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'''亀井 靜香'''(かめい しずか、[[1936年]][[11月1日]] - )は、[[日本]]の[[警察庁|警察]][[官僚]]、[[政治家]]。[[階級 (公務員)|階級]]は[[警視正]]([[警察庁]]退官時)。[[衆議院|衆議院議員]](12期)。通常は[[新字体]]で亀井静香と表記。
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<nowiki>'''亀井 靜香'''(かめい しずか、[[1936年]][[11月1日]] - )は、[[日本]]の[[警察庁|警察]][[官僚]]、[[政治家]]。[[階級 (公務員)|階級]]は[[警視正]]([[警察庁]]退官時)。[[衆議院|衆議院議員]](12期)。通常は[[新字体]]で亀井静香と表記。
 
[[運輸大臣]]([[村山内閣|第69代]])、[[建設大臣]]([[第2次橋本内閣|第64代]])、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[政務調査会長]](第43代)、[[国民新党]][[党首|代表]](第2代)、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|内閣府特命担当大臣(金融担当)]]などを歴任。
 
[[運輸大臣]]([[村山内閣|第69代]])、[[建設大臣]]([[第2次橋本内閣|第64代]])、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[政務調査会長]](第43代)、[[国民新党]][[党首|代表]](第2代)、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|内閣府特命担当大臣(金融担当)]]などを歴任。
  

2020年1月8日 (水) 04:11時点における版

'''亀井 靜香'''(かめい しずか、[[1936年]][[11月1日]] - )は、[[日本]]の[[警察庁|警察]][[官僚]]、[[政治家]]。[[階級 (公務員)|階級]]は[[警視正]]([[警察庁]]退官時)。[[衆議院|衆議院議員]](12期)。通常は[[新字体]]で亀井静香と表記。 [[運輸大臣]]([[村山内閣|第69代]])、[[建設大臣]]([[第2次橋本内閣|第64代]])、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]][[政務調査会長]](第43代)、[[国民新党]][[党首|代表]](第2代)、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|内閣府特命担当大臣(金融担当)]]などを歴任。 == 概要 == [[東京大学経済学部]]を卒業後、[[サラリーマン]]を経て[[警察庁]]に入庁。[[警察庁長官官房]]調査官を最後に[[退官]]。退官時の階級は[[警視正]](特進を含まない階級)。退官後、[[衆議院|衆議院議員]]になり、長らく[[自由民主党]]に所属。[[運輸大臣]]、[[建設大臣]]、[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|自由民主党政務調査会長]]を歴任。 自民党内の[[派閥]]では[[清和政策研究会|清和会]]([[福田赳夫]]→[[安倍晋太郎]]→[[三塚博]]派)に所属していたが、[[平沼赳夫]]や[[中川昭一]]らとともに離脱し、亀井グループを旗揚げ。後に亀井グループと[[政策科学研究所 (派閥)|政策科学研究所]](旧渡辺派)を合併させ、新たに[[志帥会]](村上・亀井派)を結成、会長を務めた。 [[2001年自由民主党総裁選挙]]には[[中曽根康弘]]元[[内閣総理大臣|首相]]や志帥会の全員一致推薦で立候補を表明していたが、総裁候補の一人であった[[小泉純一郎]]が総裁選の応援を要請。小泉と政策協定を結び、亀井は本選を辞退した。その後は小泉の応援にまわり、小泉総裁誕生に貢献。しかし、政策協定は小泉によって反故にされている。 以降は[[郵政民営化]]を強力に推進する小泉と対立し、「抵抗勢力」の代表格とされた{{要出典|date=2013年12月}}。2005年に自民党を離党し、[[綿貫民輔]]元[[衆議院議長]]を党首に担ぎ[[国民新党]]を結成。自らは代表代行に就任。2009年の[[第45回衆議院議員総選挙]]で綿貫が落選して党首を辞任したことに伴い[[党首|代表]]に昇格。同年9月に発足した[[民社国連立政権]]の[[鳩山由紀夫内閣]]では[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|内閣府特命担当大臣(金融担当)]]に任命される。また、特命事項として郵政改革担当大臣も兼任し、[[中小企業者等に対する金融の円滑化を図るための臨時措置に関する法律|中小企業金融円滑化法]]の成立に尽力した。2010年6月に発足した[[菅内閣]]でも留任したが、[[菅直人]][[内閣総理大臣|首相]]が郵政改革法案の成立を今国会で成立させるという国民新党と[[民主党 (日本 1998-) |民主党]]との公約を破棄したため、組閣直後に大臣を辞任した(後任は[[自見庄三郎]]が就任)。 2011年6月、[[菅内閣 (第2次改造)]]の[[内閣総理大臣補佐官]](内閣の重要政策全般担当)に就任。政権内の重鎮として[[菅直人]][[内閣総理大臣|首相]]に政策提言を行ったが、首相の退陣に伴い約2ヵ月で退任。 2012年3月、[[消費税]]増税法案の取り扱いを巡り[[野田内閣]]と対立し、国民新党代表として民主党との連立政権離脱を表明。しかし、党内の連立維持派がこれを認めず、一方的に代表の解任を主張。これに対し、代表の解任は無効だと主張し、[[亀井亜紀子 (政治家)|亀井亜紀子]]と共に国民新党を離党し無所属として活動。 野田首相が2012年[[11月16日]]に[[2012年衆議院解散|衆議院を解散]]したのちの[[11月19日]]に、民主党を離党した[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]]と共に「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(略称:反TPP)」の結成を発表。 