頌栄女子学院中学校・高等学校
頌栄女子学院中学校・高等学校 | |
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過去校名 | 頌栄女学校、頌栄高等女学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人頌栄女子学院 |
設立年月日 | 1884年 |
共学・別学 | 女子校 |
課程 | 全日制 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
中高一貫教育 | 完全一貫制 |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 13527F |
所在地 | 〒108-0071 東京都港区白金台2-26-5 |
外部リンク | 公式サイト |
頌栄女子学院中学校・高等学校(しょうえいじょしがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都港区白金台にある私立女子中学校・高等学校である。キリスト教の学校で、聖書の教えを徳育の基礎に置いている。「頌栄(しょうえい)」の校名は神の栄光をほめたたえるという意味である。聖書の時間があることや、英語や数学の授業時数が標準よりも多いことが特徴で、英語と数学(一部学年)の授業は中・高とも少人数習熟度別の特別クラス編成で行っている。
目次
概要
1884年(明治17年)12月8日に岡見清致は二本榎で頌栄小学校を創立した。翌1885年明治18年)2月に頌栄英学校を開校した。1885年(明治17年)9月には頌栄女学校を開設して、女子の普通教育に一本化した。明治の開化期において、数少ない女学校の一つであった。福澤諭吉は「岡見の学校だから」と開校式に出席して演説し、経営にも助言を与えた。またオランダ改革派宣教師として来日したフルベッキ、横浜毎日新聞の主筆から政界入りした島田三郎も出席した。1897年(明治 30)に頌栄幼稚園をつくり、幼・小・中の一貫教育を行った。
1920年(大正9年)には高等女学校に昇格した。1964年(昭和39年)には校名を現在の頌栄女子学院中学校・高等学校に改称した。1982年(昭和57年)9月、英国に、英国学校法人Winchester Shoei Collegeを開学した。1888 年(明治 21年)には、岡見清致のたっての願いで、気鋭の伝道者木村熊二を頌栄女学校校長に迎えた。
1994年には高等学校の生徒募集を中止し、名実ともに中高一貫の教育体制を確立した。現在は全校生徒数約1400名に達し、2004年は創立120周年を迎えた。
教育方針
- 高雅な品性や豊かな国際感覚の涵養(かんよう)、社会のために貢献奉仕できる人格を形成し、将来その人格が社会に出て活かされることを目標にしている。
- 頌栄女子学院はキリスト教学校であり、毎朝礼拝をもって学院生活を始める。学校名の「頌栄」は神の名を褒め称えるという意味を持つ。
施設環境
- 校舎すべてを対象に2007年から「耐震補強」及びリニューアルのための工事を進めている。
- 山田牧場山荘
- 軽井沢学荘
年間行事
- 文化祭に当たるコ・ラーナーズ・デイ(CLD)は毎年9月に行われる。
- 10月に運動会に当たるショーエイ・フィールド・デイ(SFD)がある。
部活動
特別クラブ
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文化系クラブ
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体育系クラブ
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交通
制服
- ※ 中高共通。盛夏服を除きスカートの柄、ブラウスの襟の形、ブレザーの校章の色が異なる。盛夏服は、中高でデザインが異なる。
- ※ 日本で初めてチェック柄(タータン)の制服スカートを採用した。イギリスの男性が着る正装を模したもので、巻きスカートになっている。
主な出身者
女優・歌手
- 御子柴初子 - 女優
- 露原千草 - 女優
- 笹森礼子 - 女優、歌手
- 南悠子 - 女優、宝塚歌劇団卒業生
- 菅井きん - 女優
- 白川由美 - 女優
- 音無美紀子 - 女優
- 北林早苗 - 女優
- 豊浦美子 - 女優
- 新藤恵美 - 女優
- 星野みどり - 女優
- 真梨邑ケイ - 歌手[1]
- 小野リサ - 歌手
- 日高のり子 - 女優、声優
- 高橋ひとみ - 女優
- Fayray - 歌手
アナウンサー
- 森麻季 - 元日本テレビアナウンサー
- 前田真理子 - テレビ東京アナウンサー
- 小野澤玲奈 - 静岡第一テレビアナウンサー
- 小泉恵未 - 元東京MXテレビアナウンサー
- 大村絵美 - オフィスキイワードアナウンサー
エピソード
女優の菅井きんと高橋ひとみは同校の卒業生で先輩・後輩(年齢は母娘ほどの開きがある)にあたり、共演もしている。母校の話になった時、菅井が女学生時代に習った先生が、高橋が在学していた時も教鞭をとっていた事実が分かり、驚愕したという。校則で芸能活動は一切禁止だったが、高橋は入学時から成績が優秀だったそうでこのまま成績が落ちることなく優秀ならば退学せずに芸能活動を認めるとの許しが特例で出たそうで、在学中は学業も継続して頑張って卒業まで校内で成績は上位だったとインタビューなどで語っている。
関連項目
出典
- ↑ 『週刊サンケイ』1982年4月22日号86頁
外部リンク