佐野彪太
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佐野 彪太(さの とらた、1873年 - )は日本の医師。1904年、天津租界の日本共立病院で院長をしていたときに後藤新平の娘と結婚。ドイツ、オーストリアに私費留学して、精神・神経科の医業を修め、日本に帰国後、東京の神田小川町に佐野病院(佐野内科精神科病院)を設立した。
経歴
1873年生まれ[1]。
1904年、清国・天津の日本人租界で日本共立病院の院長を務めていたとき、後藤新平の娘・静子と結婚[1]。
ドイツ、オーストリアに私費留学して、精神・神経科の医業を修めて帰国[2]。
東京の神田小川町に佐野病院(佐野内科精神科病院)を設立した[1]。
1923年の関東大震災のとき、自宅が被災し、後藤新平邸に寄寓した[3]。
家族
付録
脚注
参考文献
- 黒川 (2018) 黒川創『鶴見俊輔伝』新潮社、ISBN 978-4104444090