク』、『吉宗』、『押忍!番長』とその音楽の評価も高く、『吉宗』や『押忍!番長』はサウンドトラックが発売され、好調なセールスを記録している。その為、サウンドスタッフに対する評価も極めて高い。

主な機種とその特徴[編集]

エーアイ時代[編集]

2号機
3号機
4号機

大都技研時代[編集]

  • フュージョン1999年):業界初「獲得枚数変動BIG」。特定役当選時にしか揃わないBIG絵柄を揃えると、獲得枚数が大幅にアップ。
  • バンバン(1999年):業界初「ボーナスイン持ち越し」。JACインフラグを持ち越し可能にした。(詳しくは大量獲得機を参照)
  • ガンガン2001年):AT中の小役当選をリール制御で変化させた。
  • シェイク2002年):BIG中の特定条件下に当選するとRTが1Gに短縮。ボーナスはBIG。天国モードは圧巻。
  • 吉宗2003年):業界初「シャッター付き液晶」。出玉面では「シェイク」のシステムを大幅に進化。1G連の条件を数多くしたことで、従来にない爆発的な出玉が可能。
  • 押忍!番長2005年):「吉宗」のシステムと酷似しているが、A-400STとしたことにより、多くのボーナスの恩恵に預かる事が出来たため、好評を博した。
  • 秘宝伝2006年):4号機最後のリリース機種。スペック面では「押忍!番長」と「吉宗」の中間的な位置。筐体も2機種の流れを汲む形。
  • シェイクII(2007年):大都初の5号機(日電協加盟メーカーでは最後から3番目)。「シェイク」をモチーフとしている。

事業所[編集]

  • 本社部門(東京都港区東新橋2-14-1 コモディオ汐留)
  • 北日本営業所(宮城県仙台市若林区卸町2-2-1)
  • 中部営業所(愛知県名古屋市中村区畑江通2-17)
  • 関西営業所(大阪府大阪市中央区難波4-7-14)
  • 中国営業所(広島県広島市南区荒神町1-9)
  • 九州営業所(福岡県福岡市博多区博多駅南2-9-5)
  • 足立入谷工場(東京都足立区入谷8-10-25)
  • 東京物流センター(東京都足立区入谷9-17-6)

その他[編集]

エーアイ時代に『ランドマーク』という台が製造されていたが、大都技研として再出発を図ることになったため発売されなかった。『ランドマーク』はその後、高砂電器産業(現:アビリット)から1998年に『エルエム』という名前で限定発売された。

  • 漫画家小椋茂樹は「大都には天才ゲームデザイナーがいる」とたびたび漫画の中で指摘している。確かに「シェイク」以降の大都機はシステム、音楽、ビジュアルすべてにおいて、病的とまでいえる神がかった才能を感じさせるからだろう。

参考サイト[編集]