同年[[11月22日]]に、反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党が[[減税日本]]と合流し[[減税日本・反TPP・脱原発を実現する党]]を結成すると<ref name="yomiuri20121122">[http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2012/news1/20121122-OYT1T01225.htm 減税日本と山田・亀井氏、新党結成で合意] - 読売新聞 2012年11月22日</ref>、同党の幹事長に就任<ref name = msnsankeikametokawamuratoyamada>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121122/stt12112223100014-n1.htm 減税日本と亀井氏らが新党結成] ([[産経新聞|MSN産経ニュース]]2012年11月22日23:09配信(2012年11月23日閲覧)</ref>。 2012年[[11月28日]]、[[嘉田由紀子]][[滋賀県知事]]が結成した[[日本未来の党]]に[[減税日本・反TPP・脱原発を実現する党]]が合流して日本未来の党所属となるが、嘉田代表と[[小沢一郎]]の党内対立の影響で同年[[12月27日]]に離党。翌[[12月28日]]に[[みどりの風]]に参加。 2013年[[12月31日]]に、みどりの風が解散したため無所属となった。 == 来歴・人物 == === 生い立ち === 亀井素一・静枝夫妻の[[次男]]として[[広島県]][[比婆郡]][[山内北村]](現・[[庄原市]]川北町)に、姉二人兄一人の末っ子として生まれる。亀井は広島県内の私立進学校であった[[修道中学校・修道高等学校]]に入学。高校一年生の三学期、通学定期券の購入に必要だった通学証明書の発行が有料となることに反発し、抗議活動としてビラ配りを行う。間もなくして学校側から呼び出され、教師から「ビラ配りをやめないと学校をやめさせるぞ」と脅されたため、亀井は「今すぐやめますよ」と言って高校を自主退学した<ref name = asahidongameoitati>朝日新聞社「一冊の本」より-合気道、マルクスに勝つ [[朝日新聞]]編集委員早野透のインタビューより </ref>。 === 上京 === 修道高校を中退後、[[東京大学]][[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|法学部]]に進学していた兄の[[亀井郁夫]]を頼り上京。[[東京都立日比谷高等学校|都立日比谷高校]]及び[[東京都立九段高等学校|都立九段高校]]を受験したが不合格となり、[[東京都立大泉高等学校|都立大泉高校]]に編入し卒業。高校三年生のときは、成績が常に上位5番以内だった<ref name = asahidongameoitati/>。 [[1956年]]、[[東京大学]][[経済学部]]に入学。[[駒場寮]]で暮らし、昼夜を問わずアルバイトで生活費を稼ぐ日々を送る。家庭教師のアルバイトを1人週2回の割合で3か所こなしたこともあった。一時はアルバイトばかりに熱中して大学の授業にも顔を出さなくなっていたが、このままでは堕落してしまうと一念発起して[[養神館合気道]]を習い始める。合気道の道場で[[田中茂穂 (武道家)|田中茂穂]]に出会い、田中の保守的な思想の影響を大きく受けたという。なお、在学中は[[日本の学生運動|学生運動]]には参加しなかった。また、この頃、苦しむ民衆の救済に身を挺した[[大塩平八郎]]や[[西郷隆盛]]の文献を読み、傾倒した<ref name = asahidongameoitati/>。 大学内でも合気道に熱中し、これまで[[クラブ活動|サークル]]だった合気道クラブを、正式に[[体育会と文化会|運動部]]へ昇格させた。さらに学生の合気道仲間を集めて[[全日本学生合気道連盟]]を結成し、初代委員長に就任した<ref>[http://homepage2.nifty.com/aikido_renmei/history.html 全日本学生合気道連盟の歴史]全日本学生合気道連盟HPより、2012年11月23日閲覧</ref>。 在学中に、友人だった駒場自治会の委員長が[[アメリカ合衆国]]の[[核実験|水爆実験]]反対を訴えるストライキを指導したことが原因で退学処分となった。亀井はこれに憤り学校に抗議するため、駒場寮前にテントを張り、サークルの子分を引き連れて[[ハンガー・ストライキ]]を決行する。支援する学生からパンが投げ込まれたが、それには一切手をつけなかった。決行から1週間して[[ドクターストップ]]がかかったが、亀井のハンストが功を奏し、大学はその友人の退学処分を取り消した<ref name = asahidongameoitati/>。 [[1960年]]、東京大学[[経済学部]]を卒業し、別府化学工業(現・[[住友精化]])に入社。 しかし、報道で[[安保闘争]]を見て、デモ隊に対する警察の不甲斐なさに腹を立て、「俺が警察を強くしてやる」と一念発起して警察官になることを決意。 会社を退職して、[[公務員試験#国家公務員試験|国家公務員採用上級試験]]を試しに受けたところ、3番の成績で合格。警察官採用上級試験には5番の成績で合格した。成績優秀のため各官庁からオファーがきたが、亀井の本来の希望であった警察庁に入庁<ref name = asahidongameoitati/>。 === 警察庁 === [[1962年]]、[[警察庁]]に入庁。[[鳥取県警察]][[警察本部|本部]][[警務部]]長、[[埼玉県警察]]本部[[刑事部]]捜査第二課長などを歴任。 [[1971年]]、警察庁[[警備局]]公安第三課長補佐として[[極左]]事件に関する初代責任者となり、[[東峰十字路事件]]、[[あさま山荘事件]]、[[テルアビブ空港乱射事件]]などの陣頭指揮を執った{{要出典|date=2013年1月}}。 警察庁警備局公安第一課理事官<ref>[[青木理]]「日本の公安警察」([[講談社現代新書]])によると、[[公安警察]]の特殊部隊「サクラ」(現「[[チヨダ]]」)のキャップを務めていたとされる。</ref>、[[警察庁長官官房]]調査官を経て[[1977年]]に退官。 15年間警察官僚として働いたが、「いくら警察で頑張っても所詮、社会の“ゴミ掃除”だ。社会のゴミを出さないようにするには政治家になるしかない」として、政治家を志す。そして、350万円の退職金を元手に[[衆議院議員総選挙]]に立候補する決意を固める。