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この項目では、日本自由党 (1945-1948) について説明しています。自由党その他の用例については「自由党」をご覧ください。
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日本自由党(にほんじゆうとう)とは1945年から1948年まで存在した政党。1945年(昭和20年)10月、旧
立憲政友会(正統派)系の
鳩山一郎、
河野一郎、
芦田均らを中心に、旧
立憲民政党に属していた
三木武吉らも参加して結成。直接の母体となったのは政党解消後に旧政友会正統派の翼賛政治に批判的な議員が中心となって結成した会派・
同交会であり、そのため日本自由党は今日では非翼賛議員が中心となって結成した政党とみなされている。
軍国主義の打破と民主的な責任ある政治体制の確立、
自由経済による経済再建、思想・学問などの自由の保障による文化の振興を掲げた。
1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で自由党が第1党となり、鳩山への大命降下(組閣指示)が確実であったが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)より公職追放命令が出たため鳩山は吉田茂に後継総裁へ就任要請し吉田は受諾。吉田は一旦総務になり、第1党の代表として大命降下を受け5月22日内閣総理大臣に就任した。その後、三木武吉公職追放後は総務会長に、そして、8月の党大会で正式に総裁に就任した。日本国憲法制定後の最初の第23回衆議院議員総選挙では日本社会党に敗れて第2党に転落、下野した。
党史
- 1945年
- 1946年
- 4月 第22回衆議院議員総選挙で第1党。
- 5月 鳩山一郎総裁公職追放。
- 8月 党大会で、吉田茂総裁就任。
- 1947年
- 3月 衆議院解散
- 4月 第23回衆議院議員総選挙で第2党に転落。
- 5月 首班指名で、日本社会党片山哲が総理大臣に選出され、下野する。
- 1948年
歴代執行部役員表
歴代総裁
日本自由党総裁
(参考文献:村川一郎・石上泰州『日本の政党』1995年3月、丸善株式会社・丸善ライブラリー、ISBN 4-621-05153-9)
党勢の推移
衆議院
参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
(結党時) | -/- | - | - | 参議院は存在せず |
第1回通常選挙 | ○38/73 | - | 250 | 第1回のみ全員選挙、追加公認+6 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
- 第22回総選挙の定数には、選挙を実施できなかった沖縄選挙区(定数2)含む。
- 第22回総選挙では、他に法定得票不足で定数を満たせなかった選挙区の再選挙で当選者1。
関連項目