鑛石松
提供: Yourpedia
鑛石松(あらがね いしまつ、寛政3年(1791年)-没年不詳)は、江戸時代後期の大相撲力士。四股名は鉱とも書く。本名不明。陸奥国稗貫郡(岩手県花巻市)出身と推定される。盛岡藩お抱え力士。所属は二所ノ関部屋(南部)[1]・粂川部屋[2]。最高位は前頭7枚目。
陸奥国出身。文化11年(1814年)4月に東二段目に付け出されたのが初土俵だが成績が振るわず、翌場所に三段目に陥落して5場所その地位にとどまり、文化14年(1817年)10月場所で二段目に復帰。文政2年(1819年)に盛岡藩お抱えとなったが同4年に暇を出された。文政8年(1825年)1月に「盛岡」頭書となる。同年10月に西幕尻(前頭8枚目)として入幕したが1勝もできずわずか1場所で二段目に転落し、文政9年(1826年)10月に再入幕したがこの場所を最後に江戸相撲から姿を消した。
主な成績
- 初土俵:文化11年4月場所二段目付出
- 入幕:文政8年10月場所
- 最終場所:文政9年10月場所
- 幕内成績:0勝4敗16休(2場所)
- 勝率:0.000
脚注
参考文献
- 「相撲」編集部編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
- 日本相撲協会監修『相撲大事典』現代書館、2011年。