広島県北部の有力代議士で、当時引退したばかりの[[永山忠則]]に懇願し、永山の後継指名を得て選挙に挑むことになった<ref name = asahidongameoitati/>。 === 自由民主党 === [[1979年]]10月、永山忠則の後継として[[第35回衆議院議員総選挙]]に[[自由民主党]]公認で[[広島県第3区 (中選挙区)|広島県第3区]]から初出馬、初当選。以後、現在まで連続当選。[[自由民主党の派閥|党内派閥]]では[[清和政策研究会|清和会]](福田派)と[[自由革新同友会]](中川派)に掛け持ちで所属した(中川派は後に福田派と合流)。 [[1985年]]12月、[[第2次中曽根内閣 (第2次改造)]]の[[運輸省|運輸]][[政務次官]]に就任。 [[1986年]]7月、[[中曽根康弘]][[内閣総理大臣|首相]]の[[靖国神社問題|靖国神社参拝中止]]や[[歴史教科書問題#第二次教科書問題|第二次歴史教科書問題]]などに反発し、[[村上正邦]]や[[古賀誠]]らと共に[[保守#日本における保守政治|保守]]系の[[派閥|政策集団]]である「[[国家基本問題同志会]]」を結成して座長に就任。「[[大韓民国]]との間に[[戦争]]が起こらない保証はない。」「日韓は断交すべき。」等の過激な発言で物議を醸す場面もあった。 [[1989年]]4月、 自民党の中堅・若手国会議員を集めて派閥横断グループ「自由革新連盟」を結成し、[[白川勝彦]]と共同代表に就任。 1989年6月、[[自由民主党総裁選挙|自民党総裁選挙]]で[[山下元利]]を擁立しようとしたため、清和会から[[除名]]。 1989年8月、自民党総裁選挙に[[石原慎太郎]]を擁立するが、[[海部俊樹]]に大差で敗北。 [[1990年]]3月、[[衆議院]][[農林水産委員会|農林水産委員長]]に就任。 1990年10月、石原慎太郎と共に清和会に復帰。 [[1994年]]2月、[[細川内閣|細川連立政権]]と[[創価学会]]の関係を政教一致であると批判するために自民党内の勉強会「[[憲法20条を考える会]]」を結成し、同会会長に就任。 1994年6月、 [[日本社会党]]の[[野坂浩賢]][[国会対策委員会|国会対策委員長]]との折衝で[[自社さ連立政権]]構築に尽力し、[[村山内閣]]の[[運輸大臣]]に就任。 [[1996年]]10月、[[第41回衆議院議員総選挙]](初めての小選挙区選挙)に[[広島県第6区]]から出馬。自民党組織広報本部長として選挙に臨み、[[新進党]]新人候補の[[佐藤公治]]を破り当選。 1996年11月、[[第2次橋本内閣]]の[[建設大臣]]に就任。この頃、[[梶山静六]][[内閣官房長官]]と連携して閣内から[[保保連合構想]]を唱える{{要出典|date=2014年5月}}。 [[1998年]]9月、[[森喜朗]]との派閥内対立により[[平沼赳夫]]などの同志21名を引き連れて清和会を離脱し、亀井グループを旗揚げ。また、[[中山太郎]]らと「日本再生会議」(中山・亀井グループ)を結成し、同グループ代表幹事に就任。 [[1999年]]3月、亀井グループと[[政策科学研究所 (派閥)|政策科学研究所]](旧渡辺派)が合流し、「[[志帥会]]」(村上・亀井派)結成。同派会長代行に就任。 1999年10月、[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|自民党政務調査会長]]に就任。公共事業の見直しを表明し連日深夜に及ぶ議論の末、2兆7000億円分を削減した。 [[2001年]]4月、[[2001年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選挙]]に出馬するが、[[小泉純一郎]]と政策協定を結び本選挙出馬を辞退、小泉の支援に回った。しかし、小泉が首相になった後、政策協定は全て小泉に一方的に破棄された{{要出典|date=2013年12月}}。 2001年11月、[[死刑廃止を推進する議員連盟]]会長に就任。 [[2003年]]9月、[[2003年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選挙]]に出馬し、小泉純一郎に次ぐ2位の139票を獲得。 2003年10月、志帥会(亀井派)会長に就任し、自民党国会議員約60名を擁する派閥の領袖となった。 === 国民新党 === [[2005年]]8月、[[小泉内閣]]が推進する郵政民営化に反対し、自民党に離党届を提出(受理されず除名処分)。志帥会会長を辞任。[[国民新党]]結党に参画する。 2005年9月、[[第44回衆議院議員総選挙]]において無所属で出馬した[[堀江貴文]]に苦戦を強いられるが、26,546票差で当選。選挙後、国民新党の代表代行に就任。 [[2009年]][[8月30日]]の[[第45回衆議院議員総選挙]]には、引き続き[[広島県第6区]]から国民新党公認と[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の推薦を受けて立候補し、自民党の公認候補に67,479票の大差をつけて11期目の当選を果たした。この選挙では国民新党代表の[[綿貫民輔]]と幹事長の[[亀井久興]]がともに落選する事態となったため、選挙翌日に綿貫から代表を引き継いだ。 ==== 金融・郵政改革担当大臣 ==== [[2009年]][[9月16日]]、[[民社国連立政権|民社国連立]]による[[鳩山由紀夫内閣]]の成立に伴い、[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|内閣府特命担当大臣(金融担当大臣)]]に就任した<ref name="kampo20090916001">「人事異動」『[[官報]]』号外特20号、[[国立印刷局]]、[[2009年]][[9月16日]]、1面。</ref>。特命担当大臣の担当事務以外に、「郵政事業の抜本的な見直し及び改革を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」<ref name="kampo20090916001"/>の特命事項を担当する(郵政改革担当)。 金融担当相として行った政策 * [[中小企業者等に対する金融の円滑化を図るための臨時措置に関する法律|中小企業金融円滑化法]] - 2009年10月に提出し、同年11月可決成立させ、年末に間にあうように12月4日より施行させた。 * 「[[貸し渋り]]・貸し剥がし」対策 * [[中小企業]]等に対する[[金融]]円滑化対策の総合的パッケージ その結果、2010年4月の自殺者数は警察庁発表で前年同月比18.7%の大幅減少になった。