高塚信幸

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髙塚 信幸(たかつか のぶゆき、1979年8月2日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物

野球を始めたのは小学校一年の頃からで、当初は捕手だった。中学時代は和歌山シニアに所属し、その頃より投手に転向する。

智辯和歌山高では2年からエースとして活躍。1996年春の甲子園ではストレートカーブのみでチームを準優勝に導く。この年に肩を故障。3年生の夏の甲子園ではチームは優勝したものの、自身は1回戦に先発するも球威は戻らず、KOされてしまい以後は登板がなく代打での出場が主だった。高校通算6本塁打。

高校卒業後は社会人野球に進む予定であったが、ドラフトの直前に野球部の練習にバッティングピッチャーとして登板したところ、スカウトに見込まれ、1997年右肩痛を抱えたまま、1997年ドラフト7位で近鉄バファローズに入団。

1年目の1998年はリハビリに明け暮れたが、故障も癒えた2年目の1999年からはファームのローテーションピッチャーとして5勝を記録。

しかし、2000年未勝利に終わると内野手登録になり、内野手兼捕手に転向。

2003年オフに戦力外通告を受けると、引退。トライアウトは受験しなかった。

引退後は淡路島で寿司職人をしている。また、引退後の2005年クイズ!紳助くんに出演したことがある。

詳細情報

年度別投手成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 66 (1998年 - 2003年)

元センバツ連投の怪物投手「名勝負で人生が狂う」

2013年のセンバツで大きな波紋を呼んだのが、愛媛・済美高の2年生投手安楽智大(16)が投げた772球だ。初戦から4試合全てに完投。“5連投”となった決勝戦はさすがに疲労困憊、6回12安打9失点とメッタ打ちに遭った。

米メディアに「クレージー」と取り上げられたこの起用法にダルビッシュ(レンジャーズ)も反応。ツイッターで「出場選手登録を25人(現行18人)にして、学年別に球数制限がいい」と持論を展開した。

かつて安楽と同じように1996年のセンバツで連投し、決勝まで導いた2年生投手がいる。高塚信幸氏(33)だ。智弁和歌山のエースとして5試合連続登板。712球を投げ、「怪物2年生」といわれた。これがきっかけで肩を故障。1998年近鉄入りするも、6年間の現役生活で一軍公式戦出場はゼロだった。

高塚氏は今回の安楽をどう見ているのか。

<「本当に辛かった」>

――安楽の登板で球数制限をすべきか否か、話題になっています。自身の経験を踏まえ、球数は制限した方がいいと思いますか?

「やっぱり2連投したら1日投げないとか、制限を決めた方がいいと思います。WBCでも制限をしていますよね。現実的には球数制限導入は難しいかもしれませんが、高野連が方法を考えるべきです」

――自分の判断で登板を回避したりするのは、高校生にはムリですか?

「ええ。僕の場合は周りの期待とかメディアにあおられて投げたわけではありません。あの時は投げたいという思いがあって投げました。もちろん投げたことに対しては後悔はしていない。でも、今の選手の未来のことを考えれば、ケガをして欲しくないです。僕自身も、肩を壊した後は本当につらかったですから」

――自民党小泉進次郎衆院議員は、1998年夏の大会で横浜高の松坂(現インディアンス)が延長17回、250球を投げて完投勝利を収めた試合を引き合いに出し、「球数制限などを設ければ、あの勝負は生まれない」と指摘している。その意見についてはどう思いますか?

「名勝負ですか……。でも、それでその子の人生が狂うわけです。肩を壊した人間の気持ちは、壊した人間にしかわからないですよ」

――野球評論家の江本孟紀氏は「連投できるタイプもいる」とも言っていますが。

「そりゃ松坂やダルビッシュレベルの選手なら投げられるでしょう。でも他の子がそうとは限らない。だからこそ2連投のあとは1日休むとか、ルールを設けるべき。肩は消耗品ですし、プロに行く行かないに関係なく設けるべきです」

1996年センバツで快投を見せた高塚氏は「10年にひとりの逸材」といわれた。しかし、右肩故障の影響でその才能を開花させることなく、今は寿司職人として第二の人生を送っている。

脚注


関連項目

外部リンク

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