東京教育大学生リンチ殺人事件
東京教育大学生リンチ殺人事件とは、1970年8月3日に東京都千代田区で発生した内ゲバ殺人事件。被害者の名前を取って「海老原事件」とも呼ばれる。
事件の概要
1970年8月3日昼、池袋駅前で街宣活動を行っていた中核派活動家が、たまたま通りかかった革マル派活動家の当時東京教育大学理学部化学科3年生であった海老原俊夫を発見、その場でリンチを加えた。そして動けなくなった被害者に「中核」の白ヘルメットを被せて隊列の中に入れ、あたかもデモ隊の一員であるかのように周囲の目撃者に見せかけて、中核派の拠点校である法政大学に拉致した。
法政大学校内で、中核派メンバーは被害者に「反革命は死ね」「ここから生きて帰れると思うな」と罵声を浴びせながら、殴る蹴るのリンチを加えて殺害、その死体を東京厚生年金病院の玄関前に放棄し、4日朝発見された。
海老原は、8月3日早暁まで大学内で化学実験をしていたことが確認されている。その後、帰宅途中に池袋駅構内において、カンパ活動中の中核派集団に捕捉され、中核派の拠点校であった法政大学に連れ込まれ、リンチを受けた結果、午後6時ころに全身打撲と出血性ショックで亡くなったと診断された。意図的な殺害ではなく、過度なリンチが殺人をもたらしたと考えられる。
海老原は、革マル派活動家と見なされてリンチを受けたが、特に目立った活動家ではなかった。埼玉県立浦和高等学校出身で、池袋駅は大学から自宅への通学経路にあたっていた。
東京教育大学の学生・卒業生が内ゲバの被害者となった事件としては、この他に川崎市女子職員内ゲバ殺人事件がある。
事件の影響
この事件以前の中核派と革マル派の間には多少の摩擦はあったものの、相互の命を奪うような凄惨なものではなかった。しかし、この事件で中核派23人が殺人の容疑で検挙され、一方革マル派は「階級的報復」を宣言、この事件直後の8月14日に偽装した革マル派数十人が法政大学で中核派を襲撃、10人ほどの中核派活動家に重軽傷を与えた。これ以後、相互の内ゲバは激しさを加え、長年にわたり両派の多数の人命が奪われるに至った。
このことは、学生運動を学生から遠ざけて学生運動後退の原因ともなった。また、両派のメンバー自身が常に自らが危険にさらされることとなり、警戒のために活動や生活にまで不便をもたらすことになった。
参考文献
- 警察庁『"内ゲバ"の実態 極左暴力集団のセクトの争いとその周辺』警察庁、1972年
- 警備研究会『極左暴力集団・右翼101問(改訂)』立花書房、2000年