また、[[東京商工リサーチ]]によると、2010年2月の企業倒産は前年同月比17.3%の激減 。[[負債]]総額も64.3%減となった。しかし、この背景には2008年に起こった世界[[金融危機]]による[[不況]]からの景気回復があることも考慮する必要がある。 これらの制度をつくった動機には、小泉政権下で国内の自殺者数と倒産数が史上最多となり、亀井の知人の中小企業経営者3人が自殺したことがある。亀井は彼らから相談を受け[[金融機関]]に掛け合ったが、貸し出しも返済猶予も断られ、社長は亀井あてに悲痛な遺書を残して逝き、副社長も後を追って自殺。亀井は葬儀に行き、遺族と一緒に抱き合って泣いたが、3日後に新しい副社長が自殺した。社長になれば、今後は自分が[[債務]]を負わなければならないからだった。 亀井は真っ当な経営者や従業員が無駄な死を選ばなくて済むよう、制度改革を進めた。 大臣就任早々、[[金融庁]]の検査官を集めて「これまで君たちは金融機関のための検査をやってきたが、これからは銀行が借り手企業のコンサルタントとして社会的役割を果たしているかをチェックするんだ」と訓示した。<ref>高橋清隆「亀井静香が吠える」[[ケイアンドケイプレス]]</ref>。 小泉政権で[[労働者派遣法]]が変更され、派遣社員が簡単に合法的に首切り解雇できるようになっていたため、不況により首切りにあった人が激増し、[[住宅ローン]]の支払もできず、自殺者数が史上最多となった。また小泉政権で建築基準の審査を[[民営化]]したことにより耐震偽装事件などが発生、[[住居]]を失い会社も辞めさせられ、しかし住宅ローンだけが残り生活ができなくなった人を見て、個人にも金融機関に住宅ローンの支払期限を延長しなくてはならないというものだった。[[マスコミ]]は、この「中小企業金融円滑化法」をモラトリアム法、亀井法などと呼んだ。 ==== 外国人参政権 ==== [[2010年]][[4月17日]]、永住外国人への地方選挙権付与([[日本における外国人参政権|外国人参政権]])に反対する集会に出席し、「[[参政権]]付与が日本を滅ぼす。国民新党が拒否権発動しているから今国会で成立しない」と述べた。 ==== 選択的夫婦別姓制度 ==== 選択的[[夫婦別姓]]制度導入に反対しており、民主党の同法案について強硬に反対した<ref>産経新聞 2009年10月15日</ref><ref>世界日報 平成22年2月24日</ref>。 ==== 郵政改革法案 ==== 2010年[[6月11日]]未明、[[第174回国会]]での郵政改革法案成立が見送られたことを受け、「公党間の約束が履行されなかった」として[[民主党 (日本 1998-) |民主党]]の[[菅内閣]]に激怒し、民主党との連立も解消をすると主張した。しかし、[[亀井久興]]に[[与党]]にとどまってほしいと懇願され、党内の4時間に及ぶ会合後、与党にはとどまることとなる。しかし、亀井静香は閣僚を辞任、後任は同党の元郵政相の[[自見庄三郎]]となった<ref>「亀井静香支持率0%の突破力」 山岡淳一郎(草思社)</ref>。 ==== 内閣総理大臣補佐官 ==== [[2011年]]6月27日、[[菅内閣 (第2次改造)]]の[[内閣総理大臣補佐官]](内閣の重要政策全般担当)に就任。当初、[[菅直人]][[内閣総理大臣|首相]]は[[副総理]]としての入閣を打診したが固辞し、首相補佐官としての起用を了承した。 同年9月5日、[[野田内閣]]の発足に伴い首相補佐官を退任。 ==== 国民新党分裂、離党へ ==== [[2012年]]3月に[[野田内閣 (第1次改造)]]が[[消費税]]増税法案を[[閣議決定]]したことを巡り、連立協定違反を理由に[[連立政権]]離脱を表明。しかし、党内の多数が連立維持を主張し、国民新党副代表である[[自見庄三郎]]が閣僚として消費税増税法案に署名したため、国民新党は分裂。同年[[4月5日]]に党内の連立維持派は亀井の国民新党代表の解任を決定したが、亀井は代表解任は無効と主張している。その後、亀井は翌[[4月6日]]に記者会見し、「解任は有効だとは思っていないが、私はこのまま国民新党にいるべきではない。今から、日本が立ち直って行くために、一兵卒として全力を挙げてがんばっていきたい。国民新党代表のまま離党いたします。以後はもちろん代表ではありません。」と述べ、[[亀井亜紀子 (政治家)|亀井亜紀子]]と共に国民新党を離党した<ref>[http://web.archive.org/20120409020043/www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120406-OYT1T00937.htm?from=top 国民新の亀井前代表、離党表明]</ref>。 === 幾度もの新党構想と所属政党の変化 === 国民新党離党後、旧知の[[石原慎太郎]][[東京都知事]]と共に新党結成を図り水面下で活動し、石原と[[小沢一郎]]を連携させることを画策する。しかし、石原は小沢に対して強い嫌悪感を抱いており、この計画は頓挫する。2012年10月、石原が[[日本維新の会]][[党首|代表]]の[[橋下徹]][[大阪市長]]と連携して第三極運動を展開すると表明する<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20121025k0000e010175000c.html 石原知事:緊急記者会見で新党結成表明へ] 2012年10月25日 [[毎日新聞]](2012年11月13日閲覧)</ref>。この際、今度は石原から亀井に対して新党参加への要請があったが、亀井は政策理念が異なる橋下との連携を図ろうとする石原を批判し、新党参加を拒否した<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20121104-1042209.html 亀井氏、石原氏に反逆「1人で死ね」]2012年11月4日紙面 [[日刊スポーツ]] (2012年11月13日閲覧)</ref>。その後、石原は2012年[[10月25日]]に[[東京都知事]]を辞任し、同年[[11月12日]]に[[たちあがれ日本]]を母体とした新党「[[太陽の党]]」を結成した<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20121114k0000m010082000c.html 太陽の党:石原氏と平沼氏が共同代表に 第三極結集を急ぐ] 2012年11月13日 毎日新聞(2012年11月13日閲覧)</ref>。