松山刑務所事件
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松山刑務所事件(まつやまけいむしょじけん)とは松山刑務所で1964年から1966年にかけ起こった汚職・強姦事件である。
人物
この事件は、第1次松山抗争で大量に逮捕された暴力団関係者が、刑務所の看守を買収した事件である。この汚職事件は1人の看守が、入所前から顔見知りであった本郷組関係の被告人に頼まれ、不正に手紙を投函し礼金を受け取った事がきっかけで起こった。この行動により施設の職員は軽くあしらえる人ばかりだと判断した囚人たちは、刑務官を脅迫、暴行する事態となった。
組員らは所内の鍵を使用し拘置所内を自由に歩き回る事が可能となり、飲酒、喫煙、花札賭博、領置金の脅し取り、女性囚人の強姦を行い、さらに看守も組員の仲介で女性囚人と関係を持つなど、拘置所はまさしく暴力団による無法地帯と化してしまった。この事件では、出所後の1982年に松山ホステス殺害事件を起こすことになる福田和子が強盗罪で服役中に強姦被害者となっている。
この問題は国会にも取り上げられ、1966年6月と7月、副看守長2人が自殺し、これでこの事件は一応の終息を見ている。