菊地翔太
菊地 翔太 JR九州 No.21
| |
[[画像:|0px|]] | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 岩手県 |
生没年月日 | 1991年4月16日((2024-1991)+((11-4)*100+(29-16)>=0)-1歳) -
|
身長/体重 | 186cm/ 90kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | |
出場期間 | -
|
年俸 | |
経歴 | |
■テンプレート ■ウィキプロジェクト |
菊地 翔太(きくち しょうた、1991年4月16日 - )は、社会人野球の選手(投手)。JR九州所属。背番号21。
経歴
岩手県水沢市(現・奥州市)出身。水沢市立羽田小学校(現・奥州市立羽田小学校)4年生から羽田川前スポーツ少年団で野球を始める。水沢市立東水沢中学校(現・奥州市立東水沢中学校)時代は2年秋に県大会8強入り、テレビ観戦した太田裕哉投手の強気の投球に憧れ一関学院高等学校へ進学する。
高校時代
岩手県では花巻東の菊池雄星とともにWキクチと称された。一関学院では1年秋にエースとして東北大会進出。チームは4強に進出したが肩違和感により東北大会での登板は無し。県1回戦では夏甲子園出場の花巻東相手に9回7安打8奪三振1失点の好投を見せた。4回途中から登板し、3失点の雄星に投げ勝った。2年春に希望枠で選抜に出場。東洋大姫路戦で先発するもコントロールが安定せず守備の乱れもあり3回途中3失点。結果は悪かったが最速136km/h、常時120km/h台ながら角度のついた直球には球速表示以上の勢いを感じさせた(スピードガンがやや不調だった大会)。選抜後は右ヒジ痛により再び離脱。控えとなり夏・秋はリリーフでの登板にとどまる。2年秋チームは東北大会準優勝。選抜出場有力かと思われたが県決勝で花巻東に大敗、東北大会決勝でも光星学院相手に7対1など内容がもう一つで花巻東が逆転出場となった。春、肩の不安を抱え6・7割の状態としながらも県準決勝・岩泉戦で7回4安打0封。横浜の武居スカウトは「球速はあるけど大きな体を生かしきれてないのがもったいないね」と話した。
その投球は日本プロ野球からも注目されていたが、2009年9月29日、社会人野球の強豪・JR九州入りすることが決まった。菊池雄星もライバルと認める大型右腕が3年後のプロ入りを目指し、ハイレベルな環境で成長を期す。新人右腕の菊地は先発して4回3安打2失点で降板。結果を残せず「雄星には負けられないけど、社会人は1球の重みが違った」とうなだれた。
プレースタイル
最速148km/hの球威ある直球とカーブ、スライダー、フォークボール、ツーシーム。祖父譲りという肩は柔軟性があり遠投110mと強い。
関連項目