一方亀井は民間人の有志らと協力して新党を結成する計画があると同年[[11月3日]]、[[テレビ東京]]の番組で表明した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121103/stt12110316470005-n1.htm 亀井氏、独自の新党を模索 党首は実業家]2012.11.3 産経新聞(2012年11月13日閲覧)</ref>。 2012年[[11月19日]]、[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)の交渉への参加反対を基軸政策にした「反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党」を、TPPに反対し民主党を離党した[[山田正彦 (政治家)|山田正彦]]と共に結成した。 同年[[11月22日]]、反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党は[[減税日本]]と合併して[[減税日本・反TPP・脱原発を実現する党]]となり、同党幹事長に就任。その後、[[国民の生活が第一]]などとの合流を前提とした新党を模索し、同年[[11月28日]]に[[嘉田由紀子]][[滋賀県知事]]が結成した[[日本未来の党]]に減税日本・反TPP・脱原発を実現する党と国民の生活が第一が合流する形で新党が実現する。しかし、日本未来の党は結成後一ヶ月も経たない間に嘉田由紀子代表と小沢一郎の対立が表面化し、分裂状態となる。これを受け、同年[[12月27日]]に離党。翌[[12月28日]]に[[亀井亜紀子 (政治家)|亀井亜紀子]]の仲介で[[平山誠]]と共に[[みどりの風]]に合流した。これにより、みどりの風は所属議員が4名から6名となり、政党要件を満たし、国政政党に復帰した。 しかし[[2013年]][[7月21日]]に行われた[[第23回参議院議員通常選挙]]にて亀井亜紀子と平山誠を含む4名が落選し所属する国会議員は亀井と[[阿部知子]]の二人だけとなりみどりの風は再び政党要件を喪失した。みどりの風は同年[[12月31日]]に解散し、亀井は再び無所属となった。 == エピソード == * [[養神館合気道]]6段{{要出典|date=2013年12月}}。 * 趣味は[[ゴルフ]]と[[油彩|油絵]]。油絵は2001年と2005年に個展を開いている{{要出典|date=2013年12月}}。 * 尊敬する人物は[[チェ・ゲバラ]]と[[大塩平八郎]]{{要出典|date=2013年12月}}。 * [[埼玉県警察]]本部刑事部捜査第二課長時代、[[浦和市]]の居酒屋で飲んでいた亀井は近くの客がヤクザ風の男3人に絡まれているのを目にして、3人をたたきのめしたが、店内は騒然となり、パトカーが出動する騒ぎとなった。この一件で警察庁内では亀井を退官させるべしとの強硬論が強まったが、[[佐々淳行]]が庇ったため亀井は退官せずに済んだ<ref>「暴走か戦略か 鳩を悩ますスッポンの乱」アエラ2009年10月12日号78頁</ref>。 * 中川派以来の親友といわれる[[石原慎太郎]]と[[高速道路]]を走行中の車内で言い争いとなり、怒った亀井が車から石原を引きずり出し路上に置いてけぼりにしたことがあるという<ref>[[佐野眞一]] 『てっぺん野郎─<span style="font-size:90%">本人も知らなかった石原慎太郎</span>』 [[講談社]]、2003年、383頁</ref>。亀井は「あいつ(石原)はわがまま過ぎる」と話していると言うが、石原は「オレのような上品な人間には、亀井みたいな下品な人間がいた方が丁度いいんだ」と話している<ref>佐野眞一 『てっぺん野郎─<span style="font-size:90%">本人も知らなかった石原慎太郎</span>』 382頁</ref>。石原が[[東京都知事]]を辞任して[[たちあがれ日本|太陽の党]]を立ち上げた際、亀井は週刊誌で度々痛烈な石原批判をしており、また石原も同時期にテレビ番組で「精神思考弱者。何を言ってるかわからない。」等と亀井を痛烈に批判するなど、一時は両者の決別を彷彿させる言動が相次いでいた。しかし、2013年6月30日に亀井の提案で開催された[[円卓会議 (日本)|円卓会議]]に石原が飛び入りで参加しており、現在は和解しているようである{{要出典|date=2013年12月}}。 *武道有段者であり時折みせる過激な言動や若手時代の[[タカ派]]的思考等の影響で強面の印象もあるが根は官僚時代から親分肌である一方、義理堅く人情家であるという。[[あさま山荘事件]]の慰霊祭には自民党の幹部になった後も毎年出席していた{{要出典|date=2013年12月}}。 *相撲に造詣があり、先代武蔵川こと元横綱・三重ノ海を懇意にしているという。東京中日スポーツ2006年6月29日号の―朝青龍よ「だらしない日本の男をぶちのめせ!!」―という見出しの記事では旧武蔵川部屋の様子について「部屋が以前に比べ低迷しているのは、竹刀を振り回さないからだ。厳しく鍛えるなら、グシャグシャに折れるくらいでないとね」と部屋全盛期のスパルタぶりを証言した。それと共に朝青龍を絶賛しており「だらしない今の日本の男の子を土俵上でぶちのめしてほしい。おとなしく品よくやるのが横綱の条件ではない」 という内容の賛辞を朝青龍の結婚式に送ったこともある。当時の日本人力士の低迷についても「美しい心と肉体を失ったから。今の日本人は人間じゃない。小泉総理を筆頭に、強者が弱い者をいじめ、快感に浸っている。それでいいという世の中になっている。」小泉政権の批判に絡めた分析を行った。<ref>[http://www.kamei-shizuka.net/action/2006/060629.html 亀井静香公式ホームページ] 件の出典の内容が記録されている。</ref> == 政治資金等 == * 2013年の医療法人[[徳洲会]]グループをめぐる買収事件に関連して、徳洲会から亀井へ2000万円の提供があった<ref>産経新聞 2013年12月17日</ref>。 * [[日本共産党]]の機関紙[[しんぶん赤旗]]に、2007年、家賃が無料の議員会館に資金管理団体の「主たる事務所」を置きながら、年間2751万円もの事務所費を計上していたと報じられた<ref>[http://megalodon.jp/2013-0105-2254-40/www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-09-15/2007091515_01_0.html しんぶん赤旗 2007年9月15日]</ref>。また、2004年、日本歯科医師連盟からの迂回献金の疑惑があったと報じられた<ref>しんぶん赤旗 2004年10月20日</ref> == 政策 == === 主張 === *[[デフレ]]脱却と[[防衛]]対策 *[[日本における外国人参政権|外国人参政権]]反対 *改正[[国籍法 (日本)|国籍法]]反対 *[[人権擁護法案]]反対 *[[靖国神社問題#国立追悼施設の設置|国立追悼施設]]反対 *[[女系天皇]]反対 *天皇の[[靖国神社]]参拝賛成 *天皇の[[戦争責任]]を否定 *[[脱原発]](ただし地下原発推進) *[[弾道ミサイル]]配備 === [[信条]] === * 「[[国民]]の95%の人が幸せで、5%の人が困っているときに、[[政治]]とはその5%の人を助けなくてはならない、政治家にはその5%の少数への洞察力が必要である」 * 「支持率を気にして、ふらふらしているようでは政治はできない。[[政治家]]の評価は歴史が証明する」 * 「日本の[[伝統]]残すのが[[保守]]の役目である。[[日本人]]は昔から、助け合いの精神で生活をしてきた」 === [[経済政策]] === [[第41回衆議院議員総選挙|1996年の総選挙]]前には執行部の一員ながらも公然と「今[[消費税]]を引き上げれば回復基調にある[[景気]]が再び後退する」と言い放ち引き上げ時期の延期を迫り[[山崎拓]]政調会長らと激論になり選挙中ですら同様の持説を主張した。はたしてその後、亀井の予測通り消費税引き上げなどで景気が後退することになる。 2008年10月に彼が党首の国民新党は「[[時価会計]]の無期限停止」「銀行の[[自己資本比率]]4%の撤廃」「[[ペイオフ]]制度の適用停止」「[[公的資金]]による[[資本]]注入」「[[日経225先物取引]]の廃止」を金融安定化対策として掲げた。 2009年に国民新党党首として金融担当大臣に就任した。同年、閣僚の彼が提唱し、民国社連立政権として発表したいわゆる[[中小企業者等に対する金融の円滑化を図るための臨時措置に関する法律|モラトリアム法案]]によって金融株の売りが進み、大幅に下落した事について9月27日の[[サンデープロジェクト]]にて「私が言ったから株が下がるほど脆弱な[[銀行]]は、銀行業を営んでいる資格がない」と述べた。また、「(返済猶予で)信用を失うほど投資家や国民から信頼されていないのなら、まず金融機関が自ら反省しないといけない」と同番組終了後に記者に述べた<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0927/TKY200909270162.html 「私の発言で株価下がるような銀行は…」勢いづく亀井節]アサヒコム9月27日</ref>。 亀井はかねてから大企業の談合は「悪い談合」、中小企業同士の談合は「良い談合」という持論を持ち、2009年10月21日に本来金融庁の管轄外である公正取引委員会の[[竹島一彦]]委員長等を呼び出して「良い談合」を容認する様に要求した。この際、竹島委員長は「良い談合論には『そのお金が誰の物か』と言う発想が欠けている。それ(=『良い談合』でも損をする人)は国民であり、消費者なのだ」と亀井の認識の問題点を指摘した<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/1022/TKY200910220241]{{リンク切れ|date=2010年9月}}</ref>。 === 取調べの全面可視化に反対 === 犯罪の容疑者に対する取り調べの全過程を録音・録画することには反対している<ref>[http://web.archive.org/20090925003559/mainichi.jp/select/seiji/09shuinsen/mai/kaihyo/area_meikank.php?mid=A34006001001 2009衆院選 広島6区 亀井 静香 - 毎日jp(毎日新聞)]</ref>。なお、2010年1月、記者会見で「公判に出す調書作成の過程を全面、可視化することはいいと思う」とし、限定的な可視化について容認した。 === 死刑制度廃止 === 警察官僚としての経験から、[[誤認逮捕]]や[[冤罪]]は必ずや起きてしまうものとして、「[[警察官]]に誤って無実の人を殺させるようなことがあってはならない」と[[死刑]]制度廃止([[死刑廃止論]])に賛成している。 === 防衛政策 === 「[[防衛大綱]]」「防衛産業大綱」を作成し、[[自衛隊]]の強化を主張。[[中華人民共和国|中国]]・[[ロシア]]など周辺国が[[軍事力]]を3倍から5倍増加させているのに危惧し防衛力の強化、防衛産業の育成、防衛予算の増額を主張し、自民党政権時代削減され続けた[[防衛費]]を、民主党政権下で8年ぶりに増額させた。但し、[[自衛隊の海外派遣]]に関しては元来積極的な立場ではなく、[[自衛隊イラク派遣]]承認案の決議の際には投票せずに欠席している。 === 雇用政策 === [[運輸大臣]]時代の[[1994年]]、[[日本航空]]が計画していた[[客室乗務員]]の[[契約制客室乗務員]]としての採用に対し、「乗客の安全を守るべき客室乗務員に極端に異なる2つの[[雇用]]体系が存在すると、士気の低下に繋がり安全上好ましくない」として、乗務員間の格差が生じることや安全面の問題からこの計画に反対した。しかし、この時「許認可権を盾にとった上、[[規制緩和]]に逆行する」として一部の[[マスメディア|マスコミ]]から批判もされている。この時の日本航空と亀井の対立は、日本航空のシンボルマークである[[ツル|鶴]]との対比から「鶴亀戦争」などと呼ばれた。 なお、この計画は「契約制客室乗務員の受け皿のために作った[[子会社]]が採用し[[親会社]]に出向させる」、「日本航空本体で[[契約社員]]として採用した場合も、[[正社員]]には移行させない」といった当初案から、「数年間の有期限雇用の契約社員後、[[正社員]]へ移行」に変更されたうえで導入され、その後[[全日本空輸]]や[[日本エアシステム]]などの大手他社も追って同様の契約社員制度を導入した。 === 道路公団改革 === 運輸大臣時代に、全国の[[高速道路]]の[[サービスエリア]]、[[パーキングエリア]]の営業を、「癒着の温床」と批判されていた1社独占から複数社の競合に改める改革を実施し、サービス水準の向上を図った。併せて高速道路のサービスエリアでの酒類の販売を発案したが、これは飲酒運転事故により身内を失った家族をはじめ、国民世論から反発されている。 === 大型公共事業の見直し === 自民党政調会長に在任中に[[公共事業]]の見直しを表明し、[[中海]]干拓事業など2兆7000億円分を削減した。これに反発した業界団体は、実兄の[[亀井郁夫]]が[[参議院議員通常選挙|参院選]]に立候補した際に支援を拒否している。一方で亀井の経済政策の基本的なスタンスは、「[[日本国債|国債]]発行による景気対策」、「[[公共事業]]による景気回復」であり正統派の「[[ケインジアン]]」とも言える(2007~2008年の米国発[[世界金融危機]]によって伝統的なケインジアンの重要性が再認識され始めている)。小泉政権下では、小泉首相が掲げる[[新自由主義]]への反発から一貫して反主流を歩んで小泉首相を批判しており、[[郵政民営化]]も猛烈に反対していた{{要出典|date=2013年12月}}。 弱者救済・地方振興を主眼とする[[経済]][[思想]]は、[[国民新党]]の[[マニフェスト]]にも見て取れる。「[[公共事業]]による景気回復」を唱える一方、本人のウェブページには、[[ダム]]建設や干拓などの大型事業に反対である旨記しており、「そのような事業を進める余裕があれば弱者救済などに向けるべきである」としている。[[談合]]については、[[2006年]]4月18日の[[国会]]での質問で「地方救済の為には必要。日本のよき助け合いの精神」などと一定の理解を見せた。亀井は良い談合と悪い談合があるとしており、大手ゼネコンの[[談合]]は「悪い」談合、地方の建設会社による談合は相互共助するための「良い」談合であるとしている。 一方で[[東京国際空港|羽田空港]]の再拡張事業である4本目の[[滑走路]]建設事業については、東京都知事の[[石原慎太郎]]と計り、当時の[[運輸省]]を半ば脅して、僅か15分の交渉で調査費をつけさせ着手に持ちこんだという<ref>『[[産経新聞]]』2009年3月2日朝刊 1面</ref>。 === 創価学会との対立 === 1990年代半ば頃に、同じ1979年初当選組の[[白川勝彦]]と共に、[[公明党]]と[[創価学会]]の関係が[[政教分離原則]]に反するという問題を追及する「[[憲法20条を考える会]]」を発足させ、亀井は会長に就任した。亀井は[[宗教法人法]]改正に反対の姿勢を見せていた創価学会に対し「[[池田大作]]さんに宗教法人特別委員会に参考人として出てきてもらい、宗教法人法の改正に反対の理由を述べてもらいたい」と発言するなど創価学会と徹底対決の姿勢を鮮明にする。会そのものは[[自自公連立政権]]の発足とともに自然解消したが、亀井の反創価学会の姿勢は続き、[[2007年]]2月13日の衆議院予算委員会で6年ぶりに質問に立ち<ref>[http://www.shugiintv.go.jp/jp/wmpdyna.asx?deli_id=33410&media_type=wn&lang=j&spkid=901&time=07:17:50.0 衆議院インターネット審議中継]</ref>「まさか自分が野党側で質疑応答するとは想定外でした」「([[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]に対し)小泉総理時代の思想はやめて自分なりの思想でやってはどうだ」「[[創価学会]]の名誉会長の[[池田大作]]との安倍総理の2者対談をしたのか?」など、安倍首相の姿勢や創価学会との関係について追及した。 2007年11月21日、国民新党の会合でのあいさつにおいて、自民、公明両党推薦の現職候補が敗北した大阪市長選に関連し「創価学会の[[麻薬]]で生きてきた自民党だが、麻薬が効かなくなると大変だ。慢性依存症が強くなっていて、そこが手を引くと、全体ががたついた」と発言している{{要出典|date=2013年12月}}。 === 選挙運動 === * 選挙の際、名前にちなみ「[[カメ|亀]]」をトレードマークとしたバッジやステッカーを配っており、公式ホームページ上でも見ることができる。 === マスメディア === 2009年9月に金融大臣就任後、[[記者クラブ]]のオープン化を行おうとしたが反発されたため、「第二の記者クラブ」としてオープンし、それぞれ別々に会見を行った<ref>[http://www.j-cast.com/2009/12/30057101.html 外務省や金融庁が先行してオープン化できた理由記者クラブ問題座談会(中) : J-CASTニュース]</ref>。 2010年1月に発生した[[小沢一郎]]資金管理団体[[政治資金規正法]]違反事件に関して、[[BS11]]の番組内で「今の国民は相当数が大脳皮質で冷静に判断する能力を持ってない。新聞が小沢を叩くと小沢が弁明しても誰も聞く耳を持たない。」と国民とマスメディアに対して批判した<ref>[http://web.archive.org/20100127025754/www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100126-OYT1T00070.htm 亀井氏「国民の相当数、冷静な判断能力ない」 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)]</ref>。 === カジノ === [[石原慎太郎]]らと同様に、日本に[[カジノ]]を導入する方針を打ち出している。既に[[沖縄県]]で進んでいる[[カジノ特区]]構想を支持し、[[観光]]、[[県民所得]]の増加を目指している<ref>[http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20091216AT3S1602916122009.html 沖縄にカジノ特区の検討を亀井氏] 日本経済新聞2009年12月16日‎</ref>。だが、実際に石原慎太郎が[[台場]]でのカジノ構想を打ち出した折には、[[パチンコ]]などがネックになって実現には至っていない{{要出典|date=2014年5月}}。 === 外国人参政権・人権救済侵害法案に反対 === 2010年通常国会において、民主党が提出を表明していた[[日本における外国人参政権|外国人参政権]]・[[人権擁護法案#人権侵害救済法案の内容|人権救済侵害法案]]に、亀井が反対を表明し[[閣議決定]]を拒否したため民主党は同法案を上程出来なかった<ref name="nihondaifukkatuP83">「日本大復活の真相」 83ページ 三橋 貴明 (著) [[あさ出版]] 2013年6月18日発行 ISBN 978-4860636142 </ref>。 自民党が提案した[[国籍法 (日本)|国籍法]]改正案は、偽装認知が起きるとして[[DNA鑑定]]を明記するよう要求。しかし、国民新党以外の党が賛成したため可決成立となった。 === 選択的夫婦別姓制度 === 選択的[[夫婦別姓]]制度導入に反対しており、民主党の同法案について強硬に反対した<ref>産経新聞 2009年10月15日</ref><ref>世界日報 平成22年2月24日</ref>。 === 天皇特例会見 === [[2009年]]12月、[[鳩山内閣]]で閣僚在任時に起きた[[天皇特例会見]]問題について、「(陛下が)中国のナンバー2で次に国家主席になる方とお会いになる事は当然」と[[鳩山由紀夫]]や[[小沢一郎]]を擁護した。 === 朝鮮学校の無償化 === [[朝鮮学校]]の授業料無償化には、日本の文部科学省の教育方針に従うという条件付きで賛成している。 === 脱原発 === [[2011年]](平成23年)の[[福島第一原子力発電所事故]]後は、保守の立場から[[脱原発]]を主張している。[[2012年]](平成24年)7月7日の報道では、[[石原慎太郎]]東京都知事をトップに、「反原発、反消費増税、反[[オスプレイ]]配備を掲げる第三極」の新党を作ると明言。さらに[[2012年]](平成24年)7月29日には[[国会議事堂]]を取り囲む反原発集会に参加し、原発再稼働を批判するスピーチを行っている<ref>「特集ワイド:国会囲む「原発ノー」の声 政治家たちに届いているか」[[毎日新聞]]2012年8月2日夕刊。</ref>。但し、完全な脱原発を主張しているのではなく、地下式原子力発電所政策推進議員連盟の顧問を務めており、放射能を地中に封じ込む地下原発に関しては容認。 === 弾道ミサイル配備 === [[2003年]](平成15年)の[[2003年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]では1500km射程の[[弾道ミサイル]]の配備を公約に掲げた。 == 家系 == 亀井家の祖は[[戦国大名]]・[[尼子氏]]の[[筆頭家老]]であり、主家滅亡後に帰農した[[亀井吉助]]だと述べている。また、吉助の弟の[[亀井茲矩|新十郎]]は[[津和野藩]]主家[[亀井氏]]の祖であり、その子孫で同じ国民新党の[[亀井久興]]とは遠縁にあたるという。<ref>[http://www.kamei-shizuka.net/action/2002/020201_2.html 亀井静香の発言(2002年)[[早坂茂三]]との対談]</ref> 家族は一男一女がいる。姉二人と兄一人。 * 姉は[[俳人]]で俳誌「茜」を主宰していた[[出井知恵子]](いずい ちえこ、[[1929年]][[9月2日]] - [[1986年]][[10月18日]])<ref>『CD 現代日本人名録 物故者編1901〜2000』([[日外アソシエーツ]])</ref>。 * 兄は元[[参議院議員]]で、元国民新党副代表の[[亀井郁夫]]である。 == 所属している団体・議員連盟 == *[[神道政治連盟国会議員懇談会]] *[[地下式原子力発電所政策推進議員連盟]](顧問) *[[天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟]](副会長) *[[日朝国交正常化推進議員連盟]](顧問) *[[国際観光産業振興議員連盟]](メンバー) *[[憲法20条を考える会]] *[[国家基本問題同志会]](座長) == 著書 == * 『死刑廃止論』 ([[花伝社]] 2002年)ISBN 4-7634-0389-3 * 『繁栄のシナリオ』 ([[中経出版]] 2003年)ISBN 480611765X 教育学者・[[濤川栄太]]との対談 * 『ニッポン劇的大改造』 ([[扶桑社]] 2003年)ISBN 4594040039 * 『月刊亀井静香』 ([[アスコム]] 2003年) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|3}} == 関連項目 == * [[保守左派]] * [[反米保守]] * [[永山忠則]] * [[野中広務]] * [[森喜朗]] * [[村上正邦]] * [[平沼赳夫]] * [[石原慎太郎]] * [[野坂浩賢]] * [[田中康夫]] * [[許永中]] * [[佐々淳行]] * [[田中茂穂 (武道家)|田中茂穂]] * [[ジェイ・エス・エス]] * [[砂防会館]] * [[五人組 (自由民主党 2000年)|五人組]] * [[円卓会議 (日本)]] * [[東京大学の人物一覧]] == 外部リンク == * [http://www.kamei-shizuka.net/ 亀井静香公式Webサイト] * [http://wedge.ismedia.jp/articles/-/557/ 高校同窓生からみた亀井静香氏(金児昭・信越化学工業顧問)] * [http://homepage2.nifty.com/shihai/message/message_kamei.html 死刑制度の廃止を求める著名人メッセージ・亀井静香さん・衆議院議員、死刑廃止議員連盟会長] {{Wikipedia/Ja}} {{デフォルトソート:かめい しすか}} [[Category:日本の閣僚経験者]] [[Category:日本の内閣総理大臣補佐官経験者]] [[Category:広島県選出の衆議院議員]] [[Category:みどりの風の国会議員]] [[category:日本未来の党の国会議員]] [[Category:国民新党の国会議員]] [[Category:反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党]] [[Category:自由民主党の衆議院議員]] [[Category:日本の警察官僚]] [[Category:円卓会議の人物]] [[Category:日本の死刑廃止論者]] [[Category:日本の反共主義者]] [[Category:合気道家]] [[Category:神道政治連盟の人物]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:広島県出身の人物]] [[Category:庄原市]] [[Category:亀井氏|しすか]] [[Category:1936年生]] [[Category:存命人物]]